熊本熊的日常

日常生活についての雑記

天はいずこに

2012年05月31日 | Weblog

新聞を読まないくせに『深代惇郎の「天声人語」』という本を読んでいる。古本で購入したもので、昭和48年から同50年まで深代が書いた「天声人語」が収載されている。新聞のコラムは受験問題にも取り上げられる日本語の標準のようなものと考えられているようだが、そのなかでも深代の「天声人語」は名文の誉れ高い。

名文とは何か、深代は名文家なのか、というようなことを語るのは専門家や識者に任せるが、読んでいて驚くのは、その内容に陳腐なところがないことだ。社会がそれほど変わっていないということなのかもしれないし、筆者の洞察の深さの故なのかもしれない。いずれにしても、やれ「時代の流れが」とか「変化の速さが」などとあくせくしている人が多いように見えるのに、「時代」がそれほど変化していないというのはどう考えればよいのだろうか。

もちろん新聞のコラムなので、そこに取り上げられていることの殆どは当時の事件や世相だ。懐かしいこともあるけれど、今も似たようなことのほうが多いのではなかろうか。原子力の安全性、孤独死、オレオレ詐欺、政治の狂騒、人生の哀愁にかかわる諸々などは今書き下ろされたと言われても違和感を覚えない。

地球が誕生して40億年だか50億年だかが経ち、その歴史のなかで人類が登場するのは高々ここ20万年ほどのことでしかない。原人まで遡ってもせいぜい200万年だ。そういう時間軸で考えると、40年など瞬時のうちでしかない。なるほど、そこに今と驚くほど違ったことなどあろうはずもない。我ながら愚の至りというより形容のしようのない感慨を覚えている。つくづく間抜けだと思う。

ちなみに、地球の星としての寿命で言うと、今は壮年期なのだそうで、あと40億年ほどすると太陽が燃焼し尽くして超新星爆発を起こして消滅すらしい。そうなると地球もどうにかなるはずだし、そもそも超新星爆発の何億年も前から塩梅が悪くなって、地球も今のような姿ではあるまい。終わることがわかっているところで生活しているのだから、愚だの賢だのどうでもよいことだ。

どうでもよいが、昔の本は文字が小さくて読むのが辛い。 

深代惇郎の天声人語 (1976年)
深代 惇郎
朝日新聞社

備忘録『白のままでは生きられない』

2012年05月29日 | Weblog

哀しいこと、耐えられないような苦しみは、
歳月によっていつの間にか浄化されている。
今、それにようやく気づいた、
死は浄化の領域に入ることだと。(10頁)

人間はすべて白のままでは生きられない。(17頁)

年老いて繊細な感覚がにぶってはなるまい。
知性が衰えてはなるまい。
燃えるのはいい、
心を熱くして生きなくて何の老があろう。(24-25頁)

こちらの心が澄んで、植物の命と、自分の命が合わさったとき、
ほんの少し、扉があくのではないかと思います。
こちらにその用意がなく、植物の色を染めようとしても、扉は
かたく閉ざされたままでしょう。(44-45頁)

一つの線を引く。生きる上でそれをしなくてはならない時がある。(63頁)

線のむこうに去ってゆくいとしいものがあっても、それをしなくては、
新しい色はやってこない。(65頁)

歳月というもののふしぎさ、受けた傷のいかに深くとも、
そのあとに生きた生命の放射のはげしさにくらべては、
見事に癒されているものだと知る。(119頁)

そこに在るものと、在るべきものとの間には深淵がある。(123頁)

本当に見たいということは、見えないから見たいのだ。(124頁)

「心慕手追」という言葉があるという。
もし手が追ってこなければどうなるか、といえば、
その願いごとが、「強固していない」または「熟していない」「低い(次元が)」
ということになるのだそうだ。(134頁)

私は年をかさねるごとに全く新しい断面を『源氏物語』に発見する。(165頁)

白のままでは生きられない―志村ふくみの言葉 (生きる言葉シリーズ)
志村 ふくみ
求龍堂

備忘録『一色一生』

2012年05月28日 | Weblog

植物にはすべて周期があって、機を逸すれば色は出ないのです。たとえ色は出ても、精ではないのです。花と共に精気は飛び去ってしまい、あざやかな真紅や紫、黄金色の花も、花そのものでは染まりません。(16頁)

本当のものは、みえるものの奥にあって、物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの、海や空の青さもまたそういう聖域のものなのでしょう。(17-18頁)

織りはじめに主題を決めるために、さまざまの色を入れてみます。色と色はなかなか溶け合わず、互いに牽制し合っていますが、その中に一色入れたことによって、あたりの色がすーっと吸い寄せられ、音色が生まれます。(39頁)

嶋田さんは「糸を布にするより、布を金にする方がむずかしい」といわれたが、確かにそのとおりで、布になったものが製作者の手を離れて、社会に向って歩き出すと、社会はそれを金によって評価する。糸を布にするだけなら工房に入った若い娘が、二、三ヶ月で出来ることだが、布を金にすることは二、三年ではどうにもならない。少なくとも十年はかかるのである。しかしその十年がたってみれば今度は、「布を金にするより、金をいかに使うかがさらにむずかしい」といわざるをえない。(109-110頁)

「下手ハネバル、上手ハキル。名人ハハナレル」(140頁)

「工芸の仕事をするものが陶器なら陶器、織物なら織物と、その事だけに一心になればそれでよいか、必ずゆきづまりが来る。何でもいい、何か別のことを勉強しなさい。その事がいいたかった。
 或る人が織物に懸命だった。技術はどんどん上達した。しかし構図からも、色彩からも何か大切なものが失われていった。私はそれを身近に見ているから、今あなたにそれを云うのだ。
 画家がただ絵だけ描いていたらそれでよいと思う人はいないだろう。剣客が人を切る術ばかり磨いていたら人は何と云うだろう。工芸家とて同じ事だ。(以下略)」(226-227頁)

 先のことは考えなくていい。ただ精魂こめて仕事をすることです。云ってしまえば、誠実に生きることです。『運、根、鈍』とはそういうことです。(248頁)

一色一生 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
志村 ふくみ,高橋 巌
講談社

一件落着一件発生

2012年05月25日 | Weblog

下肢静脈瘤の術後3ヶ月健診があり、無事治療完了となった。一方で、再来週ブルネイへ出張する事が決まり、大急ぎで準備をしなければならなくなり、俄然忙しくなった。これが当たり前の勤め人の暮らしなのだろうが、これまで高等遊民のようにしていたので、日々の生活の違いに新鮮な思いを新たにしている。

当たり前の勤め人、と言えば、今日は職場の歓迎会を開いていただいた。勤務先近くの居酒屋で鍋を囲んで当たり障りのないおしゃべりで楽しい時間を過ごす。こういう空気を味わうのは何年ぶりのことだろうか。


死角の死角

2012年05月24日 | Weblog

渋谷駅刺傷で男を逮捕=「体ぶつかり、頭きた」―埼玉の32歳、被害者と面識なし(時事通信) - goo ニュース

ふたつ驚いた。ぶつかって「頭にきた」といって人を刺してしまう短絡的思考の32歳の存在。その猿のような奴を監視カメラの映像を解析して特定して身柄を確保してしまう管理システムの精度。

警察白書によれば平成22年の刑法犯全体での検挙率は31.4%で、昭和30年代のピーク水準の半分程度でしかない。検挙率の低下の原因は、おそらく警察官の資質が平均的に低下した、というようなことではなく、人権に対する社会の関心が高くなって無闇にしょっぴくことができなくなった、とか、都市化が進んで人が人に対して関心を払わなくなった、というようなところにあるのだろう。そこで登場するのが人に代わって人に注意を払う機械だ。監視カメラというものが登場した当初は画像を磁気テープに記録していたので、記録の保存や解析がたいへんだったり、画像の質が悪かったり、とそれほど役に立つものではなく、もっぱらその存在による威嚇というか犯罪抑止といった心理面での効果に期待が寄せられていた。それが映像の質が向上し、記録もHDDやフラッシュメモリのような大容量かつ検索容易なものになり、記録そのものが実効あるものになるにつれ、犯罪抑止以上の効果を発揮するようになった。かつてSFの世界のことのように思われていた"Big Brother"風のものが現実のものになった、とこの事件だけを見ると感じられる。しかし、検挙率は3割程度しかないという現実がある。

なんとなく、全体としてみると、株価がぱっとしなかったり、失業者がおおかったり、暗めの印象があるけれど、ゴールデンウィークの海外旅行者数が妙に多いとか、人気エリアの高額マンションが即日完売、というような景気の良い話もあるところにはあるというのに通じるものがある、だろうか。


人を食う

2012年05月23日 | Weblog

昨年12月に解雇通知を受けたところから、今日ようやく退職金が振り込まれた。解雇の時に提示された退職金の決めにはこのように書かれていた。

Job Search Period
Retirement Benefit Payment
Special Retirement Allowance
Additional
Total

最初のJob Search Periodというのは、解雇通告を受けた月から正式な退職日までそれまでと同額の月給を払うという意味だ。具体的には3ヶ月分である。次のRetirement Benefitというのは確定拠出年金を一時払いで受け取ることを選択した場合の一時金。本来は私の年金であり、わざわざ退職のために会社が用意したものではない。つまり本当の意味での退職金はSpecial Retirement AllowanceとAdditionalの部分だけだ。そうやってTotalは本当の退職金を倍以上に膨らませて見せるのである。そういうことは承知の上で、退職の同意書にサインをする。そうしないと、業界から省かれて再就職が難しくなると言われているからだ。人の足下を見るとはこのことで、卑劣極まりない。

本当の退職金は正式退職日の翌月末までに支払われることになっており、確かに先月受領した。今日受領したのは年金部分であり、これは退職関係の書類のなかでは支払日が明記されていない。私はたまたま就職口があったからいつ振り込まれようと関係ないが、そうでない人にとっては資金繰りというのは頭の痛い問題だ。あてにしていた金額の半分以下しか手にすることができず困っていた人もいるだろう。然したる合理的理由もなく人を紙くずのように捨て去った上に、なぜ、こういう人を食った行動が平気で取れるのだろうか。それがこの組織の文化というものなのだろうか。思い返してみれば、要所要所にものの食い方の汚い奴がいた。人のようなふりをしていても、あれは狐か狸だったということなのだろう。さらに思い返してみれば、そういう顔つきだったような気もする。


自意識過剰もしくは無意識過剰

2012年05月20日 | Weblog

昨日、池袋で暇つぶしをしていて、百貨店の屋上にあった風向風速計に目が止まった。なんとか面白い画にならないかと、ぼやぁっと眺めていたら、隣に人の気配がした。見ると幼稚園児くらいの女の子が一緒になって風向風速計を眺めている。彼女も私の視線に気付いてこちらを見た。しばし顔を見合わせて、また風向風速計をふたりで眺める。なんとはなしに楽しい時間だった。


就活一段落後婚活

2012年05月19日 | Weblog

先月、晴れて子供の学資保険が満期を迎えた。これで、大学の初年度納入金くらいはなんとかなりそうになったので、これから自分のことも少しなんとかしないといけないと思うようになった。それで、どういうわけか、今日は超越瞑想の説明会と結婚相談所の無料カウンセリングに出かけてきた。それぞれ2時間に及ぶ気合いの入ったもので、いろいろな意味で面白かった。

まず、午後の早い時間に超越瞑想のほうへ行く。説明自体に特に感心するほどのことはなく、2時間の説明が終わってやれやれという感じだった。せっかく久しぶりに新宿へ来たので、げんこつ屋のラーメンを食べて、その後、みつばちでかき氷でも頂こうと思っていたら、どちらの店も無くなっていてがっかりした。

1996年10月から2007年9月まで西武線沿線で暮らしていた。この間、勤めのほうは茅場町、神谷町、渋谷、霞ヶ関、大手町、丸の内と代わり、このうち神谷町時代から霞ヶ関時代にかけて新宿で乗り換えをしていた。既に帰宅拒否症候群のような感じだったので、小滝橋通りにあった「げんこつ屋」とか西武新宿駅前の飲食店ビルの地下にあった「みつばち」で一服して、同居人が寝静まった頃に帰宅していた。いわば私のオアシスのような店だった。幸いにも今はオアシスを必要としない生活を送っているのだが、今日久しぶりにかつてのオアシスを訪ねてみたら、どちらも枯れてしまっていたというわけだ。

「げんこつ屋」は高円寺で創業した有名店の支店だ。新宿小滝橋通り沿いはラーメンの有名店の支店が軒を連ねる激戦地だったが、ある日「げんこつ」のカウンターでラーメンを啜っていたらキッチンで作業をしていたバイトの人たちが、「今日さ、そこの◯○の行列に並んで食べてきたんだけどさ、うちのほうが絶対おいしいよね」「うん、あたしもそう思う」という会話をしていたのを今でも憶えている。そのとき、この店はいい店だと思ったものだ。ネットで調べてみたら2007年に閉店したという。創業者もその直後に他界されたそうだ。

「みつばち」はかき氷がおいしい店だった。これもネットで調べてみたら、4月20日に閉店したそうだ。58年も続いたのだそうだが、それでも終わりは必ず来るのである。今は、居抜で炭火焼の店に変わっていた。世に変わらぬものは無いとはわかっていても、自分がかつて気に入って足を運んでいた店が次々に無くなってしまうのは、やはり寂しいものである。

池袋へ移動して、伝統的工芸品センターでも覗いてみようと思ったら、これも今年の3月に閉店して青山のカナダ大使館の近くに移転していた。こちらは創業の地への回帰だそうだが、池袋では10年に亘って営業し、一時期は私もここの会員でもあったので、やはり寂しい。最後にここで買ったのは、昨年9月、井川メンパの弁当箱だ。

東口へ抜けて、西武のリブロで注文しておいた本を受け取る。その後、店内をうろうろしてしばらく立ち読みなどをして過ごす。近頃、書籍を購入するときはネットで検索して、Honya Clubに在庫があれば発注してリブロで受け取り、在庫がなければAmazonで購入する。こうしてリアル店舗を徘徊すると、ネット検索ではおそらく出会わないような本に遭遇するので、たまには本屋を歩かないといけないと改めて思う。今日は浅川巧の「朝鮮陶磁名考」の復刻版を見つけて買ってしまった。

その後、結婚相談所でカウンセリングを受ける。カウンセラーといろいろ話をしているうちに、やっぱり伴侶を探さないといけないかもしれないと思うようになった。


2012年05月18日 | Weblog

Facebookの自分のところにアップしている写真は「橋」「駅」「海」というテーマでまとめてある。写真を撮るのは嫌いではないのだが趣味というほどのものでもないので、撮った写真は無造作にiPhotoに落としている。たまに自分がアップした写真に「いいね」が付くと思い出したようにFBやIPの写真を見直して、FBのほうを入れ替えたり追加したりしている。今週は毎日のように1枚くらいずつアップした。

当然かもしれないが、写真は変わる。自分が撮ろうと思う対象が、今と昔とでは違う。同じ人間なのだから、顕著に違うということではなく、その当人にしかわからない程度の違いかもしれないのだが、同じではないことは確かなのである。確か、といっても主観にすぎないのも確かだが。

IPにある写真は2006年からのものだ。初代のリコーGR Digitalを手にしてから、それ以前よりは頻繁に撮るようになった。日常的にカメラを持ち歩くようになったばかりということもあって、とりあえず撮ってみるというような写真がその頃は多い。ある程度時間が経過するとなんとなく撮るものが決まってくる。それでも、昔の写真はなぜそれを撮ろうと思ったのかということは想像がつくのだが、それを今取り上げようとは思わない。その違いが何かというのははっきりとしたものではなく、素朴に面白いかどうかという基準が微妙に変化したということなのである。

それで、例えば「橋」ということで最近撮ったのがここにあるようなものだ。橋は大きな重量を支える構造物だが、それを支えている諸々のなかには掌にかくれてしまうほどのボルトやナットもある。ひとつひとつのボルトとナットがきちんとつながっていないと、橋は設計通りの強度を持つことができない。設計や施行には、その人でないとできない、というような意匠や技術があるのだろう。設計者のなかには著名人がたくさんいるし、建設会社にしても難しい仕事はこの会社、というような評判のところがいくつもある。部材となるとそういう差別化は少なくなり、ボルトやナットとなれば規格品で大量に流通しているので特段ありがたがられるようなものではないかもしれない。しかし、「橋」と言って、全体の姿が注目されがちだが、橋を橋として存在させていることのなかにはボルトやナットが規定通りの秩序を形成するという要素もある。あまり目を向けられることのないものにも、誰かがきちんと目を配ることで全体の秩序や調和が成立するのは確かなことだろう。その誰かもまた規格品のような存在であるかもしれない。それでも、そういう誰かのひとりになりたいと思う。


腹をかかえて

2012年05月17日 | Weblog

ゲップを吐きながらコーラを飲み続けた甲斐があったのか、腹の中の固形物を出し尽くしてしまったのか、今日はいくらか腹が楽になった。昼すぎには空腹を感じるようになり、なにか消化に良さそうなものはないかと職場付近を徘徊した。

オフィス街というのは、それなりの歴史を持って少しずつ築きあげられたものならば、労働人口に合わせて飲食店が存在することになるのだろうが、近頃は大きなビルがニョキニョキ生えて人口が急増すると、もちろん新しいビルには飲食店フロアもある場合が多いのだが、それでも供給のほうが追いつかなくなる。かといって、昼食需要だけのために飲食店を構えるというような人はいないだろうから、結果としては昼時にそのエリアの飲食店やコンビニが混雑し、所謂「昼食難民」も発生したりする。

現在の勤務地は自分にとっては不慣れな場所では決してない。社会人になって最初の3年を過ごし、その後、間が空いたが、直近3年はここで過ごしている。ただ、直近のほうは夜間なので昼間の状況を日常的に体験するのは24年ぶりのことである。この間に店のほうの顔ぶれは当然に入れ替わるのだが、驚くべきことに当時と変わらぬところも少なからずある。そういうところの共通点は、身近なものであるけれど、その店でないと味わえない何かがある、ということだろうか。

それで昼の話だが、今の職場で勤め始めて1ヶ月間観察してみて、午後1時過ぎに食事に出ると、ほぼどの店でもゆっくりと食事をいただけることがわかった。今日は入れ替わったほうの店で、「広島風お好み焼き」をいただいた。何が「広島風」なのかということについては2月に広島に出かけたときに土地の店のひとにいろいろ聞いて来たので、今日の「広島風」は、少なくとも広島県広島市の「広島風」ではないということははっきりしている。しかし、そんなことはどうでもよいことなので、おいしくいただいてきた。


コーラにすがる

2012年05月16日 | Weblog

朝から下痢に悩まされる。今日は勤務先で役員人事が公表され、自分が所属する部門の担当役員も来月1日付で交代することになった。下痢と役員との間に何の因果も無いのだが、自分のなかでは同じ日のことなので、ここで働く間は役員と糞が関連付けられて記憶されるかもしれない。

以前、身近な食べ物を薬代わりに活用するということで話を聞いたことがあったが、確かコーラが止瀉薬として機能するはずだ。コーラというのは結構万能で、煮立ててレモン汁を加えて飲むと風邪薬になるようなことも聞いた。今はコーラといえば単なる清涼飲料水だが、そもそもは薬局で扱う商品として世に出たのだから、薬代わりになるというのもまんざら眉唾でもないのかもしれない。しばらく水代わりにコーラをいただく日が続くのだろうか。


面取りに施釉

2012年05月15日 | Weblog

面取りをして黒化粧を施した壷の素焼きがあがってきた。今日はこれに青磁を掛けた。まず、化粧を施した面をマスキングテープで養生したうえで、全体に青磁を掛ける。次に化粧面の養生を外して、筆で青磁を塗る。筆で塗った面の釉薬をスポンジで拭い去る。化粧を施したところにナイフ状のもので溝をつけたりしており、塗った釉薬は化粧や溝の凹面に入り込んでいる。拭うことで、凸面の釉薬だけが取り去られて凹版印刷の原版のようになる。これを還元焼成することで、釉薬が乗っている部分は光沢のある青磁になり、拭い去ったところは焼き締められることになる。果たしてどのような仕上がりになるのか楽しみだ。


修学旅行のころ

2012年05月14日 | Weblog

街中で修学旅行の学生と思しき子供達を見かけることが多くなった。そういう季節なのかと思う。確かに自分の子供も先週は修学旅行で沖縄に出かけていた。自分自身の修学旅行はいつだっただろうかと思い返してみると、中学のときは3年生の5月か6月くらいだったかもしれない。行き先は京都・奈良。もちろん、新幹線を利用した。高校のときは2年生の夏休みに北海道へ夜行列車で出かけた。青函トンネルはまだ竣工していなかったので、上野から「ゆうづる」で青森へ行き、青函連絡船で函館に渡り、気動車の特急で札幌まで行った。国鉄で北海道まで行ったのに、なぜか札幌の宿は全日空ホテルだった。ツインの部屋に補助ベッドを入れて3人ずつ詰め込まれたというようなしょうもないことは今でも覚えている。札幌を起点にして終点が函館だったことは記憶にあるのだが、その間が今となってはあやふやだ。沙流川のほとりの集落で農家に一泊させていただいて、そこの農作業を手伝うということをしたのは確かだ。私が泊めて頂いたのは肉牛を飼っている酪農家で、牛舎の掃除をした記憶がある。そのほか、然別湖、摩周湖、洞爺湖と湖をやたらに回ったのは、今から思えば写真を趣味にしていた一部の教師たちの企みだったのかもしれない。その先生方の半分くらいは既に鬼籍に入られ、残りの半分のなかのお若いほうの先生方も定年を迎える年齢となった。今、私の子供が修学旅行で沖縄に行っている。無邪気に楽しい時間を過ごすことのできる最後のほうの時期かもしれない。人生のなかで素朴に楽しい時間というのは思いの外に短いものだ。


スパピザ

2012年05月13日 | Weblog

昨日、落語に出かけたとき、落語を聴く前に腹ごしらえをするべきか、聴いた後にするべきか少し迷った。そんなことを考えながら会場に向かってあるいていたら、たまたま洋食屋の前を通りかかった。そこにあったメニューの黒板に「当店オリジナル スパピザ」とあるのが目に飛び込んできた。そのまま吸い寄せられるように店に入った。午後5時少し前だというのに、店内には何組かの家族連れと思しき客が食事をしていた。私はカウンター席に座って迷うこと無くスパピザを注文した。10分ほどして運ばれてきたものを見て、なんとなく名古屋の喫茶店のナポリタンを思い出した。有名な話だが、名古屋では喫茶店でスパゲティをたのむと、ステーキ皿の上に薄焼き卵を敷いた上にスパゲティが盛られて供される。スパピザのほうは、皿の上にスパゲティとチーズを載せてオーブンで焼くのでステーキ皿なのだろうが、結果としての見栄えは似ている。その昔、「スパゲティ」というと時にうどんのような麺のこともあったが、今はそういうものが懐かしく思われるほど見かけなくなった。このスパピザのパスタも細いものがつかわれている。こういうものを評するとき、あまり味のことをとやかく言うのは野暮だろう。見た目と存在感、それに対する食感のバランスというか衝撃というか、要するに未知のものを前にしたときのわくわく感のようなものがあるかどうかというのが重要だ。結論を言えば、私はこういうのが好きだ。毎日食べたいとは思わないが、たまに無性に食べたくなる、ようになるのではないかと思う。ちなみに店の名前はホフブロウという。


横浜にて

2012年05月12日 | Weblog

横浜というところにはこれまでに何度も出かけているはずなのだが、なんとなく目的地に直行するというようなことばかりのようで、街をぼんやり歩いたことが無かった。今日は夕方から落語会なので、少し早めに出かけてぶらぶらするつもりだったのだが、結局思ったようにはならなかった。

巣鴨から桜木町まで乗り換え時間も含めて電車で小一時間だ。出がけにYouTubeで古今亭志ん朝の「文七元結」を聴いていたら、ついつい腰が重くなり、住処を出たのが午後2時ちょうどくらいで、山手線、東海道線、根岸線を乗り継いで桜木町に着いたのが午後3時ちょうどくらい。落語会は午後5時半開演なので、その前に腹ごしらえをしようと考えた。桜木町の駅を出て海のほうへと歩みを進める。ぶらぶら、とは言いながら全く無目的というわけではなく、日本郵船歴史博物館だけは行くつもりでいた。それでも途中で見かけたギャラリーなどにひっかかり、博物館目前にして「Ceylon Tea」の看板につられてその紅茶カフェに入った。日本ではどういうわけか紅茶主体のカフェの成功事例が少ない。土曜の昼下がりで、場所によっては行楽客があふれているというのに、そのあたりは静かで、そのカフェもそのときは客は私だけだ。チャイとココナツバナナケーキをいただく。チャイは上品な味で、ケーキのほうは不思議な味だ。おそらくココナツが不思議の原因なのだろうが、菓子というより軽食に近い感覚だ。

ある企業を取り上げて、その社史を辿ったときに、それがこの国の歴史とどれほど深く交わるかというのも、その企業の大きさの尺度になるのではないだろうか。今回は、船の調度品と外航関連のポスター類に関する展示を観ようと思って日本郵船歴史博物館を訪れたのだが、然して広くもない館内をざっと歩いてみて、海運業というものの重さを感じた。

落語を聴くようになったのは40を過ぎてからだ。やはり自分が人としてひととおりのあれこれを経験してみて漸く少しは人情というものがわかるようになったということなのだろう。勿論、多くの噺家は10代20代から師匠に弟子入りをして修業を始めるわけだが、若い時代に噺家の道を進もうと決断できること自体が才能だと思う。噺家の道を志した人が全員大成するわけでもないし、生涯噺家を全うした人の芸が必ずしも優れているというわけでもない。人気と技量とは必ずしも比例しないし、二世三世がかならずしも恵まれているわけでもない。それでもやはり、いいものをみせて頂いたという気持ちになる噺はある。悲しくもない噺なのに、何故か涙腺が緩んでしまうこともあれば、おかしくもないのに笑いがこみ上げてしまうこともある。つまり、それが芸の力ということなのだろう。芸事というのは、もちろん努力があってこそ存在価値が生まれるのだろうが、才能あっての努力というところが大きいように思う。同じようなことを体験したときに、それを経験として自分の血肉にできる人と、体験に留まったまま忘れ去ってしまう人があるのではないか。体験を経験にできるのも持って生まれた能力に拠るだろう。結局のところ、芸事あるいは表現というものは、表現するほうも鑑賞するほうも、外部のものごとを内部化する能力のある者だけが愉しむことのできるものではないかと思う。

さて、今日の落語だが、私が噺家についてとやかく書くのは野暮というものだろう。開口一番も含め、たっぷり楽しませていただいた。とはいえ、「楽しかった」だけというものなんなので、いくつか思ったことを書かせていただく。

まず「三十石」。生で聴くのは初めてだ。サゲがなく、すーっと終わる形でまとめられていた。これもまた粋だなと思う。何が何でも噺にオチを付けるというのは、ある種の病ではないかと私などは考えてしまう。現実の生活は生まれてから死ぬまで、何事も途切れることなく綿々とつながり交錯し混合しているものだろう。そうそう起承転結がはっきりしているものなどない。しかし、なにがどうなのかということをあやふやなままにしておくというのは人情として不安なので、なにかというと「で、結論は何だ」となるのである。だからこそ、サゲずにすーっと終わって、しかも心地よいという噺をするというのは難しい、のではないだろうか。なにかのひとつおぼえのように「結論」だの「合理性」だのと騒ぎ立てるテンション民族にはなりたくないものである。

「はてなの茶碗」は好きな噺のひとつだ。「合理」と騒ぎ立てたくない、と書いた筆の先も乾かぬうちにこんなことを言うのもなんだが、この噺には価値というものの真髄が語られている。下手な経済の教科書よりも、市場経済というものを饒舌に且つロジカルに語っている噺だ。茶屋で使っている数茶碗。しかも漏れるというのだから不良品だ。中古品で不良品となれば、その貨幣価値は限りなくゼロだろう。それが著名な目利きの眼にとまったと勘違いした奴が騒ぎ出すところから、話題が話題を呼び、最終的に1,000両という値が付く。なんだか知らないが、「値打ち」だの「価値」だのと、それが絶対的な尺度であるかのように語られているのをしばしば見聞するのだが、大抵は噴飯話だ。そういう粗忽な人は、ひとまず寄席や落語会に足を運んで「はてなの茶碗(茶金)」とか「千両みかん」のような噺を聴いて、「価値」とはそもそも何なのかじっくり考えたほうがよいのではなかろうか。

「お若伊之助」はある種の怪談だ。狸が人に化けて人間に子を孕ませる。畜生と人間との交わりに関する民話の類はある。有名なのは『遠野物語』のオシラサマにみられる馬娘婚姻譚だろう。落語「お若伊之助」では人間の女性と狸の組み合わせだが、人の男性と狐の組み合わせで「天神山」という噺がある。人類史上、人と異類との交渉は皆無ではないだろうが、話としての異類婚姻譚は異類にその話が成立した時点での何事かを例えたものと考えるのが自然だろう。そんなことはともかく、まくらのなかで三三は、狐や狸に化かされるというのは、未知のことを語るのに「化かされる」という表現をつかったのだろうと語っていた。ちょうどそれが今は「科学の進歩で」というように「科学」に置き換えられているのではないかというのである。彼が例に挙げていたのは携帯電話だ。確かに電波で電話やネットにつながるというのは多くの人が知っているが、ではその電波というものがどのようなものなのかということを語ることができる人がどれほどいるだろうか、というのだ。なるほどそういうものかもしれない。

私の手元にある枝雀のDVDでは、なにかのまくらで、化かす化かされるというのは、自然と人間との距離を象徴しているのではないか、というようなことが語られている。狸や狐はかつてほんとうに人を化かしていた。しかし、人間が自然に対してあまりに傲慢な態度をとるようになったので、彼らは人間を相手にしなくなった、というのである。化かす化かされるということに関して、私は枝雀に一票を投じたい。

本日の演目
「みかん屋」 桂鯛蔵
「のめる」 柳家三三
「三十石」 桂吉弥
 仲入り
「はてなの茶碗」 桂吉弥
「お若伊之助」 柳家三三

開演: 17時30分
終演: 20時00分
会場: KAAT神奈川芸術劇場