熊本熊的日常

日常生活についての雑記

芸の意味

2013年10月27日 | Weblog

柳家三三の独演会を聴いてきた。前座無しで三席だったが、二席目の「五貫裁き」が落語らしくて良い噺だと感じた。落語らしさとは何なのか、そもそも落語とは何なのか、というのは人それぞれだろう。私は、人としての在り様を笑いや涙に包んで人の腑に落とす話芸が落語だと考えている。社会規範をその社会で暮らす人々の腑に落とすための物語だから「落語」なのではないかと思うのである。決まり事や道徳というのは、ただ表面を語ったところで理解されるものではない。感情に訴え、感覚として納得されて初めて、物事は相手に伝わるものだ。そういう伝えるべきものが無い噺は、一時の笑いや涙を呼ぶことはできても、そこから深く情に染み入ることができないだろう。噺家は単なる媒体ではなく、その噺のなかにある核を掴んだ上で語らないことには、人を笑わせることはできても唸らせることはできないのではないかと思う。

本日の演目
 加賀の千代
 五貫裁き
 (仲入り)
 粗忽の釘

開演:13時30分頃  終演:15時30分頃

会場:小金井市民交流センター 大ホール 


ある喪失

2013年10月15日 | Weblog

マンチェスター大学の寮友であった人が8月31日に亡くなったとの知らせをご親族からいただいた。留学後にお会いしたのは初回の結婚披露宴の時が最後だったので、22年近く前のことになる。その間は半年に一回程度、メールやはがきが往来する程度の付き合いだったが、ここ数年はそうした通信の度にこのブログを読んでいる旨が書かれていた。寮の食堂で毎朝食事を共にしていた時期は1年足らずだったが、寮の食事が無い週末はよく一緒にダウンタウンの中華街にも出かけたりした。浮世絵がお好きで、たまにロンドンに出かける用があると、日本美術の専門店で画や版木などを買っていたのを思い出した。氏の帰国後数年は年賀状が版画だった。もともと研究者だったのだが、国立の医科大学に勤務されていて、年齢を重ねるに連れて研究以外の仕事も増えたようだった。その雑用が苦痛だというようなことも聞いた記憶がある。何かと多忙になった所為か、そのうち普通の印刷の年賀状になってしまったのは少し寂しい気がした。2009年には奥様を病気で亡くし、気落ちしているのがメールの文面にもはっきりと見て取れた。その後は御自身の体調も崩れ、2011年に定年を迎えたことも関係しているのか、2012年の年賀状には「もうだめかもしれない」と弱気なことが書かれていた。それでも、いつか再会しようと言い合っていたのだが、とうとう再会を果たすことができなくなってしまった。最後に言葉を交わしたのは、私の2回目の結婚にお祝いの言葉を頂いたときだ。これでまたひとつ、私のアドレスブックには主のいないメルアドが残されることになった。ご冥福をお祈りする。