熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ボジョレーの頃

2014年11月23日 | Weblog

昨年に引き続き、ボジョレーヌーボーの解禁を口実に御宿に住まう妻の友人宅を訪ねた。我々夫婦も訪問先の御夫婦もそれなりに齢を重ねているのでこの先いつまでこの集まりが続くのか頼りない気もするのだが、だからこそ限りある機会を大事にしようという気にもなる。昨年は勝浦を案内していただき、今年は大多喜に遊んだ。

東京から気軽に遊びに出かけることができる距離にあり、道の駅も多少名の知れた名所も駐車場が9割方埋まっているような人出だった。道の駅で竹籠をみつけた。いろいろな種類のものがありどれも欲しかったのだが、電車で帰るので持ち歩ける範囲の大きさのものしか買うことができない。結局、腰籠という農作業で腰につけて使う小さな籠をひとつ買い求めた。以前にこのブログにも書いたが、我が家の脱衣籠は竹籠だ。日本民藝館の茶話会の会場で参加者の手荷物を収めるために用意されていた竹籠がなかなか良かったので、同じ作者の手になる竹籠を同館の売店で購入して帰ってきたのである。その籠は熊本県在住の老人が作っているそうだが、今日購入したものは、商品の説明書きによれば地元の竹を使って地元の人たちが作ったものだそうだ。九州までいかなくとも東京近辺でいくらでも良い手仕事に気軽に出会うことができるということを知って嬉しかった。

幸七という蕎麦屋で昼食をいただく。車がないとたどりつけない場所にあるのだが、午後1時半をまわっても店の前には順番待ちの客がいる。そばは当たり前に美味いが、築200年の古民家を改装したという店舗の雰囲気が良い。個人的に目下の憧れが囲炉裏と三和土のある家という所為もあり、仲間内での楽しい食事ということもあり、たいへん満足して店を後にした。御宿の辺りは東京から日帰り圏内でありながら東京では容易に出会うことのできないようなものがたくさんある。昨年案内していただいた勝浦の朝市に並んでいたものも印象深いものばかりだったし、今日も幸七のほかに十万石の最中とかゆば喜の豆腐といったものを美味しく頂いた。なによりもこうした楽しい経験をもたらす人の縁が嬉しい。


カリン酒

2014年11月16日 | Weblog

以前、このブログで梅酒を仕込んだことを書いたときに、秋にはカリン酒をつくると書いた。今日はカリン酒を仕込んだ。カリンは時期なので難なく入手できる。酒も氷砂糖も当たり前に売られている。問題は保存容器だ。梅酒の仕込みの時期にはスーパーには梅酒コーナーのようなものが登場し、容器から中身まで一切合切が一所で手に入る。ところが、果実と砂糖と一升の酒が収まる大型の容器は、今の時期には店頭に並ばないのである。

おそらく一般の家庭で保存食を作ることはあまりないのだろう。中食だの出来合いの惣菜だのを買って、皿に盛るということもせず、プラスチックの容器からそのまま食べる人が多くなっているのではないだろうか。ここ10年ほどで老若男女いずれもだらしない体型の人が増えたように感じるが、中食や外食といった脂肪過多のものを口にすることが多くなった所為だろう。保存食はおろか、毎日の食事も出来合いのものばかりで料理などしないから調理器具も下らないアイディア商品こそ次から次へと登場するが肝心の普段使いのものの品数や種類は少なくなる一方だ。売る側からすれば、回転率の低い商品を店頭に並べておく余裕がないのだろう。例えば無印良品などは決算説明会でも「アイテムの絞り込み」というようなことを公言しているらしい。

今は販売データを分析して売れ筋商品を特定するのは容易だ。季節により、曜日により、天候により売れる商品を特定するのも朝飯前だろう。データは豊富にあり、分析手法も確立されている。売れる商品、売れそうな商品を重点的に店頭に並べれば、効率良く売り上げが立つはずだ、と誰でも考えるだろう。誰でも思いつくことというのは、往々にして思うようにはならないものである。今は大手小売の傘下に入ってしまったホームセンターの創業者の話を伺ったことがあるが、回転率の低い商材でもそれがあることで品揃えに対するヘビーユーザーの評価が大きく変わるものというのがあるそうだ。ホームセンターの場合は日曜大工や日曜園芸の客よりも、建築だとか農業というような本職の人たちが現場で急に必要になった道具やパーツを買いに来るというような需要に応えることが売り上げ全体の底上げにつながるのだそうだ。同じ話は関西を地盤にする別のホームセンターの経営者からも伺った。年に1個売れるか売れないかというようなものでも揃えておかないといけないものがあるのだそうだ。程度の差こそあれ、同じことは別の業態にも当てはまるのではないか。売れ筋だけを並べておいて商売が成り立つのなら、馬鹿でも経営ができてしまう。安売りしないと売れないというは、その程度の商品力しかないものを並べているということであり、その程度の客しか付いていないということである。そもそも経営になっていないのである。

自分の生活のなかで、実店舗で物を手にとって買う機会は少しずつ少なくなっている気がする。書籍や音楽・映像ソフトのようなものはもちろん、小麦粉のような比較的重量のある食品類や洗剤などの日用品はネットで買っている。それはつまり、実物を手に取らないとそのものの値打ちがわからないようなものは実店舗でしか買えないということでもある。そういうものを並べていると胸を張って言える実店舗の経営者がどれほどいるだろうか。


無事之名馬

2014年11月15日 | Weblog

留学時代の同窓生有志のゴルフコンペがあった。私はゴルフをしないので、コンペの後の懇親会だけ参加した。ゴルフ場というものはたいていは郊外にあるもので、今回の会場も例外ではない。ゴルフ場と最寄駅を結ぶシャトルバスの時間に合わせて出かけたのだが、午後のバスはゴルフ場からの帰りの客のためのもので、時間は都心へ向かう電車に合わせてある。都心から出てくると、バスの時間まで30分程度待つことになる。午前中に陶芸をして、その足で急行に飛び乗ったので昼飯がまだだった。懇親会といっても午後3時過ぎではたいした食べ物もないだろうと思い、ゴルフ場最寄駅の駅前にある喫茶店でサンドイッチセットをいただきながらバスを待つことにした。

その喫茶店は、ファミレスような風情の構えなのだが、店の中は昔ながらの喫茶店だ。営業しているのかどうかわからないような雰囲気だが、キーコーヒーの看板が出ていたので、入り口の戸を押し開いてみると、戸は開いた。一見したところ誰もいないようだったので「こんにちは」と声をかけてみると、店の奥のほうで動く人影が目に入った。「いらっしゃい」と応えるそのオヤジは恐ろしく歯並びが悪い。妙なところに入っちゃったなと思いながら、駅前のバス停が見える席に座る。椅子が思いの外深く沈んだので一瞬焦る。ほどなくオヤジが水とおしぼりを持って席へ来た。サンドイッチセットを注文する。どのサンドイッチか、と尋ねるので、何があるのかと聞いたら、そこに書いてある、と私の手元のメニューを指差す。いちいち説明できないほど種類が多いのかと思ったら、玉子、野菜、ハムの三種類だった。サンドイッチといえば玉子だろう、と思っていたので迷わず玉子を注文する。飲み物はコーヒー。

10分近く経って、まず玉子サンドと小鉢に山盛りのサラダが運ばれてきた。サラダは千切りキャベツが主体で、飾りのようにトマトとキュウリとレタスの小さな葉が添えられ、マヨネーズとオレンジ色のドレッシングがかかっていた。サンドイッチもサラダも想像を超える旨さだ。味そのものは、ごくありふれた家庭のサンドイッチなのだが、家庭の味であることそのものが肝なのである。卵を茹で、殻をむいてさいの目に切り刻み、マヨネーズを加えて和える。多少の洋辛子とバターを塗ったパンでその卵餡を挟み、適当な大きさに切れば出来上がりだ。こう書くとなんでもないことなのだが、これが美味いのである。サラダにしても、ただの千切りキャベツなのだが、シャキシャキとした歯ごたえと野菜らしい甘さが感じられて美味しかった。

近頃はこんなどうというほどのことでもないことに妙に感心することが多くなったような気がする。かつては当たり前であったことが、いつの間にか個性的なことになってしまったということだろう。そのことが意味することは果たして何だろう?


役人の商売

2014年11月06日 | Weblog

今日、ようやく黒潮町役場から黒砂糖の契約書が送られてきた。ここ数年、毎年買っている黒砂糖である。例年は9月中に契約を完了していたのだが、今年はこれまでの担当部署が廃止になったとかで、こちらから問い合わせの手紙を出してもなしのつぶてだった。9月初旬に一釜オーナーの募集案内が届き、同封されていた葉書に必要事項を記入して投函、そこからさらに無音期間が続いて後、今日を迎えたのである。案内状によれば昨年まで本件を担当していた黒潮町特産品開発推進協議会が今年3月末で業務を停止したのだそうだ。おそらく、業務の引き継ぎがなかったのだろう。引き継ぐほどの業務がなかったから業務を停止したということなのかもしれない。勝手な想像だが、私のような変わり者がここの黒砂糖を愛用していて、今年はどうなっているのかと問い合わせが入るようになり、仕方なく似たような名称の黒潮町産業推進室が少なくとも黒砂糖の件については引き継ぐことになったというようなことなのだろう。去年の案内状には精製設備を増設したと書かれていたので、生産者の側からも何がしかのことがあったのかもしれない。今だから言うわけではないのだが、このようなニッチな商品の生産設備を増強したという時点で何か妙なことが起こっていると感じた。

平均的な所帯が砂糖にどれほどの消費支出を振り向けているのか知らないが、600gの包みが1,337円で地元の道の駅などで販売されているそうだ。一釜単位だと約21kgで43,200円なので単価は多少下がるが、それでもスーパーなどで当たり前に販売されている白砂糖とは比較にならない。その上、この黒砂糖は固形なので使うときには削るなり砕くなりしないといけない使い勝手の悪さがある。それでもこの砂糖が気に入って毎年注文している人がいる。何年か前に自分の陶芸作品をギャラリーカフェで販売したことがあるが、出品した50近い作品をほぼ完売した。いわゆるマスの世界から外れているが根強い需要のある世界というものが確かに存在しているのである。マスのほうは放っておいても大型資本が需要を満たす。役所が敢えて「産業推進」を謳うなら、マスから外れたところに焦点を当てずに何をしようというのだろうか。

誰もが思いつくようなことを「推進」するのは民間に任せておけばよいのである。目先の結果ではなく大所高所に立ったことをするのが公務員だからこそ、公務員の雇用は保証されていて、雇用保険に入っていないのではないのか。目先の価値を生むことなどなにもしてこなくとも退職後も手厚い手当てをもらえるのは、目先のことではないことで価値の芽くらいは生むという大前提があるからなのではないのか。きちんと継続できないような「産業推進」しかできないなら、町丸ごとなくなってしまえばよいのである。


日本人

2014年11月02日 | Weblog

10月31日は決算発表の集中日で仕事が徹夜になった。帰宅は11月1日午前4時39分に東京駅を発車する中央線の始発に乗って新宿へ出て、京王新線新宿駅を5時20分に出発する各駅停車の高尾山口行きを利用した。車内は始発の割には人が多く、しかもざっと4割くらいの人が仮装していた。ハロウィーン関係のイベントに参加した帰りなのだろう。成りは奇抜で、なかには行儀の悪いのもいたが、全体としてはおとなしい感じだ。羽目を外すといっても結局は公共交通機関を利用して家路に就く小さな感じが苦笑を誘う。後からネットのニュースを見たら渋谷では機動隊が出動するような騒ぎになったそうだが、そんな様子は微塵も感じられなかった。集団の中では勇ましいが少数になるとこじんまりとまとまるというのは彼らの親世代の学生運動を彷彿とさせる。私は見聞したことはないが、おそらくそのまた親世代の軍国時代も同根なのだろう。群衆というのはこういうものなのである。

ところで、『イザベラ・バードの日本紀行』(講談社学術文庫)を読了した。イギリス人旅行作家の手になる日本紀行である。彼女は当時47歳。日本の開国間もない1878年に当時外国人として初めて東京から陸路で青森まで、そこから連絡船で函館に渡り北海道のアイヌの集落を探訪した。本書の大部分は妹へ宛てた手紙の形式で当時の日本の東北・北海道の様子を描いている。当時の世界最大の帝国であったイギリスの人なので、極東の辺境を観る眼には上から見下すような意識が見え隠れしているのはやむを得ないだろう。それでもこれだけの記録を残したということは、彼女が当時の日本を好意的に受け止めた証左だと思う。司馬遼太郎の作品を読むと幕末から明治にかけての日本人が今とは比べ物にならない立派な人たちばかりのような印象を受ける。そして、日本人としての自尊心をくすぐられるような心地がすると同時に、現代に対する危機感のようなものを覚える。しかし、この『日本紀行』には風俗こそ明治のようだが、人間は今の時代と変わることのない姿が描き出されていて、がっかりするような、ほっとするような妙な安堵を覚えるのである。また、当時の日本で活躍する外国人たちの様子が今の世界情勢の縮図のようにも見える。考えてみれば、本書が書かれてから130年ほどしか経ていないので、それほど世界が変わるはずはないのである。

以下、備忘録的な引用である。いずれも上巻からである。下巻では特に控えておこうと思うほどの記述に出会わなかった。

開港場の日本人は外国人との交流のせいで品位が落ち、下卑ている。内陸の人々は「野蛮人」とはおよそほど遠く、親切でやさしくて礼儀正しい。わたしがそうしたように、女性が現地人の従者以外にお供をだれもつけずに外国人がほとんど訪れない地方は1200マイル旅しても、無礼な扱いや強奪行為にはただの一度も遭わずにすむのである。(33頁 序章)

横浜では小柄で薄着でおおかたが貧相な日本人とはまったく異なった種類の東洋人を見ない日はありません。日本在住の清国人2500人のうち1100人以上が横浜に住んでおり、もしも突然いなくなるようなことがあれば、商取引はたちまち停止してしまうでしょう。ここでもほかと同じように、清国人移民は必要欠くべからざる存在となっています。まるで自分は支配する側の民族だというように、泰然自若とした態度で体を揺らしながら通りを歩いています。(中略)生真面目で信頼でき、雇い主から金を奪うというより搾り取るほうが満足できる———彼の人生の唯一の目的はカネなのです。カネのためなら、勤勉にも忠実にも禁欲的にもなり、ちゃんと報われるというわけです。(76−77頁 第六信)

日本人は子供がとにかく好きですが、道徳観が堕落しているのと、嘘をつくことを教えるため、西洋の子供が日本人とあまりいっしょにいるのはよくありません。(272頁 第二〇信)

これらの人々が自分たちに与えられたまれに見る利点を保持していけるかどうかは先を見なければわかりません。これほど無知で迷信を信じやすい人々はおそらくいないでしょう。土地を抵当に入れる便宜は多くあり、こうすれば小さな所有地は現在の自由土地保有者の手から離れ、大土地を所有する階級がそこに従属する労働人口ともども増えていくかもしれません。それを防ぐ道は、日本人の特徴である、土地に対するきわめて断固たる愛着にあります。(342−243頁 第二四信)

この国の均質性にはここでも大いに興味を引かれます。これまでわたしが旅してきた地方の数カ所は、最近までそれぞれが別個で、必ずしも友好的ではなく、べつべつの領主を持つ藩でした。気候と植生は緯度5度でかなり変化しており、またこの県の方言はそれ自体、中央の地域とは大きく異なっています。しかしどこに行っても寺院や家屋は同じ設計で同じように建てられており、大小のちがいや、板壁、土壁、藁屋根、樹皮の屋根、板屋根といった変化はあっても、住宅内部はいつもはっきりわかる同じような特徴があります。作物は土壌と気候で変わりますが、栽培方法には差異がありません。施肥その他の手順はいつも同じです。またこれらすべてをはるかに超えて、あらゆる階層で社会をとりまとめている礼儀作法は実質的に同じです。秋田の人夫は田舎者でも、東京の人夫と同じく他人とのつきあいにおいて礼儀正しく丁重です。白沢の娘たちは日光の娘たちと同じく落ち着いていて品位があり、礼儀正しいのです。(中略)害はままあるとしても、この伝統的な礼儀作法は非常にうまく機能しているので、もしもこれが西洋式の礼儀や習慣をへたに真似たものに取って代わられるとすれば、わたしは胸が痛くなるにちがいありません。(426−427頁 第三二信)


落語家 噺家

2014年11月01日 | Weblog

今日も小三治は「落語家」ではなく「噺家」と呼ばれたいという話をしていた。辞書を引けば「落語家」の説明のなかに「噺家」とあり、「噺家」の説明のなかに「落語家」とある。日本語としては同義語なのだが、表記が違うということはそこに何がしかの理由があるはずだ。その違いが重要なのではなく、個人がそれぞれの言葉にどのような語感あるいは意味を見出すかという違いが、それぞれの個人にとって重要なのである。私も「落語家」と「噺家」は同じではないと漠然と感じる。

今日の小三治は高座に上がって思うところがいろいろに湧いたらしく、マクラは沈黙気味で、かといって噺に入るわけでもなく、だからといって聴いていてひやひやするような風情でもなかった。その昔、志ん生が高座で居眠りを始めたことがあるらしい。その時の観客は居眠りをする志ん生を眺めて喜んだというのである。嘘か真か知らないが、芸人もそういう域に達したら本物であるということなのだろう。

そもそも芸とは何か、落語とは何か、噺とは、ということを思わずにはいられない。自分が口演するわけではないのでそんなことを考えることもないのだが、同じ演目が語り手を変えることで全く違った噺になるというのはよくあることだ。それは落語に限ったことではなく、芝居も歌も舞踏も、たぶん芸事以外のことでもそうだろう。同じことをやっているはずなのに、同じにならないのは個別の技能や技量だけに拠ることではあるまい。おそらく、そこにその人の全てが表現されているのだろう。全て、というのは計量できないことも含めての全てである。

なんでもかんでも計量しようとする考え方がある。物事を細分化してこれ以上分けることができないという単位に落とし込んでしまう。その単位で扱うことで自由自在に物事を組み立てれば個人に依存することなく精緻に世界を再現することができる、という発想だ。学校教育のなかでも我々は原子というものについて通り一遍のことを習う。しかし、そうやって再現されたものを私は知らない。落語家・噺家でも登場人物や場面をコンポーネント化して、個々の人物やコンポの完成度を熱心に向上させ、それらを組み合わせることで噺を構成するタイプがあるように思う。個人的には「戦艦大和方式」と呼んでいるのだが、今広く使われている機械類や大型建造物などはこうした発想で作られているものが多いのではないだろうか。私は雀枝の噺は大和方式だと思っている。彼の噺にはどこか精緻に計算された跡のようなものが感じられ、噺よりも計算のほうが気になってしまう。おそらく、もう少し計算の精度が上がって、その痕跡が完全に消えてしまう域に達したら、全く新しい噺の世界が展開したような気がする。

対して人間国宝になった噺家は小さんも米朝も小三治も、芸道というような「道」を追求するタイプに私には感じられる。理屈ではなく全人的な在り方があって、そこから発せられる技芸に価値を置いているように思われるのである。落語というのは本来は軽みの芸だと思うのだが、国宝方式の人たちの芸はそれぞれに重い。もちろん、聴く側の先入観も多分に影響してのことなのだが、噺を聴いていて「凄い」と思ってしまう。特に前座噺のような高座にかかることの多い噺ほど「凄さ」を感じてしまう。それも鑑賞の楽しみなのだが、素直に「楽しい」とは感じることができなくて、「ありがたい」と感じてしまうのである。それは高僧の法話を拝聴するような噺であるように私は感じる。しかし、それは本来の落語ではないような気がする。それでも「落語」という分野で重要無形文化財の指定を受けるのはそういう人たちである。人間国宝を選定する立場の人たちは道が好きなのだろう。世の中に道が少なくて迷うことが多いから、道を示すかのような人が重宝がられるということなのかもしれない。

本日の演目
入船亭小辰 「鈴ヶ森」
古今亭志ん好 「風呂敷」
桂やまと 「阿武松」
(中入り)
桂吉坊 「河豚鍋」
柳家小三治 「お化け長屋」
開演: 18:00 終演: 20:45
会場:  府中の森芸術劇場 ふるさとホール