熊本熊的日常

日常生活についての雑記

学校というところ

2011年06月12日 | Weblog
美大に入って初めて取り組んだ通信課題ができあがり、明日、郵便局へ持ち込んで発送しようという段になった。提出物の形式については事細かな指示があるのは理解できるとして、提出方法にも使用する封筒のサイズが角形3号という指定がある。学校からは長形3号の提出物発送用封筒が支給されている。今回の課題の提出物も、その支給された長形3号に収まるのだが、理由の説明無く角形3号なのである。

少し前に、学校からアンケートの依頼が来た。その文面は「依頼」ではなく「指示」だ。「アンケート」ということで無記名ということもあり、その「指示」文面に引っかかりもあったので無視することにした。

大学というところに籍を置くのは今回で3校目だ。自分が齢を重ねてふてぶてしくなっている所為かもしれないのだが、学校から来る文章類の文面が、これまでとは違って、いつも気になる。そこには暗黙のうちに学校側と学生側の間に上下の関係が想定されているように感じられてならない。果たして学生と学校の適切な関係とは、そういうものなのだろうか。

最初に卒業した大学はごくありきたりのところで、高校を卒業してそのまま進学したところだったので、大学あるいは先生とのやりとりというところの位置関係には殆ど関心を払うことは無かった。ふたつ目の大学はイギリスの学校で、そうしたやりとりが自分の言語ではないため、関係性というようなことは正直なところよくわからない。そして今回の学校になるわけだが、これまでの何回かのスクーリングとそれに伴う学校の事務方の人たちとのやり取りには違和感は無い。問題は文書なのである。なんとなく威圧的なものが感じられて、手にする度に首をかしげる。

卒業後の大学との関係も学校毎に違う。最初に卒業した大学では、卒業後でも@以下が大学のメルアドが使える。もちろん、指定した別のアドレスへ転送するよう設定することもできる。また、URLも割り当てられていて、ブログやHPを開設することもできる。しかし、大学名のアドレスやURLというのは、在学中であるとか大学に就職しているというならいざ知らず、さすがに使い勝手が良くないだろうと思う。使っていないので、そういう表現しかできないのだが、とりあえず大学のほうのメルアドもURLも自分が日常用いているものへ転送するよう設定してある。このほか、大学名の入ったクレジットカードというものもある。図書館などの大学施設も使えるし、活用しようと思えば活用できそうなリソースはそれなりに用意されている。イギリスの大学は、日本にいると卒業生間の交流の機会は年に数えるほどしかないが、それでも毎年、学生募集のために世界を巡回するミッションが来日する折には会合の席が設けられる。日本でも年に何度かはあるほどなので、当然、イギリス国内では頻繁に卒業生間の交流の場が設けられている。卒業してしまった後だからということもあるだろうが、どちらの学校も首を傾げたくなるような姿勢は感じられない。

つまらぬところに我を張って単位を落とすというのも大人気ないので、手元にあった放送大学の角2号封筒を、求められている角3号に作り直し、そこに課題を入れて学校へ送った。