熊本熊的日常

日常生活についての雑記

燕子花の季節

2014年04月29日 | Weblog

その昔、4月29日は天皇誕生日だった。天皇が代替わりをした後も名称を変えて国民の祝日になっている。天皇誕生日が国民の祝日であるのは何故か、同じく祝日である建国記念日の根拠は何なのか、ということを素朴に思うのである。この国の起源は何だろう。例えば米国には独立記念日というものがあり、中華人民共和国は毛沢東が建国を宣言したことによって成立している。日本の場合はその起源が神話の世界のことになっている。このような国が他にどれほどあるのだろうか。不思議な国だと思う。

映画『神宮希林』を観た。式年遷宮を題材にしたドキュメンタリー作品だ。樹木希林をナビゲーター役にして神宮式年遷宮の様子をまとめたものである。神様というものをどのように意識するものか人それぞれなのだろうが、宗教とか信心とかいうこと以前に、生物が自分の置かれた環境を知覚認識する際に五感を超えたものを感じているものなのではなかろうか。呼吸をし栄養を摂取することで生命が維持されていても、その状態が未来も継続するとはわからない。暗黙のうちに未来が現在の延長線上にあると思い込んではみるものの、そこに何の保証もないことは自身が十二分に承知していることだろう。その不安が、自分の知覚認識している環境の背後にあるものを無意識のうちに探らせるのではないか。しかし知覚認識できないものはどうしようもないので便宜的に神仏というようなものを想定せざるを得ないのではないか。体系化された宗教を信じようが、身の回りにある自然現象に漠然とした絶対的存在の影を想定しようが、あるいは科学技術の合理性に己の存在の根拠を求めようが、根本にあるのは不安なのではないか。形あるものを求める欲というのは、こうした不安を緩和するための内的運動ではないかと思うのである。

「歴史は繰り返す」というような信心は不安解消には絶好だ。循環というのは永久運動のイメージを持つ。生命は個体という単位では誕生から死滅までの一回性ものだが、生殖という行為を間に挟むことにより、誕生して生殖を経て新たな個体を残すことで種という単位では継続性を獲得する。そこに輪廻というものを持ち込めば、同じような営みをいつまでも続ける永遠という幻想を得る。式年遷宮のような周期性の行事はそうした幻想を強化する。そこに農産物の収穫というような毎年繰り返されることを重ねるとさらに効果的だ。

ところが現実は違う。同じことの繰り返しで時間が進行するなら、例えば1,000年前の暮らしと今のそれとは同じでなければならない。人口は一定で、世界を構成する自然も一定でなければならない。絶滅種などあってはならないし、天変地異も起こらない、はずだ。そこで、人類だけは他の種とは別だという例外を想定することになる。進歩というような一方向の変化の概念を持ち込まないと世界観が成り立たない。「歴史は繰り返す」と言った舌の根が乾かないうちに、それを否定しなければならなくなる。要するにほんとうのことは誰にもわからないのである。わからないことばかりだから「真理」を探求するはずの学問や科学には価値があるのである。わからないことばかりだから自分とは何者かという漠然とした不安から救済してくれる宗教や神事を尊いと思うのである。都合の良いデータだけを寄せ集めて「真理」を語る学者や科学者は法律を犯していなくとも人類暗黙の了解を犯しているという点で犯罪者であり、神仏の存在を語ることのできない宗教者も同様だ。「真理」とは完璧な嘘のことなのである。

ところで、今日は映画を観た後、根津美術館に回って毎年恒例の「燕子花図」を観てきた。美術館の庭園には本物の燕子花が咲いている。光琳の「燕子花図」にも本物の燕子花にもそれぞれの美しさがある。今この瞬間の花の美しさ、この瞬間の絵の美しさ、それを感じることのできる今この瞬間の命に感謝したい。


五月はじまり

2014年04月24日 | Weblog

今日、正社員の契約にサインをした。昨年10月から今の勤め先で契約社員として働いてきたが、今月上旬に上司の上司から正社員の口が空いたので応募しないかとの誘いを受けた。積極的に今の仕事を続けたいとも思わないが、さりとてせっかくの誘いを断る理由もないので応募することにした。形式的には「募集」に対して「応募」して、一通りの審査があって契約に至るのだが、実体としては出来レースのようなものだ。年度の途中なので手にする給与はこれまでと変わらないのだが、契約社員にはなかったボーナスが付くとか、雇用期間中に死亡した場合に遺族に見舞金が出るようになるとか、企業年金に加入するというようなこともあるので、雇い主にとっては人件費が嵩むことになる。まさかこの年齢で就職ができるとは期待していなかったが、これも巡り合わせなのだろう。正社員としての契約は5月1日に始まる。

5月と言えば、最初の結婚記念日が巡ってくる。正社員の契約を結んだことを妻にメールしたら、ワインを買っていてくれた。ちょうど親戚の結婚式の引出物でいただいたチーズがあったので、それに合わせてイタリアのワインにしたのだそうだ。ワインとチーズでささやかな祝杯をあげた。もうひとつ5月に始まるものがあるのだが、これが目下の最大の課題である。


丸八年

2014年04月23日 | Weblog

このブログを開設して2,922日、ちょうど8年になった。以前にも書いたが、学生時代の卒業旅行での日記を公開したら、当時知り合った人たちと再会できるかもしれないという想いもあって始めた。手紙を瓶に詰めて海に投じるようなものだ。だからこのブログの始まりは開設よりもずっと以前の1985年2月になっている。友人知人のなかにはこのブログの存在を知っている人もいるので、時々書いたことについてメールなどを頂くこともある。そんなひとりであった人が昨年夏に亡くなった。その人からのメールは今もメールボックスに残っている。一番最後に頂いたメールは2012年11月、私の結婚が決まったことに対するお祝いの言葉だった。昨年9月に氏が亡くなったことをご親族のからの葉書で知った時、メールのことを思った。手紙ならば保存しておこうと思って保存しない限り、所在が不明になってしまう。メールは消去しても、おそらく世界のどこかのサーバーに残っていて、あれこれ検索をかければ呼び出すことができる可能性がある。アカウントも削除されずに残っているものも少なくないだろう。主のいなくなったメールアカウントが時間の経過とともに膨れ上がっていく。ネットのことで実生活には殆ど関係のないこと、と言いきれることなのだろうか。

この8年間にこのブログを通じて知り合った人は一人だけだ。そんなことが本当にあるのだと今更ながら驚いてしまう。時々このブログに登場する板金職人の菅野さんがその人で、頻繁に往来があるわけではないが年に最低一回は直にお目にかかっている。

そんなわけで、このブログを介して何事かが生まれたり消えたりするということはないのだが、全く何も無いわけではないのである。何事かの意志を持って、その意志を文章にまとめるというのは自分の生活を律する一助にはなっているだろうし、稀ではあってもそのことによって新たな人間関係が構築されたりもするのである。自分の日々の生活を習慣に流されることなく意識的に生きるためにも、毎日何事かを文章にまとめ続けたいとは思うものの、なかなかそういかないのも現実だ。それでも、これからも毎日書くつもりでこのブログを続けていこうと思っている。


深川の雪

2014年04月20日 | Weblog

岡田美術館へ「深川の雪」を観にでかけてきた。「深川の雪」を収蔵している岡田美術館を観にでかけてきた、と言ったほうがいいかもしれない。開館前からいろいろ話は聞いていたが、予想していたものを遥かに凌ぐものだった。観光地の美術館なのでそれなりのものかと思っていたのだが、よくぞこれだけのコレクションを短期間で作り上げたものだと感心した。コレクションの主である岡田和生氏がどのような人なのかは知らないが、ちょっと検索すればいくらでもいろいろなことが出てくる人だ。それはともかくとして、「深川の雪」もいろいろありそうな作品だ。歌麿の「雪月花三部作」と呼ばれるもののひとつだが、「三部作」というのは今の時代から振り返ってみたときにそう呼び習わしているだけのことであって、描いた本人あるいは発注者がそういうことを意識していたのかどうかはわからない。描かれた年代も違えば画の構成も異なり、紙質とか絵具なども違うのかもしれない。共通するのはでかいということと作者の署名がないということ、発注者が栃木の豪商である釜屋善野伊兵衛ということだ。

今でこそ地方都市はどこも衰退著しいが、物流の手段が人馬と船くらいしかなかった時代には中継点の位置付けが大きかったはずだ。物資にはそれに伴う金融もあったはずで、金融が伴えば信用情報も付いて回ることになる。物資も金融も情報もつまりは価値であり、当然、そうしたものの仲介者には富がもたらされ、主要街道の宿場が発展していたことは容易に想像がつく。富をもたらすものは人であり、人の集まるところで価値が生み出される。そうした人の動きや流れの変化の歴史に素朴に興味を覚える。

ところで岡田美術館だが、ここを訪れるためだけに箱根まで足を運ぶ価値があると思う。今回は「深川の雪」を観るという動機が大きかったが、展示のなかで特に印象深かったのは1階に並ぶ陶磁器だ。自分が道楽で陶芸をやっている所為もあるかもしれないが、例えばここに並ぶ唐三彩の馬は遠目に視界に入った瞬間に吸い寄せられるような力を感じる。時代を下った景徳鎮のものもそうなのだが、今に残る古い中国の作品は作家のものではない。官窯で焼かれて大事に使われてきたものが殆どだろう。気の遠くなるような手間隙をかけて、皇帝に象徴される絶対的な権力の下で養成された職工たちによって作られたであろう作品だ。おそらく、そこに作り手の「私」はない。だからこそ、これほどの高い完成度が実現されるのではないだろうか。ただひたすらに均整の取れた成形をし、極限まで均質な施釉をし、大勢の人間が夜を徹して窯の火勢を正確に調整してこその製品だ。それぞれの工程の精度を上げれば上げるほど、そこから「私」は排除されるのである。その結果、何千年も制作物が残るのではないか。何が「良いもの」なのかは、人それぞれに思いがあるだろうが、後世に残るような仕事をしようと思えば、自分というものを削りに削って跡形もなく残らないようにしなければ、万人が「良い」と思うようなものは出来ないではないか。自分で自分を消し去ってしまうことで、何かが残るということなのではないか。

岡田美術館の後、ポーラ美術館に足を伸ばした。モディリアーニの特集が行われていたが、この美術館に並ぶのはポーラのオーナーであった人が40年ほどかけて蒐集したコレクションだ。コレクションの成り立ちも、コレクション自体も岡田とは対極にあるような印象を受ける。岡田はたぶん世間をあっと言わせるようなものを狙って集めてたものだろう。ポーラは好きなものを集めた結果だろう。どちらもそれぞれに観る者の眼を楽しませてくれる。しかし、岡田を観るときの心の動きと、ポーラを観るときに感じるものとは、ずいぶん違う。それは私だけのことではないと思う。

ところで、「深川の雪」には作者の署名が無い。何故、歌麿は署名を残さなかったのだろう。


岸辺のあるばむ

2014年04月13日 | Weblog

近所を流れる野川の川縁を散歩した。まず下流へ向かって歩く。川の西側、堤の内側を歩いていたので、小田急線の橋を過ぎたところで行き止まりになってしまった。川は続いているのだが支流との合流があり、堤の内側にあった獣道のような小径がそこで途絶えてしまったのである。そこで折り返して上流へ向い、京王線の橋をくぐって佐須町の都営住宅を過ぎたあたりで日が傾いてきたので、また折り返して住まいのある団地へ引き返した。

このところ週末毎にあちこちに出かけているので、住まいの近所で終日過ごすことがなかった。今のところに越して来てから一度もなかったかもしれない。野川の沿道には街路樹に桜が植えられている。桜の時期になるといつも思うことだが、こんなに桜があったのかと思うほど、街中桜だらけだ。日本の花なのだなと改めて思う。それで野川の桜だが、もう殆ど散っているが葉桜というには少し早いかもしれないというような塩梅だ。桜が散って俄然存在感を放っているのが菜花だ。川縁に水面を覆うように黄色い花が咲き乱れているところもある。香りも強く、少し前までの寒空が嘘のような世界が広がる。川には透明な水が流れ、そこを泳ぐ魚が見える。小田急線の橋のあたりまで下るとけっこうな大きさの鯉がいる。魚がいれば鳥も当然にいる。鷺や鴨は当たり前で、時折カワセミの姿も見える。カワセミを間近で見ると、やはり少しは感動する。

陽気が良い所為もあるのだろうが、川縁や川岸はジョギングや散歩の人たちが適度な頻度で往来し、地元でのんびり過ごしている感じがあって良い。行楽地や繁華街ではなく住まいの周囲で休日を楽しむというのが、なんとなく豊かなことのように感じられるのである。

それにしても、川の周囲の住宅地は比較的築浅の建売が目立つ。かねがね思っていることなのだが、東京のような人口密集地域では土地の所有の仕方に制限を設けたほうがよいのではないだろうか。最低限の広さを設け、そこに建てる家屋は隣地との境界から最低2メートルは離さないといけない、とか、家屋の高さは敷地が面している道路の幅に対して倍を超えてはいけない、というような規制である。戸建と言いながら限りなく長屋に近いような家では防災上問題があるのではないだろうか。勿論、防災を考えて作られた様々な法規制に則ってこれらの建築物が存在しているのだが、地面を埋め尽くすような家並に、どこか心寒いものを感じてしまう。自宅というのは自分の居場所であり、自分が最も寛ぐことのできるはずの場であろう。わずかばかりの敷地を囲って、そこに目一杯の小屋を建て、セキュリティシステムなんかを取り付けて自分の城のようなつもりで暮らしている人も少なくないだろう。そんなところに暮らして心が和むものなのだろうか。そんな暮らし方を幸せと感じる感性というのはどれほどのものなのだろう。他人の暮らしについてとやかく言うつもりはないが、そいう近代的自我に執着した見るからにセコいものが氾濫している風景を消し去ってしまいたい。かつて自分もそういう家で暮らしていたので、なおさらそう思うのかもしれない。


笑うということ

2014年04月12日 | Weblog

素朴に好きなので暇さえあれば動画サイトなどで落語を聴いている。月に一回程度を目処に落語会や寄席にも足を運ぶ。同じ噺が口演者によって違うものに聴こえるのはなぜだろうと常々思う。同じ口演者の同じ噺が時と場によって違って聴こえるのも不思議なことである。古典落語は話の内容からサゲ、話の端折り方といったことまで知っていても、面白いときは面白い。実は「不思議」とは思っていないのだが、何故その時々で違うのかということを上手く説明できないので、方便で「不思議」だとか「なぜだろう」と書いただけのことである。

人が何故笑うのか、ということについては大昔から今日に至るまで、様々な人がそれぞれの立場からいろいろに論じている。そういう現象があるということは、そのことについてひとつの解答が無いということの証左だ。たぶん、太陽が時速70,000キロで未体験空間を驀進しているからではないかと思う。落語に限らず世の中のことというのは普く一回性の事象なのだろう。何度でも再現できることというのはその程度のことであって、再現できないことのほうが多いのが現実だろう。ナントカ細胞の論文に不備があったことがマスコミで大きく取り上げられても、ナントカ細胞を何度でも作ってみせれば済むことではないかと思うのだが、そうならないのは所謂「先端技術」というものが数多くの条件を整えないと証明することができないからなのだろう。世の中は一回性のことに満ちているので、そういうことを組み合わせなければならないムズカシイことは、そもそもコピペの組み合わせではお話しにならないのである。なんだか当たり前のことのような気がするが、ナントカ細胞騒動の問題点というのは何なのだろうか。

ついでに言わせてもらえば、ナントカ細胞騒動の件でマスコミに取り上げられる内容は細胞のことでもなければ論文のことでもなく、それを発表した人の個人的なことであったりするのは、世間の関心がナントカ細胞そのものに無いことの証左だろう。知らないことやわからないことに対しては何も言えないのである。わからないことに無理矢理何かを言わなくてよいのではないかと思うのだが、言わずにいられないのが人の性なのかもしれない。だから問題そのものではなく、問題にまつわることでネタにできることだけつまみ食いするのである。腹が減ったときに食事をするのではなく、試食品を喰い漁るようなものかもしれない。食事には単に腹を満たす以上の文化的な意味があるものだが、カロリーや栄養の補給さえできればよいというのであれば、畜生と変わるところがない。

さらについでに言うと、近頃書店の店頭に「雑談力」というものについての本が平積みされているのを見かける。雑談するのに「力」が必要なのかと思う。「力」なしでできる会話が「雑談」ではないのか。日本語が変化しているのか、雑談する力も無い人が増えているのか。雑談する力がないような人は本を読む力も無いだろう。「雑談力」についての本は誰を読者として想定しているのだろうか。「活字離れ」が言われて久しい。本を読む習慣が失われているのかもしれないが、本を企画する側に人を食ったような発想しかできない奴が増えているということはないのだろうか。

落語会や寄席に出かけると、世の中捨てたもんじゃないなと思える瞬間を体験できることがある。あるいは、しっかり生活しないといけないと反省させられる瞬間に遭遇することもある。その一瞬を期待しながら雑談のような無駄話のようなものに1時間も2時間も付き合う楽しさが好きだ。

本日の演目
笑福亭羽光 新作
柳家三三 「薮入り」
(仲入り)
春風亭一之輔 「粗忽の釘」
東京ボーイズ
柳家喬太郎 「井戸の茶碗」
開演 14:00 終演 16:40
会場 北とぴあ さくらホール 


そういう時代

2014年04月11日 | Weblog

Amazonのプライムアカウントの一ヶ月無料という案内が来て、そのまま放っておいたら無料期間が過ぎて年会費の請求が来てしまった。せっかくなので今月に入って2回利用した。一回目は会社からの帰りにカビ落とし洗剤を注文したら翌日朝に届いた。二回目は昨日、高木仁三郎の本を3冊注文したら今日の夜に届いた。これだけで何かを語るわけにもいかないだろうが、注文の翌日に商品が届くというのはすごいことのように思う。今月は消費税増税前の駆け込みで購入された商品の配送が積み上がっていて物流網はパンク気味だという話を聞いている。それにもかかわらず、思いつきでひょいと注文したものが翌日に届く。そんなに急がなければならない買い物というのはそうそうあるものではないような気がする。それでもそれが当たり前になってしまうと世の中は窮屈なことになりはしないのだろうか。

以前に陶芸の作品展を開いたとき、お買い上げ頂いた作品をその場で持ち帰られたりすると会場が寂しくなってしまうので、会期終了までお待ちいただいた。お買い上げ頂いた方は殆どが会場周辺にお住まいだったりお勤めだったりされていたので、私が自分で配達して回った。宅配ボックスに置いてきたとこもあったが、お客様に直接手渡したもののほうが多かった。直接会えば、たとえ手渡すだけの短い時間であっても無言では終らない。そこで面と向かっての会話があり、商品の配達以上の内容のある時間を過ごさせていただいた。

買い物をするとか商品を販売するということが単に財貨の交換というだけのことに終ってしまうのは、なんだかもったいない気がする。人一人の人生など、どんなに長くても100年にもならないだろう。そこにデータや記録を詰め込むことで安心するということもあるのかもしれないが、データや記録で表現できない時間や空間を味わったり楽しんだりすることのほうが、私は好きだ。


使い捨て

2014年04月10日 | Weblog

昨日、それまで広く使われていたコンピューターの或るOSのサポートが終了した。

パソコンは稼働できても、そこで遣り取りするものが思うように行き来できなくなる。パソコンというのは結局のところは通信端末なので、端末だけが電気的に作動してもコンテンツが伴わなければただの箱だ。パソコンだけではなく、様々な形態のコンピュータが身の回りのあらゆる機器に搭載されている。鉄道車両は昔はドライバー1本で多少の故障や不具合に対応できたというが、今は不具合が生じれば車庫まで運ばないとどうにもならないという。近頃は首都圏の鉄道網が定時運行されないことが常態化している感を受けるが、その要因の一つに車両や運行システムの電子化の進展というものがあるのではないだろうか。自動車の整備の様子も変わった。油にまみれながら工具を駆使して修理や調整をするというのは昔のことで、今は専用機器がないと修理ができないものばかりになりつつある。家庭電化製品も同様だ。故障に対する対応は修理ではなく交換ということが増えているのではないか。修理にしても基板交換のような実体としては交換と変わらない対応が殆どだろう。

具合が悪くなれば再起動だの交換だのと、不具合の根本が何であるかということに対する関心が薄れていくと、人の考え方も自然に変わっていくのではないだろうか。そもそも誰が何の意図で何を欲しているのか、というそもそもが問われなくなり、表面を取り繕うだけの世の中になりはしないだろうか。表面的に物事が進めばよいということにのみ注目する結果、モノではなく使う側の人間のほうを交換するようなことになるのではないか。尤も、既に雇用がそういうことになっているのだが。


一方通行

2014年04月09日 | Weblog

今日の「ほぼ日刊イトイ新聞」に太陽系の動きを紹介した別のサイトの記事が紹介されていた。そのサイトにはYouTubeの映像が貼付けてあって、その映像を見てなんとなく心にあった諸々の違和感が片付いたような気になった。地球も含め普く天体は運動していることはわかっているつもりだが、普段の生活のなかではどうしても天動説的な感覚になってしまう。「日が昇る」とか「沈む」とか、「月が出る」とか、こちらがじっとしていて向こうが一方的に動いているかのような感覚を持って暮らしている。しかし、地球は太陽の周りを回り、太陽はどこかへ向かって動いている。でも、地球が太陽の周りを回るように太陽が何かの周回軌道を進んでいるというような単純な話ではないらしいのだ。どこへ向かうともなく、太陽は時速70,000キロで驀進中だそうだ。誰がどうやって計ったのか知らないが、時々刻々未体験ゾーンが展開しているのは、たぶん確かな気がする。

要するに、自分が暮らしている場は一回性のものであり、次の瞬間に何が起こるかなど知り得ようが無いということだ。科学や学問として物事の規則性や法則を探求するのは、それはそれとして大事なことかもしれないが、それが普遍的なことであるというような大胆な思い込みをすると、たぶん危険だと思う。「歴史は繰り返す」というが、スケールの取り方の問題だろう。繰り返すように見える範囲でしか物事を捉えなければそのように見えるだけのことだ。自分自身のことを思えばどこにも繰り返しなど無い。生まれてこのかた死へ向かってまっしぐらに突進している。そうは言っても目の前の毎日を生きないわけにもいかないのではないかというような漠然とした思いがあるので、方便として未来が過去の延長線上にあると想定しているが、そういう指針を置かないと何かと不自由なのでそうしているだけのことだ。そんなことは本当は誰でも知っているのである。でも、世間は方便を現実と決め込んで、その仮想現実のなかで浮遊する利害に目を奪われ、目先の欲得に溺れて徒に無用な争いを起こしたりする。それが不思議でならない。


せきゅりてぃ

2014年04月01日 | Weblog

新入社員らしい人たちの姿が目についた。今日はそういう日なのだろう。自分が就職した頃と比べて違うことはたくさんあるだろうが、はっきりと違うのは会社のセキュリティカードの有無ではないだろうか。今は職場に行くのに何度もカードキーを翳して解錠しないといけないところがある。昔はそんなものは無かった気がする。内と外とを厳密に分けるのは、そうしなければいけない規制ができたからで、そういう規制ができたのは、規制しなければいけないような状況になったからだろう。ただ、30年前と今とで保護しなければならないものがそれほど増えたとは思えない。所謂「個人情報」の内容が極端に変わったわけではないだろうし、組織の機密が増えたわけでもないだろう。違うとすればそれらの形態と流通経路ではないだろうか。様々なデータがデジタル化電子化されることでそれらの処理作業が格段に容易になると同時に、それらへのアクセス可能性も飛躍的に高くなったということなのだろう。

他人になりすまして組織のなかに入り込むのは、その組織の規模が小さく構成員間で相互に相手を認識するのが容易ならば困難で、規模が大きく構成員の出入りが頻繁で誰が誰だかわからないほどになると容易だということになる。そうなると構成員であることの証明が必要になる。巨大組織は昔もあったが、データがアナログだと物理的に証明のためのものを携帯することが困難なので個人の良心に依存せざるを得なかった。また、構成員間のコミュニケーションが今に比べれば濃いというようなこともあったかもしれない。しかし、デジタル化電子化が進展して本人確認に必要な情報を磁気ストリップやICチップに格納して携帯できるようになると個人の良心というような不確かなものに頼らずとも機械的に判断できるようになった、ということかもしれない。

昔、「三億円事件」というものがあった。東芝府中工場の職員のボーナス、約3億円を輸送中の車が白バイ警官のような姿をした者に奪われ、犯人が見つからないままに時効を迎えた事件である。この事件が発生したのは1968年12月10日である。当時、会社員の給与や賞与は現金で支給されていた。この事件の3億円はジュラルミンのケースに収納されていた。当時、給料日や賞与支給日には市中を現金を積んだ車が往来していたのである。現金というのは持っている人が所有権を主張できる。「私」専用の一万円札というものはなく、一万円札を持っている人が「これは私の一万円です」といえば、それはその人のものということだ。3億円を奪った人が「これは私の3億円です」といえば、それはたとえ東芝社員のボーナスのために輸送途上にあったものでも、奪った人のものである。紙幣には製造番号が一枚毎に記載されているので新札であればある程度の追跡は可能であるというようなことは、ここではひとまず置いておく。このような事件が起これば、当然にその対策が打たれる。しかし、現金が有価物として市中を流通する、という根幹を変えないことには現金の窃盗や強奪、偽造のような犯罪はなくならない。現に「三億円事件」のような歴史に名を残すものでなくても窃盗、詐欺、強盗、横領といった事件はその後もいくらでもあるはずだ。

時代は下って1980年代。私が新入社員の頃、勤め先で「おつかいさん」と呼ばれる人たちの手伝いをしたことがある。取引先との資金決済で現金や有価証券の物理的な授受を行うのである。このときの現金は特殊な小切手が使われていたので、「三億円事件」のような心配はあまりなかったが、株券や債券には似たようなリスクがあった。しかし、小切手という形態であれば紛失ということは起こりうるのである。実際にそういう事故はあった。300億円の小切手が紛失したが、後日、机と机の隙間から落ちていたものが発見されるというような、今から思えば牧歌的な事例を知っている。

やはり新入社員の頃、勤め先のボーナス支給日に社員のふりをして昼休みにオフィスに入り込み、椅子の背にかけてあった背広のポケットを物色して回り、首尾良くいくばくかの小切手(当時、私の職場では給料は現金、ボーナスは小切手で支払われていた)を手にしたところで、昼休みから戻ってきた社員に見つかり、逃げ口を失って会議室に篭城した挙げ句に駆けつけた警官に逮捕された人がいた。

今はどうなのだろう。現金の授受は金融機関の間でのデータの遣り取りだけで済むことが多いのではないだろうか。日本は諸外国に比べれば現金決済の割合が大きいらしいが、それでも給与や賞与は銀行振込だろうし、高額の買い物はクレジットカードを利用し、クレジットよりも高額の買い物は銀行振込なのではなかろうか。モノの移動にしても、もちろん小売店の店頭での受け渡しは多いだろうが、消費税増税前の駆け込みで宅配便網がパンク状態に陥っているのを見れば、対面に依らないモノの移動も増えているということだろう。モノのほうは大量生産の工業製品ばかりになり、カネは口座間での数字の移動だけになり、人と人とをつなぐ媒介としてのモノやカネの意味合いが薄くなっている、ということではないだろうか。モノやカネの流通量は増える一方だ。それが市場経済の原理というものだから。しかし、モノが象徴するものの重さや密度、それを作ったり売ったり消費したりする人の重みや中味が空疎になっているということではないだろうか。もしモノやカネやヒトが密度の高い内実を持つのであれば、それを複製するのは容易なことではないはずだ。世の中がデジタル化電子化の方向に展開しているということは、その世の中を構成している「私」というものが銀行口座を開設したりクレジットカードを申し込むのに必要な程度の情報によって構成されているに過ぎない存在だ、というだけのことではないだろうか。

ヒトは生まれて、必ず死ぬ。幻のようなものだ。それが何事かを生み、それを消費する。幻が生み出すものも、消費するものも、幻だろう。表面的にはバタバタと賑やかなことが展開している世界だが、その主体は名前と住所と生年月日程度のデータの塊でしかない。世にあるセキュリティシステムというものが何を如何なる目的のもとに守るのか、ということを突き詰めれば、そこには何も無いのではないか。