熊本熊的日常

日常生活についての雑記

終日観光

2008年05月31日 | Weblog
両親と一緒にロンドンの町を歩く。一昨日と昨日はガイドについて頂いて市内とコッツウォルズを観光してきたので、今日は公共交通機関を使って土産物を買いに町の中心部へ出かけた。

宿泊先の最寄駅であるCovent GardenからPiccadilly LineでPiccadilly Circusへ。開店直後の人影疎らなFortnum & Masonで紅茶を選ぶ。チョコレートやクッキーなども見たが、その値段に購入を躊躇し、とりあえずダージリンのティーバックを人数分確保する。そこから徒歩でRegent Streetを歩き、Carnaby Streetへ抜けてLibertyへ。そこでスポーツタオルを購入。一旦、バスで宿泊先へ戻ろうとするが、ついでなのでJohn Lewisのフードコートを覗いてみる。市街地の店舗なので、生鮮食品よりは酒類やそのつまみ系の品揃えに軸足を置いているような印象。結局、ここでも菓子類は買わず、バスで宿泊先へ戻る。

少し休憩の後、宿泊先近くのタイ料理店で昼食。3人ともランチセットを注文。これはスターターとメインの組み合わせで1人9.95ポンドというもの。スターターをチキン・サテー、焼売、春巻にして、メインは焼きそば、焼き飯、カレーライス。量は十分、味はまずまず。年寄には量が多すぎたような気配なので、腹ごなしにテムズ川沿いの歩道を下流方向へ歩く。

Somerset HouseからKing’s Collegeの前を通って、Arundel Streetを経てEmbankmentへ。川沿いの歩道を歩いてBlackfriars bridgeの下をくぐり、Millennium bridgeを渡ってTATE Modernへ。ここでカフェ休憩。TATE ModernからLondon Bridgeに至る石畳の道はロンドン屈指の人気散歩道ではないだろうか。TATE Modernの最寄駅はSouthwalkだが、この道を通ってLondon Bridgeを利用する人のほうが圧倒的に多い印象がある。London Brdigeからバスで宿泊先へ戻るつもりだったが、ついでなのでHay’s Galleriaを通り抜けてCity Hallの奇抜な建物まで足を伸ばす。

London Bridgeから乗ったバスはほぼ満員。その車体中央の出口付近に毛布の塊のような男性の老人が立っている。全身から異臭を放ち、爪は伸び放題。一見してホームレスのようである。車体前方、最前列の席には、やはりホームレスらしい女性が座っていた。National TheatreとRoyal Festival Hallを過ぎると乗客はかなり少なくなった。バスがJubilee Gardens沿いのハンプが連続する場所をゆっくりと通過していると、突然、最前列の女性が席から転げ落ちた。本人は大丈夫だと言っているようだが、歯が折れて、口から出血している。乗客のひとりが運転手に何事かを語り、車両後方へ振り返ると運行中止と手でサインをつくりながら声を上げた。途端に乗客がぞろぞろと降車し始める。結局、ChicheleyとYork Roadの角でバスを降りることになってしまった。そのまま、降りた場所で次のバスを待ってもよかったのだが、Waterloo Bridgeのたもとまで歩き、そこにある停留所からバスに乗って宿泊先近くまで移動。かなり歩いて疲れたようでもあり、昼食の量が多めだったこともあり、夕食は抜きにして、今日はこれで観光終了となった。

初めて地下鉄やバスに乗って、市内を回った感想は、「汚いところ」だそうだ。確かに、ゴミの散乱は目に余る。バスに妙な人が乗っているのも妙な気がする。東京に比べると、ホームレスの数は少ないと思う。しかし、散乱するゴミの量は多いと思う。地下鉄は、駅の構造が利用者本位とは思えないものだし、車両のサイズも息が詰まりそうだ。街中を歩くたびに小さな不愉快が蓄積されていく。やがて東京もこんなふうになってしまうのだろうか。

夏だけど

2008年05月30日 | Weblog
今の季節にはふさわしくないのだが、最近、ことあるごとに思い浮かぶ句がある。

物言えば 唇寒し 秋の風

松雄芭蕉の句だが、人の悪口を言ったり、さんざん自慢話をした後の空しい気分を詠んだものなのだそうだ。悪口も自慢も語っていないつもりだが、真冬だろうが真夏だろうが、話の通じない相手と対面しているとこの句が浮かぶ。最近は、相手の言葉を聞いただけで、自分は何も話さなくても陰鬱な気分に陥ってしまうことが増えたような気がする。それでも、いや、それだからこそ、その場を早く丸く切り抜けたくて、ニコニコしながら話を聞いている、つもりである。気持ちよく会話ができる相手というのは、思いの外少ない。まして、今は隠遁状態なのでなおさらである。しかし、思っていることを溜めておくのは腹膨れる心地がするので、こうして駄文を書きなぐってみたりする。

コメントありがとう

2008年05月29日 | Weblog
このブログにはコメントやトラックバックを付けることができるようになっているが、コメントに関しては、自分の知らない人から頂いたものは丁重に削除させて頂くことにしている。悪しからず。

「椿三十郎」を集団としての意志のゆらぎ、と思ったのは、去年、「キサラギ」を観た時だった。あの作品を観て、既視感を覚えた。恐らく、それが「椿三十郎」だったのである。この2つの作品の間には、何の関係も無いだろう。自分のなかで、ピッ、とつながったというだけのことである。

ところで、昨日の両親の入国審査だが、父が手間取ったのは、パスポートの写真と実物とが相違している、と係官が言ったのだそうだ。英語を解さない父が、何故、そう確信を持って説明したのか、昨日はよくわからなかった。今日、よくよく話を聞いてみると、入国審査で、当然、係官と父との間には意思疎通が成立しない。そこで、係官がたまたま近くを通りかかった日本人乗客を呼び止めて通訳をさせたのだそうだ。
「あのおねぇちゃんが通りかからなかったら、どうなっていたかわかんねぇよ。」とは父の弁である。その通訳をやる羽目になってしまったかたには、この場を借りて、お礼申し上げる。と、言っても、このブログを読んでいる確率は限りなくゼロにちかいのだろうが。

なにはともあれ、両親はロンドン市内に入ることができた。現状の課題は食事である。今回の旅行にはホテルでの朝食が含まれている。しかし、言葉が通じないと食べたいものも食べられない。たとえ、そこによりどりみどりの食事が用意されていたとしても。今日、ロンドン市内を案内してくれたガイドのかたに、その朝食のことを話したら、さっそくホテルのレストランの朝食メニューのコピーを取り、そこに料理の説明を記入してくれたそうだ。これで明日の朝食から少しは状況が改善するか、というと、それはまだわからない。

斎藤寝具店

2008年05月28日 | Weblog
両親がロンドンにやって来た。彼等にとっては71歳にして初めての海外旅行である。いろいろ越えるべきハードルはあるのだが、一番心配したのは入国審査だった。わずかな時間でしかないのだが、係官と一対一で対面しなければならない。しかも全くわからない言語で。

実際には言葉などできなくてもなんとかなるのだろうが、一応、事前に電話で入国審査の通過方法を伝えた。

1. 飛行機を降りたら、同じ便の乗客の流れから外れないこと
2. その流れに従えば、入国審査の列にならぶことになること
3. 入国審査は英国籍及び欧州連合加盟国の国籍保有者とそれ以外とに別れて行われるので、日本人らしい人たちの流れに従うこと
4. 自分の順番が来たら、係官にパスポートを差し出し、ニッと笑って「斎藤寝具店」と言うこと
5. パスポートを返してもらえたら、「さんきゅう」と言うこと

斎藤寝具店、というのは桂文珍の創作落語のネタである。落語では、ツアコンから説明を受けたおばあさんが「斎藤寝具店」というべきところを「山田ふとん店」と言って強行突破を図るというような話になる。私の親なら、実家の近所にある「山上ふとん」とかなんとか言うのだろう、と密かに楽しみにしていた。

夕方、職場のパソコンで両親の乗る航空会社のサイトを開き、到着情報を更新し続けた。午後5時過ぎ、定刻通りにヒースローに到着したところまで確認して、職場を出た。午後8時に宿泊先のホテルのロビーで待ち合わせをしていたので、それまでの間、ナショナル・ギャラリーで絵でも眺めていようと思ったのである。

5時過ぎに着陸すれば、入国審査に引っ掛かかる事態を含めても、6時頃には空港ビルを出ることができるだろう。そこから車で1時間も走れば宿泊先のホテルに着く。ホテルのロビーで旅行代理店の人と打ち合わせをするなどしていれば、8時まで待たなくても7時半頃にロビーで会えるのではないかと考えた。

ナショナル・ギャラリーは30分ほどで切り上げ、途中、スーパーでミネラルウォーターを買い込み、7時半頃にホテルに着くと、まさにロビーで旅行会社の人から何事かの説明を受けている両親がいた。

旅行会社の人と別れるなり、
「よく来れたねぇ。入国審査どうだった?」
「私は大丈夫だったけど、お父さんがね、時間かかっちゃってね。」
「何て言って通った?」
「さいとうしんぐてん、って」

「斎藤寝具店」で通過できたのである。驚いた。そして、落胆した。それで通過してしまっては面白くもなんともないではないか。

赤は止まれ

2008年05月27日 | Weblog
先日、捜査中の警察車両が制限速度超過により交通違反とされてしまうという記事を読んで驚いた。犯罪捜査という非常事態にある状況なので、捜査活動中の車両には一般車両よりも高めの制限速度が適用されるのだが、制限があることに変わりはない。当然のことながら、容疑者が逃走するときは制限など気にしてはいないだろう。これでは容疑者を確保するのは困難だ。

社会には多かれ少なかれ似たようなことがある。規則を杓子定規に守ることだけに熱心で、その目的など考えようともしない人は多いと思う。規則の運用には、その組織の戦略が反映されて然るべきである。「白黒つける」という言葉があるが、最初から白や黒といった色がついているものなどない。「ものは言いよう」とも言う。規則の遵守は、それによって守られるはずの価値があることが前提なのである。

例えば、赤信号だからといって往来が全くない道路の端に人々が突っ立っている社会というのは、滑稽というより怪談のような世界だ。

無意識過剰

2008年05月26日 | Weblog
行動というものは、つねに判断の停止と批判の中絶とによって、はじめて可能になる。私たちはよく「現実を認識しなければならない」とか「現実を凝視せよ」とか、そういうことばを無考えに濫用する。行動は、その「現実の認識」のうえに打ちたてられねばならぬと考え、また、じじつ、自分たちはそうしてきたと思いこんでいる。したがって、その認識が、一つの仮説にすぎぬことを私たちはとかく忘れがちである。(福田恆存「人間・この劇的なるもの」新潮文庫 139頁)

今日も仲間でやっているブログのほうに映画評が投稿されていた。今日のお題は「椿三十郎」。私は、現在公開中のものは勿論観ていないが、黒澤明監督作品のほうは以前DVDで観た。そこに私が観たのは、集団としての意思決定がいかに脆弱な合意の上に成り立っているかということだった。「椿三十郎」は、不正をはたらく藩の権力者を告発しようとする青年侍たちを、腕の立つ浪人が助ける、という物語だ。この青年たちの意思決定に、彼等がどこからか聞きかじってきたあやふやな情報や浪人の言葉が影響を与え、集団としての意志が二転三転する様子が描かれている。

次席家老の汚職を糾弾する、という明確な行動目的があるような場合でさえ、その目的の達成に多くの困難が生じる。わずか9人の意志の統一を図るのも容易ではない。どこの誰ともわからない部外者の言葉が、9人の議論に波紋を起こす。9人は、たまたま密議の場に居合わせた浪人を、たまたま命を救ってもらったというだけで、信頼するようになるのだが、その判断の根拠は薄弱だ。行動を起こすには、その障害となるような情報を切り捨てなければならないのである。

冒頭の引用にあるように、我々の行動を支えている認識は、多分に思い込みであったり、期待であったりする。「現実」というものが自分の外部に確たる存在として在ることを、無意識のうちに想定しているが、現実が自分と自分を取り巻く世界との関係のなかにあるかぎり、世の中に確かなものなどというのは、そもそも存在しないのである。だから、いかに小さなことであれ、行動を起こせば、その結果としての変化を検証し、そこに生まれた新たな現実を改めて認識するという地道な作業を繰り返す必要があるはずだ。しかし、個人においてすら、自分の行動の合理性を検証するなどという面倒なことはしないだろうし、まして集団ともなれば、ひとたび決定したことを覆すというのは容易なことではない。我々は、個人においても集団においても、自分たちが自覚している以上に物事を考えていないということだろう。日々の意思決定の大半は無意識のなかで行われているのではないか。それが「現実」というものだろう。

娘へのメール 先週のまとめ

2008年05月25日 | Weblog

中間テストおつかれさまでした。もうすぐ期末テストですから、今度は追試にならないようにしましょう。

読書会とは何をするのですか?戦争と平和を考えるというテーマで「みんな地球に生きる人」というのは、少し発想が貧困であるように思います。尤も、その本は読んだことがありませんが。

戦争というものを直接経験していなくても、自分の生まれ育った国は過去に何度も戦争を経験しているわけですから、自分が意識するとしないとにかかわらず、我々は戦争の影響を受けているわけです。その国民としての記憶をどのように意識し、そこから何を感じ取るか、ということが大事であるように私は思
います。中学生にどこまで要求するかという問題はさておき、すくなくとも「戦争はいけないと思います、平和になるように努力しなければならないと思います、チャンチャン。」では戦争と平和を考えたことにはならないでしょう。生徒の立場からすれば、つまらない課題図書を与えられて、それについて何事
かを語るというは難儀なことです。心にも無い模範解答的な感想を語り合ったところで、何も得るものはないでしょうから、いっそのこと、ここはひとつウケを狙うということでよいのではないかと思います。

戦争と平和、ということで自分が最近読んだ本のなかで印象深かったのは以下のような作品です。
フィリップ・クローデル「リンさんの小さな子」みすず書房
淵田美津雄「淵田美津雄自叙伝」講談社
半藤一利「山本五十六」平凡社

内容について書くと、それが先入観となって自分なりの理解の妨げになるので書きませんが、特に「リンさんの小さな子」は機会を見つけて是非読んで欲しいと思います。他にも古典と呼ばれる作品はたくさんあります。時代の淘汰を経て残っている作品にはそれなりの力があります。それが何なのか、自分の目
で確かめてみるのは無駄にはならないでしょう。例えば
レマルク「西部戦線異状なし」新潮文庫
マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」白水社
もちろん、「アンネの日記」や「はだしのゲン」も今や古典の部類に入ることはほぼ確実でしょう。

先週は福田恒存「人間、この劇的なるもの」と上野千鶴子「おひとりさまの老後」を読みました。「人間、この劇的なるもの」は昭和35年に刊行された本ですが、今年2月に復刊されました。確かに、それほど新しい考え方ではないのに、それがいかにも社会一般とは一線を画しているかのような書き方が見られ
たりするところもありますが、シェイクスピアの演劇やサルトルの小説を通して人のあり方を考察するという普遍的な内容を持つ作品なので、最後まで興味深く読むことができました。「おひとりさまの老後」は一見するとハウツー本ですが、人の習性についての著者の深い洞察に溢れており、楽しい内容の本で
した。

今年の年末か来年1月に帰国することになりました。ロンドンの夏はこれが最後になります。ですから、この機会にロンドンへ遊びに来る気持ちがあるのなら、そうして下さい。往復の航空券はこちらで用意します。9月の一時帰国は休暇ですから、君の都合に合わせて柔軟に対応します。

では、また来週。


Thames Path

2008年05月25日 | Weblog
近々、両親が訪ねてくる。その宿泊予定のホテルまで歩いて行ってみることにした。

午後5時頃、家を出て、Greenwich Parkを横切り、テムズ川べりに出て、そこから川に沿ってWaterloo Bridgeまで行こうと考えた。テムズ川にはThames Pathという遊歩道が整備されている、と思っていた。しかし、それは勝手な思い込みだということがすぐに明らかになった。グリニッチのCutty Sarkから川沿いの歩道を歩き始めるとすぐに行き止まりになる。Creek Road (A200)という大通りに出て、しばらくはその通り沿いを歩く。所々に”Thames Path”という標識があり、その誘導に従ってA200からGrove Street (B206)へ進む。静かな通りだが、雰囲気はなんとなくアブナイ感じだ。結局、川に出ることなく、道はA200へ戻ってしまう。ただの迂回路だった。そのままA200を進むと右手にSurrey Quays Shopping Centreが現れる。さらに行くとSt. Olav’s Squareというラウンドアバウトがあり、それを越えたところに公園がある。その公園を突っ切ると、ようやく川べりに到達する。遠くにTower Bridgeが見える。橋の向こうにSt. Paulのもっこり屋根があり、橋の右側にシティのビルが並ぶ。川面には水鳥がうじゃうじゃ飛び交い、小さな船が行き交う。まだ目的地はずっと先だ。ほどなく、この川沿いの道も行き止まりになる。時刻は午後6時半。Jamaica Roadと名前を変えたA200に戻り、そこからバスに乗ることにする。

バスを待っていると、近くに地下鉄の駅の入口があることに気がついた。Jubliee LineのBermondsey駅である。地下鉄に乗るという選択肢もあったが、普段は滅多にバスに乗らないので、たまにはバスに乗ろうと思い、そのままバスを待つことにした。ほどなくして路線番号47のバスが来た。本当は188に乗りたかったが、いつ来るかわからないので、それに乗ってしまった。

バスはそのままA200を進み、London Bridgeを渡る。そこから目的地とは反対方向へ進み始めたので、バスを降りた。Cornhillという通りを歩く。やがて右手に取引所の建物が現れ、Bank of Englandの角に出る。Cheapsideを西に進む。ここは見覚えのある通りだ。昔、勤務先の本部がここにあり、出張で2回ほど訪れた。リストラで解雇されてしまったが、その勤務先も無くなっていた。と、思ったら、この通りに続くNewgate Streetに以前よりも立派なビルを構えていた。その角を南に折れ、City Thameslinkの駅の前を通って、そのまま西へ進む。裁判所の建物の前を過ぎ、ようやく目的地に到着した。時刻は午後7時15分くらい。

場所を確認し、ロビーの様子もだいたいわかったので、家に引き返す。もう歩かない。何本がバスをやり過ごした後、路線番号1のバスに乗る。本当は188に乗りたかったが、いつ来るかわからないので、それに乗ってしまった。

バスはWaterloo Bridgeを渡り、Elephant & Castleまで直進する。そこから東へ折れ、New Kent Roadを行く。その曲がり角を過ぎたあたりに無人の188番バスが停車していた。故障のようだ。路線バスが故障で運行不能になるというのは珍しいことではない。20年ほど前にマンチェスターで暮らしていた時も、よりによって自分が乗っていたバスが故障で立ち往生してしまった。そのような時、料金の払い戻しは、当然、無い。

日本でも大昔にはそのようなことがあった。子供の頃、やはり自分が乗っていたバスが立ち往生してしまった。運転手がボンネット(そのバスはボンネット型のバスだった)を開けると、白い煙がふわっと立ち上った。その時、私はまだ5歳くらいで、母とどこかへ出かけた帰りだった。自宅のある場所からそれほど遠くはなかったので、バスを降りて歩いていたら、そのバスが復活して私たちを追い越して行った。

立ち往生していた188を通り過ぎ、通りの名前からNewが取れたKent Road (A2)を南西へ進む。やがて左折してRotherhithe New Road (A2208)へ入り鉄道の高架をくぐると、来る時に通ったSurrey Quays Shopping Centreに突き当たった。このショッピングセンターの敷地の端が、このバスの終点、Canada Water駅である。ここからは地下鉄Jubliee Lineで帰る。途中、Sainsbury’sで食料品を買って、家に着いたのは午後8時半過ぎだった。外はまだ明るい。

これは昨日の話だ。今日は昨日と違って朝から雨。掃除と洗濯もしなければならないので、今日はどこにも出かけない。雨が上がれば、散歩くらいはするかもしれないが。

非社交派宣言

2008年05月24日 | Weblog
宴会が大嫌いである。酒を飲んで、どうでもいいことで盛り上がって、何が楽しいのかと思う。酒が飲めないわけではないが、普段は滅多に口にしない。最後に酒を飲んだのは去年の忘年会まで遡る。

昨日は東京から上司が出張して来ていたので、終業後にパブで立ち飲みに付き合った。但し、私はコーラだ。ロンドン・ブリッジ駅の近くにパブが比較的集積している地域がある。金曜の夜ともなると、天気が良い所為もあるのだろうが、どのパブも人が溢れかえっている。ビール片手に、お気楽におしゃべりに興じる、というのがパブの楽しみ方のようだ。

職場の隣の席の同僚が幹事役で、彼はパブの場所を決めたり、パブの後の食事の場所を予約したり、社内外の知り合いに連絡をしたりと、なかなかの活躍ぶりだった。私は、不参加ということにしてあった。純粋に億劫なのである。ただ、当日、普段は在宅で仕事をしている人たちがオフィスに来て仕事をし、終業後、なんとなく流れで、その人たちと一緒に職場を出て、話をしながら歩いているうちに、東京から上司が来て、在宅の人もロンドンまで出てきているのに、自分だけ帰ってしまうのも大人気無いと思い、パブだけ付き合うことにした。

酒を飲みながらの会話というのは、洋の東西を問わず、似たような、どうでもよい話題である。話題を振られれば、それに応えるが、原則として私は聞き役に徹するようにしている。不器用なので、何人も同時に相手にして話をすることができないのである。現実にはそのようなことをせざるを得ない状況というのはいくらでもある。ただ、それは自分にとってはとても居心地が悪いということだ。社会学の小集団研究でも、人数が15人を超えると集団がふたつに分裂することが経験則としてあきらかになっているのだそうだ。昨日の参加者は私を含めて8人。それでも常時3つの小集団に分裂して会話が進行していた。人が多くて声が通らない所為もあったが、職場が同じという以外に接点の無い人々の集団が同じ話題で語り合い続けるというのは無理がある。

酒は飲まないが、自分のなかでは食の重要度は高い。こちらに来てからは毎食が個食だが、それでも一緒にいて楽しくない相手と食卓を囲むよりはマシである。何を食べるかということは大事なのだが、年齢を重ねる毎に誰と食べるかということの重要度が増しているように感じられる。一緒にいて楽しい相手というのは、話題が豊富な相手でもなければ、話が面白い相手でもない。「楽しい相手」というのは、相手の言うことをきちんと聞いてくれる人、会話が成り立つ人、食事をおいしそうにする人、といった意味である。こういう人は、実はなかなかいないものなのだ。

昨日の飲み会は、参加して良かったと思っている。しかし、自分のなかでは、あくまで仕事の一環である。

5月の思い出 ハヤシ君

2008年05月23日 | Weblog
首都圏のとある公立中学を卒業した。公立の小学校とか中学校は、多様な家庭の子供たちがひとつの集団を形成するという特異な場である。友達の家に遊びに行くと、お兄さんやお姉さんがオア兄さんやオア姉さんで、度肝を抜かれるということもあったし、大きな屋敷で、一部屋が鉄道模型のジオラマのためにつぶされているという家もあった。店をやっている家もあれば、町工場を経営している家もあったし、開業医の家もあれば、勤め人の家もあった。私の学年は5クラスあったので、生徒数200数十名の学年規模だったということになる。いろいろ事情があって、その殆どと面識があったが、現在まで付き合いがある奴はひとりもいない。たまに同窓会に顔を出すこともあるので、そういう意味では全く縁が切れているわけでもない。

その中学校の同級生に林君がいた。勉強ができるとか、運動が得意とか、記念切手の発売日は何故か遅刻してくるとか、鉛筆を30分以上回し続けることができるとか、そのような特徴的なことはなにひとつない奴だった。つまり何事も無ければ忘れ去ってしまうような奴なのである。何故、林君のことが鮮明に記憶されているかと言えば、彼が大怪我をしたからだと思う。

中学1年が始まってほどなく、たしか今ごろの季節だったと思うが、彼は学校に来なくなってしまった。自宅の2階から落ちて頭蓋骨陥没という大怪我を負ったのである。数ヶ月の後、登校してきた林君を見て驚いた。頭部の手術跡が生々しく、ただでさえフランケンシュタインのような顔をした林君の額の上のほうが、呼吸に合わせて膨らんだりへっこんだりするのである。

席が近かったので、彼が怪我をする以前から、言葉を交わす機会は多かった。入院、療養を終えて彼が登校してきた最初の日、見た目が怖かったので最初は少し引いたが、何か声をかけなければ、と思い、話しかけた。

「オマエな、勉強できないの、頭の怪我の所為にすんなよ。」

彼から返ってきたのは強烈なキックだった。

林君は、家業のオートバイ屋を継いでいて、しかもその店が繁盛しているらしい。しかし、中学を卒業して以来、彼には会っていない。

夫婦

2008年05月22日 | Weblog
昨日、日本のアマゾンから本が届いた。そのなかに上野千鶴子の「おひとりさまの老後」というのがある。そこにある夫婦というものについての記述が面白い。どのように面白いのか、とうことについては別の機会に書くかもしれないが、これから書くのは本の内容のことではない。

この本の第1章のなかにあった記述である。
「…あんなに憎しみあっていたのに、と思われるカップルでさえ、夫を亡くして悲嘆にくれている妻がいるのが夫婦の不思議というもの。」

夫婦仲が悪いのに別れないという夫婦は珍しくないだろう。何が別離を阻むのかといえば、表向きにはひとりで生活する自信がないとか、相手が離婚を認めないといったことだろうが、本当の理由は思考の習慣ではないだろうか。夫婦という単位を自分自身と一体化させて考えるという習慣である。

以前、渋谷郵便局で面白い場面に遭遇した。ある中年婦人が局員に強烈な剣幕で怒りをぶつけている。どうやら身分証明書を持っていないがために預金の引き出しを断られたようである。自分の金なのに何故出せないのか、という疑問は尤もなことだし、所定の手続きができなければ無闇に現金を渡すことはできない、というのも尤もなことである。問題は、あなたは本当にあなたなのか、という証明だ。そこでその婦人の台詞が面白い。「アタシの亭主は会社のエライヒトなんだからね!亭主に言いつけたらアンタタチなんかクビだよ。クビ!」本人は凄い剣幕だが、傍目にはただの喜劇だ。

この婦人にとってご亭主は自分の存在証明の一部なのである。「会社のエライヒト」の妻、それが「アタシ」なのである。この婦人は、身分証明を求められたことで、日頃から無意識のうちに危機感を覚えていた自我の脆弱性に気づいてしまい、その崩壊を必至に食い止めるべく、自己防衛本能に基づいて癇癪を起こしたのかもしれない。弱い犬ほどよく吠える、という。

身近な人々を観察すれば、いかに自分の外見を気にする人が多いことか。身に付けるもののブランド、近親者や知己の社会的地位、子供が通う学校、休みの旅行先や宿泊先。有名料亭で会食するのが自慢の種という人の話も以前に書いた。多くの場合、他人にとってはどうでもよいことばかりなのだが、どれも本人にとっては重要な記号だ。

記号としての配偶者ということなら、夫婦仲など良くても悪くてもどうでもよい。夫婦である、という事実だけが重要だ。そのような人々にとって、夫婦とは、つまり、自分自身なのである。離婚などできるはずがない。

単なる記号としての配偶者ということではなく、自分の人生を豊かにする関係として夫婦を捉えるなら、より一層、お互いに相手に対する配慮が求められるだろう。結婚は相手さえいれば誰でもできるが、そこに豊かな関係を構築するとなると、誰にでもできることではない。

釣った魚に餌はやらない、という言葉があるが、夫婦という関係になったとたん、相手に対する配慮を怠る傾向があるような気がする。一緒に暮らす相手は、人格と人権を生まれながらに備えている存在である、という至極当然のことを公然と無視できるのが夫婦である、という大いなる誤解があるような気がするのである。夫婦という人間関係は、決して特別なものではなく、友人関係とか仕事上の人間関係と同じように、人と人との関係の在りようの一形態にすぎない。つまり、当然、そこには相手の人格や人権に対する敬意が払われなければならないと思うのである。もっと平易な言い方をすれば、自分が不愉快であると感じるような行為を相手に対しておこなってはいけない、という、子供に対する躾のような基本的な考え方が、どのような人間関係においても貫徹されるべき、ということだ。

言うは易く行うは難し。簡単なようで、なかなかできることではない。人の行動原理が自己保存であり、誰にでもエゴがある以上、相手を思い遣る気持ちを持ち続けるというのは思いの外難しいものだ。相手を思っているつもりが、単なる自己陶酔に浸っているだけだったり、親切心というコテコテのエゴの押し売りになっていたりというのはよくあることである。思い遣る相手がいない人には理解できないだろうが、人と人とは親しくなればなるほど距離の調整が難しくなるのである。その究極が夫婦だ、と、私は思う。

椅子

2008年05月21日 | Weblog
先月から足腰の痛みに悩まされているが、精神的な要因を除外すれば、家の椅子に問題があるように思う。長時間腰掛けていると、どうも具合が良くない。たかが椅子、されど椅子なのである。

思い起こせば、過去に勤務した職場のなかで、特に外資系は椅子にコストをかけていた。個人的に気に入っていたのはSteelcaseというメーカーのLeapというモデルだ。その椅子に出会う以前が、ネズミ色のビニールレザー貼りの典型的な事務椅子だった所為もあり、その座り心地のすばらしさに感激したものである。その次の職場ではHerman MillerのAeron Chairだった。これも良い椅子だと思うが、直前がLeapだったので、感激というほどのものはなかった。

さて、家の椅子だが、これはどうしたものだろう? 今使っているのは木製の折りたたみの椅子で、よくバーベキューセットなどとして売られているのを見かける。少なくとも私が入居する直前に住んでいた人たちより以前の住人が置いていったものだ。座るという行為を満足するには十分だが、長時間座って作業をするためのものではない。このまま使い続けるべきだろうか。今思いつく選択肢としてはふたつある。その一、座り心地の良い椅子を買う。その二、長時間座っていなければならないようなことはしない。考えるまでもなく、後者が現実的であるように思う。

味覚

2008年05月20日 | Weblog
いつも利用しているスーパーでready-mealがセールになっていたので、久しぶりに買って食べてみた。レディミールは冷凍食品とは違うのだが、オーブンや電子レンジで加熱するだけで食べることができる。調理済みなので、加熱時間にそれほど神経質になる必要はないとは思うのだが、平均的にはオーブンなら30分程度、電子レンジなら10分弱の加熱という指示書きがある。

こちらに来た当初は住処が決まっておらず、家財道具が揃っていなかったので、よく利用した。日本にいたころはそのようなものを口にしたことがなかったので、物珍しさも手伝って、いろいろなスーパーのいろいろな商品を食べてみたものだ。加熱時間はやや長いかなと感じたが、手軽な割にはおいしいとおもって感心した。

もう自炊生活が板についてしまったのか、久しぶりに食べてみると味の濃さや、食材の貧弱さが気になった。味覚が変わったというわけではないのだろうが、毎日のようにご飯を炊いて食べていると、やはりそれに合った味の食べ物がおいしいと思う。新しいものを試してみるという好奇心は失いたくないが、自分に馴染んだものも大切にしたい。尤も、大切にしようと意識しなくても自然にその拠って立つものに意識が集中するように感じられる。

メメント・モリ

2008年05月19日 | Weblog
このブログの他に、2つのブログを書いている。さすがに、ブログばかり書いてもいられないので、ひとつは月に一回程度しか更新せず、もうひとつは仲間と一緒にやっているものなので、殆ど投稿していない。その仲間のほうも殆ど投稿しないので、ほったらかしになっている。今日、その仲間でやっているブログのほうに映画評の投稿があった。取り上げられていた作品は「最高の人生の見つけ方」。

映画サイトなどにあるあらすじを読む限りでは、メメント・モリの思想をモチーフにしているように思われる。死神が金持ちと貧乏人を共に連れ去る姿は、教会の装飾などによく使われている。西洋では、恐らく常識に近いものだろう。この作品は、たまたま同じ病室に入院することになった富豪と自動車整備工が、たまたまどちらも末期癌で余命半年という同じ状況に置かれ、それまで築いたそれぞれの人生を乗り越えて、人として普遍的なところで通じ合うものを得る、という物語になっているような気がする。主演がジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンなので、それだけで自分にとっては期待値の高い作品だ。日本では今月公開だが、こちらでは昨年公開だったようで、7月にDVDがリリースされる。(米国では6月リリースだそうだ)

人生は楽しみたい。しかし、楽しいだけでは生活はできない。それが現実だ。様々な人々との様々な関係があり、それが時に幸運をもたらし、時に災いをもたらす。人生のなかで出会う出来事は、どちらかといえば厄介なことが多い。少なくとも今までは多かったような気がする。楽しいことはすぐに消えてしまうように感じられ、苦しいことは滓のように蓄積されていくように感じられる。それもこれも、今の延長線上に未来があり、それに備えなければならないという意識があるからだろう。

その備えるべき未来が半年しかなかったとしたらどうだろう?「ねばならぬ」という意識は、おそらく軽減されるのではないだろうか? そのような状況に未だ至っていないので、何とも言えないが、死が目前に迫っていることを宣告されれば、最初は絶望するだろう。そして、自分のなかで気持ちや考えが整理された後に、それこそbucket listが無意識のうちにつくられて、リストアップしたことを実行しようという意欲が、死の恐怖に対する鎮痛剤のような役割を果たすのではないかと想像できる。

人生の最後の半年間が思いっきり楽しかったら、満足してあの世に行けるものなのだろうか?

娘へのメール 先週のまとめ

2008年05月19日 | Weblog

元気ですか。こちらは先週木曜から突如として寒の戻りです。ようやく今日は少し暖かくなったけれど、外出には上着が必要です。

たまにYou Tubeで落語や漫才を視聴するのですが、話術の要は間の取り方にあるなと思いました。特に古典落語は、話の内容は既に固まっています。同じ話を聞いても、それが面白く感じられたり、感じられなかったりするのは、突き詰めて行くと間にあるように思います。これは人の話に限ったことではなく、仕事の流れについても言えることです。同じ仕事量でも、作業の発生頻度によって、負荷にかなり差異が出るように思います。もっと敷衍すれば、人の生活全般に間合いの取り方というものが重要な役割を果たしているように見えます。

間というのは、そこに何も無い瞬間です。しかし、その前後との関係において、何も無いはずの時空が、豊穣の闇のようにも感じられます。今、自分はその間の真只中にいるような気がします。隠遁生活のような淡々とした毎日を過ごしていると、それまで気がつかなかったことが見えてきたりするものです。本を読んでいて、それまでなら読み飛ばしてしまったようなことに、引っ掛かるものを感じるようになった、かもしれません。人の言葉が立体的に感じられる瞬間があります。うまく説明できませんが、見えなかったものが見えるような気分になったり、聞こえなかったものが聞こえるような気分になったりします。

先週は「ヘッジホッグ」という本を読みました。モルガンスタンレーの元会長で、今はヘッジファンドを運営している人が書いた業界の内輪話のようなものなので、その方面について疎い人には、なんのことかわからない内容のように思えますが、自分にとっては相場や生き方に至るまで、示唆を受けるところが
多く楽しく読み通すことができました。

この本も、以前ならただ読み飛ばしてしまっていたかもしれません。それほど中身のある本とは思えません。それなのに、飛び出す絵本のように、そこに書かれている人が自分の近しい人のように感じられるところがいくつもありました。

昨日、日本のアマゾンに本の注文をしました。今回は須賀敦子の全集(文庫版:全8冊)と幸田文、神谷恵美子、福田恆存の文庫です。いずれも前回の注文で手にした坪内祐三「考える人」に紹介されていた「考える人」たちです。須賀敦子は、3月に一時帰国した時、たまたま日経新聞の文化欄にも紹介されて
いたので、ずっと気になっていました。

最近、以前にも増して外出が億劫になる一方、本を読んで静かに過ごす時間が楽しくなってきました。外出というより、人のたくさんいるところに出かけるのが億劫、と言ったほうが正確ですね。足腰の具合がだいぶ良くなってきたので、そろそろ外出が増えるのかもしれません。もし、出かけるとしたら、どこ
か空の広い場所に行ってみたいと思っています。

あと、9月に休暇を取って日本に一時帰国します。東京着は9月18日、東京発は9月30日の予定です。なるべく都合をつけて空けておいてください。どこかでおいしいものを食べましょう。

ところで、夏休みの予定はそろそろ決まりましたか?ロンドンに来る気があるなら、そろそろ準備もありますので教えて下さい。航空券を手配して送ります。

では、また来週。