熊本熊的日常

日常生活についての雑記

目の毒

2012年04月30日 | Weblog

印刷博物館で電子書籍の展示を観て来た。電子書籍とされるものの歴史を語るコーナーはApple IIから始まっている。パソコンは文字通り個人的なアイテムとなったところから新たなメディアとして機能するようになったということなのだろう。PCの黎明期から既に電子書籍の端末が登場しており、その歴史が思いの外古いことに気付かされる。実機も交えての展示なので、こんなのもあったなぁ、と懐かしい思いがする一方で、どれひとつとして現在定着していないことに恐竜の歴史を重ねたくなる。PCのほうはすっかり生活のなかに定着したが、それは用途の多様性汎用性に負うところが大きいだろう。用途を特化した電子機器というのは、おそらく融通の利かなさ故に技術や生活の変化に対応できなくなってしまうのだ。

展示会場では同じコンテンツを紙媒体とiPhoneやiPad上で閲覧できるようになっている。比べてみればやはり紙媒体のほうが好きだ。図鑑や辞書のように検索をするものは電子媒体のほうが便利だが、少なくとも文芸作品なら紙でなければなるまい。薄っぺらな内容のものなら電子媒体でもよいだろうが、語られている世界観が装丁や印字に反映されてこその文芸作品ではないだろうか。コンテンツが重要なのは言うまでもないのだが、それを表現するのは文字だけではなく、文字が並ぶ紙の質感であったり、フォントの雰囲気であったり、表紙の絵や装丁だったり、挿絵であったりするものだ。本という存在がまるごと作品なのだ、と私は思う。

それで、というわけでもないのだが、この博物館の売店には面白そうな本がたくさん並んでいて、ちょっと覗くだけのつもりが1時間近くも立ち読みでねばってしまった。さんざん迷った挙げ句、広重の「名所江戸百景」を復刻した際の技巧について記録した本を買った。

浮世絵「名所江戸百景」復刻物語
クリエーター情報なし
芸艸堂

告知するほどのことでもないのだが

2012年04月29日 | Weblog

通っている陶芸教室で生徒作品の展示販売イベントを開催することになった。出品点数がひとり1点に制限されているのと、会場が教室関係者以外にはわかりにくい場所なので、果たしてどれほどの来場者があるものなのか見当もつかない。昨年夏以来、壷ばかり挽いていて、在庫が増えないので出展制限はあってもなくても出すことのできるものは限られているのだが、昨年秋に住民票を置いてある自治体の美術展に出品した作品を出すことにした。昨日はその搬入である。作品展は5月9日水曜日から5月21日月曜日まで、西武池袋本店別館8階にある池袋コミュニティカレッジのギャラリーで開催される予定。

搬入のあと、子供と代官山で開催中の美術展「COLORS」を観にでかけた。会場は代官山ヒルサイドテラスで主催はジャイアントマンゴー。この組織の代表者は私が以前勤務したことのある会社にいて、しかも在籍期間が1年数ヶ月ほど重なっているのだが面識はない。今回はこの展覧会に知人が出展しているので、子供に彼の作品を紹介しようと思ってやって来た。会場は思いの外広く、68人の作家がそれぞれに場所を割り当てられて展示してある。どれもどこか中途半端でそこそこに楽しいけれどそれほど面白くはないと思った。なかには作り手の邪念が見え隠れしていて、いったいなんのためにこうした作品の制作をしているのか疑問が湧いてしまうものもある。あまり「アート」などと構えないほうがよいのではないだろうか。「アート」とか「芸術」という垢だらけの言葉など捨て去って、「表現」という幻想を捨て去り、素朴に自分の心と向かい合うつもりで制作してみるほうが、もっと楽しくて面白いものができるのではないか。作り手が楽しくなかったら作品を観るほうだって楽しくないし面白くない。尤も、そんなことを考えるのは自分自身に邪念があるということでもあるだろう。困ったものだ。

昼はヒルサイドテラスの近くにある民家風のレストランで食事をする。よく団体旅行で「昼は現地有名レストラン○○○でお食事」というようなのに登場するような「お食事」だった。ことのところ、何気なく入ってみたらとてもよかったという経験が増えて気を良くしていたので、久しぶりにがっかりした。

食事の後はサントリー美術館で「毛利家の至宝」を観る。毛利といえば先日訪れた広島は毛利輝元がそれまで五ケ村と呼ばれていた地域に広島城を核に築きあげた城下町なのだそうだ。毛利は関ヶ原で西軍の主力であったので、江戸時代には安芸から防長へ移されるが、維新では重要な役割を演じることになる。戦国時代に毛利元就が現在の中国地方を支配下に収めて以降、日本史において常に大きな鍵を握り続けたと言っても過言ではない。サントリー美術館が入居する東京ミッドタウンはその毛利家の江戸下屋敷跡で、その後陸軍の施設や防衛庁といった利用のされ方をしたにもかかわらず、ミッドタウン建設のために整地をした際に毛利家のものとみられる遺構や品々が出土しているのだそうだ。今回の展示にはそうした出土品も含まれている。しかし本展の要は雪舟だろう。それ以外は特にどうということもない、などというと罰当たりかもしれないが、今回は図録を買わなかった。

美術館を出た後、ミッドタウンのなかにあるカフェで子供はクラブの合宿で出かけた先で撮影した写真を、私は八丈島や仙台・松島の写真を見せながら話をして家路に就く。こういうときはiPadは便利だが、こういうとき以外にあまり利用価値を感じない。もちろん、さまざなまアプリがあって、そういうものを駆使している人たちがいるのは承知しているのだが、そういうものに魅力を感じないのである。昨日触れた茨木のり子の『倚りかからず』のなかに「時代おくれ」という作品がある。

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

  そんなに情報集めてどうするの
  そんなに急いで何をするの
  頭はからっぽのまま

すぐに古びるがらくたは
我が山門に入るを許さず
(山門だって 木戸しかないのに)

はたから見れば嘲笑の時代おくれ
けれど進んで選びとった時代おくれ
      もっともっと遅れたい

電話ひとつだって
おそるべき文明の利器で
ありがたがっているうちに
盗聴も自由とか
便利なものはたいてい不快な副作用をともなう
川のまんなかに小船を浮かべ
江戸時代のように密談しなければならない日がくる
 のかも

旧式の黒いダイアルを
ゆっくり廻していると
相手は出ない
むなしく呼び出し音の鳴るあいだ
ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子らの
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯草の匂い

何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ
(『茨木のり子全詩集』 花神社 241-242頁)

今はさすがにシッキムやブータンの子供たちもネットでつながっているのかもしれないが、それにしても、まっとうでありたいとやはり思う。


あこがれのひと

2012年04月28日 | Weblog

伝説の詩集、といっても過言ではないと思うのだが、茨木のり子の生前最後の詩集『倚りかからず』が詩集としては異例の売れ行きとなったのは、それだけの内容があればこそだろう。そのあとがきのなかで茨木はこう書いている。「振りかえってみると、すべてを含めて、自分の意志ではっきりと一歩前に踏み出したという経験は、指折り数えて、たったの五回しかなかった。」(『茨木のり子全詩集』花押社 250頁)

昨日、このブログのなかで意志云々と書いたが、そもそも意志というものを意識することがないというのが大方の生き方なのではなかろうか。かくいう自分もこれまでに自分の意志でこうしたああしたと断言できることがどれほどあるか心もとない。茨木がこの言葉を記したのは1999年秋、73歳のことである。私には言葉を紡いで詩という作品に結実させることが意志の力そのもののように思えるのだが、それを生業としているはずの人が意志の力で一歩踏み出したのが「たったの五回」というのである。やはり意志というのは重い言葉だと思う。

引用の注にあるように、手元に『茨木のり子全詩集』がある。ひとつふたつ詩を読んで、気に入ればきっと同じ作者の他の作品も読みたくなるだろうと思って全詩集を買ってしまった。今日届いたばかりなのでまだ殆ど読んでいないが、少なくとも『倚りかからず』に関しては全て暗誦したいほどに気に入った。全部紹介したいのだが、とりあえず詩の題だけ羅列しておく。

「木は旅が好き」
「鶴」
「あのひとの棲む国」
「鄙ぶりの唄」
「疎開児童も」
「お休みどころ」
「店の名」
「時代おくれ」
「倚りかからず」
「笑う能力」
「ピカソのぎょろ目」
「苦しみの日々 哀しみの日々」
「マザー・テレサの瞳」
「水の星」
「ある一行」

あとがきによれば、原稿がまとまらないうちに装画が届いてしまい、それが椅子の絵だったので詩集の題名を『倚りかからず』にしたとのこと。それがほうんとうなのかどうなのか知らないが、表題にふさわしいのは確かだと思う。

「倚りかからず」
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
(『茨木のり子全詩集』花押社 242−243頁)

こういう詩を書くことのできるひとにあこがれてしまう。 

茨木のり子全詩集
茨木 のり子
花神社

供述によるとペレイラは……

2012年04月27日 | Weblog

加齢で眼が疲れ易くなり、電車の中で活字を追うのが辛いので、以前にも増して読書から縁遠くなった。不思議なもので、それでもついつい読んでしまうものもある。先日亡くなったアントニオ・タブッキの傑作と言われる「供述によるとペレイラは……」は難なく読通してしまった。

過去を振り返るとき、人は神になる、などという。あのときはああすべきだった、そういうときはこういうふうにするものだ、という具合にまるで神にでもなったかのように過ぎ去った事象について論評できるのだ。今という時代に20世紀前半のファシズムの台頭を回顧すれば、ヒトラーがどうだったとか、ムッソリーニが、とか、日本の軍国主義は、とか、なんとでも批評できる。しかし、その時代に生きていたとしたら、果たして同じように明快に事の是非を判断して行動していただろうか。

政治とは無縁であった市井の人々が日々の暮らしのなかで、ごく自然に体制に染まっていく、あるいは反抗していく流れのようなものがあるのだろう。声高に主義主張を叫ばなくとも、その時々に自分が良かれと思った行動を重ねていくうちに、結果として残虐行為の先頭に立っていることだってあるだろうし、逆に反体制派の重鎮に収まっていることもあるだろう。人は生まれることを選べない。強い意志を持って事に当たれば云々、というようなことを口にする奴に限ってそういう経験が無かったりするものだ。意志の強弱と人生の結果というのは然して関係が無いのではなかろうか。そもそも生まれたことさえ自分の意志ではないのである。存在の大前提が偶然の生なのに、その生の持ち主が「意志」を持ったところで、それがどれほどのものだというのだろう。

主人公のペレイラは長年に亘って大手新聞社の社会部記者として活躍してきたが、どういうわけか弱小新聞『リシュボア』の文芸部長に転身した。「部長」といっても部下がいるわけではない。彼ひとりで週に1回掲載される文芸面の制作をする。自分が好きなフランスの短編小説を翻訳して紹介したり、著名な文筆家の死亡追悼文を書いたり、記事の執筆から編集までひとりで担当している。かつて社会部の記者であっても、今は世間には殆ど興味はなく、文芸の世界だけに生きている。親しい友人があるわけでもなく、何か話したいことがあれば数年前に亡くなった妻の遺影に話しかける。肥満で、おそらくその所為で心臓も悪く、医師からはダイエットを勧められているが、大量の砂糖を入れたレモネードとチーズ入りのオムレツが大好きで、行きつけのカフェ・オルキディアでは必ずといっていいほどこれらのうち少なくとも片方を給仕のマヌエルに注文する。

そのペレイラがふとしたきっかけで結果的に反体制運動の活動をしているらしい若者を支援することになり、その若者がペレイラの家にいるところを政治警察に踏み込まれる。そして私生活までも網羅するかのような「供述」を残すことになる。供述の後、ペレイラがどうなったのかはわからない。彼の「供述」を読めば、彼の生活に検挙されるようなことがあるとは思えないし、そもそも政治性などとは無縁の人物のように見える。しかし、そういう人物を本人も意識しないままに社会の動静に関与させるのが政治というものなのだろう。そこに政治の恐さがあり、社会の、人間の恐さがある。他人を批評するのは容易い。容易いことのなかに政治的な方向性をそっと忍ばせて、特定の個人や団体に対する評価として流布させれば、おそらくその個人や団体がどのようなものであるかということにかかわらず、そこに崇拝の対象も憎悪の対象も「自然に」創りだされるのだろう。例えば、世間で話題の商品やサービスのために行列ができることがある。評判のラーメン屋の前にある行列を作るのは果たしてその味だけだろうか。 

供述によるとペレイラは… (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
アントニオ タブッキ
白水社

目下の課題

2012年04月26日 | Weblog

今日は友人に就職祝いのランチをごちそうになる。AUXAMIS TOKYOでフォアグラのリゾットをメインに前菜2皿を付けたセットメニュー。フォアグラはもちろん旨かったが、前菜の巨大なアスパラガスも印象的だった。

ランチといえば、新しい勤めが始まって以来、適当な昼飯場所を探して彷徨っている。オフィス街なので、店舗の賃料もそれなりだろうし、それは当然メニューの単価にも反映されるだろう。幸か不幸か加齢の所為で量は身体が要求しなくなったのだが、味とか店の雰囲気といったものは以前よりも気になるようになった。そうなると余計にハリボテのような内装とか表面的なことだけを云々する料理といったものに人を食ったものを感じて気分が悪くなる。昨年秋に稲刈りに出かけるときに容易した井川メンパの弁当箱もあることだし、日の丸弁当でも作って職場に持参しようかと本気で考え始めている。

夕食も問題だ。定時で職場を出て住処へ直帰するなら自炊することはなんでもないのだが、毎日定時退社できるほど気楽な職場ではない。そうなると外で食事を済ませてから帰ることになる。これも頭の痛いことだ。惣菜屋で弁当を買って住処でいただくというのは、なんとなく嫌なのである。惣菜を買って帰るくらいなら、粗末なものでも自分で作りたい。ここ半月ほどは外食だが、一番望ましいのは作り手が見える場所だ。懐具合との兼ね合いもあるので毎晩そういうところに通うわけにもいかない。チェーン店も何度か利用してみたが、飲食店というよりも給餌場のようなところばかりだ。せめて週に一度くらいは会話をしながら食事を楽しむ相手をつくらないといけないということなのだろう。知らず知らずの間に人間関係の荒廃を放置してきてしまったので、当面はその再生に注力する、というのが目下最大の課題ということが明らかになった。


Pinterst

2012年04月25日 | Weblog

Pinterestにアカウントを設けた。このブログやFBなどに使っている写真は全て自分で撮影したものだが、Pinterestのほうはウエッブ上で見つけたもののスクラップだ。先日、レシートのスクラップをしているという話を書いたが、スクラップということで言えば、幼稚園の頃にまで遡る。子供の頃から鉄道が好きで、新聞や雑誌に掲載された鉄道の写真をスケッチブックに貼付けていた。新聞に載る鉄道の写真といえば、たいていは事故のものだ。事故だろうがなんであろうが、鉄道ならとにかくよかったのだろう。それは小学校にあがると途絶えているが、スクラップ自体は10年ほど前に復活した。但し、鉄道ではなく美術、文芸、物故などの記事で、それぞれあまり長続きはしていない。訃報を集めたことについては何年か前にこのブログにも書いたが、「死因」は直接の死因が記載されるので殆どが心疾患か肺疾患になってしまい、あまりおもしろくないのでやめてしまった。今は新聞を読んでいないので、スクラップするものがレシートくらいしかない。それでPinterestだが、メルマガなどに貼ってあるリンクで飛んだ先で見つけたものから選んだり、自分が訪れた催しなどのサイトで見つけたものから気になったものを集めてみようかと思う。

My Pinterest (My...)
クリエーター情報なし
Que

ちょいちょい

2012年04月24日 | Weblog

3月の頭に挽いた壷をようやく素焼きに出した。この壷は面取りを施し、さらに今日は黒化粧を施したので、これほど時間がかかってしまった。これまでも見よう見まねで鎬を削ったり面取りらしきことをしたものもあったが、ちゃんと指導を受けて作るのは今回が初めてだ。この壷を挽いたのと同時に挽いた碗3つがあるのだが、そちらは素焼きを終えて施釉を待つ状態だ。これまで面取りにかかりきりだったので、碗のほうの工程も遅れ気味である。空いた時間でちょいちょい、というような仕事で面白いものができることもあるかもしれないが、ある流れのなかで付加的なことをするときは、やはり段取りを考えたほうが無難というものだろう。

尤も、このあたりのところは自分の技量にも拠ることなので、一概に法則性のようなものはないと思う。よく「集中力」という言葉を耳にするが、それはあくまでその人の内面のことであって、見た目のことではないはずだ。浜田庄司が大事な作品を挽くときは、敢えて友人を仕事場に招いて談笑をしながら仕事をしたそうだ。そうやって己が勝るのを抑えたという。作品を作る側からすれば全身全霊を打ち込んで、といきたいところだろうが、それは凡人が考えることで、人間国宝になるような人は、どうしても出過ぎてしまう自我を抑えて環境との調和を図るべく、その我をいかに程よく抑えるかということに腐心するということなのだろう。そう考えれば、隙間のような時間に手慰みで作ったもののなかに面白いものが生まれないとも限らない。

今朝は出勤途上で携帯メールにお茶の教室仲間から花の展示会の案内が入った。会期は連休中なのでお邪魔してみようと思う。どのようなことであれ、他人様に気にかけていただけるというのは嬉しいことだ。もう少し落ち着いたら、茶道の稽古を再開することも考えてみようかと、ふと思った。


朝三暮四

2012年04月23日 | Weblog

新しい勤めが始まってから朝5時半に起床する生活になった。それまで夜行性動物のような暮らしだったので、今は時差ぼけのような心持ちがしている。まだ何時に起床するのがよいのか固まっていないのだが、夜型の生活から朝型の生活に転換しないといけないのは確かなことだ。しかし、主に活動する時間帯が変化するだけで活動時間が長くなったり短くなったりするわけではない。もちろん1日が24時間であるというのも変わらない。それでも、一日のなかでできることの中身が変化するように思われる。やはり平日の昼間が比較的自由に使えると活動の選択肢は広くなる。人にとって夜は帰巣する時間であるらしく、商店や各種施設の多くは夜になると活動を止めてしまう。自ずとそういう社会で生活する自分にとっての選択肢も狭くなる。自分個人にとっては24時間の配分をどうするかというだけのことなのだが、それが社会のなかの自分という視点になると、自分を取り巻く世界の活動の影響も受ける。朝三夜四と朝四夜三はどちらも七なのだが、同じ七ではないのである。


来るべきとき

2012年04月22日 | Weblog

投資用にワンルームマンションを持っていて、今年はそのマンションの管理組合の副理事長を仰せつかっている。今日はその管理組合の会合があり、問題として指摘されている最上階のメーターボックスの扉の塗装の傷みについて現物を見ながら対応について話し合った。こうした活動は理事長の姿勢によって活発にもなれば不活発にもなる。今期は理事長が真面目な人なので、これまでになく様々な問題が指摘され、且つ、それに対応する動きが行われている。そういう所為もあるのかどうなのか軽々と判断できるほど多くの事例を知っているわけではないが、手入れの行き届いたきれいなマンションを維持できているように思う。それでも近隣に似たようなワンルームが立ち並び始めており、家賃の競争は激化している。夜、実家に立ち寄ったとき、賃貸している運用会社からは家賃引き下げの通知が届いていた。たまたま管理組合の活動に絡んで、そのマンションを含めた地域のワンルームの賃料相場を調べてみて、そういうことになるのは時間の問題だと思っていたので、来るものが来たか、という感想だ。

先日、このマンションを斡旋した業者から電話があって、物件の紹介とともに購入者を紹介して欲しいと頼まれていた。賃料引き下げの後で、地代に比べると賃料収入は安定している、というセールストークはさすがに使うまい。ほとぼりがさめるまで、しばらく電話も来ないだろう。

マンションの理事会の後、信濃町にまわって飯田さんの作品展にお邪魔する。こういうものを壁に飾ることのできる空間にいつかは住んでみたい。


幸福な時間

2012年04月21日 | Weblog

Aero Conceptの菅野さんにカバンを作って頂くことになり、その打ち合わせも兼ねて鳩ヶ谷の工場にお邪魔した。菅野さんのお計らいで、津川さんがさまざまな燻製とワインで炊いたご飯で作ったおにぎりを拵えて持って来てくださった。3人でおいしい燻製やお料理を頂きながら半日ほど楽しい時間を過ごさせて頂いた。

燻製というのはたいへん贅沢な食べ物なのだが、そうは見えないところがよい。何が贅沢かというと、作るのに手間隙がかかる。何時間もかけて、時に素材の向きを変えたり、チップを交換したり、素材によっては燻蒸を休む時間を設けたり、とにかく眼が離せないのである。しかし、そうやって出来上がるものは枯れたような朽ちたような干涸びた物体なのである。しかも乾燥しているので、例えば肉は生の時にあったはずのボリューム感が失われてしまう。だから、その旨さを知らない人には、冷蔵庫の片隅で発見された古びた食材のようにしか見えないかもしれない。ところが、こうして作ったご本人の解説を聴きながらいただくと、あれがこういうものになるのかという驚きもあれば、初めて口にするものがこの燻製というような食材もあって、耳にも楽しいし、口には旨いのである。今日頂いたのは以下の燻製だ。



牛サーロイン
豚スペアリブ


オレンジ
アボカド
牛蒡
エリンギ

たいへんな量だが、おしゃべりをしながら6時間ほどかけて少しずつ頂いたので、満腹で苦しいというよりも、幸福で楽しい感じが残った。さすがに3人では食べきれない量だったのだが、残ったものはお土産にして頂いてきた。まだ完全な完成ではないらしいが、津川さんの燻製サイトがある。これまでは趣味でお作りになっていたのだが、いよいよご商売として燻製の製造販売に乗り出されるのだという。少なくともこのブログを頻繁にご覧になられている方には是非ご賞味頂きたいものである。

カバンのほうはかねてから思い描いていたものをお願いした。取っ手をどうするかとか、細かいところは菅野さんとご相談させていただいて決めた。完成までざっくり3ヶ月ほどだそうだ。買い物は楽しい。


型紙がKATAGAMIになるということ

2012年04月20日 | Weblog

ルーチンだけの仕事からルーチンの無い仕事になると、不慣れということもあってなにかと気疲れがする。正式入社後最初の週を終えたが、この日が来るのが実に長く感じられた。

そんな夜は美術館にでも立ち寄ってから家路に就くことにしようと思い、三菱一号館美術館で開催中の「KATAGAMI Style」を観てきた。染め物に使う型紙を美術品として捉えるという見方は、民芸に通じるところもあるかもしれないが、使用している当事者からは生まれない発想だろう。なぜなら、型紙は消耗品であり、染め物という最終形に至る道程の一部でしかないからだ。ある体系があって、その一部だけを取り出して云々するというのは個々のパーツの機能を単独で評価する西洋風の発想のように感じる。

今年はオリンピックが開催されるが、チーム制のスポーツで日本発祥というものがあるだろうか?チームという有機的機能を有した集団においては個々の構成員がそれぞれに固有の役割を担うことが要請されている。それが細分化され専門化されているがゆえに、期待される機能に対する実現度合いというかなり明確な尺度が存在することになり、その尺度によって優劣が評価される。よく「あの人は優秀だ」とか「よくできる人」というような言葉を耳にするが、「できる」というからには「何が」ということが当然に想定されており、それはつまり単純化専門化されたことについての評価ということだろう。ちなみに、「よくできる人」というのと似た言葉で「よくできた人」というのがある。「る」と「た」という一文字の違いなのだが、意味は全く違う。日本語は難しいものだ。

それで型紙だが、あれを額に収めて飾るというような発想はやはりその文化の外の人ならではのものだろう。逆に、この国には別の世界の人が見れば「芸術」や「美術」と感じることができるようなものを、日常の職業として当たり前に拵えていた人たちが当たり前に存在していたということだ。それは我々が生まれ持った文化であり、その文化のなかで生きている自分自身の一部がそこに語られているということでもある。他人に評価されるからどうこう、というのではなしに、いいものを作って次の工程の人に渡し、最終的に立派なものに仕上がってみんなに喜んでもらおうという、生活の自然のようなものあってこそ後代に残るものができたはずだ、と思うのである。他人に迷惑をかけない、他人に喜んでもらう、そういう素朴な思いで自分にできることを黙々と続けていく。また、そうやってできあがったものを大事に使う人がいる。そういう社会に生まれたことは誠にありがたいことだと思う。いいものを観たな、そう思って美術館を後にした。

この美術館の建物のなかにカフェがある。ここでナポリタンスパゲッティをいただいてから家路に就いた。


行きつけの店

2012年04月19日 | Weblog

かつての職場の同僚夫婦が今度の職場でも同僚となり、そのふたりから「歓迎会」と称して銀座の路地裏にあるビストロでごちそうになった。ある程度の年齢になったら行きつけの飲食店をひとつふたつ持たなければならない、というようなことをしばしば耳にするが、その通りだと思う。今日ごちそうになったのは、その同僚夫婦の行きつけの店だというBistro Vosgesという店だ。気楽に旨いものと楽しい雰囲気を楽しむことができ、店の人とも自然に会話が成り立つ、公私の中間領域の私寄りに位置する場である。

人の生活というのは個人で完結するものではない。様々な場面でそれぞれに応じた人間関係が構築されるのだが、どういうわけか近頃はぎくしゃくした話が多くなったような印象だ。自分に関して言えば、この7年ほどは夜勤であったり海外勤務であったりした関係で、生活サイクルが世間とずれており、必然的に個人中心の時間配分になっていた。これからは世間並のリズムになるので、今日のような機会が多少は出てくるかと期待している。そのうえで、本当に近頃世の中がぎくしゃくしているのか改めて考えてみたい。

今日の会食の相手はどちらも知り合ってから四半世紀ほどになるので、話題に事欠くこともなく気兼ねなく話ができ、むしろあれもこれも話したいという思いのなかで話題の選択に困るほどだ。しかしそういう相手というのはむしろ少数派で、楽しい話題というものが無く、愚痴と他人の批判にはやたらと饒舌というのがけっこう多い。私もあと10年くらい若ければ、先々にどのような縁でそういう人と関係するかわからないので、適度な距離を保ちつつ当たり障りのない付き合いを続けるのかもしれないが、今はもう「先々」などというものが無いので、不愉快な相手は遠慮なく無視させていただくことにしている。

明日は今夜の相手に「小三治」というDVDを貸すことになっている。帰宅して、忘れないうちにカバンのなかにそのDVDを入れておいた。ついでに今夜話題になった「壷算」も枝雀の口演のDVDが手元にあるので、それを観てもらおうとカバンに入れておいた。


しにふぃえ しにふぃあん

2012年04月18日 | Weblog

新しい職場での勤務が始まると、とりあえず関係部署の人と顔合わせも兼ねて会議のようなことに呼ばれる。そこで自分の目先の仕事に関係ありそうな人たちのプロファイルを紹介していただいたりすることもあるのだが、そういうときに改めて日本の組織だなと実感させられる。仕事の流れのなかで表面的な職階や職位とは別に誰が要になっていて、というような話はどの組織でも同じなのだが、そこに出身大学、学部、ゼミといった情報まで付加されるのである。ゼミまで言及されるのは相手と私が同じ大学の出身の場合に限られるのだが、思わぬところで懐かしい先生方のお名前に遭遇する。いつの時代も教育とか就職というのは人生の一大事と考えられることが多く、時にそうしたことにまつわる狂騒のような話も耳にするのだが、こうして大学がどうのゼミがどうのという話題に出会うと、そういうものにこだわりたくなる心情がわからないでもない。確かに、学閥や閨閥で物事が動くということはしばしば耳にするし、自分の身の回りでも「学生時代の友人どうして仕事を回し合っている」という人が何人かいる。しかし、そういうのは例外無く血統のよろしい人たちで、私のようなどこの馬の骨ともわからないものには無縁の話だ。結局、人間というのは関係性の象徴のような存在で、関係性の標識として所属組織や持ち物が重要になるということなのだろう。尤も、永遠の存在というものはない。遅かれ早かれなくなってしまうのに、目先の標識をめぐってあたふたするのがどうなのか、というのはその人の個性だ。


公私の分別

2012年04月17日 | Weblog

新たに勤めが始まったので挨拶状でも出そうかと文面を作り、送り先を考えた。尤も、出す先は転勤の度に挨拶状を頂く相手くらいで、たいた数ではない。先日、留学時代の友人から転職の挨拶メールが届いたので、メールのほうでも何通か出しておこうかと知人のメルアドを眺めてみた。以前に比べればかなり少なくなったが、それでも職場のメルアドを使っている人がいて、そういうところに出してよいものかどうか思案している。それが往来したからといって然したる問題があるとも思えない挨拶状のようなものでも、職場という自己の所有に属さないものを明確に私用に使って先方に無用の迷惑をかけてもいけない。はがきのほうは近日中に発送するつもりだが、メールのほうは相手次第で考えようと思う。


道草のタネ

2012年04月16日 | Weblog

実は今日が正式な入社日だ。午前中、指定された時刻に人事部に出頭して事務的なやりとりをした後、人事担当役員と当たり障りの無い懇談。新たに健康保険証を手にしたので、前職失効以来加入している国民健康保険のほうの廃止手続きを取るため住民登録をしてある自治体の役所へ出向いて手続きをする。その後、職場に着任。ここまでで午前中を使い果たす。

夜はカイロプラクテックの予約を入れておいたので、それまでは買い物などで時間をつぶす。ユニクロで下着のシャツを買い、古本屋を覗いてあてもなく単純におもしろそうなものを物色する。絵葉書とか古地図に面白いと思うものがいくらもあり、和紙の製造工程の絵を描いた12枚組の和紙製絵葉書セットを購入した。ほかにも欲しいものはたくさんあったが、きりがないので絵葉書にしぼってあれこれ眺めてきた。

カイロの後、ようやく夕食。カイロの近くで何かないかと探してみたら、妙にラーメン屋とか中華料理屋が多い。結局、ファーストフード系を別にすれば、日銭を稼ぐ飲食店の最右翼が街の中華料理店ということになるのだろう。そういう中華料理屋のひとつに入り、回鍋肉定食をいただく。以前、とあるファミレスチェーンの創業者が世界で最も広く食されているのは中華とイタリアンだと語っていた。彼の分析によれば、中華とイタリアンが最も身体に良いからこそ世界中どこでも受け容れられて土着化するのだとの結論らしい。身体に良い、というのは旨く感じられるということなのだろう。その説明のなかではっきりとは言わなかったが、「身体に良い」というのは必ずしも「健康に良い」とは一致しないものだ。私はどちらでもかまわないので、とにかく旨いものを頂きたい。