熊本熊的日常

日常生活についての雑記

師走

2006年12月31日 | Weblog
12月は「師走」といって「先生」が走る月だそうだ。本当かと思い、日経新聞の朝刊2面に毎日掲載される「首相官邸」という欄を毎日丹念に読んだ。

総理大臣というのは忙しいのか暇なのかよくわからなかった。まず、総理大臣には3つの家があるらしい。首相官邸、首相公邸、富ヶ谷の自宅。官邸は執務のための場、自宅はプライベートの場、公邸はその中間、という感じなのだろうか。これら3地点間がどれほどの距離なのか知らないが、これらを転々とするだけでも忙しそうだ。

安倍首相は2回(2日と29日)、散髪に出かけている。日本の顔とも言える存在であるから身だしなみはきちんとしなければならない。なぜ、毎回「村儀理容室」なのだろう。何年か前、韓国映画で「大統領の理髪師」という作品があった。たまたま大統領官邸近くにあったということと、街の理容室という場所が大統領の居場所としては意表をついているということから、大統領が足を運ぶようになり、やがて官邸の中にお抱えになるという設定だった。しかし、安倍首相の「村儀理容室」はホテルのなかにある。国会議員の会合場所としてホテルがよく使われているが、それは警備上の理由なのだろうか。ちなみに私が散髪にでかけるのは1月半に1回程度の頻度である。

官邸、公邸、国会の外で会合などを行う場合、ホテルの利用が多い。ホテルオークラ5回、赤坂プリンス3回、ニューオータニ、帝国ホテル、フォーシーズン、虎ノ門パストラルが各1回。家族で利用するのは帝国ホテルが1回、年末年始はグランドハイアットで静養だった。街のレストランの利用は少なく、銀座のエノテーカ・ピンキオーリ、明石町の築地治作、西麻布の霞会館を各1回利用しただけである。

平日、公務を終えて公邸に戻るのは午後10時前後の日が多いようだ。早い日は午後7時頃のときもある。朝は午前8時頃から公務があるようなので、勤務時間の長さとしては妥当だろう。なにはともあれ、健康が大切である。

ところで、総理大臣の仕事とは何だろう?

今風の年末風景

2006年12月30日 | Weblog
自分が子供の頃、正月は日本中がファミリーイベントであるように思えた。少なくとも三ヶ日は、商店も含めて日本中の人々がそれぞれの家庭に籠る日のような感があった。年末はそのための食糧備蓄を行う時期であり、単なる保存食ではなく、正月というハレの場を演出する華を仕込む時期であったと思う。そのために、人々は街へ繰り出し、人混みをものともせず、買い物に勤しんだのだろう。買い物という行為も、ハレの準備も、なんとなく心躍るものであったと思う。年末の人混みは、殺気立ったところがなく、心地よい興奮に満ちていた。

今も正月は国民的なイベントであることに変わりはない。しかし、正月でも営業している商店は珍しくもなく、家庭に籠らない人々も多いだろう。少なくとも年末に正月のための保存食を調達する必要性は無いといえる。それでも年末の繁華街はごった返している。

正月に家族が集うので準備が必要な人は当然いるだろう。年末に正月のための買い物をするということが習慣になっている人もいるだろう。正月は「おせち料理」を食べるものと頑に信じている人もいるだろう。しかし、本当に必要があって必要な分量の買い物をしているひとばかりなのだろうか? 本当は孤独なのに「年末年始は忙しい私」を演じているだけの人の少なくないような気がする。

時間は連続している。今日と似たような明日があると信じて生きている人が殆どであろう。時間は連続しているが、その経過につれて物事が変化していることに思い至る人がどれほどいるのだろう。明日は今日と似ているかもしれないが同じではないのである。そうした変化を受け容れることができず、昨日も今日も明日も変わらないつもりでいる自分の思い込みを周囲に押し付けている人は存外多いのではないだろうか。物事をあるがままに受け容れることは容易なことではないが、合理的に物事を理解しようとする姿勢を持たないと、世間の理屈から隔絶されたところに取り残されてしまう。自分の幻想に拘泥すれば、他人から疎まれ、人は容易に孤独になる。

これから春が来て、夏になる。そして、冷蔵庫を開くと朽ち果てた正月の食材が眠っている。そんな風景は案外よく見られるのかもしれない。

「ヘンダーソン夫人の贈り物」

2006年12月29日 | Weblog
イギリス映画によくあるように、とにかく信念を貫く、なにがあっても諦めずに貫く美学を作品化している。実話に基づく作品特有の力強さもあり、観終わって良い気分に浸ることができた。

舞台は1937年から第二次大戦中盤までのロンドン。1937年、ヘンダーソン夫人は未亡人になる。既に一人息子を第一次大戦で失っており、夫に先立たれたことで孤独の身になってしまう。尤も、貴族で経済的には全く不自由のない身分である。彼女にとっての問題は世話を焼く対象を失い、暇を持て余してしまうことなのである。

ある日、夫人は閉鎖されて売りに出されている劇場の前を通りかかる。それを見て思うことがあり、夫人はその劇場を買い取る。しかし、劇場運営など経験がない。知人に現在失業中で劇場の支配人を経験したことがあるという人物を紹介してもらい、彼をその劇場の支配人として雇う。ロンドンは劇場の激戦区。常に斬新な試みを続けないと客をつなぎとめることができない。オープン当初は当たっていたヘンダーソン夫人の劇場も、間もなく企画を他の劇場に真似されて客を失い、経営が行き詰まってしまう。そこへ劇場経営に関して素人であるはずの夫人がある企画を持ち出す。規制の網をくぐって実現させたその出し物は大いに当たるが、それも束の間、第二次大戦が始まりロンドンは連日のようにドイツ軍の空襲を受けるようになり、近隣の劇場はどこも休業を余儀なくされる。半地下の構造をもつ夫人の劇場は空襲の被害も殆どなく、ただ一軒、営業を続ける。但し、客は兵隊ばかり。女性の姿は殆どない。それでも連日満員なのは、夫人の企画によるものだが、彼女がその男性受けする企画を持ち出したのは、21歳という若さで戦死した息子へのオマージュであり、いつ戦死するかもしれない兵士たちへの「贈り物」だったのである。

戦火のなかで営業を続けることができたのは、建物の構造もさることながら、夫人の息子や兵士たちへの思いと、それを受けとめる劇場関係者たちの思いが堅牢だったからだ。息子のことになると俄然強くなるのはどこの母親も同じであるようだ。空襲の爆音が響くなか、夫人も支配人も出演者たちも決して怯むことなく劇場の営業は続く。そのジョンブル魂が清々しく、台詞もユーモアとウィットに富み、観ていて心が晴れ晴れする作品だった。

「リトル・ミス・サンシャイン」

2006年12月27日 | Weblog
このような作品がヒットするとは、アメリカ人ですら、勝ったの負けたのという生活に疲れているらしい。人生は「勝つ」ためにあるのではないという強力なメッセージが伝わってくる愉快な作品である。

登場するのは崩壊寸前の家族。夫婦と子供2人の「標準家庭」に素行不良で老人ホームを追い出された父方の祖父、失恋して自殺未遂を図ったゲイの叔父が加わる。父はコンサルのようで、人生の勝利法則につての書物を出版しようとしている。しかし、出版社から色よい返事はなく、その印税以外に収入のあても無く、家計は破産寸前。息子は空軍のパイロットになることを夢見る15歳。娘は小学校3年か4年くらいだろうか。ミスコンでの優勝を夢見て、祖父が振り付けるダンスの練習に日々励んでいる。そうした家庭をなんとか守っているのが母。そして彼等が暮らすのはアリゾナのとある町。ある日、娘が子供ミスコンの地方大会に繰り上げ優勝になったとの電話連絡が入る。事情はどうあれ、娘はあこがれのミスコンに出場できることに狂喜する。決勝はカリフォルニアのとある町。常識的には、飛行機で行くのだろうが、破産寸前なので一家揃って廃車寸前のワゴンで丸2日がかりでの移動が始まる。

この間に、様々な事件が起こるのである。空軍パイロットを目指す息子は自分が色弱であることがわかり絶望に沈む、とか、ヘロインを常用していた祖父が急死ししてしまうとか。それでも時間ぎりぎりに本大会への出場を果たした娘は、無邪気に祖父が振り付けたダンスを聴衆の前で披露する。それは、いかにもヘロイン中毒になるような飛んでしまっている祖父の振り付けらしく、センセーショナルなものだった。が、本人は知っているのかいないのか、至って真面目に、満足げに踊り続ける。客席が唖然とするなか、一家は主催者から追い出されるように会場を後にする。

作品を通じて、「勝つ」ことの価値が笑いの対象にされている。「勝ち」にこだわりながら破産寸前の父親。ミスコン。プルーストの研究といういかにもマイナーな世界での権威にこだわる叔父。生きることについて、本当に大切なことは何なのかが、そうした笑いのなかに見え隠れしているのである。

「赤い鯨と白い蛇」

2006年12月26日 | Weblog
土地とか物に刻まれた記憶が、人と人とを結びつける物語である。ある古民家を舞台に、そこで暮らした人々が偶然集う。それぞれの人生を抱えながら、夏の数日を共に過ごす。そこで互いの人生に触れ合うことで、自分の人生の課題に解決の方向性を得て、再びそれぞれの道を歩み始める。

自分を信じ、自分が本当に欲していることに素直に耳を傾けることで、人は幸福を感じることができるのだろう。しかし、現実の生活というのは不合理な因習や厄介な人間関係に縛られているものだ。正しいとか正しくないという白黒をつけることができるはずのないことにまで、何が「正しい」のか結論を求められることも少なくない。結局、自分が信じるところに従うことが「正しい」のではないだろうか。

暗黙知の蓄積

2006年12月04日 | Weblog
年齢を重ねると、勿論、老化現象が気になるようにはなるのだが、暗黙知の理解力のようなものは向上するような気がする。「長年の感」という言葉あるが、例えば初めて出会う人とか場所について、五感を超えた情報を捕捉できる能力が研ぎすまされてきたように思う。最近、初対面の人がどのような性格でどの程度の知性の持ち主なのか、会って最初の数分でなんとなく了解されるような気がするようになった。もちろん、そのような感覚の働きは子供にだってある。問題はその確度なのである。人の善し悪し、信頼に足るか否か、そういった判断基準がここ数年の間に明らかに自分のなかで変化している。よく言われるように、人は関係性の中を生きている。その関係性や人格について思い巡らす機会を重ねると、自ずと経験則が蓄積されるものなのだろう。仕事や家庭など、生きる場での自分の立ち位置が変化すると、それまで見えなかったことが見えてきたりもするものなのである。今日、初対面の人と話をしていて、ふとそんなことを考えた。