熊本熊的日常

日常生活についての雑記

知り合いが少ないと

2012年06月30日 | Weblog

昨日の毎日新聞の夕刊に「家庭内殺人過半数」という記事が掲載されていた。一昨年、殺人事件のうち、家庭内(親、配偶者、子、兄弟姉妹、祖父母、同居親族)で起きたものが、他人間の件数を初めて超えたのだという。記事によると、平成以降の22年分のデータが示すのは、1989年に発生した殺人事件で家庭内の事件が占める割合は39.9%、これが微増を続け一昨年に52.3%になったのだそうだ。別の罪名でも家庭内の割合は増加傾向にあるそうだ。やはり一昨年、傷害致死は51.8%、暴行11.6%、傷害14.4%でそれぞれ過去最高だった。記事のなかでは、その原因として「経済的に不安定な家庭が増加」というような「専門家」のコメントを紹介しているが、私はそれが主たる原因ではないような気がする。確証があるわけではないのだが、家族以外の人間関係が希薄になっているということではないだろうか。人が手を上げるのは、感情のコントロールが利かなくなるというよりも、多少なりとも勝算があるからだろう。勝算の有無を判断するに足る相手が家族くらいしかいないのではないか。もちろん通り魔のように全く見ず知らずの相手を攻撃するという事件もあるだろうが、それは加害者が精神疾患などによって既に人としての判断能力を失っている場合だろう。人を殺すという行為に及ぶこと自体が、自制心を失っているという意味で病なのだろうが、明らかな疾患とまではいかない場合であれば、やはり攻撃の対象は選ぶだろう。結果として生活を通じての様々な不平不満のはけ口が数少ないデータを持つ家族に向けられるのではなかろうか。家庭内殺人の割合が増えるというのは、孤独死が増えるとか、過疎化が進むとか、人と人との直接的な交渉が減る、というような昨今の社会に広く観察される現象を同じ根を持っていると思うのだが、どうだろう。


記録更新

2012年06月29日 | Weblog

昨日は電気の検針があって、6月分の電気料金が確定した。その金額2,005円、前年同月比14.4%減。現在の住処での最低記録を更新した。それ以前の最低記録は2009年の2,088円で、やはり6月だった。使用量で見ても今月は1日あたり2.3kWhで最低記録を更新した。それ以前の最低記録は2.6kWhで今年4月である。やはり昼間の勤務になってから家にいる時間が短くなっているということなのだろう。

ちなみにガスのほうは従前と然程違わない。炊事は減ったが風呂は相変わらずなので、消費量としては限界的な変化しかないということなのだろう。6月のガス料金は2,458円で前年同月比7.5%減だ。

電気料金は値上げが決まっており、先日は衆議院で消費税の税率引き上げが決まった。一方で、4月からの勤務先では前の勤務先に比べると給料の手取りが若干減っている。4月にわずかばかりの退職金が振り込まれ、先月は確定拠出年金のこれまでの積立分が帰ってきたので、今は手元に比較的余裕があるが、来月か再来月あたりからはそう安穏としているわけにもいかなくなるだろう。しかし、だからといって萎縮してしまうとますます閉塞状態に陥ってしまうので、ここは自分の胆力が試されていると見ることもできる。愛用している「ほぼ日手帳」にはこんなことが印刷されている。

***以下引用***
なにか頼むのに声をかけやすい人っているでしょう。それは、渋い顔してる人からしたら、「なめられてるんじゃね?」と思うかもしれませんが、すばらしいことなんじゃないかなあ。「機会」がすべてなんですよね、なにごとも。いい「機会」ばかり待っていたって、そんなのしょっちゅうあるわけがない。ろくでもない「機会」や、たいしたことのない「機会」が、どれだけ得られるかが、経験なんですよね。———糸井重里が『今日のダーリン』の中で
***以上引用***

その通りだと思う。目先のしんどさにかこつけて気持ちや生活姿勢を萎縮させることは自殺行為だろう。生きている間は「機会」を求め続けるしかないのである。それができなくなったら、そのとき改めて自殺でもなんでもすればよいのである。とにかく今は、やってみたいことを諦めないことが肝心だと思っている。勤務の拘束が長くなろうが短くなろうが、そんなことはどうでもよくて、自分が外部に働きかけ続けることを愚直に続けることが生きるということではないかと思うのである。そのうち、電気料金だのガス料金だのという瑣末なことではなしに、自分にとってもっと大きなことで「記録更新」となるかもしれないではないか。


昔も今も

2012年06月27日 | Weblog

古本で購入した『深代惇郎の天声人語』を読了した。深代が天声人語を執筆していたのは1973年2月から1975年11月だ。当時の日本は高度成長の終盤に入ろうとするあたりだろうか。石油危機とそれに続くインフレ、公害問題、韓国の軍事独裁、ウォーターゲート事件などについての話題が目立つ。私は小学生だったが、それでも鮮明に記憶していることがいくらもある。しかし、そうした「懐かしい」話題というのはむしろ少なく、過半は昨日今日書いたものと言われても違和感のないものであることに驚かされた。それは、深代の洞察の深さに拠るところも少なくないだろうが、そもそも人間とかその社会というものはそう劇的に変化するものではないということなのだろう。

天声人語にいちいちタイトルは付いていないので、本にまとめる際に編者がタイトルを付してテーマ毎にまとめたのだろう。それにしても読んでいて気持ちが良いのは、筆者の目線に振れがないということか。少なくとも私がイメージする新聞人らしい批判精神と人間のあるべき姿のイメージのようなものが行間に溢れている。近頃は新聞というものと縁が薄くなったので、コラムどころか新聞そのものに触れる機会が無いのだが、たまに読むとがっかりして、やっぱり新聞はいらないとの思いを強くする一方だ。一体いつごろから新聞人がいなくなって新聞会社に勤めるサラリーマンばかりになったのだろうか。

文句を書き始めたら止まらなくなってしまいそうだし、それを読んだ人は「熊本の奴、ずいぶん年取ったなぁ」と思うだろうから、文句は止めておく。人間、年を取ると無闇に文句ばかりが多くなるものだ。それも老化のうちだろう。老化を承知の上で、ひとつだけ書き添えておく。

先週の頭に「アエラ」の取材依頼のメールをいただいた。かくかくしかじかのことでお話しをいただけないかという。或るアンケートについて私の回答がユニークだったということらしい。「アエラ」の取材はこれが初めてではないので、だいたい要領はわかっていて、ちょっとした親切心から「わざわざ取材というのもナンですから、ご質問を頂戴できればメールでお答えしますよ」と書き送った。すると、その通りになった。週刊誌という性質上、記事の準備に十分な時間をかけていられないのは理解できる。しかし、記事の内容をどれほど豊かにするかというのは、その背後にある取材量ではないのか。背後の厚みがあればこそ、深い一言を記すことができるのではないのか。出版不況などと言われて久しい。定期刊行物は次々に休刊や廃刊になり、かといって、ネット配信の出版が繁盛しているという話も聞かない。そりゃそうだろう。いい加減な記事ばかりの新聞雑誌などに誰が金を払うものか。単純につまらないから売れない。別に不景気だとかなんだとかということは個別の商品の動向には関係のないことなのではないか。

ところで、「天声人語」だが、ここに紹介したいことがたくさんある。かといって、丸々引用では著作権の問題もあるだろうし、私も書くのがたいへんだ。いくつか選んで、さらにそのなかから琴線に触れたところだけを紹介させていただく。

「インフレの本当の恐ろしさは経済問題ではない。それが人間を侵食し、誠実な人生をせせら笑うことにある。個人では、人を出し抜くすばしっこさがかっさいされ、地味にはたらく者はバカにされる。企業では、物を寝かせておくだけで得をし、物を作って売る方が損をする。
 このような倒錯した世の中の仕組みに思い切った手を打たず、政治家たちは国民に向かって「道徳」を説く。おこがましい話ではないか。」(昭和49年3月24日)

「情報がはんらんし、実体を離れたイメージが君臨し、人の心は操られる。だが映像が美しく、言葉が誇張されるほど、不信もまたふくらんでいく。だまされることに対する警戒心は強まるばかりとなる。」(昭和49年6月15日)

「北爆のころ、米国の女性作家スーザン・ソンタグが北ベトナムを訪れる。米人パイロットの墓を見た。花が供えられ、木の墓標にパイロットの名と戦死した日付が書かれてあった。墓守に聞くと、棺は良質の木で作ったという。戦争が終わったあと、遺族が来てアメリカに持ち帰れるためだ、という答えだった。ベトナム戦争は何よりも、アメリカ文明の敗北であった。」(昭和50年4月23日)

「昔、謡曲の名人が道を歩いていると、謡が聞こえてきた。名人は供の者に「あの謡を、とめてみせようか」といって、自分で朗々とうたいはじめた。向こうの声はピタリと止まった。
 数日後、名人は同じ供を連れて歩いていると、また謡が聞こえた。先日とは別の声だった。供の者が「この間のように、あれを止めてご覧になっては」というと、名人はしばらく耳を傾けていたが「あれは、とまらない」と答えた。下手には上手が分からない、という逸話である。もっと広く解釈すれば、独りよがりの人は正しい筋道を聞かされても、それを評価する耳を持たない、というたとえ話にもなるだろう。」(昭和50年8月17日)

「もう一つ、夕焼けのことで忘れがたいのは、ドイツの強制収容所生活を体験した心理学者V・フランクルの本『夜と霧』(みすず書房)の一節だ。囚人たちは飢えで死ぬか、ガス室に送られて殺されるという運命を知っていた。だがそうした極限状況の中でも、美しさに感動することを忘れていない。
 囚人たちが激しい労働と栄養失調で、収容所の土間に死んだように横たわっている。そのとき、一人の仲間がとび込んできて、きょうの夕焼けのすばらしさをみんなに告げる。これを聞いた囚人たちはよろよろと立ち上がり、外に出る。向こうには「暗く燃え上がる美しい雲」がある。みんなは黙って、ただ空をながめる。息も絶え絶えといった状態にありながら、みんなが感動する。数分の沈黙のあと、だれかが他の人に「世界って、どうしてこうきれいなんだろう」と語りかけるという光景が描かれている。」(昭和50年9月16日)

深代最後の「天声人語」は昭和50年11月1日、その年の12月17日に彼は亡くなった。享年46歳。

深代惇郎の天声人語 (1976年)
深代 惇郎
朝日新聞社

おせっかい

2012年06月25日 | Weblog

近頃、Facebookからあちこちに以下のようなメールが飛ぶようになった。頻度としては月一くらいなのだが、それを受け取った人の中にわざわざ「熊本さんとは友達になれない」ということを知らせてくれる人がある。単純に無視してもらえればよいだけのことなのだが、知らせてくれた以上、無視するわけにもいかないので、無視してくれと返事をする。こういうFBメールは迷惑なので止めたいのだが、止めさせるにはどうしたらよいのだろうか。

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メールの本文:
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Kuma Kumamoto
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目にひっかかる

2012年06月23日 | Weblog

このブログを遡って読んでいただければわかるように、かなり頻繁に美術館や博物館を訪れる。そういうものを眺めるのが好きなのである。しかし、自分で書画骨董の類は一切所有していなかった。まかりまちがって自分の手に届くもので適当なものはないかとアートフェアのようなものに足を運んだこともあったのだが、ついぞ縁に恵まれることなく今日に至ってしまった。

先日、なにか調べもののついでに朝日新聞のサイトでこの作品を知った。そこにあった動画の収録場所がアダチ版画研究所だったので、そのサイトを見たらこの作品が売りに出ていた。最初の30点は割引価格ということでもあったので、思い切って予約をしてみた。今日実物と対面して、思い切ってよかったとしみじみ思っている。なにがどういいというような個別具体的なことではなしに、色にも線にも彫った人や摺った人や描いた人の息づかいが響き合っているように感じられるのがよい。そういうものが生活空間のなかに在ることで、空気の流れのようなものがそれまでとは違って感じられる。そういう変化が素朴に楽しい。ついでながら、自分が手にしたもののエディションナンバーも好きな数字だったので、宝くじに当たったような嬉しさもある。

その昔、江戸では庶民でも部屋に浮世絵を飾って楽しんでいたという。長屋の暮らし向きは落語や博物館の展示でわかるように、決して余裕のあるものではない。それでも壁や柱に場所を見つけて絵を楽しんでいた人も少なくないらしい。部屋が狭いとか場所が無いというのは、そういうものを飾らない理由にはならないのである。本当に好きならば、思い切るものなのだ。

今回、思い切る後押しをしたのは記事のなかの動画で原画の作者である山口晃が口にした一言だった。それが今日のブログの表題だ。


例外

2012年06月20日 | Weblog

食事のときに足を組む奴は嫌いだ。化粧が濃いのも嫌だし、爪をゴテゴテ飾りたてているのを見ると、一体真面目に生きる気はあるのかと呆れてしまう。酒がまわって危うくなるのは人としてどうかと思うし、手を叩いて大笑いするなどもってのほかだ。

今夜は友人と銀座へ食事に出かけてきた。それで、こいつがそのもってのほかの奴なのである。小さなビストロのカウンター席に腰掛けてワインと美味しい料理をいただきながら、たいへんに盛り上がった。途中からは店の人も交えて愉快に4時間近くを過ごした。それで思ったのが、何をしても許される奴というのがいて、どんなに頑張っても嫌われる奴というものいるということだ。

結局は育ちなのだろうか。私なんぞは下々のそのまた下々なので、どこか卑屈なところが拭いきれないと自覚している。その点、今日の連れは天真爛漫を画に描いたような奴で、多少お行儀が悪くても「ま、しょうがねぇな」と思ってしまう。外面が良いのでどこに連れていっても安心していられるというのもよい。私はカウンター席で店の人と話ができるところが好きなので、そういうところに付き合ってもらうのだが、誰とでもうまく話を合わせて楽しく過ごすことができるというのは一種の才能ではないかと思う。是非、そういう人徳にあやかりたいと思いながら、時々こうして愉快に時間を共にさせてもらっている。


灯台下暗し

2012年06月18日 | Weblog

昨日、初めて河鍋暁斎記念美術館を訪れた。最近、どこかの美術館の売店で赤瀬川原平の『個人美術館の愉しみ』を立ち読みしていたら、そこに載っていたのである。河鍋暁斎は幕末から明治にかけて活躍した狩野派の画家だが、明治維新で江戸幕府というパトロンを失ったので日本画という枠に囚われることなく、本の挿絵も浮世絵も肖像画も、依頼があればできるだけ需要に応えようとしたという。その腕に惚れ込んだ人々のなかには建築家のジョサイア・コンドルや宗教学者で後にギメ美術館を開いたエミール・ギメもいた。コンドルは暁斎の弟子になってしまうほどだった。

そういう暁斎ゆかりの美術館が実家のすぐ近くにあったのである。開館は1977年なので私は中学生だった。通っていた中学はこの美術館と実家の間で、行きつけの歯科もこの近所、祖母が入院した病院も近所だ。でも、数週間前までその存在をしらなかったのである。尤も、当時は美術など関心の外だったし、身近にそういうものに造詣のある人など皆無だった。知らないのも無理は無い。

河鍋暁斎記念美術館、とは言っても、彼がこの地で暮らしたというわけではない。彼が主に暮らした場所は現在の都内台東区あたりらしい。彼の娘、河鍋暁翠も同じ場所で暮らしていたようだが、その子供の代になって現在の北区赤羽に居を移し、戦争中に強制疎開で美術館のある埼玉県蕨市に移り今日に至っている。子孫がいるというだけで、暁斎と直接縁があるわけでもなさそうだ。ただ、その曾孫が彼の仕事を後世に伝えようと情熱を燃やすのは、そうさせる何かがあるはずだと思うのである。それが鴬谷であれ赤羽であれ蕨であれ、ということはこの際あまり関係の無いことだろう。

洋の東西を問わず心ある人のその心を動かしながら、長らく埋もれていた仕事の数々を改めて世に問うべく奔走する人々がいて、それに値するものがあって、そうした努力の甲斐あって現代において「発見」される作家や作品がある。そういう「運動」に触れることができるというのは、やはりたいへん嬉しいことだ。「美術館」として設計された施設ではないし、展示にも限界があるのだが、そうした制約を超えて良いものを観たとの思いを抱いてその場を後にした。 

個人美術館の愉しみ (光文社新書)
赤瀬川原平
光文社

『アルファを求める男たち』備忘録

2012年06月17日 | Weblog

この一貫性のなさを、セイラーは「ハウス・マネー効果」と呼んでいる。すでにポケットにお金を持っているとギャンブルをしたくなる。ポケットにお金がないと、(39ドルの賞金を獲得できるかもしれないが)賞金21ドルになってしまうかもしれないリスクよりは確実にもらえる30ドルを選びがちだというわけである。(31頁 第I部 行動ファイナンスからの攻撃 第1章 そんな頭脳を誰が設計できるのか?)

すでに時代遅れになっているという証拠が目の前に示されていても、我々は既成概念にしがみつく。一貫性を保つことはあまりにも厳しい条件なので、我々は首尾一貫していない状態にも満足して安住する。何らかの意思決定をしたことを後悔するかもしれないと思うと、そもそも合理的な意思決定をしずらくなる。他人が自分と同じ意見であるときは、彼らが自分よりも知識がなくても、彼らの言うことに耳を傾けたくなるという誤りを犯しがちである。利得を得る機会に出会ったときよりも、損失が起こるかもしれない場面のほうが、我々はより大きなリスクをとりがちである。意識決定の拠りどころとすべき一般例を代表しているとはいえない少数のサンプルから得られた情報でも、ほかに頼るべき事例がないという理由から、それにもとづいて我々は判断することがある。
 ところがこのプロセスをつうじて、我々は自らの信念に過剰な自信を示しがちである。(38頁 第I部 行動ファイナンスからの攻撃 第1章 そんな頭脳を誰が設計できるのか?)

 効率的市場仮説ではすべての入手できる情報は市場価格に反映される。しかし、そのダイナミックな変動と市場の動きの裏側に隠されているものを探求すれば、そこには生物学と進化論が描くのに似た世界がある。つまり、時の変遷とともに次々と変わっていくプレイヤーの間での激しい生存競争だ。「例えば、強気相場をずっと経験してくると、その人の相場観全体や、何を選好するか、リスクに対する嗜好、起こりうる結末についての主観的な確率分布などが変わってしまう。我々はすべて生れおちた環境に支配される動物であり、これらの嗜好や選好が、株式・債券・オプションなど異なる市場の間での相互作用や、中国人・スウェーデン人・アメリカ人など異なる文化の間での相互作用を形作っている」。(108頁 第II部 理論家たち 第5章 アンドリュー・ロー)

パラドックスではあるが、価格がいつでもどこでも正しいとすると、何が起きているのかを知るためにより良い情報を求めようとは誰もしなくなるだろう。情報収集にはコストがかかるからだ。だが人々は情報収集のために多くの時間と労力とお金をかけている。ということは、価格が正しくはなく、すべての入手できる情報をまだ反映してはいないということの表れである。この事実は健全なことでもある。なぜなら、情報を収集しようという努力は価格をそのあるべき均衡水準により近づけるように作用するからだ。(182頁 第II部 理論家たち 第9章 マイロン・ショールズ)

金融市場のこうした特徴を誰よりも明確に捉えているのは、クオンティティブ・ファイナンシャル・ストラテジー社を経営する(ペンシルバニア大学)ウォートン校教授のサンフォード・グロスマンである。すでに1989年、彼は次の用に述べていた。
「人々が取引に参加するのは、自分が隣人よりも多くのことを知っている、つまりより良い情報を持っていると信じているからだとすれば、取引をすることから何も利益を得られない。…取引をするのは、他に何か理由があるはずだ。価格変動の一部はもちろん情報の変化によるものだが、ある一部の投資家でリスク許容度が変化したり、流動性選好が変化したりすると価格変動は起きる。」(184頁 第II部 理論家たち 第9章 マイロン・ショールズ)

アダム・スミスの神の見えざる手はつねに働いているし、ジョセフ・シュムペーターの「不断に続く創造的破壊」の風は吹きつづけ、「利潤は…そもそも一時的なものだ。その後に起こる競争と適応のプロセスのなかで、それは消え去るであろう」とシュムペーターが言う状態に至るのである。(384頁 第IV部 キャピタル・アイデアの将来 第16章 何も静止してはいない)

*****

こういう本を私が読むのは希有なことだ。2009年以降、毎年12月31日のこのブログは「エンディングロール」と称して、その年に読んだ本や出かけた落語会だの美術展だののリストを掲げている。それを見てもらえば一目瞭然だが、この手の本には興味が湧かないのである。では、何故読んだのかといえば、先日のブルネイ出張の準備に際して参考にしようと思ったのである。一生懸命すっ飛ばしながら活字を追ったのだが、読み終えたのは出張が終わって一週間が過ぎた頃になってしまった。それでも、面白かった。何がどう面白かったのかということについては、また機会があれば改めて書いてみようと思う。

アルファを求める男たち――金融理論を投資戦略に進化させた17人の物語
ピーター・バーンスタイン
東洋経済新報社

雨が降る土曜日は

2012年06月16日 | Weblog

今の職場で働くようになって2ヶ月が経過した。これまでとは違って平日昼間世間並みの勤務時間で働いているので、どうしても週末に家事を片付けなければならない。なにがどうというわけではないのだが、そうした雑事で午前中が終わってしまった。やはり昼勤になってから自炊の機会が激減したので、食材の在庫も殆どない。しかし今日は雨で外に出るのが億劫だ。そこで、飯を炊いてシラスと海苔だけでいただいた。シラスには味噌を加えてみた。若い頃ならこれではとても足りなかっただろうが、いまはこれで上等だ。

億劫といいながら野暮用があって午後には外出する。用件の性質上、やや堅苦しい格好で都内の或る繁華街へ。あまりに人出が多いので、用件だけ済ませて住処へ戻った。休日は街に出ないといけないとでも考えている人が多いのか、それとも今日の私のように平日では時間を割くことのできない用件を抱えた人が多いのか。とにかく人の多い場所が嫌いなので、本当は買い物をしたかったのだが、用件を30分ほどで片付けて戻ってしまった。買い物をして、ついでに夕食も外で済ますつもりだったので、住処に戻ってしまうと食べるものがない。昼と同じもの、という手が無いわけでもないが、同じものを連続して食べるのは嫌なのである。

というわけで、夕食は近所の台湾で角煮麺をいただく。店のおばさんのオススメに従って自家製の鉄玉子もラーメンを待つ間にいただく。ここの料理は主人が台湾の屋台を食べ歩いて自分で考えたものだそうだ。鉄玉子は1ヶ月ほどもかけて作るもので、角煮麺に鎮座する角煮は何日もかけて作るらしい。創意工夫と手間隙とそうした作業を支える情熱とが一体となっているので旨い。ときどきこのブログに書いているが、生命の維持に必要な栄養を補給するというだけなら食い物などなんでもよいと思う。しかし、畜生の餌と人間の食事との本質的な違いは、そこに人と人との関係性が介在するか否かということだと信じている。旨いか否かというのは、実は最優先課題ではなく、結果としてついてくる評価項目なのである。旨いものを食べてもらおう、喜んでもらおう、という意識がまずありき、という店でなければ何度も足を運ぼうとは思わない。


世界は運動

2012年06月15日 | Weblog

昨日、友人とfucaに出かけた。自分よりずいぶん年下なので、そう頻繁に会うわけではないのだが、このところ携帯にメールをもらうことが増えてきたので、何か話したいことでもあるのではないかと思って誘ったのである。

ゆっくりと人と会話を楽しむことのできる店というのは思いの外少ないと感じている。今日の店は何ヶ月か前に飯田さんの作品展が開かれていた場所で、それをきっかけに月に1度か2度くらいの割で足を運ぶようになった。店主も感じの良い人で客との会話を大事にするので、ひとりで出かけてぼつぼつと店主と話をするというのにも良い場所だ。連がいても、たいていは店主を交えての会話になるので、仮に相手が疎遠な人であったとしても、人としてまともであるかぎり、場を持て余す心配がいらない。

今日も楽しい時間ではあったのだが、話題の中心は他人事ではなく、自分自身も常日頃悩んでいることだった。結局、世界は運動であって、その運動に参加しなければ自分に未来は無いということで互いに納得したものの、運動に参加するのは容易ではない。そうやってあたふたし続けるのが人生なのだろうが。


視線と姿勢と

2012年06月14日 | Weblog

大きな壷を挽くようになってから気になっていることがある。自分の姿勢だ。眼が良くない所為もあって、挽いているうちに顔が自然に手元に近づいていく。つまり猫背になっていく。しかも、自分の場合、轆轤を時計回りに回転させて手は7時の位置にあるので、挽いているときの姿勢が妙な歪みかたをしているはずだ。姿勢の歪みは視線の位置に原因があると考えた。手元に眼を近づけるのは、見えないからではなく、挽くことに対する不安からであろうと自分なりに考えた。そこで、先日は視線の位置に意識を置いて挽いてみた。やはり、姿勢がまっすぐなほうが上手く挽くことができる。

おそらく、視線と姿勢の関係は様々なことに敷衍できるだろう。対象物との距離を適切に保つことによって、良好な関係を創り上げることができる、のだ。たぶん。


100万円

2012年06月13日 | Weblog

前の勤務先から支給されたわずかばかりの退職金があり、せっかくの機会なのでここから100万円だけぱぁっと使ってみることにした。「ぱぁっと」がわずか100万円ほどでしかないあたりが私の人間としてのスケールの小ささを雄弁に物語っている。しかも、「ぱぁっと」一遍に使うのではないところも「うわぁ、ちいせぇ!」と思う。さらに言えば、退職金を手にしたのが4月下旬で、それからもうすぐ2ヶ月になろうとしているのに、まだ残っている。穴があったら入りたい、ような心境だ。

これまでに何に使ったかといえば、まず菅野さんにカバンを注文した。次に、婚活サービスに登録した。そして現在活躍中の或る画家の絵による浮世絵を購入した。で、まだ使い切れていないのである。ついでに言えば、これら3つともまだ手元に無い。カバンは来月完成予定だ。婚活サービスは提出すべき書類がまだ残っており、やはり来月あたりからのサービス開始となりそうだ。浮世絵も今月下旬の完成予定とのこと。こうして心待ちにするのも楽しかったりするのだが、そういうことに楽しみを見出すのも人間がこじんまりとしているからこそなのだろう。

まぁ、いいや。大きくても小さくても。


粛々と

2012年06月12日 | Weblog

3月6日に作り始めた面取りの壷が焼き上がっていた。これは、まず轆轤で少し肉厚に壷を挽き、それから面取り加工を施すので成形だけでも余計に時間がかかる。今回はこれに化粧をしているので、単に釉薬を掛けるよりもさらに余計に時間をかけた。

焼き上がったものと対面したときの第一印象は「こんなに小さくなっちゃってねぇ」というようなものだった。茶碗のような小さなものよりも壷や大皿は焼成による収縮の度合いが大きく感じられる。尤も、これくらいのサイズのほうが狭い家屋には収まりが良いかもしれない。ちなみに、使用した土は普通の陶芸用赤土。化粧は黒。青磁釉を掛けて還元焼成。高さ約19cm、最大径は約17cm。

平日夜に陶芸に通うのは、今の勤めでは多少無理がある。だからといって週末に固定した予定を入れるは、もっと無理がある。陶芸に関しては、続けられる限り、現状のまま平日夜で続けようと思っている。


広く薄く

2012年06月11日 | Weblog

以前にも書いた記憶があるが、昨年暮に失業したとき、自営の道を行かざるを得ないだろうと思い、退職書類のなかで住民税を普通徴収によって納めることを選択した。ようやく納税通知書が手元に届いたので、早速開いてみると、それなりの金額が記載されており、それを4回に分割して納税するようになっている。通知書のなかには「納付には、便利な口座自動振替制度をお勧めします。」とあり、さらに「便利で確実な口座振替で!」と記されたチラシも同封されている。徴収する側が自動振替を勧めるのは、それによって自分たちが取りっぱぐれるリスクを軽減できるからであり、納税者にとっては特にメリットがあるわけではない。その金額を見ると、それなりにまとまった数だ。給与からの天引きで毎月納税していると然程意識もしないのだが、こうして1年間の金額を目の当たりにすると、やはり税金の使途というものが気になる。諸外国に比べると日本は政治に対する国民の関心が低い印象があるのだが、それは税金の多くが天引きで広く薄く徴収される仕組みになっていることと関係があるような気がする。


「椿姫」

2012年06月10日 | Weblog

久しぶりにオペラを観た。特に音楽や演劇が好きなわけではないのだが、知人が今日出演する川崎市民オペラ合唱団のメンバーで、チケットの案内をもらったので前売り券を買ったのである。今日の公演はプロ・アマ混成の出演者によるものだ。要の部分はプロがリードするという所為もあるのかもしれないが、期待以上の舞台で、たいへん楽しく観劇させていただいた。

オペラに限らずどのようなことにもあてはまるのだろうが、実物に触れることに勝るものはない。いくら能書きばかり詳しく記憶したところで、そのものに触れた経験が無いのでは、知っていることにはならない。近頃は情報が簡単にふんだんに入手できるがゆえに、かえって知っているつもりになって何もわかっていないことが多くなったように感じられる。久しぶりにオーケストラの生演奏を聴き、歌い手の肉声を聴いて、とてもありがたいとの思いが湧いてきた。私は音楽もオペラも知らないので、今日の公演がどれほどのものなのかはわからない。ただ、いいものをみせてもらったとの思いを強く感じた。こういう実感を大切にして生きてゆきたい。