熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記2018年3月

2018年03月31日 | Weblog

六代目 三遊亭圓生『新版 寄席育ち』青蛙房

もちろん六代目圓生という噺家のことは聞いたことがあった。しかし、自分が落語を聴くようになった時には既に他界されて久しかったこともあり、どちらかというと柳系の噺が好きなこともあり、ネットの動画がたくさんあるにもかかわらず聴いたことがなかった。たまたま昨年秋に「円生と志ん生」という芝居を観る機会があり、そこからようやくと動画などで噺を聴くようになった。それで芝居で取り上げられていた満州時代のことが気になっていて、この本に行き着いた。本人はその時のことをどう捉えているのだろうかと思ったのである。

私自身はあの戦争を経験していないが、自分の親やその世代以上の身内や知り合いは経験していて、話だけはいろいろ聞いている。生活というものはそこで暮らす人々が作り上げるものなのだが、物理的な風景が人々の心象に与える影響は大きいだろう。今の暮らしの風景の基は焼け野原になったあの戦争だ。その後の高度経済成長やバブルでも大きな変化があったのは確かだが、焼け野原から復興したという現実ほど確かなものはない。その前が関東大震災だそうだ。あれでそれまでかろうじて残っていた江戸的な風景が完全になくなったとよく耳にする。

それで圓生の満州だが、日本を発ったのが昭和20年5月6日、帰国が昭和22年3月17日とある。当初2か月の予定の慰問だったのがこんなになったのである。慰問は予定通り2か月で昭和20年7月5日に慰問の出発点である新京へ戻ったそうだ。ところが戦況悪化で日本への船がなかなか出ない。新京で待機となっていたところへ追加の仕事を引き受けて満州を方々歩くことになった。8月に入って奉天にいたときにソ連が宣戦布告。その後の予定をすっぽかしてとりあえず新京に戻ろうとしていたところへ満芸から大連へ行ってくれとの依頼。はじめは断ったものの新京に戻ったとこでその先のあてがあるわけでもなし、同行の志ん生が「ここにいるより大連へ行ったほうがよくァねえか」というので特急「はと」に乗って大連へ。そこで終戦を迎えた。8月12日ソ連軍進駐。

だまされだまされずゥッと一年以上いたから、なんでも信用しなくなっちゃった。汽車へ乗っかっても「この汽車、どッか変な所に行っちまうんじゃァないかしらん」と思ったりしましてね…やっとのことで品川の八ツ山ンとこに来た時は本当に嬉しかったですね。実に、あすこへ来て、もうこれならば確かに帰ってきたと思いました。(276頁)

というのが師の満州体験の総括だろうと思う。圓生と志ん生は満州へ行って噺が上手くなったという評判だったというのはよく言われていることだが、しかし、それについて本人は

あたくしァこれァ本当に馬鹿にされたと思いました。毎日々々演ってうまくならなかったものが、ほとんどまる二年の間、まァたまには演りましたが、大よそは休んでしまって噺をしない日が多かった。それが帰ってきてうまくなるわけがない。こいつァつまり、からかわれているんだなと思って、初めは、そういうことを言われると腹が立った、ひとを馬鹿にしてやがると思って。(277頁)

だそうだ。本当のところはわからないが、人というものは自分で意識してどうこうなるものではないような気がする。数値で測ることのできるものはたくさんあるが、そういうものに表れるものはそれだけのことで、生きている現実にとっては計り知れないことが大事だと漠然と思うのである。

 

関山和夫『落語名人伝』白水Uブックス

時系列で「名人」と言われた落語家を語っているが、内実は仕事論とか人生論であるような気がする。結局のところ、「名人」であろうがなかろうが、人は生きていく上であたりまえの負荷を抱えながら、真摯に目の前の仕事に取組み、誠実に他人と接し、己の分をわきまえて暮らしていくよりほかにどうしようもないのである。結果として「名人」として脚光を浴びることになるかもしれないし、何もないままに生涯を全うするかもしれない。生活とはそういうものなのである。

 


香港出張終了

2018年03月23日 | Weblog

いつもと同じように起床するが、少し早めに部屋を出て宿のチェックアウトをする。昨夜、フロントが24時間開いていることを確認したのだが、フロントには誰もいない。朝5時半だというのに、フロントと同じフロアにあるジムではトレーニングをしている人がいる。フロントの電話で「ご用の際にはこちらへ」という番号に電話をすると何回かの呼び出し音の後に男性の声。しばらくすると見るからに寝起きの兄ちゃんが登場。パソコンを立ち上げ、勘定の支払いを済ませ鍵を返して外に出る。チェックインの時に聞いた注意事項では、チェックアウトの時にインベントリーチェックがあるので時間がかかることがあるとのことだったが、そういう方の時間は全くかからなかった。

Airport Expressの駅では飛行機のチェックインができる。職場が香港駅のすぐ近くなので、出勤前に駅でチェックインを済ませる。チェックインは始発から終電まで可能で午前6時前でも問題ない。チェックインの後、出勤して仕事をして、研修を受けて、周りの人たちに挨拶をして、午後1時過ぎに職場を出る。そのまま駅へ行って電車に乗って空港へ。ほとんどトンネルなのだが、地上に出ると目に入るのは巨大な物流施設だ。何もないけど何でもある香港の舞台裏である。空港に着いてすぐに出国審査を済ませる。大きなフードコートがあるのだが、午後2時頃でもどの店の前にも列ができている。席はほとんど塞がっているが、果てしなく食べ続けている人は多分いないので、適当に空いて、適当に回転する。土産物の店鋪にも適当に人がいる。空港という特異な空間だが、それにしても消費熱のようなものに妙な違和感を覚える。

香港から羽田まで約3時間半のフライト。羽田からはリムジンバスで調布へ。調布からはタクシーで帰る。雨が降っていたので羽田に着いた時点でタクシーを利用することに決めていた。タクシーなら荷物を持って帰ろうと思い、宅配は利用しなかった。飛行機もバスも満席だ。これだけ人が動くのだから、世間の景気は良いに違いない。いや、間違いなく景気は良い。こんな何の役にも立たない人間を10日も研修目的で出張させる余裕があるのだから。


香港の週末 日曜日

2018年03月18日 | Weblog

落馬洲に行ってみようと思った。日本で生まれ育ったので国境というものを見たことがないままに社会人になった。日本人であっても朝鮮半島や樺太の南半分が日本領であった時代の人はそういうところに行けば国境というものを見ることができた。今はそういうわけにはいかない。素朴に「国境」っていうのはどうなっているのだろう、と思っていた。それで見に行ったのである。それが英国領であった時代の香港と中国との国境だった。1986年1月のことだった。

当時は落馬洲に国境展望台というものがあった。上野の山から西郷さんを取り除いたようなものだが、観光客は少なく、何人かの絵葉書売りのおばさんがいるだけの長閑なところだった。香港からは九広鉄道で上水へ行き、そこから元朗行きのバスにのって落馬洲で下車する。上水の駅は完成間もない頃の南浦和のような風情だったが駅前には露店がびっしりと建ち並び、至るところから蒸し物の蒸気が上がっている活気のあるところだった。そこで食べた肉まんが美味しかったのを今でも記憶している。バスはガラガラで、乗車するときに落馬洲へ行くかと尋ねたら行くというので乗車したものの、客は私以外に数人だった。田圃が広がる場所でバスが停まり、運転手が客席のほうを振り返って何事かを叫んだ。そこが落馬洲らしい。私が席から立ちあがると運転手がニッコリした。バスが行ってしまうと長閑というより寂しい感じの場所だ。田圃だと思ったところは、後で聞いたところ鴨池だそうだ。バス停から国境展望台までは畦道のように鴨池を貫く一本道で、その先がこんもりとした丘のようになっていた。国境展望台からは遠くのほうにビルが立ち並ぶ深センの街が見えた。

今日は落馬洲へ出かける途中、太和で下車して香港鉄路博物館に寄る。実際に使われていた駅舎や車両が展示されているだけのところで、博物館というほどのものではない。それでも週末の所為もあるのだろうが見学者がひっきりなしに訪れ、中国本土からの観光バスもやってくる。すぐ隣を九広鉄道が走っていて、たまたま中国方面から香港方面へ向かう機関車牽引の列車が通った。速度を落として走行していたので車窓の中がちらりと見えたが、羅湖や落馬洲で乗り換えてやってくる人々とは雰囲気の違う人たちが乗っているようだった。

太和から落馬洲行きの電車に乗る。そこそこに混んでいて、ほぼそのままの状態で落馬洲駅に到着。かつて遠くにあった高層ビル群が間近に迫り、鴨池が広がる様子はなかった。乗客は怒涛のように中国本土へ向かう列車が待つホームへ向かって流れて行った。その流れが落ち着いたところで出口を探したのだが、見当たらない。駅の案内所に行って聞いてみたところ、ここでは駅から外へ出ることはできないらしい。仮に外へ出たとして、警備中の警察官に見つかったら逮捕されるというのである。国境展望台はもうないらしい。

とりあえず香港方面へ向かう電車に乗って一駅戻る。なつかしい上水で下車する。見たこともない風景が広がっている。駅は南浦和よりも立派になり、ローターリーを挟んで商業ビルと高架橋で連絡している。ロータリーと商業ビルの地上階がバスターミナルだ。その昔、肉まんを買った露店があったのは、今のロータリーのあたりだっただろうか。駅前の地図でバス停の位置を確認すると元朗行きのバス(路線番号77K)は商業ビルの地上階から出るらしい。その乗り場に行ってみるとバスは停車していたが運転手の姿はなく、バス停には3人ほど並んでいた。待っている人がいるのだからそのうち出発するのだろうと列の後ろに並ぶと程無くして運転手が戻ってきた。入口の扉が開き列が動く。迷うことなく2階の先頭の席に座る。運転席の真上。2階席は楽しい。

駅前は南浦和以上に開けていたが、10分も走ると道路は狭くなり、往来は閑散とし、緑が深くなってくる。ダブルデッカーがすれ違うのがやっとという道路になりバスすれ違うときには徐行する。しかし運転手同士は互いににこやかに手を振って挨拶している。いい雰囲気だ。昔はこの元朗行きのバスで落馬洲で途中下車したはずだが、今はそれらしいところを通らない。出発してしばらくはバス停に止まる度に下車する客ばかりで乗車する客がいなかったのだが、やがてバス停で止まることなく走り続けるようになり、そのうちバス停に止まる度に誰かしら乗車するようになる。いつのまにか道路が広くなるが、車窓の風景は緑が多い。高架鉄道が見えてきて駅があったので元朗までは行かずにそこで降りることにする。MTRの錦上路という駅だ。昔来たときはまだMTRがなかったので元朗まで行って、そこでバスを乗り継いで香港市街へ戻ってきたはずだ。

錦上路からは香港とは反対方面行きの電車に乗る。元朗を通り越して天水圍で下車。この駅の近くに屏山文物径という歴史的景観保存地区がある。13世紀、元の時代にまで遡る地区らしいのだが、さすがにその時代のものは壁や建物の土台などの一部で、総体に18-19世紀くらいのものだろう。景観保存地区といっても、そこで生活している人たちがいて、そういうところを他所から来た観光客がうろうろするというのはいかがなものだろうかと思いながら、自分もその「うろうろ」のひとりなのである。高台の上にかつて警察署だったという建物が博物館として公開されている。景観保存地区から少し外れたところにあるので人の往来はほとんどないが、全くないわけではない。私が中に入ったとき、先客が3人いたが、3人とも館内の見学を終えて外に出ようとするところだった。しばらく私ひとりだけになり、私が出ようとするころに1人入ってきた。別館のギャラリーへ行ってみるとさきほどの3人がいて、というような塩梅だ。香港は英国の植民地になってから急速に開発された地域で、それ以前は辺境だったので、そうした特異な歴史というか中途半端な感じというか、ちょっと考えさせられるところがある。何を考えさせるかということは、ここには書かない。

天水圍からMTRに乗って柯士甸で下車。九龍公園のなかにある香港文物探知館を訪れる。さきほど辺境と書いたが、「香港の歴史」というときに先史時代にまで遡って展示がなされているのである。それは以前に訪れた香港歴史博物館でも同じことだ。わずかなスペースで先史から現代まで一気に見せる、見せられるところが香港なのである。

週末の九龍はたいへんな人出で、歩いているだけで疲れてしまうので、MTRで香港島に渡り、昨日訪れた茶具文物館を再訪し売店で土産にする茶を買う。ここでは試飲はできないが茶葉の香を嗅ぐことができるようになっていて、一番気に入ったのは台湾産のものだったので、改めて香港の業者のものから選び直す。

昨日と同じくトラムで宿の近くへ戻り、ケバブーを買って宿の部屋でいただく。


香港の週末 土曜日

2018年03月17日 | Weblog

前回、香港を訪れたのは2012年1月だった。失業中で職探しに行ったのである。日系金融機関の現地法人でその責任者がかつての職場の同僚で、仕事を探している私に声をかけてくれた。生憎、そこは香港から撤収することになり、そこでの縁はなく数ヶ月後に日本で別の会社に就職することになった。そこから2回の転職を経て今日に至っている。

今回の出張では、毎日5時に起床して、6時に出社、9時までは通常業務、9時から17時まで研修という日課である。夕食は職場近くのスーパーで持ち帰りのものを買って宿の部屋で食べたり、宿の近所の食堂で食べている。さすがに半日職場で過ごした後にどこかへ遊びに出かけるほどの余裕が心身になく平日は職場と宿の往復に終始した。

このところ神社仏閣に詣でることが多く、香港でも地元の人々が参詣する寺院に行ってみようと思っていた。宿の近くに文武廟という寺院があることは地図で認識していて、職場の同僚からもそこが有名な寺院であることを聞いていたので、週末はまずそこにでかけることに決めていた。外見はそれほどの規模を感じさせない。周囲の高層建築物に埋もれるように在って、うっかりすると通り過ぎてしまうかもしれない。しかし、内部は見たこともないようなものだ。祀られているのは十王。日本なら十王は仏様の仲間で仏教の領域だ。しかし、ここは仏教寺院ではない。天井には蚊取り線香の大型版を立体化したような渦巻型の線香がたくさんぶら下がてっていて、下では赤い蝋燭が無数に灯っている。建物が石造りだからできることであって木造ならすぐに火事になりそうだ。参詣人は火のついた線香の束を手に五体投地のような礼拝をしている。火がたくさんつかわれているのと十王の像が彩色されている所為もあってビジュアルはカラフルだが、参詣している人がばらばらな印象で、雰囲気が緩い。荘厳とか厳粛とか「厳」の印象が薄いのである。神様と娑婆との距離が近いのか、あるいは離れ過ぎているのか。片隅にある売店ようなところで絵葉書とクリアホルダーを買おうとしたら、これは「買う」のではなくお布施の印に頂くものらしい。尤も、これは日本の神社仏閣も同じである。違うのは、こちらでは代金に相当する金額を賽銭箱に納めるところ。売店の番をしている人に払うのではない。つまり、釣銭が出ないのである。

次に向かったのは一新美術館。ここは無料なのだが事前に予約する必要があるらしい。予てウエッブサイトで本日10:00入館の予約を入れておいた。北角からフェリーに乗って行くつもりだったのだが、文武廟で思いの外長い時間滞在してしまったので、北角に着いた時点で微妙な時間になっており、フェリーではなく地下鉄で觀塘へ行く。しかし、結果的にはフェリーでも間に合った。予約が必要というのでよほど人気の場所なのかと思っていたが、少なくとも本日10:00に入館したのは私だけで30分ほど滞在したが他に客は現れなかった。現在展示されているのは趙少昴、黎雄才、關山月、楊善深、饒宗頤の作品。

地下鉄を乗り継いで香港文化博物館を訪れる。ここも入場無料。昼にはやや早いが館内の食堂で食事。メニューは英国風のものばかり。English full-breakfastとお茶いただく。このお茶がティーバックなのにたいへん美味しい。こういうところに長年蓄積されたものが表れる。展示は特筆するほどのものはなかったが、企画展として開催されていた展示のひとつに「武・藝・人生 李小龍」があった。ブルース・リーの特集である。この人の映画をちゃんと観たことはないのだが、妙に懐かしい感じを覚えた。それほど流行していたということなのである。展示されていたポスターの類に日本のものが多い気がする。中国の文物は本国よりも日本で多く保存伝承されていることが多いが、こういう比較的最近のものもそうなのだろうか。

沙田から九広鉄道で大学へ行く。駅前から学内バスで大学美術館へ。残念ながら美術館は展示替えのため休館中だったが、学内を散策する。広大な敷地で丘陵地に立地ており、駅は麓にあるので、坂を下りながら駅へ向かう。日本なら小学校高学年か中学生くらいの子供の家族連れ風の人たちと遭遇する。子供に学校を見せて勉強の意欲を煽ろうとでもいうのだろうか。そういう親子連れの子供たちは、そう思って見る所為か、賢そうだった。

鉄道を乗り継いで香港島へ戻り、そちらの大学美術博物館を訪れる。こちらの大学も坂の多い敷地だ。2棟から成っているが全体にこじんまりとしていて、博物館というよりは資料室のような印象。小企画として「元代景教銅牌展」というコーナーがあった。ピンバッチのようなものだが、十字架と卍が組み合わされた意匠が興味深い。宗教というと、今は科学の対極にあるようなものになってしまった感があるが、そもそもは世界観であり哲学であり、それを裏付けようとする科学を包括するものだったはずだ。そこに些末な区別は問題にならないのである。

さらに地下鉄で香港公園にある茶具文物館へ行く。道具類の展示は少ないが、茶を淹れる様々なやり方がビデオで流れているのが興味深い。聞き齧った中国茶の作法というのはほんとうにこの大きな世界の一端でしかないことをわずか5本かそこらのビデオでおもい知る。

香港公園のある高台の麓からトラムで宿の近くまで戻る。宿の近くのタイ料理屋で食事をしてから宿に戻る。


これがあの

2018年03月14日 | Weblog

宿から職場まで徒歩10分程度だ。職場の入っているビルの近くに従軍慰安婦像があった。朝鮮、中国、フィリピンの3バージョンあり、像近くに設置されたスピーカーから女性の声で、たどたどしい日本語で、いかに自分が酷い目に遭ったかということを語る音声が大きな音量で流れていた。像の背後には尖閣諸島が中国領であることを訴えているらしい横断幕などがかかっている。昼間は人通りが多いので、像の写真を撮影するすることはなんとなく憚られ、出勤途上で撮影した。さすがに人通りの少ない時間帯には音声は流れていない。ただ素朴にこういうものなのかと思った。


香港出張

2018年03月12日 | Weblog

まさかこの歳で本格的な研修を受けることになるとは予想だにしていなかった。香港へ行って約10日間の研修である。通常業務も早朝に限って行うことになっており、香港時間で午前6時から9時までが通常業務、その後午後5時まで研修。最終日は研修を午後1時で切り上げて帰国という予定だ。

今日、午前中は個展に花を頂戴した方々へお礼状を書き、昨夜個展会場から引き上げてきた品物を片付け、洗濯物にアイロンをかける。出張の荷造りをして、昼食を済ませて家を出る。新宿からリムジンバスで羽田に行き、夕方のフライトで香港へ。

香港では空港からタクシーで宿泊先のサービスアパートへ行く。旅の荷物は少ない方だと自分では思っているのだが、2週間近いこともあり今回はスーツケースで行く。荷物を抱えて右往左往したくはないので経費で落ちなくともタクシーを利用する。運転手に行き先を告げると道が狭かったり一方通行が多かったり入り組んでいたりで行きにくい場所だと言われる。それでも香港に来て3年になると言う中国出身の若い運転手は迷うことなく宿のほぼ前に車を着けた。料金は374ドルだが、道中の楽しい会話と屋台が並ぶ走りにくそうな路地を縫うように車を宿へ着けてくれたことへの感謝もあって400ドル渡し、互いに笑顔で別れた。

ごちゃごちゃと込み合った中にあって、タクシーをおりた時には少し不安を覚えたが、フロントの対応はしっかりしていて、部屋は綺麗で広い。たぶん、今暮らしている公団住宅よりも広い。


ふだんのちゃわん 最終日

2018年03月11日 | Weblog

妻の職場から2人、母の友人といった方々以外にギャラリーのご近所と思しき方々数名の来店。どのようなことであれ自分が作ったものに興味をもって足を運んでくださる方がいることが嬉しい。その上、お買い上げいただいて、それまでお目にかかったことのない方々のところで使っていただけるのはもっと嬉しい。こういうことが年に一度でもあると、とりあえず生きていてよかったと思う。


ふだんのちゃわん 4日目

2018年03月10日 | Weblog

昨日、一昨日とは違って天気に恵まれた土曜日。前回と異なり、今回は150枚ではあるが案内状も準備した甲斐があって知り合いが訪ねてくれた。
大学の卒業旅行でたまたま成田からソウル経由コロンボまでの往路とカルカッタ=ダッカ=バンコク=ソウル=成田の復路のフライトを共にした一人であるS君
行きつけのコーヒー豆店のHさん
留学先の日本人同窓会組織の幹事であるIさん
ほかに娘が友人を誘って来たり、母が来たり、といった身内系の来客もある。会話の多い一日となる。

それでも来客数は初日9名、2日目0名、3日目2名、本日13名。購入客数は初日6名、2日目1名、3日目3名、本日8名。2日目と3日目に来客数より購入客数が多いのは、ギャラリー関係者に購入して頂いたためである。残す会期は明日だけだが、前回と比較すると、天候要因もあって数字の振れは今回のほうが大きいが総じて前回と然して変わらない状況だ。値段に関係なく、大きなものは動きが悪い。しかし、こうした展示販売ではなく、注文を頂いて制作するものは大きなものばかりなのである。また、今回も自分の陶芸作品に加えて妻の実家から提供を受けた木工品を展示販売しているのだが額が3つと文箱が1つ売れた。

残すところ明日一日。どんな日になるのだろうか。


ふだんのちゃわん 3日目

2018年03月09日 | Weblog

今回はひとつ500円のコーナーを設けた。前回までは大きさや形にかかわらず1,000円を基本にしており、サイズの大きなものを2,000円や3,000円にしていて、小さなものは特別扱いをしていなかった。今回は猪口やぐい呑のようなものを集めて「ひとつ500円」ということにしたのである。その500円コーナーのものはこの3日間で3個売れた。こういうところで買う人は値段で買うわけではないので、安くしたからといって売れるものでもないだろうと思っていたが、その通りだ。

昨日読み始めた圓生の『寄席育ち』は早くも読了。今日は来客2名。ふたりともこのギャラリーの運営を任されている人の知り合いだ。ギャラリー運営担当者を訪ねて来る人が何人かあり、階下の旧カフェでおしゃべりをして帰っていく。小さな空間なので、その会話が自然に耳に入ってくるのだが、これがなかなか面白い。特に、今日は自分で窯を持って陶芸をしている人がいて、その作家としての悩みのような話は大変参考にもなった。


ふだんのちゃわん 2日目

2018年03月08日 | Weblog

今日からは搬入がないので、職場に出勤するように会場へ向かう。前回の経験で午前中は来店客がないと見て、今回は前回よりも開店時間を1時間遅らせて11時にしている。

朝から雨模様。来店客はひとりもなかった。閉店間際にこのギャラリーのオーナーがやってきてしばし雑談。昔、階下のカフェの前によく出没していたという猫の写真があるので、それを飾るのにちょうどよいと額を2つお買い上げ。カフェの再開を考えておられるとのこと。このままの状態で引き継ぎたいという人はいくらでもいるだろうが、当然、オーナーにはいろいろお考えがあるのだろう。

来店客がなく、やることがないので六代目圓生の『寄席育ち』を読む。落語は柳家系と米朝・枝雀をネットの動画やDVDなどで聴くのだが、圓生は聴いたことがなかった。昨年秋に紀伊國屋サザンシアターでこまつ座の「円生と志ん生」という芝居を見て多少の興味は湧いていた。そこに先日、ネットの動画で「死神」「百川」「らくだ」を聴いて、どんな人だったんだろうと思いアマゾンでこの本を購入。今日は133頁まで。


ふだんのちゃわん 初日

2018年03月07日 | Weblog

前回同様、会期初日に商品の搬入をしなければならないので朝からおおわらわだった。昨日、荷造りをしたら、りんごの段ボール箱で10個になった。その他に妻の実家から提供を受けた木工品があり、梱包資材などの準備も含め全部で12個である。箱の内容がこわれものであり、それを運ぶ我が身の老齢という事情があり、箱はひとつずつ運ぶことにした。

まず、それらの段ボール箱を自宅玄関に集めておく。予約しておいたレンタカーを借りに出かける。会場周辺が狭い路地だらけなので、車は軽自動車だ。午前7時15分、車を自宅階下につける。エレベーターがないので、4階の自宅から下の車の間をひたすら往復する。汗びっしょりだ。

午前7時半過ぎに自宅前を出発。甲州街道を都心方面に進むが、いきなり渋滞にはまる。環状8号線との交差点がネックだ。出発時にはカーナビに表示される到着予定時刻が9時15分だったが、渋滞を抜ける頃にはこれが9時23分になっていた。甲州街道から環状7号線に入ってからは順調に進み、会場のギャラリーには9時13分に到着。

会場に陳列台をしつらえ、荷ほどきをした商品をざっと並べる。だいたいの配置が決まったところで、とりあえずその後の作業を妻に託して、レンタカーを返却に行く。会場から車で5分ほどの営業所に車を返却して、赤羽駅から埼京線で十条駅へ、会場へ、と往復約30分。この間に商品の陳列は進み、開梱した段ボールなどを片付け、案内状に告知した開場時間の13時前に余裕で準備が整う。開場前に義弟から花が届く。その後に妻の友人3名連名で花が届く。ありがたいことである。

これまでの経験から平日昼間には来客が数えるほどしかないと予想していた。これまでと違って、階下にあったカフェは昨年秋から休業中なので、カフェの客が回遊してくることがなくなり、これまでに輪をかけて来客は少ないと見ていた。ところが、開場前に「フライングいいですかぁ?」と早くも来店客。皿を一枚とぐい呑み二個お買い上げ。開場後も一人また一人と来客。小さな白マットの蓋物を手に、「梅干しを入れたくなって」とお買い上げ。その次は陶芸教室に通っているという御婦人が並んでいる物の技法についてあれこれ質問。鉄赤を下地にして部分的に銀を掛けた碗と弁柄で垣のような波のような模様を付けた長石釉の碗をお買い上げ。続けて妻の友人でこのブログの「ボジョレーの頃」に登場するご夫妻が来店し、大物ばかり五点お買い上げ。一旦落ち着いた後、ご近所と思しき方が皿と碗をお買い上げ。その後、お世話になっている整体師の先生が来店。カップと碗と丼鉢をお買い上げ。これだけ来店客があれば「大盛況」と言える。

会場は埼京線十条駅から徒歩5分ほどのところにあるGallery FIND。


お水取り

2018年03月03日 | Weblog

昨年10月に愛知県美術館で長沢芦雪展があり、観に行きたいと思ったのだが能わなかった。妻がどこかで奈良国立博物館で長沢芦雪旧福寿院障壁画を観ることができるらしいと聞き付けてきて、行ってみようか、ということになった。先があるかないか、という年齢になったのでモノよりもコトを大事にしたいと思っている。

このブログの年末に掲載しているエンディングロールに明らかなように、ここ数年、神社仏閣を訪れることが多くなっている。奈良は2015年から年に一度の割で訪れている。きっかけは2013年に東京藝術大学大学美術館で開催された興福寺仏頭展を観て、そこにあった興福寺友の会の入会案内を手にしたことである。仏頭に魅了されたとか、仏像に感心したというようなことではなしに、ただ面白そうだなと思っただけだ。興福寺では10月の第一土曜日に塔影能が催される。最初はわざわざ奈良まで出かけようとは思わなかったのが、次の年はどんなものか観に出かけてみようということになった。それで奈良に出かけて古い寺だの神社だのを参詣して回るうちに、奈良に限らずあちこちの神社仏閣を巡ることが習慣のようになってきたのである。

はじめのうちはお賽銭など出さなかったのだが、今は日頃から小銭を貯めておいて、お参りの時にはあげるようにしている。尤も、拝観料を取るところには出さない。お札やお守りの類も興味はなかったのだが、意匠がおもしろいものは買い求めている。また、小さな寺や神社で管理をしている人と言葉を交わしたときなど、やりとりの流れの中で買い求めることもある。どこそこのお札はご利益ある、という話を聞いて助平心で買い求めるものもある。 今は、どちらかというと仏壇よりも神棚に興味があるのだが、流石に公団住宅の狭い部屋にはそんな余裕はない。

そうした心境の変化の所為かどうか知らないが、物事の廻り合わせというものを感じるようになった。今日なども長沢芦雪のことしか頭になく、宿の人に「お水取にはお出かけですか?」と尋ねられるまで全く意識してしていなかった。お水取というものの存在は知っていたが、一夜限りの行事だと思っていた。3月1日から14日にかけてが本行でこの間は毎夜10本の大松明が二月堂へ駈け上がるが、若狭井からお香水を汲んで二月堂の十一面観音に御供えするのが13日の午前1時半頃でこれを指して「お水取り」と言うのだそうだ。その前後の儀式一切を修二会と言うのだが、俗称としては全部ひっくるめて「お水取り」と呼ばれることもある、とのこと。今日初めて知った。

そんなわけで宿の客のなかの希望者を募ってボランティアガイドの方々が案内してくださるというものに参加した。思いがけず有難い行事を拝見することができて妙に嬉しい。近頃あちこちの神社仏閣に出没しているので、あちらの方でも馴染みになってお誘いを頂いたような心持ちがする。