熊本熊的日常

日常生活についての雑記

性懲りも無く

2012年11月24日 | Weblog

もう一度、結婚することにした。傍目には、生活力の点でも体力・精神力の点でも不安だらけなのだが、相手のある話でもあり、運とか縁といった巡り合わせのことでもあるので、ここは素直に流れに乗ってみることにした。

相手は囲碁を嗜むので、その発言に囲碁用語がしばしば登場するのだが、投じた石を活かすも殺すも、その後の手次第なのだという。自分の石に根拠を与えることで、自分の世界を展開するのだそうで、相手の手を読むことは勿論大事なのだが、自分の石が意味を持つか否かは事後的に決まるもの、いや、決めるものだという。

昨日、芸大美術館でThe Art of Gamanを観て感じたのだが、そもそも何事かをしようと思わなければ何もできないのである。道具が無いから作品ができない、ということはありえないのである。作品を作ろうと思えば、ありあわせのものを工夫して道具をつくることはできるのだ。大事なことは作ろうと思うことだ。

何もしなければ何も生まれず、ただ閉塞していくだけなので、生きている限りは何事か新しいことを作り続けなければならない。ここはひとつ、新たな一歩を踏み出してみようと思う。


べすとえふぉーと

2012年11月23日 | Weblog

すっかり生活のインフラとなったネットだが、信頼性というのは心もとない。このgooというサイトもしばしばトラブルを起こす。基本は無料のサービスなので文句は言えないのだが、NTTという名前を冠した企業が運営するサイトなので、それ相応の信頼性があるだろうと思うのだが、それは思う側の勝手というものらしい。久しぶりに、このブログを投稿するに際し、画面のフリーズを何度も経て、結局その時はアップできない状態がしばらく続いた。

ネットの普及と軌を一にするかのように、物事をすすめることについての詰めが甘くなったように感じる。機械類の「初期不良」は当たり前になり、通勤の電車のトラブルも増え、自動車のリコールも増えているのではないか。 結局、機能が高度化することで、人間がその場でどうこうできる領域が狭くなっているように思う。そうなると、しゃかりきになって物事をきちんとするインセンティブがなくなってしまう。その結果、最初からいい加減になってしまっているのではないか。それに輪をかけるように、コスト削減とかで人手をかけるということを忌避するようになっている。ますます手がまわらなくなり、物事がいい加減になる。 世界的に景気が悪いのだが、その背後には、こういう事情もあるのではないだろうか。そういういい加減さを「べすとえふぉーと」と呼ぶらしい。