熊本熊的日常

日常生活についての雑記

学校給食

2010年01月31日 | Weblog
子供と会うときは美術館に行くことが多い。自分が行きたいのでつき合わせているだけなのだが、嫌がらないので、これまでのところは行き先は私が決めている。今日はサントリー美術館で開催中の「おもてなしの美 宴のしつらい」を観に出かけた。

ひとりで美術館に行くときもそうなのだが、腹ごしらえをしてから出かけることにしている。今日は国立新美術館の中にあるレストランで昼食をいただいた。国立新美術館には何度も足を運んでいるが、このレストランに入るのは今回が初めてだ。何時見ても客で賑わっていて気にはなっていた。

店に入って、まず、座席配置の密度の高さに驚かされる。美術館の内部の施設なので、食事が主たる目的ではなく、美術館を訪れた人の空腹を満たすという目的で設置されたのだろう。それにしてもテーブルは必要最小限の大きさしかなく、それらが建売住宅のように並んでいる。案内されたテーブルの両側は、いかにもデートの途中という感じの男女だった。席が近いので会話がよく聞こえる。ふたりの時間を楽しもうと思うなら、こういう店を選ぶべきではない。しかし、おかげで私たち親子には、その後の会話のネタができて良かった。親子のような親しい間柄なら、過酷な環境でもそれを嗤って過ごすことができるが、そうでないと、このような「とっとと食って、さっさと出てくれ」といわんばかりの店で食事をするのは辛い。テーブルクロスはお粗末なのにナプキンは木綿製でご丁寧なことに店のロゴをあしらった刺繍まで施されている。このあたりのバランス感覚の悪さというのはコンテンポラリーアートのようでもある。

もう午後1時を回っていたので、1日限定70食のランチセットは売り切れていて、プリフィクスのコースで注文することになった。メニューにはしばしば意味不明の言葉が並んでいるのだが、そういうものはひとつひとつ店の人に尋ねることにしている。店によっては、店員がそうした質問に答えることができないこともあるが、ここの店員は面倒臭そうであったけれど、すらすらと答えてくれた。このあたりの店員との会話の間合いも妙に不愉快だ。

極めつけは料理である。コストパフォーマンスは良くはない。その上、別料金でなんとかという有名なバターを注文することができる。パンは当然にコースに含まれているが、バターは別料金というのは決して珍しいものではない。が、そのバターが包装されたまま出てきたのには驚いた。まるで学校給食のマーガリンのようだ。いくら有名なバターでも冷蔵庫から出してそのまま客席へ直行というのでは、そのバター本来の味が出ないだろう。何事も物事には最適な環境というものがある。バターにしても程好い温度とか粘度といったものがあるはずだ。それをつけるパンも、どこかの高級スーパーで売っているような味だ。「高級」であってもスーパーは所詮スーパーでしかないということだ。

有名な料理人がプロデュースした店らしいが、これほど客をなめた店に入るのは久しぶりのような気がする。

食事を終えてサントリー美術館へ向かう道すがら、子供に
「それにしても酷い店だったなぁ」
と言うと
「みんなバイトなんだからしょうがないじゃない」
ときた。思わず、
「えっ、バイトなの?」
と尋ねると
「そういうもんなんじゃないの?ああいうところは。」

まだ私の半分も人生を生きていないのに、世の中の骨組みのところはよく理解しているらしい。友達とカラオケに遊びに行くときは、そのカラオケで飲食物を注文するのではなく、友達どうしで調達しあったクーポン券などを利用してマックやコンビニで飲食物を調達して持ち込むのだそうだ。カラオケだのマックだのコンビニだのという、バイトが支える社会にどっぷり浸かって生活しているので、バイト社会に対する嗅覚が発達しているのだろう。

初釜

2010年01月30日 | Weblog
今日は初釜だった。点心を頂きながら弁当の場合の作法を習った。食事となると、さすがにお茶だけの場合よりも時間がかかるので、終始正座を続けることは不可能に近い。最初と最後の部分を除いて、失礼して足を崩して食事を頂いた。

弁当の場合、ご飯もおかずも同じ器に盛られているので、どこから箸をつけるかというのは悩ましい問題だ。これも流派によって違うのだそうで、裏千家ではご飯から頂く。これは収穫への感謝をまず表すということらしい。一方、表では汁物からなのだそうだ。まず箸を湿したほうが食べやすいということらしい。おかずのほうも頂く順番があるようだが、そういっぺんに覚えきれるものではない。

もとは千利休が確立した作法であるはずなのに、表だの裏だのと流派が分かれるというのは、おそらく解釈の違いということなのだろう。物事には絶対唯一というものはあまりないように思う。その時々の状況に応じた対応というものがあって然るべきで、そうした「時々」が固定化されてしまったものが流派、という面もあるだろう。その流派も時間とともにさらに変化を続けているはずなので、もともとの理屈から外れてしまっていることも少なくないはずだ。それでも、流派を超えた普遍性を帯びた思想のようなものもあるはずで、だからこそこうして長い歴史を紡ぎ続けている。

月に一度の稽古なので、作法はさっぱり覚えないのだが、月に一度程度なので楽しく続けていられるとも言える。忘れてしまったことは何度でも教えて頂ける雰囲気であるのもありがたいことで、おかげで素朴に茶道の諸々を楽しく体験させて頂いている。なによりもいろいろな茶碗を使うことができるのは、自分が茶碗を作るときに大いに参考になっている。陶芸のほうは昨年9月から轆轤を使うようになったばかりなので、形のあるものを作るだけで精一杯なのだが、今年はひたすら茶碗を作ることに挑戦し続けるつもりでいる。ところで、弁当のおかずを頂く順番は、また来年の初釜のときにでも教えて頂くことになるだろうと思っている。

切れ切れに

2010年01月29日 | Weblog
東海道新幹線が13時49分頃から17時13分にかけて架線の断線事故のために上下線で不通になった。架線の断線とはどういうことなのだろう?

毎日たくさんの列車が高速で走る幹線の架線は当然に磨耗する。パンタグラフは約5kgほどの力で架線に押し付けられており、構造体はジュラルミン製、架線と接触する摺板は焼結合金などが使われているのだそうだ。新幹線の摺板が何でできているのかは知らない。架線のなかでこのパンタグラフと接触するトロリー線は銅線である。少なくとも摺板のほうは規定の走行距離に応じて交換される。

保線作業というのは毎日実施されているはずだ。今日は断線事故現場付近で沿線の枯れ草が燃えるという火災事故も併発したようだが、冬場の乾燥した状況下に枯れ草があれば何かの拍子に燃え出す可能性があるというのは保守作業の専門家でなくともわかる。それが放置されていたことに、まず、驚いた。鉄道というのは自動車と違って専用軌道を走るため、車両の運動に関する自由度が自動車とは比べ物にならないくらい限られているということを、最近読んだ「電車の運転」という中公新書で知った。

形あるものは必ず壊れる。だからこそ、日々の保守点検が欠かせないはずだし、そうした保守点検にもかかわらず発生する障害に対し、当然に即応体制が敷かれているべきである。まして新幹線は日本経済の物流の大動脈とも言える文字通りの大「幹線」である。それが、天変地異も何もない穏やかな冬の昼下がりに3時間半にわたって機能を完全に停止するとはどういうことなのだろう。

2008年7月26日付と27日付のブログにあるように、ユーロスターでロンドンとパリを往復した。このとき、パリから戻る列車で、たまたま私が乗車していた車両の空調が故障した。日本の夏で窓の開かない車両の空調が故障したというならたいへんなことだが、ユーロスターが走る地域の夏は空調がなくては我慢ができないというほどではない。それでも、乗客ひとりひとりにペットボトル入りのミネラルウォーターが支給され、しかもお代わり自由で、次回のユーロスター利用に際し、ロンドン=パリ片道なら無料、往復なら半額という措置が取られた。車掌が客席をまわり、ひとりひとりの乗客の乗車券の裏側に何やら符丁を記入した。果たして後日、その裏書された乗車券を手にセント・パンクラス駅のユーロスター専用出札口へ行くと、確かに所定の半額で往復乗車券を手にすることができた。

新幹線に比べれば何かとトラブルの多いユーロスターだが、切符を買うところから始まって列車を降りるまで、職員の対応は気持ちがよい。空調故障でこれほどの対応をするというのは、それだけ提供するサービスに対する想いがあるということなのではないだろうか。

JRの場合はどうだろう。今回の架線事故では56本の列車が運休を余儀なくされ、運行されていた列車は最大270分程度の遅延をしている。運休や遅延は、発生してしまったものはどうしようもないが、それに関して会社は乗客に対してどのような対応をしたのだろうか。

JRが国鉄だった頃、鉄道職員の乗客に対する態度は総じて酷いものだった。その最たる象徴が春闘だろう。「春闘」という呼称が示すとおり、毎年春に国鉄の国労と動労という労働組合がストライキを打つのは年中行事のようなものだった。労働条件の改善は必要だろうが、毎年決まった時期に当然の如くに徒党を組んで職場を放棄するという神経は理解に苦しむ。職場を放棄するだけならまだしも、大量の看板やビラや横断幕を準備し、それらを駅施設や車両に大量に貼り、その上、ペンキで意味不明の文言を書きなぐったりしていたのである。それらの費用を労働条件の改善に回すという発想は無かったのだろう。あの組合員たちは何がしたかったのだろう。

その国鉄がJRになって20年以上が経ち、職員の意識は、あの横暴だった時代からどれほど変わったのだろうか。人は総じて権威に対して畏怖の情を抱くものである。物事には裏表があるものだ。畏怖の情の裏側には憎悪の念も潜んでいたりするものである。その権威を可視化したものには制服や紋章やさまざまな小道具類がある。制服を着る商売の人は、そういうことも考えて言動や行動を起こさないと、思わぬ感情の対立を生むものだということも認識しておいたほうがよいだろう。鉄道職員が客から暴行を受けるという事件があることは承知しているが、あの暗黒時代を知る身としては、正直なところ被害者に対してあまり同情の念は起こらない。加害者の多くが50代60代ということは、そうした暗黒時代の影がいまだに残っているような気もしないわけではない。

余談が過ぎてしまったが、今回の事故で思いがけず人生が暗転してしまったなどという人が生まれなかったことを祈っている。

生体認証で考えた

2010年01月28日 | Weblog
ついに利用している銀行のキャッシュカードが使用停止になってしまった。生体認証に規定回数のエラーを発生させてしまったからである。金融機関の生体認証方式には、指によるものと手のひらによるものとがあるが、指のほうはエラーが多くて不自由を感じていた。生体認証など申し込まなければよかったのだが、そのほうが安全であるような錯覚があってつい申し込んでしまった。仕事関係の付き合いとか諸々の事情で銀行口座が多く、これを整理しておきたいとかねがね考えていたので、既に指の認証の口座をひとつ解約した。今回はもうひとつの指認証の銀行のものだ。

生体認証以外にも暗証番号はもとより、一日あたりの引き出し額制限とか、窓口で引き出す場合は印鑑とか、複数の本人確認手段がある。これに生体認証を加えることで不正な利用を防ぐ確率が高くなるのは事実だろう。しかし、こう使い勝手が悪いと、その利用を躊躇してしまう。

たまたま、今回使用停止になったのは、口座がある支店のATMだったので、そのまま店舗のほうへ行ってすぐに対応策を教えていただくことができた。結局、カードの再発行なので、事実上、当面の間はその銀行のATMからの出金はできない。でも入金はできるというのは不思議なことのようにも感じられるが、あくまで印象であって、合理的なことである。出金ができない不自由に負けず劣らず入金ができない不自由もある。むしろ、現実的な不自由は口座に残高が無いということに起因することのほうがより大きいのではないか。

幸い、今回使用停止になった口座からは手数料無しで送金できる先がネットバンキングのサイトにいくつか登録してあるので、自宅に戻ってからネットバンキングでそちらの銀行口座へ今回引き出そうとした金額を振り込み、そこから引き出すことにした。

生体認証の不自由も含め、銀行の物理的店舗の利用は、店舗やATMコーナーでの順番待ちなど、あたかも利用を避けるように仕向けているような印象を受ける。しかし、誰もがパソコンを使って金銭の出し入れをできる環境にはないし、これはおそらく当分無理なのではないかと思われる。なかには客の不自由を承知の上で、敢えてその不自由があっても店頭を利用しようという客だけを相手にするかのような、新生銀行のようなところもある。それはそれでひとつの考え方であろう。

利用する側も、その金融機関をどのように利用するのか、という考えのもとで選択をするべきなのだろう。銀行というのは、一見したところ、どこも同じようなサービスを提供しているようだが、昔の護送船団行政の頃とは違って、各行それぞれに工夫を凝らしているものである。それが中途半端で実体としては護送船団時代と殆ど変わらないのだが、個々の利用者自身の事情と相対的に相性のよい金融機関というのはそれぞれにあるものだ。主に利用する金融機関を変えることで、生活の利便性が顕著に向上することはあると思う。そんなことを今日はふと考えた。

スゴイ人

2010年01月27日 | Weblog
携帯向けメルマガで「日刊スゴイ人」というのがある。昨年11月に菅野さんが登場するというので、購読を始めたのだが、「スゴイ」の中身が千差万別なのが楽しい。おそらく一番スゴイのは、ここに登場する人たちではなくて、毎日これだけの人に会って取材をしている人だと思う。

携帯向けのメルマガなので、そのスゴイ人たちのメッセージも簡潔で、それだけに力強いものがある。たまに自分がかつて名刺交換をした人も登場したりするし、そういう人のなかにはスゴイというよりアヤシイに近い人がいないわけでもない。そういう意味では、誰もが素直にスゴイと思う人ばかりではないのだろうが、そんな野暮なことを超えて楽しいメルマガだと思う。おそらく、このメルマガを作っている人が、単に営利目的というより、自分の楽しみとか使命のようなものを感じているのだろう。そういう意気が読む人にも楽しいと感じさせるのかもしれない。

在ること無いこと

2010年01月26日 | Weblog
子供からの「地獄変」についてのメールに、1月20日付のこのブログとほぼ同内容の返事を書いたら、次のような返信があった。

「地獄変のお父さんの考え方、とても納得出来ました。良秀が娘が殺される際恍惚としていた理由をいまいち理解出来て居なかったのですが、お父さんの説明で理解出来たように思います。」

あのような書き方で本当に納得したのか疑問が無いこともないのだが、私が言いたかったのは、存在することの証明として最も説得力があるのは、その存在を消し去ってしてみることなのではないかということなのである。

例えば、仏像で如来というのがある。如来とは、真理を覚った者、の意で覚りを開いたときの釈尊の姿として表現される。菩薩というのは、覚りを求める者、の意で出家前の釈迦の姿として表現される。真理を覚った如来の姿は粗末な衣をまとっただけである。釈迦如来であろうと阿弥陀如来であろうと薬師如来であろうと、袈裟をまとっただけで装飾は一切無い。この袈裟は糞掃衣とも言われ、人々の生活のなかで使い尽くされてぼろきれ同然となったものから作ったものだそうだ。その文字通り飾りの無い姿が無上の存在であることを表している。現世のあらゆるものを超越した姿とは、釈尊その人だけの姿ということだ。ただ大日如来は密教の森羅万象を包含した姿を象徴しているため菩薩のような装飾がある。

菩薩は出家前の釈迦、インドのシャカ族の王子の姿なので、きらびやかな装飾品で飾られている。まだ覚りに至っていないので、煩悩にまみれている。煩悩とはきらびやかなものなのだ。ただ弥勒菩薩は如来のように装飾のない姿で表現されている。これは弥勒菩薩が如来となることを約束された未来仏であるためだ。

つまり、覚りの有無は装飾の有無によって表現されるのである。覚りを開くとは、身にまとった飾り物を捨て去ることなのであり、初めから覚りがあるわけではない。そこにあったものがなくなっている、ということを表現することで、そこにあったものを想起するという仕掛けだ。如来の耳たぶには大きな穴が開いている。菩薩の耳を見れば、その穴にかつてイヤリングがぶら下がっていたことが想像できる。衣もなくしてしまってよいのではないかと思うかもしれないが、衣があることでそこに釈尊の身体が在ることを想像でき、その衣が糞掃衣であることで、菩薩のきらびやかな装飾との違いを、その装飾を捨て去った思考の歴史を、想像できる人は想像するのである。その捨て去ったものの大きさが、その人自身の大きさとして表現されている、と見えないこともないだろう。

歯科検診

2010年01月25日 | Weblog
今日、歯科検診を受けた。ロンドンにいた1年3ヶ月を除いて、ほぼ半年毎に歯科医で口腔の検査を受けている。特に持病があるとか歯や歯茎が弱いというようなことはないのだが、なんとなく他人の口臭が気になることがあるので、自分は大丈夫だろうかと気になったのが定期的に歯科検診を受けるようになったきっかけである。

定期的といっても2005年からなので、まだ定期と呼ぶことのできるほどの頻度にはなっていない。最初のときは、現在は使用されていない素材の詰め物を、現在の医療基準に適合するものに入れ替えるということをした。しかし、大掛かりだったのはこのときだけで、以降は検診と歯のクリーニングだけで済んでいる。今回も特にこれといった問題が無かったので、クリーニングだけで終わった。それでも、視診、歯周ポケットの計測、歯石除去、クリーニングという一連の作業で約1時間ほどかかるのである。

毎回、歯がほぼきちんと磨けていると褒めて頂いている。歯は1日に2回、朝食後と就寝前に磨いている。特に就寝前は丁寧に磨くように心がけている。歯ブラシはストレートハンドルのコンパクトヘッドのものと決めて使っている。歯磨きは薬用を使っている。歯ブラシや歯磨きを意識するきっかけになったのが、20年ほど前の留学である。

留学先のプログラムに企業から仕事を受託するというものがいくつかあり、その1つが欧州の歯ブラシ市場調査だった。依頼人はP&Gのドイツ現法で口腔衛生部門を担うBlendaxという会社だ。当時、マインツに本社と本社工場があり、最初の顔合わせの時はそこにお邪魔して調査の趣旨について説明を受け、本社工場の見学をし、工場の社員食堂で工員さんたちに混じってランチを頂いた。学内ではInternational Business Project、略してIBと呼ばれる授業単位で、所要期間は3ヶ月、6人のチームで取り組んだ。私以外の5人の国籍はイギリス人が2人、ギリシャ人が1人、インド人が1人、バングラディシュ人が1人だった。どうしてこのメンバーかと言えば、やはりそれぞれに思惑があったようで、皆、就職活動も同時並行して行っていたので、なるべく独自性のある経験をアピールできるようにしたいというのが共通したものだったように思う。多国籍チームで自分がこういうところにイニシアティブを取った、とか、チームにこんな貢献をした、というようなことを言えるネタが欲しいのだ。あわよくば、仕事を受託した会社にそのまま就職、という思惑を持った奴もいないわけではない。私は企業派遣での留学だったので就職の心配はなく、この点では他のメンバーとは比べ物にならないほど気楽だった。このプログラムが2年間にわたるMBA課程の最終プロジェクトだった。

このおかげで、歯ブラシについてはこだわりを持つようになった。いろいろな種類のものが店頭に並んでいるが、きちんと磨くにはストレートハンドルが基本で、口腔内で動かしやすい小さめのヘッドが望ましい歯ブラシ、なのだそうだ。きちんとブラッシングをすれば、歯磨きペーストは必要ないとも聞いた。むしろ、つけすぎるとペーストが泡立って口腔に広がり、磨き終えていないのに口腔内のものを吐き出して歯磨きをやめてしまいがちなので、使う目安としてはマッチ棒の先端ほどの量で十分なのだそうだ。広告で歯ブラシの上いっぱいにペーストが乗っている映像を目にするが、あれはあのように使えというのではなく、単にメーカー側が消費者の視覚に訴える製品イメージにすぎない。

おかげさまで、以来、口腔衛生に関しては特に問題なく過ごしているが、加齢に伴って身体のあちこちに故障が出るのは自然なことで、口腔というのは栄養摂取の入り口であるから生命活動の基礎をなす器官といっても大袈裟ではないだろう。その上、臭いの出やすい場所でもある。健康管理と身だしなみのための基本動作のひとつとして、定期的に検診を受けている次第である。

同窓会

2010年01月24日 | Weblog
日曜の昼下がり、八重洲のアイリッシュ・パブで同窓会があった。場所柄、休日の昼は人通りがあまりない場所である。しかも、パブ。真昼間に酒を飲むという習慣はあまり無いだろう。わざわざ貸切にしなくても自然に貸切状態であった。

これはイギリスの大学でMBAを取った人の集まりだ。総じてイギリスの大学は規模が小さい。大学としての規模は大きくても、それを構成する個々のカレッジやスクールの規模は小さい。このため、そうした学校を出た日本人が日本で同窓生を探すのは至難のことになる。人数の絶対数が小さいからだ。そこで、エジンバラ大学のMBAで外資系金融機関に勤務する某氏が、「同窓」の枠を大学からイギリスという国単位に広げ、口コミで人を募って組織したのがこの同窓会である。メーリングリストによれば、現状では会員数195名である。

同じ大学とか、仕事での接点があるということなら、共通の話題も容易に見つけることができるのだが、そうした取っ掛かりがないと会話を軌道に乗せるのがたいへんだ。それでも、自分の周りにたまたま居合わせた人たちと、互いに話題を探す努力をして、それなりに楽しい時間を過ごすことができた。

人の行動というのは意識しない限りは習慣に流れるものなので、こうした集まりにはなるべく顔を出すように心がけている。新しい人間関係を築くというところまではなかなか至らないが、初対面の人と話をするというだけでも、なんとなく嬉しいものである。

これとは別に、自分の留学先大学の同窓会組織にも加入している。こちらは、留学経験者だけでなく研究者や教員の交流プログラム経験者も対象で、全学部および近隣の大学関係者にまで門戸を開いている上に、大学関係者以外にも大学が立地する都市に縁のある人なら実質的に誰でも参加可能である。メーリングリスト上の参加者数は254名である。現在の会長が就任して以来、会の活動が活発になり、飲み会は毎月開催されているが、私の場合は平日夜に勤めがあるので、夜の部は一度も参加したことがない。

同窓会のような参加者の自主性に依存した組織の運営は、その活動に対するインセンティブが無いので、どうしても幹事役の意欲に期待せざるを得ない。袖振り合うも他生の縁、とは言うが、学校の同窓というだけで特別な感情が生まれるものでもない。それでも、人と知り合うきっかけくらいにはなるのだから、案内を頂けば時間の都合がつく限りは出て行くよう心がけているつもりである。

遠方カフェ探訪

2010年01月23日 | Weblog
横浜のvis vivaというカフェで今まで口にしたことのないような美味しいエスプレッソを頂いた。以前にもこのブログのどこかに書いたかもしれないが、コーヒーというのは果物である。たとえ我々が口にするのは、その種子に由来する抽出物であるにせよ、果物なのだから、やはり本来なら果物らしさというものがどこかに感じられなければ適切に抽出したことにはならないだろう。ドッリプにしてもエスプレッソにしても、適切に淹れられたコーヒーには、果物に通じる自然な甘露が感じられるものである。この店のエスプレッソにはそういう甘露がある。

コーヒーの苦味というのは夾雑物に由来することが殆どである。その夾雑は収穫から抽出に至るそれぞれの過程においてそれぞれに発生する。コーヒーというのは本来的に苦くはないものである。

この店のコンセプトは「旅の途中」なのだそうだ。中に入るとすぐにエアロコンセプトの大きなカバンが積み上げられているのが目に入る。ちょっと上品な空港のラウンジのような風情だ。一般にカフェではエスプレッソマシンはカウンターの向こう側に置かれているものだが、ここではカウンターに鎮座している。カウンターに置かれても違和感がない、それどころか積極的に人目に晒したいような恰好のよい機械なのである。店の中央に近い壁際に高さ80センチ程度のラックがあり、その上に波動スピーカー、ラックには管球アンプ。壁には菅野さんが撮影した写真が並ぶ。全体としては一見したところ大人風のシックな雰囲気だが、こうして細部に目を遣ると紛れもない「男の子」趣味だ。

この店に入って、なんとはなしに母性が刺激されるような気がする、という女性がいたら、そういう人とは是非にもお付き合いさせていただきたいと思う。母性は刺激されないが、インテリアとか飾られている写真は大変好きだ、という女性とは良い友達になれそうな気がする。そういう店である。

不退転の退店

2010年01月22日 | Weblog
仕事中に急にジャンキーなものが食べたくなって、隣のビルの地下にあったはずのマックに行ったら、店が無くなっていた。住まいの近くのバーガーキングも、いつの間にかファミマになっていた。大資本が経営する店舗でも、業績回復が見込めない店舗は容赦なく閉店してしまう。出店するときには、それなりの業績見通しがあって、それなりの利益を生むとの予想があればこそ、出店を決めたはずである。それが、このところは日常の風景のなかで、商店の入れ替わりが目立つような気がする。

「入れ替わり」ならまだよいが、入れ替わって入居する新たな店が無いことも多い。所謂「シャッター商店街」になる。やがて建物の維持が困難になるとそれを取り壊してコインパーキングになる。かつて商店街だったところに歯抜けのように駐車場があるという風景は当たり前になってしまった。それでも都心には、あちらこちらに建設中の大きなビルがあり、道路や鉄道の整備も続いている。あまり遠出をしないので、実際に見聞してきたわけではないのだが、こうした経済活動を実感させる風景というのは、都心でしか見られないような気がする。

この国には1億2千万人もの人々が暮らしているのだから、それが多少減り始めたからといっても、それなりの規模の経済活動が営まれているはずである。世間では、不景気、不景気とやかましいが、業績好調の企業があるのも事実だ。タナボタ式に好調というところも皆無ではないだろうが、多くの好業績企業はそれ相応の工夫と努力で好調な業績を実現しているはずである。不振事業に見切りをつけるのは重要な経営判断だが、数値指標だけを基準に機械的に事業の仕分けをすると取り返しのつかないことになることも少なくないのではないだろうか。

赤と赤

2010年01月21日 | Weblog
今週は一気に4つの器が焼きあがってきた。どれも相変わらず赤土を使って挽いたもので、相変わらず茶碗を目指して作りながら、茶碗になれなかった器である。今週は轆轤を挽き、茶碗を目指して3つの器を挽いた。今回こそは少し期するところがある。

さて、焼きあがってきたほうの器だが、4つのうち2つが黄瀬戸をかけて酸化で焼成したもので、片方は抹茶茶碗には少し小さいが飯碗にはちょうどよさそうだ。1つは卯の斑をかけて還元で焼いた猪口になりそうな小さな器。1つが鉄赤をかけて還元で焼成した中途半端な大きさの器である。

この鉄赤の器がなかなか良い。鉄赤なので、ちょっとメタリックな感じもあり、そうした風合いがちょうど似合う大きさで、全体の佇まいも悪くない。赤土と鉄赤という赤どうしがうまく反応しあったかのようにも見える。細部の不満を言い出せばきりがないが、第一印象の良い器ができあがった。

「地獄変」考

2010年01月20日 | Weblog
子供が通う学校では国語の授業で芥川龍之介の「地獄変」を取り上げるのだそうだ。それで、その感想をメールに書いてよこしてきた。これに何か応えるべく、私も早速書店に出かけて新潮文庫の「地獄変・偸盗」を買ってきて読んだ。表題作を含め6編の短編が収められているが、全体でも200ページにも満たないので一気に読了した。

さて、「地獄変」だが、子供がこのように書いてきた。

「話は変わりますが今学期は国語の授業で芥川の『地獄変』をやります。主な登場人物の作品中の描かれ方を見ていくと大殿(地獄変の絵の発注者)→一見「善人」、良秀(地獄変を描いた絵師)→「悪人」、良秀の娘(大殿に使えている)→完全な「善人」、となっています。語り手は大殿の配下の者なのでしきりに大殿をほめ、良い逸話を数多くあげ、善人としてあつかっていますが、言葉の端々から本当はそう思っていない事が伺えます。良秀に関して語り手は「絵」意外の事は、悪評や悪い逸話を数多くあげ、これでもか、という程けなしています。登場人物のなかには娘によくなついている良秀という猿が居ます。その猿は娘の危機の時に人を呼びにいったり、娘が牛車ごと焼かれた時に燃え盛る牛車の中に飛び込んでいって娘に寄り添ったりしています。私はこの猿が良秀の「善」の部分なのではないかと思うのです。一人の人物の悪しき部分と善き部分が別の者として舞台に現れているというのはお父さんが述べていた「能」の話とかぶるように思えます。」

「お父さんが述べていた「能」の話」というのは、昨年12月29日付のこのブログに書いた「ずっとあなたを愛してる」という映画について私が書いたことを指している。あのままではないが、ほぼ同内容のことをメールに書いて送ったのである。

おそらく、まだざっと読んだだけなのだろう。理解の仕方が少し粗末な感じを否めない。物事に無造作にレッテルを貼って安易に仕分けをしてしまうという習慣はつけないほうがいいように思う。まして善悪というのは尺度の当て方によってどうにでも変わるものである。同じ人間の同じ行為が置かれた状況によって、それを評価する者の立場によって「善」にも「悪」にもなる。自分が実際に行動をするときには、その瞬間おいてあらゆる可能性のなかからひとつだけを選び出すという決断を無意識のうちに連続させている。時間が止まらないのだから否応なく決め打ちをし続けざるを得ない。だから、せめて思考する余地のある時くらいは、その時間を十二分に使って様々な可能性を模索するということを意識的に行わなければ、人間が浅薄になる一方になってしまう。

さて、ここではいかにも長者風であった大殿が残虐性を露わにするに至ることになった背景を考えてみたい。堀川の大殿は生まれながらの権力者だ。その余裕が寛容さという形で表われるのだろうが、その大前提である権力が否定されると、その上に成り立っていた寛容の精神が崩壊し、改めて権力を確認する欲求に支配されるということなのだろう。権力の大きさはどこまで無法な行為が周囲から許容されるかということで計られる。この物語では、大殿が残虐行為に走り、その暴走がまかり通ることを確認したかったということだろう。

その権力の否定というのは、他愛の無いことなのだろう。大殿が良秀の娘を求め、当然にそれが受け入れられると思っていたのが、そうはならなかったというだけのことだ。相手が人間なのだから、そんなことがあるのは当然だろうと思うのは、今の時代に生きる我々の常識である。厳しい階級社会のなかの上層に生きる人にとっては、使用人が意のままにならぬというのは天地を揺るがすほどの一大事に感じられたかもしれない。肉欲の満足というのは生物としての本能と深く結びついているので、その欲求がかなえられないというのは尚更に自己の存在に関わる危機であったのだろう。その危機の大きさが残虐性の強さと比例しているのではないだろうか。

一方、絵師の良秀は、最愛の娘が虐殺される姿を自ら積極的に写生することで、自己の存在を確認するのである。誰よりも優れた絵を描くことによってしか自己を保持することができない人間が、自己の分身とも言える娘の苦しみ悶えながら死ぬ姿に恍惚とする。それは自己の存在を賭けて自己を破壊する姿でもある。矛盾あるいは逆説のようにも見えるが、生命の向かうところが己の死であることを思えば、絵師という自己表現を生業とする良秀にとっては、自己あるいは自己を象徴するものを派手に破壊する様を描くことは、その破壊のしかたが劇的であればあるほど自己の存在の大きさを表現することになるのだ。

地獄変というのは地獄を描いた絵のことのようだが、実は、その絵は人の欲そのもの、つまりは人の存在自体が地獄だというのである。

目覚めよ乙女

2010年01月19日 | Weblog
仕事帰り、東京駅発0時27分の山手線内回りに乗る。この時間の山手線内回りは秋葉原駅の総武線乗り換え階段に合わせて混雑している。秋葉原の階段から遠い車両は空いている。たまたま乗った車両が混んでいる車両だったが、秋葉原で過半の客が降りてしまった。6つドアで座席は3人掛けだ。目の前の席が空いたので座って本を読んでいた。座る前から気になっていたのだが、時々妙な電子音が鳴り響く。不届き者が音声をオンにして携帯型のゲームでもしているだろうと思った。それにしても神経に障る音だ。読書に集中できず、少し苛々する。

電車は上野を過ぎ、田端を過ぎ、いよいよ空いてくる。駒込に着き、自分の席と音のするほうとの席の間に人の姿がなくなり、ようやく音の正体がわかった。隣の座席の真ん中の席で、若い女性が眠っている。膝の上には携帯電話。あの電子音が鳴り出すと、電話が発光する。膝の上で携帯の耳障りな着信音が鳴っていても気づかないほどに熟睡しているのだろう。

こういう時、どうするべきなのだろう?
「お嬢さん、電話ですよ」
とやさしく肩などを揺すってみる。
このことがきっかけとなって、彼女との交際が始まるというのなら、いいかもしれない。
実は性悪女で、因縁をつけられる、というようになると困る。
実は死んでいて、行きがかり上、駅事務室とか警察に連れていかれてしまう、というのも困る。

その電話に出てみる、という選択肢もあるだろう。
「あのぅ、彼女なら今、私の隣で眠ってますけど」
と言って切ってしまう。その後、その女性と電話の相手との間に何が起こるのかということにも興味を感じないわけではない。

そんなことをぼやんやり考えているうちに電車は巣鴨に着いた。電車を降り、ホームを歩いていると、電車のドアが閉まり、動きだした。池袋より先に行く最後の電車である。あの人は、ほんとうはどこで降りるはずだったのだろう?秋葉原あたりから断続的に電話をかけていた相手は誰だろう?深夜に電話をかけ続けるのだから、よほど大事な用件があるに違いない。

車内で熟睡、ということで何年か前のことを思い出した。やはり山手線内回り、目白と高田馬場の間でのこと。私はドアの進行方向側の脇の手すりに身体をあずけて立っていた。向かいに若い女性が同じように立っている。眠っているようで、微妙なバランスである。そのときはぼんやりと窓の外を眺めていた。学習院のある高台が過ぎ、家並が鉄路の下へと流れ、新目白通りの上を通過する頃、ふと視界の片隅に床を這う液体を捉えた。その液体は彼女の足元から発していた。彼女はジーンズを穿いていたが、股のあたりから下に向かって濡れているようだ。

このようなことは滅多にあるものではないが、どうするべきだったのだろう?
「ちょっと失敬、失禁かな?」
とは言えまい。どうしたものかと思案する間も無く、電車は速度を落とし、その所為で床を這う液体が私のほうへ向かってきた。ほどなく高田馬場に到着。当時、私は鷺宮に住んでいたので、そこで山手線を降り、西武新宿線のホームへと向かった。

今でも、あのあと彼女がどうしたのか気になっている。今日の携帯の彼女は、これほど印象的ではなかったが、それでも私の記憶のなかに残るのだろうか。

養豚場

2010年01月18日 | Weblog
今日は職場で人員整理が発表された。2008年から2009年にかけて断続的に実施された全社規模のようなものではなく、私のいる部署だけのものだ。東京で5人解雇してニューヨークで1人雇用するのだという。雇用のあてがあるわけではないらしいが、現在適当な人材を探しているのだそうだ。この5人に解雇を言い渡すためだけに、部署の責任者がわざわざロンドンから来日した。明日は私が面談を受ける。

この時期にこうした動きがあるのは奇異な感じも受けるのだが、どのような事情があるにせよ、組織として決定したことは覆ることがないのでその現実を受け入れるよりほかにない。いつ自分の身にふりかかっても不思議ではないので、とにかく自立の手立てを考えておかなくてはいけない。そう思いながら、何年も過ぎてしまったのだが、帰国してちょうど一年が過ぎ、生活が落ち着いてきたところなので、そろそろ次の手を考えるというのは、時期としては自然なことだ。

たまたま今日の昼に入ったファミレスでは、隣のテーブルで女性2人が息子たちの就職のことを話題にしていた。片方の女性には3人の息子がいて、長男は25歳で既に社会人。次男が大学3年で就職活動の真っ最中、とのことらしい。この次男が浪人と留年をしている所為もあってかなり苦戦しているというような状況がある上に、ご主人が勤め先で降格し、給料とボーナス、特にボーナスが「激減」したのだそうだ。それで、彼女は働くことを考え始めたという。そういう話をもう一人が親身に聞いている。今日はその次男が家にいるらしく、昼の支度をしなければと言って、2人で席を立った。昼の支度の前にファミレスか、と思ったが、そういうこともあるのだろう。反対側の隣のテーブルはたどたどしい日本語の中年女性。やたらと店員に親しげに話しかけるのが印象的だ。話しかけられた店員のほうは仕事なのでにこやかに対応しているが、その営業笑顔に若干「?」マークが透けて見えるのは気のせいだろうか。注文を終えて料理が運ばれてくるのを待つ間、彼女はカバンからハングル文字の書かれている本を取り出した。向かいのテーブルはどれも中高年女性のグループに占拠されている。どれも4人とか5人のグループで、不思議なことにどのテーブルの人たちも楽しそうではない。それぞれにどことなく気詰まりな雰囲気が漂っている。平日の昼時、我が近所のファミレスは中年女性たちに占領されているということを今日初めて知った。

昼は息子の就職やらダンナの降格やらを話題にしている人たちの隣で食事をし、夕方は人員整理が行われた職場に出勤。雇用関連のことに縁のある1日だった。

続 地域特性

2010年01月17日 | Weblog
日曜の夜は近所のプールで泳いでいる。以前、結婚していた頃も、やはり週末は近所の公営プールに行っていた。どちらも公営なのだが、課金とか運営が微妙に違う。そして利用者も。

以前に行っていたのは中野区鷺宮体育館のプールだ。ここは1時間220円なのだが、50分毎に10分間の休憩があり、その間は水から出なくてはいけない。さらにこの1時間には着替えの時間も含まれている。1時間とは言いながら泳ぐことのできる時間は実質的には45分が限界だ。もちろん、2時間の切符もあるので、休憩を挟んで、もっと泳ぐこともできる。

今行っているのは豊島区巣鴨体育館のプールだ。ここは2時間600円で、休憩時間というようなものはない。利用者が自分の体調にあわせて自分の判断で泳ぐことになっている。以前のブログにも書いたが、昨年11月に1ヶ月をかけて改装工事を実施し、水槽はそれまでの樹脂製からタイル貼りのものになった。水槽以外は少なくとも見た目には何も変わっていない。

ただ、料金とか施設の違いというのはそれほど大きなことではない。毎回ほぼ同じ時間帯を利用しているが、不思議なのは利用者の偏りである。鷺宮では老若男女が適当にばらけていたように記憶している。毎回ではなかったが、四肢に障害のある人も来ていた。それに引き換え、巣鴨のほうは中高年の男性が中心で、女性の姿は殆どない。たまに中学生らしき女の子の2人連れがいる程度だ。これは何を意味するかというと、泳いでいる人の平均的な速さが、巣鴨は鷺宮よりも速いということだ。だから、遅い人がなんとなく利用しずらいのである。それで余計に利用者層が偏るという循環になっているように感じられる。

私などはマンボウのような泳ぎなので、さぞかし他の利用者を苛立たせているのではないかと気にならないこともないのだが、空いているのだから追い越しも十分可能だし、同じくらいの速さの人が利用している他のコースに移るという選択肢もあるのだから、私が気にすることでもないとも思いながら泳いでいる。