熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記 2022年8月

2022年08月31日 | Weblog

和田誠 『お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ PART7』 国書刊行会

本書での各作品についての書き出しが、当該作品関係者の死についてであることがけっこうある。例えば、

ラナ・ターナーが他界した。七十四歳だった。
12頁 「THE POSTMAN ALWAYS RINGS TWICE (1946) :郵便配達人は二度ベルを鳴らす」

というように。こんなふうな感じに始まる記事が12本ある。本書で見出し作品として取り上げられているのが121作品なので約1割だ。どの程度の頻度でこのエッセイが書かれていたのか知らないが、取り上げる作品を選ぶのに関係者の死というのは良いきっかけになっていたのは確かなのだろう。

つい最近、ウォルフガング・ペーターゼンが亡くなった。本書(142-143頁)に登場する『U・ボート(原題:Das Boot)』の監督だ。1981年の作品で渋谷の映画館で観たと記憶している。大変気に入ってしまって、「劇場公開版」「ディレクターズ・カット」「TVシリーズ完全版」の3枚がセットになったDVDボックスが発売された時には躊躇なく買ってしまった。それから十数年経過したが、肝心の「ディレクターズ・カット」をまだ観てない。

本書ではまずルネ・クレマンが亡くなったことをきっかけにして『LES MAUDIS (1946):海の牙』について語られている。『U・ボート』は潜水艦映画の流れとして『海の牙』に続いて取り上げられている。そして『レッドオクトーバーを追え』『クリムゾン・タイド』と続く。だから『U・ボート』の記述の熱量が、私からすると物足りない。同じようなことが以前にもあった。「PART5」での『がんばれ!ベアーズ』だ。

『U・ボート』の撮影に際しては精密なセットを作り、出演者たちには艦内シーンの撮影期間中約3ヶ月間、現実のUボート乗組員と同様に入浴、散髪などを禁止し、食生活も当時に近いものにして、出演者たちが「出航」から「帰還」までの間に実際の乗組員同様の身体的変化が表現できるようにしたのだそうだ。そうした撮影事情を知ったのは作品を観て数年経ち、さらにDVDボックスを購入してから何年が経ってからのことだ。後になって聞けばなるほどと思うものだが、観る者の記憶に刻み込まれるものというのは、それくらいの入れ込みがあればこそなのかもしれない。だからといって、全ての仕事に同じように取り組むことはできないだろう。人間なのだから作品やそれを取り巻く人々との関係や相性もあるだろうし、自分自身の考え方や生活への姿勢も変化が続く。これぞ、とか、これは、というようなものが生まれるのは、あるいは、そういうものと出会うのは、やはり運とか縁もあると思う。

本作は西ドイツ作品だ。監督も主要な出演俳優もドイツやオーストリアの人たちだ。その後、西ドイツという国は無くなった。東ドイツとの統一が成り、現在は単に「ドイツ」と呼ばれる。ペーターゼン監督は本作での好評価を機に仕事の場をアメリカへ移し、1985年の『第5惑星(原題:Enemy Mine)』以降は本格的にアメリカでの作品制作を行う。1993年の作品『ザ・シークレット・サービス(In the Line of Fire)』が興行的成功を収め、次の作品『アウトブレイク(Outbreak)』、1997年の『エアフォース・ワン(Air Force One)』と続く。主演のユルゲン・プロホノフも本作で注目されたことをきっかけに活動の場をハリウッドへ移した。

本書のシリーズ全編を通して感じることなのだが、俳優とか監督の職業人としての寿命が総じて短くなっている気がする。産業としての映画の盛衰ともちろん関連しているだろうし、俳優に関しては体力的・健康面の問題とか容姿の変化といったことがあるので、自由業でありながらも賃労働者同様の限界は程度の差こそあれ避けるわけにはいかないのかもしれない。何よりも、時代の変化と共に、人間の感受性のようなものも変容していて、「面白い」「美しい」「心地よい」といった感情そのものも変容している、つまり、「人間性」自体が変容しているのだろう。この先、人間の社会がどうなるのかわからないが、生きている限り「お楽しみはこれから」であり続けるのだろう。

 

いわゆる差別についてずいぶん喧しい世の中になった。差別される側、差別された側が声高に差別の不当性を主張することが差別そのものの解消につながっているようには見えないのだが、問題の存在を広く訴えることができるということが大事なのかもしれない。現実には、騒ぎ立てたところで、表立った差別がそうではないものに変わるだけで、結果として一層悪質なものにならないとも限らない。自他の別の延長線上に差別があると思うのだが、その自他の意識が暴走することで人間同士の大規模な殺戮にまで至るのは、それほどまでに人間の自我というものが強力であるということでもあるのだろう。だからこそ、人間は地球上でこうして我が物顔で振る舞っていられるのである。

本書で取り上げられている作品の中にも差別に関連して注目されるものがいくつかある。例えば『EXODUS (1960):栄光への脱出』(本書176-177頁)はイスラエル建国を題材にしたものであり、『CROSSFIRE (1947):十字砲火』(192-193頁)、『GENTLEMAN'S AGREEMENT (1947):紳士協定』(194-195頁)もユダヤ関連だ。

「栄光への脱出」はイスラエル建国秘話といった映画で、ユダヤ人の立場に立つと勇壮な物語である。しかし彼の地に住んでいたアラブ人の身になってみると、強引な建国ということになろう。なにしろ旧約聖書の時代にまでさかのぼる紛争だから、ぼくには理解できないところがあるのだが、ユダヤ人の多いハリウッドだから、この映画が大作として作られた事情はわからなくもない。
 ポール・ニューマンは建国のリーダーの一人で、六百人の同胞と船で現地へ向かう。現代のモーゼを思わせる描き方。現地には父(リー・J・コップ)と叔父(デイヴィッド・オパトシュー)がいる。父は穏健派だが、叔父は過激派で、テロをやっている。
 叔父の言葉。

「歴史を見ろ。テロ、暴力、死は国を誕生させる助産婦なのだ」
176頁 『EXODUS (1960):栄光への脱出』

「十字砲火」は復員兵たちの溜り場で一人のユダヤ人が殺される。容疑者が浮かぶが、担当の警部(ロバート・ヤング)は別の人物に狙いをつける。何かと差別的発言をする兵隊(ロバート・ライアン)で、警部はほかの兵隊たちと計らって、彼を罠にかける。ミステリー仕立ての社会派作品。
(略)
警部の祖父はアイルランド移民で、かつていわれなく殺されたのだった。そのことを話してから警部は言う。
「憎悪には意味はない。アイルランド人というだけで憎まれる。次はユダヤ人、次はクェーカー教徒。次は縞のネクタイをしているだけで殺される」
192頁 『CROSSFIRE (1947):十字砲火』

主役のグレゴリー・ペックはルポライターである。友人が編集長をしている雑誌社から反ユダヤ主義についての取材を依頼される。彼は取材の方法として、自分はユダヤ人だと名乗ることにする。すると突然差別を受け始めるのだ。ホテルには泊まれない。子どもはいじめられる。自ら体験する中で、彼は偏見を本当に憎むようになる。
 彼の妻はすでに亡く、恋人(ドロシー・マクガイア)ができる。彼女はインテリの上流婦人。偏見は持っていない筈だ。だが彼がユダヤ人を名乗ってから関係がギクシャクする。つまり彼女は普通の人であり、事を荒だてたくないのである。「紳士協定」は彼女が使う言葉で、差別があったとしても暗黙のうちに丸く収めてしまうのが紳士的なルールだ、という意味である。それを彼に求めるので彼は怒って言う。
「善良だけでは足りない。何もしないで傍観しているのは愚劣なルールへの同調だ」
194頁 『GENTLEMAN'S AGREEMENT (1947):紳士協定』

アメリカでユダヤ人に対する差別が本当に深刻な状況であったとして、そのアメリカで反ユダヤ主義批判の作品を多額の資本を投じて制作し公開することができるだろうか? 下々の生活の場面では単純な差別的行為が横行しているとして、それが即ユダヤ人の社会における位置と一致したものと判断できるものなのだろうか? 社会の表層と深層は単純に繋がっているものなのだろうか?

差別については日本人も他人事ではないだろう。先月の元首相暗殺事件を機に或る新興宗教と与党との関係が取り沙汰されている。その新興宗教は隣国に本拠を置くものだが、日本の政権与党と深いつながりがありそうだ。公開されている情報だけを頼りにそのつながりを辿ってみると満州に行き着く。そのことは前に書いた。同じように現首相についても公開情報だけを辿って系図にまとめてみた。やはり台湾とか満州といった日本の旧植民地との関わりが示唆されるものだった。下々の方は素朴に差別的な事を叫んでいたりするのだが、権力の中枢の方はその差別の対象と何か繋がりがありそうだ。

 

ボードレール 堀口大學訳 『悪の華』 新潮文庫

なぜこの本が我が家にあるのか、今となってはわからないのだが、購入したのは『口訳万葉集』と一緒だった。読み始めたから一応最後まで読んだが、子供が書いたものみたいで、少しも感心しなかった。尤も、原語で読んだわけでもないし、堀口大學という高名な人の手によるとは言いながらも翻訳なので、私は本書を「読んだ」とは言えないかもしれない。

ここ数年、短歌だの俳句だのを齧ってみてはいるものの、文学なるもののことはさっぱりわからない。本書についても一応字面を追ってはみたものの、何も感じないという経験をしただけだった。

ただ何となく思ったのは、この人は最初から生きてはいなかったのではないかということだ。父親は元老院事務局長だった。おそらく大した地位だ。フランス革命、第一帝政、王政復古、七月革命、二月革命、第二共和制、第二帝政とフランスは18世紀末から19世紀中盤にかけて目まぐるしく国家体制が変動する中にあって、元老院はフランス革命で創立されて以来、国家の権威の拠り所として比較的安定した地位にあったようだ。その事務局長であるからその地位は推してしるべしだ。

あくまで「歴史」と称される伝聞から想像するだけだが、「革命」で起こった新体制は「革命」が否定した旧体制の居抜きのような社会を創る。王政を倒した革命派は、結局、呼び方が「王」ではないというだけで「王」に類した権力中枢を構築する。おそらく人間の思考がそのようにできているのだろう。

近頃もさまざまな「弱者」を守ろうという看板が林立しているが、それによって誰かが本当に救われるということはほとんど無くて、問題の所在が別のことに置き換えられたりするだけのようにしか見えない。おそらく、何かが「改善」されたように見える変化によって利権や利害が大きく動き、その恩恵を享受することが「政治」というものなのだろう。

ボードレールはその体制側の人間だということは心に留めておく必要があるかもしれない。当時のフランスの一般大衆の側からすれば、どのように見られる立場にあった人なのか、ということだ。せっかくなので、本書から少し引用を並べておく。

一日の終り
恥知らずで騒々しい「人生」という奴は
陰気な照明の下を、走ったり、踊ったり、
理由もないのにもがいたりしている。
だからまた、地平線に、

楽しい夜が姿を見せ、
一切を、飢えまでも、宥めすかして、
一切を、恥までも、打ち消し去ると、
早速に、「詩人」が呟く、

《やれやれ!
僕の心も、大骨も
休息したい気持ちで一杯、
胸はさびしさで一杯ながら、
ひと先ず仰向けに寝ころぼう、
おお、気持ちのいい闇よ、
そなたの帳にくるまって!》
297-298頁

南無三宝! よろめく独楽を、跳びはねる鞠を、
僕らは真似ているわけだ。眠っていても
「好奇心」は僕らを苦しめ、追い廻す、
まるで太陽に鞭を当てる酷い天使だ。

何たる奇運だ、目標が移動するとは、
つまり、何処にもないので、何処でもかまわないとは!
その希望、疲れを知らない「人間」が、
安息を探し当てようと狂人のように駆け廻るとは!

僕らの魂は、理想郷を探し廻る大船だ、
甲板に声が聞こえる、《しっかり見張れ!》
狂おしい熱気を帯びた檣楼の声がわめいた、
《恋だ…名誉だ…幸運だ!》ところが、それは暗礁だ!
302-303頁

「どうでもいいから、とりあえず働け」と言ってやりたい。

本書の原書はボードレールが36歳の時に出版したものだ。彼はいわゆる「ボンボン」で、21歳の時に亡父の遺産7万5千フランを相続したが2年で使い果たし、以後一生借金漬けの日々を過ごしたのだそうだ。山田風太郎の『人間臨終図巻』には次のような記述がある。

彼は四十歳のころから健康を害していた。それは梅毒によるものであった。(略)一八六六年三月中旬、彼はベルギーのナミュールのサン・ルー教会にゆき、突然また発作を起こして石だたみの上に倒れ、それ以来半身不随と失語症の症状を起こして、カトリック系の慈善病院にいれられた。
山田風太郎『人間臨終図巻』徳間文庫 第一巻362頁

結局、パリに帰るが1867年8月31日、46歳で亡くなる。『悪の華』は出版時に背徳の書とされ、ボードレールは罰金刑を受けた。それだけでなく、生前はほとんど顧みられることがなかった。そりゃそうだろう。世間に余裕がないとこういうものは評価されないと思う。

ちなみに翻訳版である本書の奥書には「昭和二十八年十月三十一日発行」とある。日本では戦争が終わって一息ついて、ようやく余裕が生まれ始めた頃だ。なんだかんだいろいろあるけど、今はいい時代だと思う。

 

田中克彦 『ことばとは何か 言語学という冒険』 ちくま新書

勤務先では今年の初めに部門長が交代して、いろいろ新しい試みがなされている。部門の活性化という目的もあり、春ごろから毎週木曜日の昼時に勉強会を開いている。一人15分の持ち時間で毎回二人の講師役が自由にテーマを決めて何事かを語るのである。私は裏方部門なので講師のローテーションに参加する義務はないのだが、皆面白い話を聴かせてくれるので、自分もその面白さの一部に加わりたいと思った。それで部門長に「参加させてもらってもいい?」と尋ねたら「是非!」ということになった。とりあえず9月15日に一コマ受け持ち、言葉について語るつもりでいる。

「ちはやふる」という題で、百人一首の在原業平の歌を題材に、そのわずか三十一音から母語を共にする我々がどれほどのことを受け取ることができるのかという話にしようと今考えている。

ちはやぶる神代かみよも聞かず竜田川からくれなゐに水くぐるとは
谷知子 編『百人一首(全)』角川ソフィア文庫 48頁

ちはやぶる神世もきかず たつた川から紅に水くくるとは
佐伯梅友 校注『古今和歌集』岩波文庫 83頁

テーマは母語である。日本語を母語とする話し手と聞き手が表記の言葉を超えてどれほどのことを共有しているものなのか、共有する可能性があるものなのか、というようなことを語ろうと思っている。そのことで、表記された言葉を別の言語に置き換えただけでは、元の言葉の意図することは置き換えた先の言葉を母語とする人には伝わらないということも明らかになるのではないかと考えた。

いざ、自分の話の原稿を作り始めたら、当然のことながら、確認しないといけないことだらけだった。それで自分の勉強のためにあれこれ資料をひっくり返しているのだが、本書はその中の一つだ。田中克彦を知った経緯については以前に書いた。

改めて読んでみると、自分が言葉というものを何もわかっていないということがよくわかる。わかっていない言葉をこねくりまわして何事かを考えたつもりになっているのだから、その考えたこともろくなものではないということも明らかになる。自意識の強い人なら、ここで奮起して何か前向きなことを始めるのかもしれないが、あいにく私の場合は「まぁ、しょうがないよね」と片づけてしまう質なので、苦笑して終わるだけだ。

尤も、世間の方もそれほど言葉を深く考えている様子はない。「母語」というのは「母国語」とは全然違うのだが、辞書ですらちゃんぽんに扱っているものが多い。そもそも「母語」は意識しないものなのだから、そこに関心が払われないのは当然だ。

そういえば、巷でよく見聞きする日本語の「乱れ」を嘆く語りは、たいてい馬鹿っぽい。なかにはその嘆きの語り自体が乱れていたりする。言葉は当たり前に変化する。その変化の最先端はそれまでの「常識」からすれば「乱れ」と認識されるのも当たり前のことだ。一定の「乱れ」が定着して「変化」と認識されるに至るのである。他所の言葉だと「乱れ」なんだか「間違い」なんだかわからないが、自分が当然の如くに使っている言葉は自分自身がルールブックなので新しい言葉遣いは「創作」とか「創造」といった前向きな感じのものになる可能性を秘めている。

おそらく、物事の成否を自己の外部に設けた権威との整合性に照らして判断する習慣が日本語の社会にはあるのだろう。文字、衣食住の諸事、都市計画、宗教、社会制度、その他様々ものが大陸伝来で、近代以降は伝来元が大陸のずっと向こうの欧米になったというだけで、いつになっても何をするにも範を外部に求める。何事も数字や既成権威の評価に依存するのも同じ思考パターンだろう。しかし、生まれたくて生まれたのではなく、死にたくて死ぬわけでもない、高々数十年の個人の生の在り様をとりあえず納得するには、自分でどうこうするよりも既成の尺度に自分を合わせたほうが手っ取り早いには違いなかろう。

ここまで書いてきて本書の内容にはまだ一言も触れていない。困ったものである。取ってつけたようになってしまうのだが、本書で興味深いのは「第三章 当面する言語問題」の中で語られている諸々だ。19世紀の欧州で見られたいわゆる民族自決運動と母語の関係、母語と政治の関係、あるいは言語の政治的意味といったことは、今まさに問題となっている旧ソ連領域での摩擦や隣の大国での少数民族を巡るあれこれとも密接に繋がっていることがわかるのである。最近の感染症騒動で一瞬立ち止まったかのような「グローバリゼーション」だが、今更大きな流れは変わるまい。日本語にもこれまでにも増してプラスチックワードが氾濫するようになったが、自分の実感としては日本人がかつてに比べて外国語に堪能になったとは思えない。むしろ、バブル崩壊以降は却って内向的になっているように感じられる。それと関係があるのかないのかわからないが、世界が一つのまとまりとして機能する方向に動いているのに対し、民族であるとか言語は多様化に向かっているように見える。例えば、最近も「キエフ」と長年表記されていた都市名が「キーフ」に変更された。一体化と多様化のパラドクスのようなものが、そうした現象面の背後にチラチラする。この三章の話は改めて考えることにする。

注記:歌の表記だが、「ちはやふる」か「ちはやぶる」か。鎌倉時代頃までは読みに関係なく表記には濁点を打たなかった。上の引用では濁点を打っているが、落語も漫画も濁点なしの読みになっているので、こちらの話の都合上、自分のプレゼンでは濁りのない方にした。下句の「水くぐる」は『百人一首』の撰者である藤原定家の読みで、在原業平は「くくる」と詠んだらしい。この読みの違いは描く風景の違いにつながる。「くぐる」と読むと、川の上に紅葉がかぶさるように生い茂っており、その紅葉の重なり合うところを潜るように川の水が流れている様ということになる。「くくる」と読むと絞り染めのことを意味し、川辺の紅葉が映って赤く染まったような水に絞り染めのために括った布が泳いでいるかのような流れの風景だ、という意味になる。尤も、この歌は実際の風景を詠んだものではなく、屏風の絵を詠んだものらしい。

 

今年の春にウクライナで戦争が始まった時、世界が驚愕したかのように感じられた。しかし、つい30年ほど前に、ロシア語と同じスラヴ語系地域であるユーゴスラビアが内戦で分裂した。戦乱の直接的な原因は違うだろうが、エスニックグループの対立として見れば、同じ種類の騒乱の連続と考えることもできるのかもしれない。

1989年の正月をドゥブロヴニクで迎えた。当時はイギリスのマンチェスターで学生として暮らしていて、冬休みを温暖な海辺で過ごしたいと思っていた時に、たまたま学内の旅行代理店で目についた旅行のチラシがドゥブロヴニクだったのである。アドリア海に面した古い街は世界遺産にも指定されている美しい街だった。しかし、経済は既に破綻していて、200%を超えるインフレに見舞われていた。商店の値札は小さなメモ帳のようになっていて、毎日のように値段が変わるのに対応していた。それほどのインフレになると建設工事のような長期に亘るものは予算を立てることができないので観光客の動線から外れた場所の風景は荒んでいた。思い返せば、そういう尋常とは言えない状態がその1年ほど後に起こる騒乱の予兆だったのだろう。

旧ユーゴは「非同盟中立」を謳い、社会主義体制ではありながらもソ連を中心とする勢力とは一線を画していた。政治的に一時的な独自性を打ち出すことはできても、強固な経済基盤を構築できなければ、独立した国家としての存立はおぼつかない。従前から複数民族複数宗教がひしめくバルカン半島にあって、もともと不安定な政治経済を抱えていたユーゴは、カリスマ指導者であったチトー大統領亡き後にチトーに代わるリーダーシップが不在のまま、ソ連の崩壊を機に東側諸国が軒並み混乱に陥る流れの中にあった。1990年6月にスロベニアがユーゴから独立したのを皮切りにユーゴスラビア紛争が起こり、現在の状態で落ち着いたのは2001年のことである。

母語が同系であることは共同体を構成する動機のひとつになるかもしれないが、肝心の生活が成り立たないようでは話にならない。しかし、オーストリア=ハンガリー帝国、そこから独立したユーゴスラビア王国という多民族国家の枠組みのなかにあって国民生活が安定しなければ、それぞれの民族はそれぞれに「自分たちだけで国を作った方がうまく行くのではないか」と考えるのは人情として自然であるように思う。

しかし、生活すなわち経済というものが機能するにはある程度の規模がないと総体としての固定費が低下せず、自立した単位として存続することが難しい。市場原理の下で、つまりはあらゆる種類の価値が貨幣価値というデジタル表示に換算される中にあって、コスト低減=付加価値向上を実現するには規模の拡大と技術革新しか有効な手だてはない。必然的に経済活動、なかでも生産と流通は規模の拡大を指向する。生産の対局は消費なので、生産と消費の規模拡大は常にセットである。

昨今「SDGs」とか喧しく言われているが、地球という物理的に有限な環境で、市場原理の下に人々の暮らしが営まれていれば、資源は必然的に枯渇する。そんなことは誰でもわかることで、戦後の復興が一段落した1970年代はじめにローマクラブの「成長の限界」という報告書が話題を集めた頃から繰り返し言われていることだ。1970年に大阪で開催された万国博覧会のテーマも「人類の進歩と調和」で、「調和」に関する様々な展示があったはずだ。

しかし、人間生活の現実は結局のところ未だ見ぬ先の危機よりは目先の暮らしのコスパによって左右されるのである。SDGsを騒ぐことと、巨大資本が生産する大量の商品を巨大資本が運営する流通を使って実現した「コスパの良い」商品を消費して家計の出費削減に努めることとは矛盾するのだが、そんなことは誰も知ったことではないのである。矛盾は大きくなることはあっても解消されることは、たぶん、ない。

過去に誕生した生物種の99%が絶滅したという。人類が1%の方なのか99%の方なのか、まだわからないが、今こうして生きている実感としては、1%の方に収まるとは思えない。人間の自意識、市場原理に生きる現実、その他諸々は自滅装置そのものではないか。その前に自分がいなくなるので、そもそもどうでもいいことなのだが。

話は変わるが、幸か不幸か日本には民族問題がない。アイヌとか沖縄とか細かいことはあるが、国を揺るがすような大論争になる類の民族問題はない。この点、日本人として日本に生まれて良いこともそうでないことも当然あると思うが、言葉で悩むことがないのは恵まれていると思う。

言葉、殊に母語は自意識と密接に関係する。「自分」というものをその時々の状況の中で適切に位置付けることができてこそ、心の平和が得られる。1000年を軽く超える他所に例を見ないほどの長期に亘る共同体の中で生きることは、息苦しさがある代わりに安定感もある。その分、外国語の学習では負荷が大きくなるのだが、少なくとも千数百年にわたって母語として育んできた言語を当たり前に使うことができるのは、やはり、ありがたいことだと思う。

その昔、モンゴル系の民族が中国大陸ばかりかユーラシア全土を支配する時代があった。日本もその影響で元寇と呼ばれる侵略戦争を経験し、ただでさえ揺籃期にあって不安定であった武家社会が大きく揺らいだ。しかし、そのモンゴルの方は拡散霧消し、現代においてはモンゴル、中華人民共和国内の内モンゴル自治区、ロシア内の少数民族としてその名をとどめている。十七世紀までは続いていたとされるモンゴル語のエスニック共同体が分断されるに至った一つの理由は言語の分断であろう。モンゴル語を母語とした共同体は、その時々のそれぞれの地域の支配権力の影響下で、モンゴル文字ではなくキリル文字や漢字を使用するようになり、モンゴル語という共通項を保ちながらも民族としての国家樹立からは遠のいてしまった感がある。

日本語の場合は、早い段階から漢字の使用を選択したことが結果的には今日の安定的なエスニック共同体につながったのではないだろうか。本書に次のような記述がある。

ことばについて何か人工の部分があるとしたら、それは文字だけである。ことばは文字をともなって生まれたのではなく、身ぢかにあるどこかの文字を借りてきて使うしかない。日本語が漢字を用いているのはまったく偶然であって、日本語が書かれることを社会が要求したときに、近くには漢字しかなくて、他に選択の余地がなかったからである。もし、漢字以外の、もっと便利な文字があれば、それを用いていたはずである。すなわち、日本語が漢字で書かれているのは歴史的運命であって、自然によってではない。にもかかわらず、いな、だからこそ、漢字の賛美が必要になってくる。欠点の多いものほど、それだけ多くの賛美が必要になってくることは、日々の経験が教えている。
180頁

偶然であれ運命であれ、自ら独自の文字を創造しなかったことで、先進地域からの知見の導入が迅速に進行できたのは確かだろう。しかし、世界的に見れば、こうした事例は多くはないようだ。

十九世紀ヨーロッパでは、さまざまな民族が、他の国家の支配から離れて、独立の国家となる流れが湧き起こった。それに応じて、それぞれの国家は、かねてから、民族運動の中で育てられ、準備されていた、かれらの母語にもとづく国語を創出した。(略)
 これらの語はもちろん、十九世紀になって忽然と現れたのではなく、それにさかのぼる数世紀を通じて育てられていたものが、それぞれの民族・政治状況によって、一挙に躍り出たのである。つまり母語としてはすでに存在していたものが、国家という言語共同体の言語になったのである。別のことばでいえば、自然のことばが政治のことばになったのである。
187頁

自分が使う言語が誕生の段階から政治のドロドロと関わっているとしたら、果たして今のように呑気に好き勝手なことを言っていられるだろうか。横目で、あるいは上目で、周囲を注意深く観察し、あれこれ損得や権謀術数を考え抜いて生きることがデフォルトになってしまう。世に世界史を牽引するような創意工夫を生み出すのはそういう言葉の国々だ。世間には日本の、日本人の、創造力の貧困を嘆く向きもあるが、猿真似だのタダ乗りだの陰に日向に批判を受けながらも、こうして往来で周囲の迷惑も顧みずに寄り目でスマホのゲーム画面を見つめることに夢中になっていられる特権身分を享受できることを僥倖と呼ばずに何としよう。

ところで、前回読んだ時は気にもかけなかったのだが、本書は以下の一節で締め括られている。ウクライナはここに書かれている「非ロシア民族」ではないが、「ロシア」の名の下に絶対安定強靭な共同体を構築しょうとするなら、まずはスラヴ語派民族の共同体を固めるのがものの順序というものだろう。ましてや、黒海というさまざまな意味で豊穣な海に面した地域を本当に独立させておくのは理にかなわない。皆、驚愕したふりをしているだけで、実は責任ある人々の間では想定の範囲内のことだったのかもしれない。しかも、これは後に続くスラヴ語派大共同体編成の前哨戦かもしれない。だいぶ前に書かれた言語学の本を再読し、そんなことを思った。

ソビエト時代であれば、私は決して書かなかったかもしれないこのような状況を、いまはすすんで、心ある読者に伝えることができるので、そうすべきであると思っているけれども、最近プーチンはロシアの非ロシア民族が自らの言語にラテン文字の正書法をあてがうのを禁じる法令を出した。かれらにとって、非ソビエト化がすべてを良くしたというわけではない。
226頁