熊本熊的日常

日常生活についての雑記

越すに越されぬ

2011年02月28日 | Weblog
「須賀敦子全集」を読み返している。何年か前に河出文庫版の全8巻の全集を読み通し、そのまま書棚に並べておいたのだが、そろそろ子供に譲ろうと思った。手放す前に再読しようと思い、今日、第1巻を紐解いた。

読んだ本のなかで、子供に譲るものと手元に残すものとアマゾンのマーケットプレイスに売りに出してしまうものとがある。確たる基準があるわけではないのだが、何度も読み返すことに耐えるようなもの、読み返す度に発見があるようなものは、とりあえず手元に残している。そのなかで、子供も興味を持ちそうなものは譲る。尤も、最終的には手元に残したものは全て子供のもとに行くことになるのだが。

今日は通勤の往復で読んだだけなので、ほんのわずかしか読むことができなかったのだが、それでも味わいのある文章を十二分に堪能できた。ただ読むだけではもったいなく、できることなら朗読したいような文章だ。

文章もさることながら、内容も興味深い。今日読んだなかで、このブログに取り上げてみようと思ったのは「チェデルナのミラノ、私のミラノ」だ。

チェデルナというのは、カミッラ・チェデルナという批評家だそうだ。彼女の書くものはヨーロッパの社会の裏側、特に貴族社会が発散する匂いのようなものを語っているのだという。本編の主題はチェデルナその人のことではない。筆者がミラノに住んで2年目にイタリア人と結婚することになったとき、夫となる人の古くからの友人が結婚指輪を作ってくれる店を紹介してくれたのだそうだ。その友人というのはミラノの由緒ある家柄の出で、その父親は名の知れた銀行家だという。そういう人が紹介してくれる貴金属店がどのようなものだったかというと、
「意外なことにそれは、都心ではあったが、少々うらぶれた小さな通りに面した、古い建物の三階だか四階だかにあった。せまい階段を上って行ったところのふつうの部屋に私たちを迎え入れてくれたのは、品のよい初老の女性だった。」(河出文庫 須賀敦子全集 第一巻 25頁)のだそうだ。

勿論、当時のミラノには立派な貴金属店も怪しげな貴金属店もあった。しかし、筆者が紹介された店はどちらにも属さない、よくわからない店だったというのである。

「実際、その値段は私たちの想像していたのよりはるかに安かった。ほっとしたのと同時に、私は例のヨーロッパの秘密の部分の匂いをかすかながら感じとった気がした。この町の伝統的な支配階級の人たちは、表通りのぎらぎらした宝石店と、この女主人の店を見事に使い分けている。彼らの家には先祖代々の宝石類があるから、自分たちがふだん身につけるものは、こういう店でいろいろと手を加えさせたりするのだろう(ちょうど私たちが母の形見のきものを仕立てかえさせたり、染めかえたりするように)。ずっとあとになってから、やはりミラノの古い家柄の女性たちと、ある内輪の晩餐の席をともにしたとき、彼女らが、ある新興ブルジョワの家庭の度はずれた贅沢を批判しているのを耳にしたことがある。「だって、あそこでは始終Bでお買物よ」Bというのは、まさに大聖堂ちかくのぎらぎらした貴金属店の名だった。あたらしい貴金属を「始終」買うということはその家に先祖代々伝わったものがないからだ、と言わぬばかりの彼女たちの口ぶりだった。」(河出文庫 須賀敦子全集 第一巻 26-27頁)

家柄と経済力とは必ずしも比例しないので、筆者が参加した晩餐の席でのブルジョワ批判は、単なる嫉妬心が根底にあるのかもしれない。それにしても、人の行動や思考が均衡を求めるという性質があるのは事実ではないだろうか。自分のなかに欠落しているものを認識したとき、人はそれを補うべく発想し、行動するものだろう。いくら経済力に恵まれていたとしても、成り上がり者には積み重ねてきたものの脆弱さに対する不安があるのだろう。恵まれている経済力を駆使して、不安のある自己の存在基盤を固めようとする、というのも均衡を求める行動に他ならない。

自分のことを振り返ったとき、確かに若い頃はなにかと背伸びを試みることが多かったように思う。個別具体的には語らないが、今から思えば、それらは傍目にはどうしょうもなくつまらないことで、自分ひとりがたいしたことのように思っていたというような滑稽なことばかりのような気がする。齢を重ね、何時死んでも不思議ではない今となっては、人には努力でどうにかなることと、どうしても越すに越されぬものがあることがある、という当たり前のことを了解できる。ただ、了解できるようになるためには、やはり自分を取り巻く壁を乗り越えて新たな地平に飛び出す試みをしないわけにはいかない。その意味では人生に無駄というものは微塵も無い。かといって、どれほどのことを積み重ねることができたのか、やはり心もとない。無限に続く時間が自分にあると思えば、現在を多少犠牲にしてでも布石を打ちにいくのだろうが、終わりを意識してしまうと、あるものをあるがままに受け容れるのが最善の選択であるとしか思えなくなってしまう。

シャンデリア

2011年02月27日 | Weblog
きらびやかな装飾でもあり照明装置という実用性も兼ね備えたシャンデリアは、そのきらびやかさ故に富や権力の象徴として捉えることもできる。そこに自分の美意識を表現する媒体としての役割を期待することもできる。

そんな美意識に憑かれた人が、考えうる贅を尽くして自分の部屋にシャンデリアを設えた。はじめはささやかなものだったが、少しずつパーツを買い足し、やがて部屋一杯のシャンデリアになった。それはまばゆいばかりで、この世のものとは思えないほどだった。

残念なことに、この部屋はそのシャンデリアのために戸が開かなくなり、その人もその部屋から出られなくなってしまった。その人は忘れ去られ、シャンデリアのある部屋は、そもそもその存在が知られていなかった。後に、粉々に砕けたガラスと金属片が…

というような冗談を、昨日、21_21で開催中の「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」に展示されているモービルを眺めながら子供と語り合った。

万葉集のなかにこんな歌がある。

白珠は
人に知らえず
知らずともよし
知らずとも
我し知れらば
知らずともよし

本人が「よし」というのなら、それを周りがとやかく言うこともないのだろうが、他人に認知されない「白珠」が、果たして「白珠」と言えるだろうか。たとえひとりでもよいから、他者による認知があってこそ、価値は価値たりえるものではないのか。結局、人はその「ひとり」を求めて日々彷徨っているような気がする。

きょうのできごと

2011年02月26日 | Weblog
午前中、山手線の或る駅で子供と待ち合わせをして、国立新美術館へ行く。

手元に「シュルレアリスム展」の割引券が2枚あったので、二人で観にいくのにちょうどよいと思ったのである。しかし、割引券は1枚しか使えなかった。私が在学中の大学が国立美術館キャンパスメンバーの参加校なので、学生証を提示すれば割引券が無くとも割引になるのと、その割引制度は他の割引との併用ができないという事情による。

今回の「シュルレアリスム展」は内容も規模もかなりなものだ。ここ3年ほどの間は、ここにも多くの作品が出品されているマルセル・デュシャン、マン・レイ、フランシス・ピカビアに関連した企画展を観る機会に恵まれており、この展覧会もその延長線上にあるような、どこか近しい感じがする。子供のほうは初めて目にするものばかりである上に、所謂「モダン・アート」にたいしては批判的なので、会話のネタとしてはかえって面白い。

展示の章立ては時代順になっており、そう思って眺める所為か、初期の作品にはどことなく高揚した緊張が感じられ、戦後の作品になると規模が大きかったり技巧を凝らしている割には冗長な感じが拭えないような印象を受けた。どのようなことにも始めと終わりがある。物事が始まるには、そうなるための事情や環境があり、終わりに至るのは、そうなる状況の変化があったということだろう。

シュルレアリスム運動に関しては「皇帝」とまで呼ばれていた提唱者でもあるアンドレ・ブルトンの死とともに終息したとされているらしい。運動とか組織といったものが特定の個人の影響力に左右される場合、その個人の存在感に陰りが見え始めると、組織そのものが瓦解に向かうのは芸術や文化だけのことではあるまい。このところ落ち着いたようだが、政情の安定度が高いとされていたタイで首相の汚職を巡って一時騒乱状態に陥ったのは、国王の高齢化と無関係ではないだろう。同じことは中東の一連の政変にもあてはまることではないだろうか。独裁が真に問題なら、もっと以前に騒乱が起こっているはずだ。混乱は独裁権力に脆弱化の兆しが見えたからこそ起こるものだろう。権力の安定に必要なのは円滑な権力移譲だ。独裁者自身の能力やカリスマ性は勿論重要だが、その存続ということを考えた場合、権力の移譲先の同様の能力も負けず劣らず重要になる。権力存続にまつわる困難は「カリスマ性」あるいは人を惹きつける力というものは伝授するということができる性質のものではないことに起因する。

一旦、美術館を出て、シェ・ピエールで昼食をいただく。今日はふたりとも仔牛のカツをメインにしたランチコースにする。ここに来るのは久しぶりだが、いつも気持ちよく美味しい食事を楽しむことのできる店だ。

昼食の後、21_21で開催中の「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」を観る。このギャラリーを訪れるのは初めてだ。展覧会よりも建物に興味があって、ずっと訪れてみたいと思っていたのだが、これまでは何故か機会に恵まれなかった。実際に訪れてみると、特別に感心するほどのことは無かった。

国立新美術館へ戻り「東京五美術大学連合卒業・修了制作展」を観る。さすがに実績のある美大ともなると感心させられる作品が少なからずある。尤も、五大学分なので規模がやたらと大きく、観て回るだけでも大仕事になってしまう。やはり大学毎のカラーのようなものは感じられる。どこがどうというような明確なものではないのだが、なんとなく違うのが面白い。

子供と別れてから実家に寄る。巣鴨の住処に戻った頃にケータイにメールが入る。23日付の「意地」に書いた、自分の生活圏外のコーヒー豆店についての質問の主からだ。昨日、出勤前に依頼主の生活圏内にある豆店をいくつか回ってみた。結局3つの店で豆を買い、その味見をしてみた。今日は結果について手短に葉書にまとめ、投函しておいた。ケータイのメールは、必要最小限のことだけならよいが、これで何通もやり取りするというのは、馬鹿馬鹿しい気分になってしまう。急ぎの用件ではなく、相手が友人かそれ以上に親しくて、言葉だけではなくて気持ちも伝えたいと思えば、葉書くらいのものがちょうどよいのではないかと感じている。尤も、なかなか葉書を書く機会には恵まれなくて、今日書いたものが今年2通目だ。こういうことを面白がってくれる相手を増やさないといけない。さらに言えば、そういうものの行間を読み取ってくれるような人と、数は多くなくてよいので、出会いたい。

スコーン

2011年02月25日 | Weblog
明日、子供と会うことになっていて、スコーンを焼いてきて欲しいという要請があった。それで、今日は何年ぶりかでスコーンを焼いた。レシピは林望の「イギリスはおいしい」のなかにあるものを使う。実際にはあの記述のようにはいかない箇所があって、そこは自分の現実を優先させて対処している。材料は生協の宅配で調達しておいたヨーグルトとバター、一昨日に職場のあるビルの地下のスーパーで購入した小麦粉とベーキングパウダーとレーズン、今日になって住処近くのマルイチで買った卵と牛乳を使った。砂糖は例の黒砂糖で、塩は与那国海塩の「黒潮源流塩」だ。材料は少し凝ったものも使ってみようかと思ったのだが、イギリスの食べ物というのは下手に凝ると裏目に出るような気がするので、普段の調達経路の範囲内での選択にとどめた。

作り方は至って簡単で、混ぜて、捏ねて、一口大にまとめて、焼くだけである。味が何で決まるかといえば、材料と捏ね具合と焼きの3つの要素が大きく影響するのではないだろうか。基本は「ざっくり」である。

思っていたより軽めの焼き上がりだが、それは単なる印象だけのことかもしれないし、バターの所為かもしれない。いずれにしても、まずまずの出来で明日の持参品に加えることになった。

使用材料
小麦粉 「日清 フラワー 薄力小麦粉」(日清フーズ株式会社) 280g
バター 「大山バター」(大山乳業農業協同組合) 125g
ベーキングパウダー 「ROYAL BAKING POWDER」(Royal Baking Powder)茶匙山盛り2杯
砂糖 「黒砂糖」(大方製糖生産組合) 少々
塩 「黒潮源流塩」(与那国海塩有限会社) ひとつまみ
ヨーグルト 「こんせんプレーンヨーグルト」(高梨乳業株式会社) 50cc
牛乳 「明治おいしい牛乳」(明治乳業株式会社) 50cc
卵 「森のたまご」(イセ食品株式会社) 2個
レーズン 「ラムレーズン」(株式会社 万直商店) 70g

脱依存

2011年02月24日 | Weblog
出勤したら職場がたいへんなことになっていた。ITシステムが人為的過誤によって機能不全に陥ってしまい、朝から業務が麻痺していたというのである。私が出勤する時間でも混乱が続いており、私の席の端末も30分ほどかけてシステム担当者に設定し直してもらった。

世の中は情報通信技術の発達で便利になった。便利なので、それへの依存は強まるばかりである。依存しているものが機能不全に陥れば、身動きがとれなくなる。組織あるいは社会は構成単位が相互に連関しているので、機能不全に陥った箇所によっては全体が麻痺してしまう。今日の障害は私の所属部門だけにとどまったのと、業務の閑散期であったことが不幸中の幸いなのだが、同じ問題が繁忙期であったとしたら、かなりの規模の機会損失を招いたかもしれない。

翻って日常生活を眺めれば、自分が幾重にも重なった巨大システムの中で生きていることに気付いて愕然とする。直接的にはネットに象徴される通信システムがあるが、交通機関も金融システムも水道光熱関連なども、ありとあらゆる社会システムは情報通信システムによって機能している。例えば天変地異でシステムの根幹ともいえる電力の供給が断たれたら、一体どのようなことが起こるだろうか。

しかし、今日のような情報通信システム網が構築されたのはそれほど昔ではない。それどころか電気の無い時代もかなり近い時期まで続いていたし、世界には今なおそうした場所があるのではないだろうか。それでもそうした地域では何事も無いかのように日常生活が営まれているはずだ。

要するに、過度な依存が物事を脆弱にするのではないだろうか。これがなければ生きていけない、というほどのものはそうあるものではない。人の行動の8割は習慣に拠っているという話を聞いたことがある。その8割を7割5分程度に下げるだけで、生活実感は大きな変化をするものなのではないだろうか。

個人的には過去5年ほどの間に、転職(仕事は同じで勤務先変更)、離婚、海外移住、国内帰還、初の陶芸個展などと思い返してみれば、けっこういろいろなことがある。この間に生活は簡易化が進み、正確には「進めざるを得ず」、都区内住宅地での一戸建ての生活から巣鴨地蔵通り商店街に面した建物の30㎡での生活になった。余計なものは持たず、テレビもなければ新聞も購読していない。それでも何の不自由もなく、それどころか快適で、外に出るのが億劫なほどだ。生活に関しては、究極には身体ひとつだけでどこでも暮らせるようになりたいと思っている。例えて言うなら、寅さんのような姿が目標だ。

寅さんの最終作は阪神淡路大震災があった1995年が舞台だ。当時既に携帯もパソコンも当たり前のように普及していたが、寅さんは初回(1969年)の頃と同じように鞄ひとつで生活が成り立っている。物理的にはシンプル極まりないのだが、映画の主人公とはいえ、そこに貧相さの微塵も感じさせない。それは、寅さんを取り巻く人間関係が豊饒過ぎるほどに豊饒だからだろう。本当に大切なものは目には見えないのだと思う。見えないものを育んだり愛しむのに必要なのが本当の感性や知性だ。その見えない部分をしっかりと抱えている人には自然に人が寄り添うようになるのだと思う。そういう意味でも、寅さんのような人に憧れる。

意地

2011年02月23日 | Weblog
会食の席を設定することになった。2日連続なのだが、初日は見知った相手だけなので、気楽に決めてしまったのだが、2日目は初対面の人がいるのでどうしたものかと考えた。会食というのは食事の内容も重要であるのは勿論だが、落ち着いて会話ができなければならない。落ち着いているからといって所謂高級店にすれば、それを何とも思わない人ならよいが、余計な気を遣わせてしまうことになっては、とても落ち着いてはいられない。以前にも書いたかもしれないが、安易にネット検索を利用するのは、自分の中身の無さを露呈するようでみっともない。かといって、接待のある仕事から離れて6年にもなると外食店舗についての持ち合わせの情報もセピア色になっている。まだ会食の当日までには時間があるので、実際に候補の店をひとつひとつ訪れてみるという手がないわけではないが、そんなことをすると懐が悲鳴を上げる。

そこで、まず素直に自分が好きな店を挙げてみた。問題となっている2日目が日曜日であるということは思いのほか大きな障害だ。自分が気に入っている店の多くが日曜は営業していない。残されたなかでは、そこに初対面の人を招くのに適切なところがほぼ皆無に近い。さらに障害となるのは、それらの店が今でも営業を続けているかどうか、ということだ。都内の飲食店の回転はなかなかのもので、聞くところによると、フランス料理屋などは平均寿命が3年半ほどだそうだ。この6年間ほど更新がない自分の記憶は役に立ちそうにない。

次に純粋にプライベートではなく、仕事上の付き合いでありながら、仕事と離れて個人的な興味で会食し、しかも費用は経費で落とすことができる、というような距離感の付き合いで利用したことのある店を挙げてみた。そして、今回はそのひとつに決めた。

初対面の人が相手のなかにいるからこそ、自分が訪れた経験のあるところにこだわった。見知った相手なら、一緒に新しいところを試してみるのも楽しみのひとつになるのだが、「客」と意識せざるを得ない相手の場合には、食事にも雰囲気にも満足していただき、さらに大事なことは余計な気を遣わせないということではないかと思うのである。そういう場に自分の知らないところを選択することはあり得ないことだ。

似たような話で、「お勧めのコーヒー豆屋」について最近尋ねられた。自分の生活圏内で暮らす人なら、ハニービーンズをはじめとしていくつか挙げることができるのだが、そういう相手ではないので、少し時間を頂いて、その人の生活圏と思しきところに立地する豆屋をいくつか回ってみようと思っている。コーヒーについては何かと自分の生活とのかかわりが深いので、主に好奇心から普段は疎遠な地域の豆事情を探ってみたいとも思うのである。

生活というもののなかで自分が重要視している要素に関しては、できるだけのことをしてみたいというのが、自分のなかでの近頃のこだわりである。あまり意地に走っても窮屈になって生活は逆に快適さを失うのだが、「こだわり」と「意地」との微妙な境界を彷徨うあたりが一番楽しいのではないかと思っている。

局地アイドル

2011年02月22日 | Weblog
陶芸の帰りにFINDに立ち寄った。町内会長がおられて、いつものように楽しいお話を伺いながらコーヒーとケーキをいただく。今日の話題の中心は農政とか農業のことだ。毎回お会いするたびに違った話題で盛り上がるので、彼との対話はどこまで自分が多様な話題に対応できるかを試す場でもある。農業に関しては、学生時代にエコロジー研究会に片足を突っ込んでいて、キャンパスの一画を勝手に開墾して造成した畑でいろいろ作物を作っていたので、一通りのことには受け答えができるつもりだ。今日の会話を一言でまとめてしまえば「有機農法」は怪しく、「国産は安心」は幻想、ということになるだろうか。詳細は機会があれば語ることになるかもしれないが、今日は語らない。

会長とはテラス席で会話をしていたので、店の中へは注文をお願いする時と勘定を払う時だけしか入らなかったのだが、勘定を払って店を出た時に店の中から私を追ってくる人がいた。勘定を間違えたのかと思いきや、
「先月ここで焼き物の個展を開いた方ですよね?」
と尋ねられた。わずか1週間足らずの個展で記憶に留めて頂けるとはありがたいことである。こういうことがあると心底嬉しい。その方には陶芸や木工の現況について簡単にお話させて頂いた。個展期間中のブログを読み返していただければわかるように、来場者は決して多くはなかった。しかし、その限られた来場者に気に入っていただいて、思いの外たくさん買っていただくことができた。「嬉しい」という言葉では言い尽くせないほどに嬉しいことである

学校を出て社会人になってからというものは会社という組織の論理のなかで生きることしか経験がなく、単なる個人として果たして認めてもらえるものなのか不安があった。幸いなことにそれが杞憂となった。何かしら自ら投げかけるネタを持っていれば、それを受け止めてくれる人が居るということを確認できたことが、今回の個展の最大の収穫かもしれない。尤も、知らない人から声を掛けられるのは嬉しいことだが、ただ嬉しいだけで終わらせてしまっては瞬間的局地的なアイドルのようで儚い。個展の所期の目的が、新たな関係性を構築するための取っ掛かりを設けることであったことを忘れてはいけない。

何か事を企ててみて、それが箸にも棒にもかからないとうことなら、きっと失望しただろうが、手応えがあればあったで、その先の展開を思い悩むことになる。勝手といえば勝手だが、欲望と時間軸とに際限がないのだから、そういうものだろう。

今日は年明け後初めて陶芸作品が焼きあがった。長石釉を濃淡掛け分けた直径17㎝ほどの皿と、織部釉だけの直径22㎝ほどの皿だ。2月8日付のブログに書いた4番と6番の作品だ。

過大な課題

2011年02月21日 | Weblog
以前にも書いているように、日々の食材の調達を生協の宅配に依存している。配達は週一回なので、一週間で消費できる量を毎回注文しているつもりなのだが、予定外の出来事が起って昼食時を外で過ごすことになると、それだけ食材の消費が減り、在庫を抱えることになる。事前にわかっている予定については発注に反映できるが、短期間のうちに入る予定には対応できない。1月の個展の準備やその後の配達などで食材の消費の周期が変動し、その影響が未だ多少は残っている。ここへ来てようやく落ち着きが出てきたものの、玉葱や南瓜などの保存に耐えるものは、なお余剰在庫を抱えている。毎朝、原則としてパン類を食べているのだが、明日の朝用のパンが切れているにもかかわらず、敢えて補充をせず、翌朝用のために帰宅後に南瓜を煮た。狭い家なので、南瓜を醤油と味醂と黒砂糖で煮た香りが漂うなかで就寝することになる。

自分が食べるものを自分で作るというのは、生活の基本であると考えている。そのことによって、毎日摂取する栄養や熱量を感覚的に把握できるようになるし、それが健康管理にも通じることになる。また、調理器具や食器の後片付けを通じて、動物性脂肪の汚れの落ちにくさを実感し、それと同じことが体内で起こっていることも直観され、自然と過剰な脂肪分の摂取を控えるようになる。結果として、日々摂取する栄養の均衡が図られ、健康の基本とも言える体重管理が容易になる。尤も、「管理」などと言っても体重を計っているわけではないのだが。

一人暮らしを始めて3年半近くになるが、結婚していた頃の同居人に家事執行能力が欠如していたおかげで、一人暮らしを始める以前からいろいろ鍛錬を重ねる機会に恵まれ、少なくとも家事に関して不自由は全く無い。ありがたいことである。しかし、家事に不自由が無いということが、生活に不自由が無いということにはならないように思う。

何を「不自由」と感じるかは人それぞれだろうが、単独生活というのは人として自然なありようではない気がするのである。人は共同体のなかで生きるようにできている。ひとりで暮らしているように見えても、様々な共同体に属している。近頃は地縁や血縁が薄くなっている印象があるが、それでも全く無いわけではないし、仕事関連のつながりは時間配分という点においては多くの有職者にとって最大のものではないだろうか。とはいえ、精神面においては家族あるいは擬似家族の存在ほど良きにつけ悪しきにつけ影響力のあるものは無いだろう。

ひとつ屋根の下で生活を共にするというのは、よほど相性の良い相手でないと単に苦痛でしかない。それは例外がないことで、親子であっても良好な関係性を構築することは容易ではない。親子というのは特別な関係ではなく、人が生涯の間に取り結ぶ数多ある関係のひとつに過ぎないのだが、時間をいくら重ねたところで、それだけでは何も生み出さないということの傍証としてはこれに勝るものはない。それほど構築し維持することの難易度が高いからこそ、家族という関係を避けていては生きていることにならないのではないかとさえ思う。

自分の中で、様々な時間軸においてそれぞれに課題を設定している。過去の経験に照らせば、年齢の区切りにこだわるとろくなことが無いのだが、それは年齢の節目を意識するあまりに結論を過度に急いだ結果、無理や安易な妥協をしたことが原因だと認識している。そうは言っても、期限を設けないことには物事は前に進まないので、あくまでも目安として時間軸を設けることは必要だろう。そうした意味で、ここ2年くらいのうちには生活を共にする相手についても考えなければならないと思っている。

ノリタケの森

2011年02月20日 | Weblog
陶芸をやっていて気になっていたのは、工場で作られる量産品の製造工程だった。今日はノリタケの森を訪れてみて、その一部を目の当たりにし、目から鱗、とまではいかないにしても大いに勉強になった。特に轆轤での成型は参考になった。

機械で粘土を成型する場合、水分を多目にした柔らかい土塊を板金などのプレス機のような容量で一気に形抜きをするのだろうと漠然と想像していた。実際には、触ったわけではないので土塊の水分まではわからないが少なくとも見た目には手で挽くのと同程度の固さのものをじわりと成型している。機械で行う作業なので当然に手作業とは比べ物にならないくらい早いのだが、動作を観ていると手作業と然して変わらない。轆轤上で回転している土塊に、真上からではなく斜め上から力を加えて土を延ばすように成型している。

轆轤を挽くときも、成型したものを鉋で削るときも、「角から攻める」と先生からは指導を受けている。回転している状態のものを、最も安定的に加工しようとすれば、おそらく最も不安定な部分が脆弱で手を入れやすい。それは辺縁のなかの辺縁、つまり角の部分だ。それは手作業での場合は勿論のこと、力任せの動作が可能な機械による作業においても同じことであるようだ。

何事かに対峙するとき、真正面から向かわなければならない場面もあるだろうが、少し角度をつけてみるというのは、案外いろいろなことに応用の利くことなのかもしれない。もちろん、その場の現状認識を的確に行った上でのことではあるのだが、ゴールに至る道筋はひとつだけ、ということは滅多に無いことのように思う。様々な可能性のなかで、何を優先するのか、最終的に何を達すればよいのか、というようなことさえしっかりと押さえていれば、道はいくらでも拓けるものではないだろうか。

今度の陶芸教室では先週に引き続き皿を何枚か挽く予定だ。斜めに力を加えるということを考えながら挽いてみようかと思う。

夜景

2011年02月19日 | Weblog
東京で暮らしていると、あまり意識する機会がないのだが、たまに東京以外の街で夜を過ごしてみると、東京の夜がいかに明るいかということを改めて思い知らされる。何年ぶりかで名古屋の街を歩いてみたのだが、名古屋駅周辺は賑わっているが、駅から栄に至る地域は特にこれといったものはなく、道路の広さが余計に空虚な感じを強調しているかのように感じられる。

私は東京の夜の風景が好きだ。仕事の関係で深夜の鉄道やタクシーを日常的に利用しているが、一番心惹かれるのは工事現場の夜景と鉄道の保線作業の風景だ。不景気だと言われながらも、都心では大規模な建築工事があちこちで進行している。東京駅周辺でも、東京駅そのものが工事中で、駅前の中央郵便局、少し離れたところの旧東洋信託・住友信託・東銀ビルの再開発、旧富士銀行本店の再開発、パレスホテルの再開発などいくらでもある。巨大なビルの建築作業は安全上の配慮もあり深夜の工程は外からうかがい知ることができないが、仮設照明に照らし出された鉄骨は、なぜか力強く感じられ、そこに未来への漠然とした希望のようなものが漂っている。

山手線の終電で帰るときなどは、他の路線は既に一日の業務を終了しているので、様々な作業が展開されている。保線車両がゆっくりと動きながら、その周辺を多くの保線作業員が仕事に取り組んでいる様子は頼もしい。夜が明ければ何事も無かったかのように、利用する側も運行する側も振舞っているのだろうが、その背後で誰にも知られることなく粛々と線路や機器の保守作業が行われている様子を眺めていると、ほんとうに大事なことというのは外からはわからないものなのだと、妙に感心してみたりする。

名古屋の夜も、そうした意味では東京と同じことがあるはずだ。ただ、自分の体験した時間帯は昼間の延長のようで、人々の日常が続いている時間帯だったので、特に面白いものを感じなかっただけなのだろう。ただ、総じて活気というか生気に乏しい印象が残ったのは、工事現場に遭遇しなかった所為かもしれない。

繁盛店

2011年02月18日 | Weblog
靴を買った。昨年12月19日に菅野さんの工場でお目にかかったトレーディングポスト青山本店の店長さんのことが記憶にあったので、そのお店にお邪魔した。予め連絡など入れていないので、店長は不在だったが、そのほうがお互いに余計な気を遣わないで済む。菅野さんの工場での会話で、店長は商売のほうは比較的順調だと語っていた。靴がそれほど売れるものだという認識は無かったので、このご時勢で靴を順調に販売する店とは一体どのような店なのだろうと、素朴に興味があった。

店は青山通りと外苑西通りの交差点から程近い、外苑西通り沿いのビルの1階にある。それほど大きな店ではないし、人通りからも外れているのだが、平日の昼間だというのにひっきりなしに来店客がある。品揃えが紳士靴中心なので来店客も当然男性ばかりだ。百貨店の販売統計などでは、全体が成長するなかでは紳士物は最後まで低調で、全体が低迷するなかでは紳士物が真っ先に売上を落とすと言われている。実際に百貨店の売り場を見ても、客の数が最も少ないのが紳士服売り場だろう。そうした先入観を持ってこの店にいると少し驚く。それくらい次から次へと客が来るのである。

あるいはたまたまそういう場面に居合わせただけなのかもしれない。それほど大きな店ではないので、私が来たときには店員はひとりしかおらず、しばらくして外からひとり戻ってきた人がいて、その店員に応対してもらった。

ただ、他の客とのやり取りを聞くともなしに聴いていたり、自分の番になってみたりすると、比較的高額の割によく売れるのがなんとなく納得できる。まず、靴を靴屋に買いに来る人というのは、それなりに靴というもの、身なりというもの、さらには生活のスタイルというものに何がしかのこだわりを持っているのではないだろうか。だから、この店そのものがそうした特定の人々を吸引する場になっているような気がするのである。さらに、商品の展示を眺めると、靴のカットモデルを置いてあり、その成り立ちや構造がよくわかるようになっている。必要があれば、そのモデルを使って商品の説明をするのだろう。そして何よりも、店員が商品に対して愛情を持っているように感じられるのである。商品知識は確かで、何を尋ねても納得できる説明が返ってくる。店員が商品を熟知している、というと当然のことのように思うのだが、現実はそうではないことが多い。当然のことを積み重ねることで差別化を図ることができるというのも、今の時代の現実なのであろう。

店内を眺めながら自分の番が来るのを待っていたり、番がまわってきて店員とやりとりをしながら1時間ほど楽しい時を過ごすことができた。結局、この店のハウスブランドのなかから、ジャズピアニストの名前を冠したスウェードの靴を購入した。

超越

2011年02月16日 | Weblog
木工は小型書架の枠部分のヤスリがけを終え、仮組まで進捗。杉や松の材を使って何かを作るとき、一番好きな工程がヤスリがけだ。組む前の部品の状態で磨くのも、組みあがったものの仕上げで磨くのも、どちらも良い。磨くほどに肌触りも木目の見た目も艶やかになる。その変化を観察するのも楽しいし、なによりも実際に触った感触がなんとも言えない。

木の形も木目も何らかの必然性があって、現在のような姿になったのだろう。そこに至るまでに気の遠くなるような時間を費やしている。所謂「木」が地球の歴史のなかのどのあたりで登場するのか知らないが、人類が登場する遥か以前であることは間違いないだろう。それほどの時間をかけて、今、ここに在るために意味のある形態を残し、余計なものは全て捨て去った姿で我々の前にあるということだ。

そうした自然の造形を眺めていると、人が考えることなど取るに足りないことのように思われてくる。世間では、「権利」や「利益」を求めることばかりに熱心で、目先の飯の種に執着するのが、今や当然であるかのようだ。木材を眺めたり摩ったりして、その姿形に惚れ込んでしまうと、ちょっとした思い付きを「知的所有権」だの「知的財産」だのと騒ぎ立てる姿は醜悪を通り越して滑稽にすら見えてくる。人の一生など高々数十年程度のものでしかない。その微細な世界のなかで、今、自分にとって本当に大切なことが何なのか、本当に必然性のある判断とはどのようなものなのか、杉や松の角材を磨きながら思ってみたりする。

意図不明

2011年02月15日 | Weblog
確定申告の時期を迎えた。今年はe-Taxを利用しみてみようと思い、陶芸の帰りに住民登録をしている実家のある自治体の市役所に寄った。ICチップ付の住基カードを作り、そこに電子証明を記録するのである。申請書を出して待つこと1時間。待ち時間は長いが即日発行であるには違いない。決して混雑しているわけではない。単にカードの作成に時間がかかるというだけのことのようだ。住基カードを手に入れて、そのまま出勤。途中、上野で下車して駅前のヨドバシでICカードリーダーを買う。

勤めを終えて帰宅してから、カードリーダーのセットアップをしてみる。個人の日常生活において、パソコンにICカードリーダーをつないで使う機会というのはそうあるものではないだろう。カードリーダーの説明書は、あたかもe-Taxのためだけにそれが存在しているかのような書きっぷりだ。セットアップの流れで、自然に確定申告まで行ってしまう。

e-Taxというのは、自宅のパソコンで確定申告を全て完了できるシステムなのかと思って、住基カードだの電子証明だのカードリーダーだのを求めて歩き回ってみたのだが、そうではないらしい。確かに、確定申告用紙への記載事項はパソコン上で提出できるし、源泉徴収票の提出は省略できるが、明細書や添付資料などを別途提出しなければならないものもある。源泉徴収が原則となっているこの国の徴税システムのなかで、確定申告を敢えてしなければならないということは、当然に原則から外れた何事かがあるからだ。そうした例外事項も含めてネット上で処理できて初めて電子申告というものが成り立つのではないか。それを、できることだけネットで処理させて、それ以外のものは結局従来通りのやりかたで申告させるというのでは、そもそも何のための電子申告なのだろうか。

役所に独創性などを期待するのが間違いだということは承知しているが、それにしても既存のプロセスの特定の部分だけネット化して、あたかも仕事をしているかのようなつもりになる神経が常人の理解を超えている。このe-Taxのシステム構築にどれほどの費用と時間をかけたのか知らないが、現状のままで終わってしまうのなら無駄どころか犯罪行為に等しいだろう。役所に限らず、組織が巨大化すれば、そこで執行される個々の作業は細分化され、本来の目的や意図との関係性は薄くなるものだ。自分自身の仕事もそうした官僚制の典型のようなものなので他人の仕事をとやかく言えた義理は無いのだが、それにしても酷いシステムだ。

住基カードもカードリーダーもe-Tax以外の用途は今のところ無い。ICチップを搭載した住基カードがあれば、全国のコンビニで住民票や印鑑証明を取得できるという。果たして、日常生活のなかで住民票や印鑑証明が必要な場面が年に何回あるだろうか。カードリーダーはソニーの非接触型のものを選んだので、電子マネーや交通カードの残高や利用履歴を確認でき、電子マネーのチャージもできる。しかし、残高や履歴を見てどうしろというのだろう。

ほぼ半日、e-Taxのために奔走してみたが、自分が生活している場について実に深く勉強でき、ありがたいことである。ところで、住基カードやICカードリーダーの用途について、何か面白いものをご存知の方がおられたら、是非、ご教示願いたい。

チョコが語る

2011年02月14日 | Weblog
おそらくどこの職場でも似たような光景が展開するのだろうが、今日は男性社員にはチョコレートが配られる。私は夜間シフトなので、夕方に出社すると席にいくつかの包装が置かれている。それはそれとして嬉しいことには違いない。しかし、昼間のシフトの人達の殆どが、まだ退社前で席にいるのである。ただ席に置かれるよりは、直接渡してもらったほうが、より気分が良い。或る人は、直接手渡してくれただけでなく、そのときのやり取りのなかで、「これ美味しいんだよ」と語っていた。ということは、彼女は自分が食べて美味しいと思ったものを贈ってくれたということだ。

以前にも書いた記憶があるが、職場に持ち寄られる土産物のなかには酷いものもある。職場への土産物が単なる義理であるということぐらいは誰でも知っていることだ。しかし、どうせ人に食べてもらうなら、美味しいとか珍しいとか面白いなどと言って喜んでもらうものでなくては、そもそも贈る意味など無いのではないか。どうせ義理なのだから形さえ整えばいいという姿勢は、おそらくその人の土産物や贈り物に対することだけでなく、対人関係全てに共通する何事かを物語っているのだと思えてならない。

「これ美味しいんだよ」という一言は、言った本人にとっては何気ないことだったと思う。しかし、そう言えるものを贈るという感性に、心温まるものを感じないではいられない。たかが義理チョコ、されど義理チョコだ。そうした一見どうでもいいようなことも含めて、人の一挙手一投足には、その人の知性と感性とが反映されているはずだ。

「チョコ」で思い出したが、骨董の世界では蕎麦猪口が曲者だそうだ。何がどう曲者なのか、私が語るよりも専門家の言葉を引用させていただいたほうがわかりやすいだろう。

「ソバチョコは骨董の入門編だとよく言われるけれど、トンデモナイ。こういう数が多く、一見何ともない物の選択こそ、その人の人間性が表れる。だからソバチョコは楽しい物ではあるけれど、一番怖い物でもある。」
(坂田和實「ひとりよがりのものさし」新潮社 平成18年11月25日第5刷 57頁)

「ソバチョコ」のところを他のものに代えていくらでも応用できるような気がする。

逆点前

2011年02月13日 | Weblog
茶道の稽古で逆点前というものをやった。正式な点前に対し左右を逆にしてみるというものだ。人には利き手というものがあり、茶道も含めて一般には右手を利き手として物事が考えられている。点前で言えば、道具類の扱いは原則として右手で行う。逆点前と言ってもその原則は変わらないのだが、茶室内の動線や客の並び、帛紗を付ける位置など変えることができるものは悉く左右逆にするのである。逆にしてみてわかることは、どうしても逆にはできないことがあるということだ。

人の行動の8割は習慣に依存しているという。自分の日々の行動のなかで、必然性があるものがどれほどなのか、改めて考えてみれば思いのほか少ないのかもしれない。必然性や普遍性の有無を確認するには、その行動や習慣を変えてみるというのが最も手っ取り早い方法だ。それで済んでしまうこと、元通りにしないと上手くいかないこと、様々にあるだろうし、変えること自体に対する抵抗の強いものもあるだろう。しかし朝三暮四の寓話のようなことも少なくないはずだ。