熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記 2017年2月

2017年02月28日 | Weblog

出光佐三 『マルクスが日本に生まれていたら』 講談社+α文庫

出光美術館の売店で購入。岩佐又兵衛展を観にでかけた折、たまたま目にして『人間尊重七十年』と一緒に買った。出光興産という会社はちょっと変わった社風のところだという話は聞いたことがあって、その「変わった」ところにかねてより興味はあった。本書のまえがきは同社人事部が書いているので、あるいは社員研修などに本書が用いられているのかもしれない。

本書は出光佐三が社員の質問に答えるという形式で書かれている。もし本当にこのような問答があったとしたら、楽しい職場であったろうと思う。私が学生の頃、就職活動でこの会社にお邪魔したことがある。学校のOB訪問という名目だったが、互いに興味を覚えることはなくその一回だけの訪問以外に縁はなかった。学生時代の友人で早稲田の応用化学の修士課程にいた人が研究室の枠とやらでこの会社に就職した。しばらく年賀状のやり取りは続いていたのだが、以前にもここに書いたように私が年賀状というものを書かなくなった所為もあって音信が途絶えてしまった。最後に書いたときには千葉の製油所で経理の仕事をしていたようだが、ストレスから帯状疱疹になったとのことだった。

出光美術館の収蔵品にしても、出光興産が上場する際に上場基準を満たすべくその一部が売却されたとか、そうした会社の方針に反発して辞めた学芸員がいたとか、というような話は聞いている。精油設備合理化という国家レベルでの流れのなかで出光興産は昭和シェルと合併することになったが、出光家は不満があるようで株式のやったりとったりに支障が生じているというのも報道されている。

どれほどしっかりした志の下で行われてきた事業でも、志を貫くことは容易なことではないという寂しい現実を自分が生きていることがよくわかる名著だ。

以下、備忘録。

丁稚奉公をしているうちに、郷里の実家が商売で行き詰まったので、なんとか早く独立しようと思っていたときに、学生時代から懇意にしていた淡路の日田重太郎さんという人が、自分の別荘を売って、当時の金で六千円を与えられた。そのときの日田さんの言葉は「この金は貸すのではなくて、やるんだ。したがって利子もいらなければ、営業報告もいらない。家族兄弟仲良くして自分の信念を貫け」ということであった。そして「金を貰ったことを他言するな」とつけ加えられた。これは、いわゆる東洋の陰徳の教えであり、ぼくの人生に対する非常に大きな教訓となった。(30-31頁)

人間の根本は、平和に仲良く暮らすということだろう。(40頁)

必要に応じて分配するということは、一見、立派に見えて公平かのごとくであるが、実行は不可能だよ。無欲・無私の神仏ならば、必要に応じてということで公平にいくだろうが、私利・私欲の人間には結局、平等に分配する以外になくなって、悪平等になってしまうんだ。(47頁)

心のあり方がいちばん大事だということになる。その心のあり方を理論や物差しで決めようとするから、理論や理屈の奴隷になるんだ。人に聞いたり本を読んだりすることは、技術、物差しを知るということであって、最後の人間のあり方は、人間が自問自答していくということだ。それができないような人は、人間として価値がない、ということになりはしないかな。(53-54頁)

 

つばた英子/つばたしゅういち 『あしたも、こはるびより』 主婦と生活社

記憶が定かでないのだが、なにかのサイトにあったエッセイのような文章に本書のことが触れられていた気がする。ブックオフで購入。

あこがれの生活が綴られていた。仮にこのご夫婦のように土地を持っていたとしても、自分がこれから畑仕事を始めることができるとは思えないのだが、でもやってみたいと思うのである。時節に逆らわず、簡素に清潔に静かに日々を過ごし、そのままふっと消え去るのが自分の理想だ。

 

俵万智 『考える短歌 作る手ほどき、読む技術』 新潮新書

いつどこで買ったのか記憶が定かでないが、家にあった。たまたま通勤で読む適当なサイズの本があまりなかったので、本書を読んだ。

よく短歌や俳句の解説のようなものを読んで、「えーっ、そうなのぉ」と思うことがあるのだが、そうした解説の背後には物事に必ず正解があるという大前提があるからだろう。学校の授業のような評価体系があって、その体系に乗らないものは排除され、体系に対して信任を与える人々だけが肩寄せ合って象牙の塔を守っている、というイメージだ。物事に良し悪しという評価を与えなければ体系が成立せず、体系が成立しなければ生きる指針を得られない。良し悪しを与えることで、その体系の番人としての生活を得る。生活のための体系であるから、それは守らないわけにはいかない。現実は多様なのだが、その多様性を認めていると自分の存在が危うくなる、ということなのだろう。

言葉を選び抜いて限られた言葉によって世界の何事かを表現するというのは、言葉というものの豊饒を否応なく突きつけられて、感動するよりほかにどうしようもない状況を創造する行為だと思う。だから、秀れた歌というものは、浅薄な解説を拒絶する強さがあるものだと思う。解説や能書きを呼ぶ歌というのは、結局のところ、未完成未成熟なのだと思う。ただ歌がある。それを読んでただ感心する。そういう世界こそが短歌や俳句の世界なのだと思うのだが、どうだろう。

 

与謝野晶子 『みだれ髮』 新潮文庫

これもいつどこで買ったか記憶が定かでないが、アマゾンで購入した気がする。

世に短歌や俳句の愛好者は多く、一般の新聞や雑誌の隅に素人や専門家の作品が掲載されていたりする。そういうものを読むと自分にもできるのではないかという気がするものだ。実際には文字を並べただけの粗末なものしか思いつかないのだが、少し頑張ればできそうな気がするのである。ところが、この本に掲載されている歌を読むと、そんな淡い期待が生まれる余地がない。なにがどうすごいのか説明できないのだが、ただ「すげぇ」と思う。特に「はたち妻」はどれもすごい。こういうものを読むと、自分にもできるかもしれないなどという誤解は生まれない。そういう点で、健全な作品集だ。

 

大島忠剛 『東海道新幹線路盤工』 信山社

三省堂書店池袋店で購入。作者はいわゆる物書きではない。タイトルの通り、土木関係の仕事をしてきた勤め人だ。書くことに関して素人だからこそ書けるものがあると思う。本書はそういう本だ。とにかく面白かった。その面白さの素は、ほんとうの話であることだろう。


風林火山

2017年02月19日 | Weblog

鰍沢のイベントの後にひとまず甲府で宿泊することにしたものの、それでどうするかということは決めていなかった。妻が県立美術館へ行ってみたいというので、宿で朝食をいただいた後、フロントに寄って美術館へのアクセスを尋ねた。公共交通を利用するとすればバスなのだが、ほぼ一時間に一本の割だという。10時少し前にチェックアウトして、駅へ行って荷物をコインロッカーに預けて身軽になったところで美術館方面へのバスが出る乗り場へ行ってみると、その一時間に一本のバスが出た直後だった。妻とどうしようかと話をするなかで、甲府といえば武田信玄だろうということになり、武田神社に参拝することにした。こちらも一時間に一本のバスで行くのだが、これは少し待てば乗ることができるタイミングだった。

しばらく前からこのブログに書いていることでもあり、年末の「エンディングロール」を見ても明らかなように、機会を見つけて神社仏閣を参拝することが以前に比べて増えた。ジジイになってあの世を意識するようになったというわけでもないのだが、そういう場所に対して素朴に好奇心が湧くようになったのである。神とか仏という人知を超えた存在をどのように自分たちの生活のなかに位置付けるのか、認識するのか、というようなことが神社仏閣という物理的存在の在りようにどう反映されているのか。そこに自分の在りようを見る思いがするのである。ざっくりとした言い方しかできないが、人知を超えた存在であるはずのものを仏像という人間の姿で表現するところに仏教というのものの限界を感じる。それに比べると神を山とか岩といった天然物に象徴させてその姿は見えないことにする神社のほうが考え方として素直であるとの印象を受ける。人知を超えた絶対的な存在の有無は私にとってはどうでもよいことである。人知が全てではないということは確かなことだと思う。だからといって、そこに絶対的なものを想定してしまうのは、思考の放棄だと思う。人情として安心したいという心情は理解できるが、物事に必ず正解があるという枠組みを設けてしまうのは、なんだか馬鹿っぽいと感じてしまう。

これまで訪れたなかでは、やはり伊勢神宮が「ザ・神社」という圧倒的存在感を自分のなかで放っている。それ以外はそれぞれにそれなりに印象深い。数年前に式年遷宮を経たばかりで様々なメディアが伊勢神宮を取り上げていて、そうした情報に影響を受けているということは当然にあるのだが、それだけではないだろう。長年に亘って人々の信仰を集めた場というものには、蓄積された想いが独特の雰囲気を醸し出しているように感じられるのである。また、そこに身を置くことが心地よいのである。無理やりに形式を設けた信仰を強制して「本当に信じるなら金を出せ」というような風が微塵も感じられないところがよい。「はい?神様ですか?こちらにおられますよ。どうぞお参りしていってください」というおおらかな雰囲気がよい。普段なんの信仰もない者を、それが当然であるかのように受け容れる雰囲気というものに有り難さを覚えるのである。だいたい何事かを強制するというのは自信のない証拠だ。それは日常生活のあらゆることについてあてはまることでもある。

武田神社だが、今日は赤ん坊を連れた家族連れの姿が目立った。東京で言えば水天宮のようなところなのだろうか。京都の松尾大社も名水で有名だが、ここも名水を売り物にしている。山岳地帯はミネラル分豊富な水が湧くものなので、自然なことだと思う。社務所でペットボトルを販売しており、境内の井戸から水を汲むようになっている。

昼頃に甲府駅に戻り、駅前の飲食店でほうとうをいただく。我が家でも勝手流でほうとうをいただくことが多く、妻は本場のほうとうの味というものを知りたがっていた。私は昔トレッキングに出かけていた頃に山梨県内の山も訪れたことが何度かあり、その度にほうとうをいただいていたので、我が家のほうとうが本場に勝るとも劣らないと言っていたが、やはり自分で食べてみたいということらしい。それで実際に食べてみて安心したようである。

山梨県立美術館といえばミレーの「種まく人」で有名だが、それだけではない立派な美術館だ。日本にはパリのルーブルやロンドンのナショナル・ギャラリーのような大規模な美術館は無いが、こじんまりとはしていてもよくまとまったコレクションを展示している美術館がたくさんある。ここもそうしたところである。今回初めて訪れたが、天気に恵まれた所為もあって周囲の公園も含めて満足度の高い施設だ。東京からわざわざ足を運ぶところだとは言わないが、近くに来る機会があれば是非足を伸ばしたいとは言える。


今年も鰍沢

2017年02月18日 | Weblog

朝、起きて掃出し窓のカーテンを開ける。冬場の晴れた日には遠くに富士山が見える。冬場はたいてい晴れなので、ほぼ毎日、富士山が見える。不思議なもので、富士山が見えるとほっとする。まるで富士山の存在が自分の存在を確かなものにしているかのように感じられる。遠いところの山というのは距離と比例して大きく見えたり小さく見えたりするわけではないらしい。今の時期は、京王線の芦花公園=千歳烏山=仙川間で運転席の正面に富士山が見えるのだが、これが我が家から見るより大きく見えるのである。

今日は暗いうちに起きたので、富士山を確認できなかった。しかし、鰍沢に来ると雲の合間に富士山が時々姿を現わす。天気予報では今日は午後から雨だが、雲が多かったものの降りそうな気配はなかった。富士山の姿を拝むと、やはりほっとする。

昨年に続いて今年も富士川町の落語まちプロジェクト『落語「鰍沢」の舞台をめぐる旅』に参加した。昨年と行程はほぼ同じだが、見学内容が微妙に変わっていて、昨年よりは調子が良く感じられた。なによりも天気に恵まれたのがよかった。総体に「町おこし」というものはろくなものではないのだが、落語で町おこしをしようというのは大胆なことだ。昨年が初年度で5年計画で町を活気づかせようという大プロジェクトの下でこのツアーも企画されている。こういうことに即効性を期待してはいけないということは承知している。それでも敢えて言わせてもらえば、昨年に比べて町が活気づいている気配は感じられなかった。無理に活気づかせようとしなくてもよいのではないかと思うのだが、そこに暮らす人々にとっては生活を左右する問題なので、何事か対策を講じないといけないということなのだろう。それにしても、「町おこし」で活気づくようになった町というものが果たしてどれほどあるものなのだろうか。

「ハレ」と「ケ」という言葉がある。普段の生活はケのほうで、その生活に彩りを添える行事のようなものがハレだ。生活の場である社会や地域を構成する人々のケの側面が充実していなければ地域の活気もない。生活を支える産業を地域のなかに持ち、地域のなかで衣食住が完結できるくらいでなければ持続的な活性を得ることはできない。ケのないところにハレだけ持ってきても、その場かぎりのことで波及したり根付いたりはしない。波及する先のもの、根付く土壌がないからだ。世間で言われるところの「町おこし」にはケのないところにハレだけ持ってくるような発想のものが多いような気がする。

それで、本日の落語のほうだが、以下の番組だった。

春風亭一之輔「天狗裁き」「鰍沢」

落語の後、身延線で甲府に出て、今日はここで泊まり。東京まで日帰りができないわけではないが、年寄夫婦の楽しみなので無理はしない。予め予約しておいたジビエの店で、鹿肉の料理などをいただきならが地元のワインを少しばかり楽しむ。若い男性が一人で切り盛りしている店で、食材や料理に対する真摯な姿勢が伝わってきてたいへん愉快だった。宿はこの店の近くにある甲府の老舗と言う人もあるホテルにやっかいになる。