熊本熊的日常

日常生活についての雑記

人間国宝

2014年07月27日 | Weblog

今日の落語会は人間国宝の弟子と孫弟子のふたり会。人間国宝というのは重要無形文化財保持者のことだが、「無形」のものを「保持」するというのはどういうことなのか、ということはここでは問わない。何か物を作るということについての技能を評価するなら作品を観ればよいだろうが、芸能ということになると誰が何を基準に評価するのかということに合理的な基準を設けるのが困難だ。しかも、芸能は演じ手だけで創り上げるものではない。演じ手と観客とが一体となって創り上げる空気のようなものまでをも含めた全体のことである。人間国宝といえども、観客なしで収録した噺はおもしろくもなんともない。また、人間国宝を決めるのは誰なのか、ということも素朴に疑問である。ある人の芸を評価できるのは、その人以上の力量を持つ人でなければならないはずだ。自分ができもしないことを云々できるはずがないではないか。それなのに世間一般では人間国宝などというとわけもわからずに崇め奉ったりする。人は実体ではなく表層しか見ないことの典型例だ。勿論、人に褒められて悪い気はしないだろうし、褒められたことを拒絶するのも大人げないと思うだろうから、「人間国宝」の認定を受ければたいていは素直に従うのだろう。しかし、そういう認定を辞退する人がいるのももっともなことだと思う。

ところで、口演終了後1時間半ほどして今日の口演の切符を取ったチケットぴあから「レビューを書きませんか?」というメールが届いた。レビューを書けるほど落語のことを知らないので何も書けない。長年生きてきて恥ずかしいことだ。

本日の演目
開口一番「普請ほめ」 桂そうば
「転宅」 柳家三三
「宿屋の仇討ち」 桂吉弥
(仲入り)
「七段目」 桂吉弥
「殿様と海」 柳家三三
開演 14:00  終演 16:35
会場 紀伊國屋サザンシアター 


玄関の平穏

2014年07月25日 | Weblog

先日、世田谷美術館でジャポニズム展を観たときにショップにアダチが出店を出していた。そこに出ていた北斎の「桔梗に蜻蛉」がよかったので、家に帰ってからネットで注文した。以前にアダチの賛助会員だった関係で今でも時々割引クーポンが送られてくるのである。私は「朝顔に雨蛙」もいいと思ったのだが、「蛙はだめ」と妻に却下されてしまった。その「桔梗に蜻蛉」が今日届いたので、さっそく玄関に飾った。

今まで玄関には自分が撮った写真を自分が作った額に収めて飾っていたのだが、そういう才能に恵まれていないのでいまひとつな感じが抜けなかった。「枯れ木も山の賑わい」などとも言うので、それでも掛けておいたのだが、妻からはことあるごとに玄関の額をなんとかしろと言われるし、4月に指物師である義弟が訪ねてきたときには見るに見かねたのか「額つくりましょうか」と言われる始末。これでようやく玄関の平穏が得られた、となればいいのだが。


本日の弁当

2014年07月22日 | Weblog

以前に何度も書いているが、手帳に日記のようなものをつけている。書く内容は決まっていないのだが、その日に仕事でやったことと、食べたものについては記録として残してある。手帳を使うことは大学生の頃からの習慣だが、日記のようなものになったのは「ほぼ日手帳」を使うようになってからなので、かれこれ9年になる。先日、手帳を開いてその日のことを書き込んでいたら妻が覗き込んできて、食べ物のことについてクレームをつけてきた。平日は毎日の夕食が妻が作った弁当なのだが、「弁当」としか書いてないことについて不満を述べ立てるのである。曰く「お弁当が一日のメインなんだよ。中味のことを書かないとだめでしょ」と。そういうわけで、とりあえず写真で記録しておくことにした。ブログのネタが無いときは弁当の写真を載せることにしようと思う。ちなみに、今日は午前中に歯科に出かけたので、弁当は昼にいただいた。


ジャポニスム

2014年07月21日 | Weblog

世田谷美術館で開催中のジャポニスム展を観てきた。チラシを飾るのはモネの「ラ・ジャポネーズ」。あまりに有名な作品なので、それ以外の作品がどれほどのものだろうかと逆に不安を覚える展覧会だ。そして、その不安は裏切られなかった。日本の浮世絵や意匠が印象派をはじめとする19世紀の西洋にブームとも言える影響を与えたというのは周知の史実なので、今更そうした西洋絵画と浮世絵を並べることにどれほの意味があるのか理解しかねる。並べるにしてももう少し深い洞察なり新たな解釈があればそれなりの意味もあるだろうが、これでは何を企画しようしたのか意図を図りかねる。単に日本美術の対外的な影響を羅列しただけのように見える。うがった見方であるのは承知の上だが、昨今のナショナリスティックな風潮のなかで日本的なものを賛美するかのような企画が通り易いのかもしれない。美術というのは観る人あってのものなので、社会の風潮と美術の潮流には密接な関連があるのは当然だ。また、美術館も運営上は収益も必要なので集客を意識しないといけない事情がある。ただ、そうしたものが安易に結びつくというのは浅薄皮相に過ぎるのではないか。先日、ある同世代の知人が「今まで生きてきたなかで一番不穏な世の中になっているように感じる」と言っていたが、振り返ってみたときに不穏の象徴としてこの企画展が挙げられるようなことがないとも言えないのではないか。ところで、フランスでジャポニスムと呼ばれる社会現象が終息したのは日露戦争がきっかけだったそうだ。その後の50年ほどの間に何が起こったのか、今こうして暮らしている我々は知っているはずだ。


沈黙は孤独ならず

2014年07月20日 | Weblog

昨日観た「大いなる沈黙へ」についても備忘録を残しておきたい。この作品はカトリックの修道院であるグランド・シャルトルーズ修道院での修道士たちの生活を写したものである。原題は「Die Grossen Stille」というドイツの作品だ。なぜ「大いなる沈黙」ではなく「沈黙へ」としたのか意図がわからないが、それはともかくとして沈黙に満ちた毎日だ。映画の日本語版公式サイトによれば、修道士は一日の大半を1人で過ごす。作品のなかでも会話のシーンは殆どない。修道士どうしの会話が許されるのは日曜日の約4時間のウォーキングの間だけ。もちろん、1日に何度か祈りを捧げる時間もあるので全くの沈黙が始終続くわけではないのだが、それでも声を発する時間そのものが限定されていることは確かだ。沈黙の世界に生きることも修行の一部なのだろうが、この作品を観て改めて思ったのは沈黙の世界を生きることは孤独なことではないということだ。

孤独というのは自分の拠り所を失っていると認識している状態のことだと私は思う。修道士が何を想って日々暮らしているのかはわからないが、それぞれに自分の世界観というものがあり、そのなかでの自分の位置というものを掴んでいるのだと思う。だからこそ、静かに暮らしていられるのではないか。世俗の交渉事というのは、結局のところ自分の存在確認のための行為であることが殆どなのではなかろうか。自分というものについての確たる認識がないからこそ、自分の社会的地位とか所有物とか人間関係といった自分の外部のものとの関わりが気になるのだろう。もちろん修道士だって修道士たる自分という意識を持っている人もいるかもしれない。しかし、期限があることならともかく、修道士の社会的地位といった表層のことに目が向くようでは、死ぬまで沈黙のなかで暮らすことなどできはしまい。

3時間近いこの作品を観終わったとき、3時間という時間が普段の生活のなかで感じているよりも短く感じられた。それは自分がいつ死んでも不思議のない年齢に達して、生きるということについて多少なりともイメージが持てるようになったからかもしれないし、自分では経験したことのない修道士の暮らしを素朴に面白いと思った所為もあるかもしれない。


見えているものから観得ているもの

2014年07月19日 | Weblog

岩波ホールで「大いなる沈黙へ」を観た後、国立能楽堂で狂言「佐渡狐」と能「通盛」を観てきた。

能を観ようと思って観るのは今日が2回目だ。始めてのときはわけがわからなかったが、今回はある程度の下準備の上で臨んだので、それなりに楽しむことができた。よく能を「形式美の世界」などと言う。ここでの「形式」は象徴のことであろう。目の前の舞台で行われること全てを観るのではなく、読み取るべき所作や音といったものがあって、それ以外はそうした象徴を表現するための装置なのである。つまり、見えるものを観るのではなく、見えるものから観るものを観客がそれぞれの脳裏に構成し、その世界を鑑賞したりその世界に陶酔したりするものなのだと思う。そう考えると、例えば小宰相が船を意味する白い枠から外に踏み出すというだけの動作が、見た目を遥かに超える劇的な場面であることが観得てくるのである。もちろん、唐突に一歩踏み出すのではなく、地謡の台詞に合わせての動作であり、そこには小宰相の一歩の背景に夜の海が広がっている様も観得ているのである。能舞台のほうはこれといった舞台装置があるわけではなく、物語がどのような場面であろうとも照明も背景も変わらない。舞台上の人々のそれぞれに粛々淡々とした行為の組み合わせだけで、見えているものを遥かに超越した世界を感じるのである。それは語りだけで世界を描く落語にも通じることのように思う。なんとなくだが、能の面白さが少しだけわかってきたような気がする。


真夏の夜の

2014年07月16日 | Weblog

帰宅途上、自宅目前の公園の滑り台で若い男女が愛を語り合っていた、ように見えた。夜の公園で若い男女が逢瀬を楽しむというのは当たり前の風景である。今日はなんだか新鮮な風景に感じられたが、新鮮に感じられるようでは困るのである。今はそもそも若い人が少なくなっているので、そういう当たり前だった風景が失われつつある。この団地に引っ越して来て、それまで暮らした巣鴨地蔵通りとの大きな違いは若者密度だ。よく古い団地が丸ごと過疎化している事例が取沙汰されて高齢化の危機を喧伝する向きもある。今暮らしている団地は昭和40年代前半に入居が始まったものだが、子供の姿を見かけることが多い。自宅前の公園にしても昼間は近所の幼稚園児が先生に引率されて遊びにきているし、休日はもう少し年齢が上の子供たちが遊んでいる。団地内の商店街は一部を除いてクリニックになってしまい商店街としての賑わいは今ひとつだが、カフェマニアの間では知られたカフェがあって遠方から探訪に来る若者がいる。もちろん日本全体が高齢化の潮流のなかにあるので、その影響も当然に受けているはずだ。それでも巣鴨に比べたら別世界だ。なんといっても巣鴨がある東京都豊島区は5月に日本創世会議が発表した消滅可能性都市に東京で唯一ランクインしている。

ちなみにこの「消滅可能性都市」というのは20歳から39歳の女性の人口が2010年に対して2040年に50%以上減少することが見込まれる都市のことである。人口の将来推定の方法は常識的と言ってもいいほどに決まった方法があるので説明は割愛するが、よほど突飛なことでもない限り、この推定値を下回る確率が高いと見ていいだろう。それによると豊島区は-50.8%、私が今暮らしているところは-24.9%、私の実家があるところは-15.2%、妻の実家があるところは-51.3%だ。日本全体では-36.4%だが、市区町村別で見れば減少率を見る以前に当該人口が100人に満たないところが169あり、うち一桁の自治体が2だ。人口の減少を危惧する状況ではもはやなく、ほぼ確実に消滅する自治体である。本調査の対象となる市区町村は1,800あるので約9%にあたる。

昨今、排外的な風潮が以前よりも強まっている印象があるが、消えようというロウソクの炎が最後に明るくなる瞬間に似ているような気がする。弱い犬ほどよく吠えるとも言う。食われるつもりなら闇雲に虚勢を張っていればいいだろうが、もう少し考えるということをしないとこの国の存続はおぼつかない。


自由であるということ

2014年07月15日 | Weblog

午前中に歯科検診があり、検診の後、出勤までに時間が空いたので出光美術館で鉄斎展を観てきた。今年は鉄斎の没後90年だそうだ。鉄斎が生きたのは幕末から大正にかけてだ。いろいろなことにおいて今の時代からは想像もできないような激動期だっただろうと思う。今、こうして氏の作品展が美術館で開催されているということは、画家として認められているということなのだろうが、本人は儒学者という意識を持っていたのだそうだ。だから、氏は常々その作品を単なる画としてではなく賛と共に観て欲しいというようなことを言っていたそうだ。その画風は既存の流派を超えて、殊に晩年に至って独特なものとなっている。それを自由と呼ぶのだとしたら、自由とは誰にでも手に入るものではないということになる。鉄斎の研究熱心は有名で、その作品には彼が若き日に学んだ南画や大和絵はもとより、琳派、狩野派など画壇を賑わせたものは勿論のこと、大津絵に至るまで様々な要素が盛り込まれている。鉄斎自身は自分の画を「ぬすみ絵」と称していたらしいが、物を盗むのとは違って技術を自分のものにするというのは相応の力量がなければできないことだ。自由というのは、様々な知識や技法を習得した上で、それらを駆使できるに足る創造力があって始めて到達できる境地なのだと思う。言い換えれば、馬鹿は決して自由にはなれないということだ。


ないものねだり

2014年07月14日 | Weblog

以前にお世話になった就職斡旋業の方に昼をご馳走になった。今、自分の勤務先で人を探しているので、情報交換かたがた連絡を取ったらこういうことになったのである。いろいろ興味深い話を伺うことができた。

求人が多いのだそうだ。応えきれないほどの求人があるのだそうだ。ただ、難しい注文が多いので、なかなか決まらないという。思うに、求人をする側は人を機械のようにスペックで見ているのではなかろうか。あれができる人、これができる人、こういう経歴の持ち主、などなどデータとして表現できる要件を並べ立てて候補者のデータベースから該当者を見つけ出そうという発想だろう。機械のようなものを組み立てるのに部品を求めているようなものだ。機械というのは用途限定で劣化することはあっても発展することはない。つまり必ず寿命がある。企業組織はそういうことでは困るはずだ。環境の変化に順応しつつ臨機応変に存在目的にも調整を加えつつ成長することを目指さなければ、そもそもの存在目的さえ達成することがおぼつかない。出来上がったところが完成なのか、出来上がったところが出発点なのか、という大きな違いがある。経営というのは、成長を目指して組織を構成する生身の人間をそれぞれの特性に応じて組織の目的に合うように差配することである。成長を続けることが目的なのでゴールはない。そんな初歩的なこともわからないままに経営者面している輩が組織の要所要所に鎮座するとその組織は不幸な結末を迎えることになる。幸いにして先人の努力と才覚で膨大な既得権を蓄積した組織は多少の欠損や不具合があっても埋め合わせることができるが、そういうものがまだ十分ではない組織や、衰退トレンドに乗って蓄積を消耗しているところは経営のちょっとした失敗も組織の命取りになる。生身のものというのは予測不可能なものだ。世に所謂「成功者」の教訓や法則のようなものが喧伝されるが、そういうものが普遍性を持つわけがないことは考えなくてもわかりそうなものだ。結局、多くの組織の人事を担う人たちも機械の部品のような存在なので、そいう発想から抜けられないのだろう。人は経験を超えて発想することができないのである。そういう見苦しいものに振り回されずに生きるには、経験したことのないことを敢えて求めるよりほかにどうしようもないのではないか。


民度の問題

2014年07月07日 | Weblog

土曜日に陶芸教室へ出かけたとき、池袋駅の山手線外回りのホームの駅名表示板が破壊されていた。どうやって割ったのだろうとあれこれ想像をかき立てられる。

以前にもこのブログに書いているが、私は高校時代から電車を毎日利用する生活をしている。埼京線が開通するまでは、池袋新宿方面に出るときには、バスで京浜東北線の西川口駅に出て赤羽駅で赤羽線に乗り換えていた。高校の3年間と大学の教養課程の2年間をそうやって通っていた。大学の専門課程からは赤羽線との縁はなくなってしまったが、それでも休日などにはたまに利用していた。当時は通勤電車の冷房化がようやく始まった頃で、山手線と京浜東北線は比較的早くから冷房車が導入されていたが、赤羽線を冷房車が走ったのは、埼京線と名前を変えてからだったような気がする。また、湘南新宿ラインはまだ設定されていなかったので、京浜東北線、高崎線、東北線から池袋・新宿方面への乗客が赤羽線に集中し、通勤ピーク時の乗車率は300%近いものだった。それでも、そういうものだと思って利用していた。当然、それで怪我をしたり気分が悪くなったりした乗客はいただろうが、それを殊更に騒ぎ立てるような輩はいなかったように思う。先日、ある私鉄の株主総会で190%程度の混雑率にピーピー文句を並べている人たちがいたが、さすがに高級住宅地にお住まいの皆様は感覚が敏感でいらっしゃると感心して拝聴していた。

とにかく酷い路線だった。混雑も酷かったが客質も酷かった。埼京線は痴漢が多いことで有名らしいが、かつての沿線住民としては全く驚くに足らないことである。路線によって車内の雰囲気が微妙に違うのは誰しも承知していることだろう。山手線上のターミナルを起点に東西南北を眺めてみれば、ざっくりと沿線住民の平均所得や沿線住宅地の平均地価・家賃と車内トラブルや事件の発生率との間に相関が認められそうな気がする。先日の株主総会では、「東京メトロの車両の騒音が」という話題で他社線との相互乗り入れが始まったことで不快感が高まったとの指摘があったが、それは暗に相互乗り入れそのものを批判しているように聞こえないこともなかったような気もする。その私鉄の運賃収入は相互乗り入れによって明らかに増加している。ということは、沿線に有名な高級住宅地と有名な私立大学を擁するその路線に、それまでは入り込んでいなかった客層が参入しているということでもある。当然、車内の雰囲気はそれまでとは違ったものになっているはずだ。それを旧来の利用客がどのように捉えているかということは、なんとなく想像のつくことである。株主総会で発言されていた沿線住民の方々の言い分は、株主としてどうかということはともかくとして、沿線住民あるいは利用客としては尤もなことばかりだった。しかし、その内容について個人的には違和感を覚えた。一方で、先日、池袋駅の施設が破壊されているのを見たとき、破壊行為は許されるべきことではないのだが、個人的にはある種の懐かしさを覚えた。つくづく私は育ちが悪いと思った次第である。