熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ありがとう 2016年

2016年12月31日 | Weblog

今年読んだ本

1      小島政二郎 『円朝(上下)』 河出文庫

2      桂米朝(編) 『四世 桂米團治 寄席随筆』 岩波書店

3      赤瀬川原平 『超芸術トマソン』 ちくま文庫

4      赤瀬川原平/藤森照信/南伸坊(編) 『路上觀察學入門』 ちくま文庫

5      柳家小満ん 『小満んのご馳走 酒・肴・人・噺』 東京かわら版新書

6      赤瀬川原平 『千利休 無言の前衛』 岩波新書

7      河北秀也 『河北秀也のデザイン原論』 新曜社

8      赤瀬川原平 『東京随筆』 毎日新聞社

9      関容子 『日本の鶯 堀口大學聞書き』 岩波現代文庫

10   丸谷才一 『笹まくら』 新潮文庫

11   米原万里 『打ちのめされるようなすごい本』 文春文庫

12   田中克彦 『ことばと国家』 岩波新書

13   モフセン・マフマルバフ(著)武井みゆき/渡部良子(訳)『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』 現代企画室

14   青山敦夫 『活版印刷人ドラードの生涯 天正遣欧使節の活版印刷』 印刷学会出版部

15   井上章一 『霊柩車の誕生』 朝日文庫

16   藤森照信 『人類と建築の歴史』 ちくまプリマー新書

17   齋藤美奈子 『読者は踊る』 文春文庫

18   吉岡忍 『M/世界の、憂鬱な先端』 文春文庫

19   甲野善紀/田中聡 『身体から革命を起こす』 新潮社

20   佐原真 『魏志倭人伝の考古学』 岩波現代文庫

21   山下惣一 『ザマミロ!農は永遠なりだ』 家の光協会

22   野原由香利 『牛乳の未来』 講談社

23   澤地久枝 『昭和史のおんな』 文春文庫

24   山下惣一 『惣一じいちゃんの 知ってるかい?農業のこと』 家の光協会

25   竹内てるよ 『海のオルゴール 子にささげる愛と詩』新装版 家の光協会

26   田中克彦 『「スターリン言語学」精読』 岩波現代文庫

27   山下惣一(編著) 『安ければ、それでいいのか!?』 コモンズ

28   山下惣一 『この大いなる残飯よ!』 家の光協会

29   山下惣一 『農家の父より息子へ』 家の光協会

30   小泉今日子 『黄色いマンション 黒い猫』 スイッチ・パブリッシング

31   山下惣一 『食べものはみんな生きていた』 講談社

32   竹内てるよ 『静かなる夜明け』 月曜社

33   竹内てるよ 『わが子の頬に』 たま出版

34   モンテーニュ(著) 原二郎(訳)『エセー』 全6巻 岩波文庫

35   竹内てるよ 『いのち新し』 たま出版

36   土屋耕一(著) 和田誠/糸井重里(編)『土屋耕一のことばの遊び場。』 ほぼ日ブックス

37   柳家喜多八、三遊亭歌武蔵、柳家喬太郎 『落語教育委員会』 東京書籍

38   高田里惠子 『文学部をめぐる病い 教養主義・ナチス・旧制高校』 松籟社

39   『光村ライブラリー 中学校編 1 赤い実 ほか』 光村図書

40   信田敏宏 『ドリアン王国探訪記 マレーシア先住民の生きる世界』 臨川書店

41   平井京之介 『微笑みの国の工場 タイで働くということ』 臨川書店

42   李鳳來 『李朝を巡る心』 新潮社

43   竜田一人 『いちえふ』全3巻 講談社

44   岸上伸啓 『クジラとともに生きる アラスカ先住民の現在』 臨川書店

45   印東道子 『南太平洋のサンゴ島を掘る 女性考古学者の謎解き』 臨川書店

46   池谷和信 『人間にとってスイカとは何か カラハリ狩猟民と考える』 臨川書店

47   関雄二 『アンデスの文化遺産を活かす 考古学者と盗掘者の対話』 臨川書店

48   野林厚志 『タイワンイノシシを追う 民族学と考古学の出会い』 臨川書店

49   大栗博司 『重力とは何か アインシュタインから超弦理論まで、宇宙の謎に迫る』 幻冬舎新書

50   飯田卓 『身をもって知る技法 マダガスカルの漁師に学ぶ』 臨川書店

51   山田風太郎 『人間臨終図巻』全4巻 徳間文庫

52   田中克彦 『法廷にたつ言語』 岩波現代文庫

53   塩野米松 『失われた手仕事の思想』 中公文庫

54   新間聡 『大和指物師 幽玄・川崎修の世界』 やまと崑崙企画

55   鶴屋南北 『東海道四谷怪談』 岩波文庫

56   赤瀬川原平 『新解さんの謎』 文春文庫

57   佐々木史郎 『シベリアで生命の暖かさを感じる』 臨川書店

58   田中克彦 『ことばとは何か 言語学という冒険』 ちくま新書

59   赤瀬川原平 『外骨という人がいた!』 ちくま文庫

60   赤瀬川原平 『ライカ同盟』 ちくま文庫

61   土井善晴 『一汁一菜でよいという提案』 グラフィック社

62   尾辻克彦 『父が消えた』 河出文庫

63   尾辻克彦 『肌ざわり』 河出文庫

64 小長谷有紀 『人類学者は草原に育つ 変貌するモンゴルとともに』 臨川書店

 

購読中の定期刊行物

1      月刊『みんぱく』 国立民族学博物館

2      季刊『民族学』 千里文化財団

3      年3回刊『青花』 新潮社

 

今年観た映画など

1 『みんなのアムステルダム国立美術館へ(原題: The New Rijksmuseum)』2014年オランダ DVD

2 『利休』1989年日本 DVD

3 『さざなみ(45 Years)』2015年イギリス ギンレイホール

4 『最高の花婿(Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu?)』2014年フランス ギンレイホール

5 『男はつらいよ』1969年日本 DVD

6 『男はつらいよ ぼくの伯父さん』1989年日本 DVD

7 『ウォーナーの謎のリスト』2016年日本 神保町シアター

 

今年聴いた落語会・演劇・ライブなど

1  新春こがねい落語特選 柳家三羽烏 その粋と笑い

  柳家あお馬「道灌」
  柳家権太楼「火焔太鼓」
  柳家さん喬「ちりとてちん(酢豆腐)」
  鼎談 小さん、権太郎、さん喬
  三増紋之助 曲ごま
  柳家小さん「幇間腹」

   小金井 宮地楽器ホール  開演 13:00   終演 15:30

 2  桃月庵白酒 独演会 新春むふふ〜 Vol.12

  桃月庵はまぐり「真田小僧」
  桃月庵白酒「徳ちゃん」
  桃月庵白酒「風呂敷」
  遠峰あこ「崎陽軒シュウマイ旅情」「茶碗蒸の歌」「私の中央線」「二人の歌」
  桃月庵白酒「うどんや」

  なかのZERO小ホール  開演 13:00 終演 15:10

 3  よってたかって新春らくご ’16 夜

  柳亭市丸「たらちね」
  三遊亭兼好「紙入れ」
  柳家三三「二十四孝」
  桃月庵白酒「四段目(蔵丁稚)」
  柳亭市馬「淀五郎」

  よみうりホール  開演18:00 終演20:25

 4 柳家三三師匠と行く落語『鰍沢』の舞台をめぐる旅

  柳家三三独演会
  「転宅」
  「鰍沢」

   富士川町ケイパティオ  開演 15:30 終演 17:00

 5 第79回 三三・左龍の会

  柳家三三・柳亭左龍 オープニング
  柳家小かじ「子ほめ」
  柳亭左龍「英会話」
  柳家三三「元犬」
  柳家三三「三人旅」
  柳亭左龍「四段目」

   千代田区立内幸町ホール  開演 19:00 終演 21:05

 6 第394回 国立名人会

  柳家小かじ「たらちね」
  柳家甚語楼「長屋の花見」
  桃月庵白酒「首ったけ」
  古今亭志ん橋「天災」
  柳家喜多八「やかんなめ」
  江戸家小猫
  柳家権太楼「試し酒」

   国立演芸場  開演 13:00 終演 16:00

 7 渋谷に福来たる SPECIAL 2016 落語フェスティバル的な 春は新作でいこう! 渋谷春の新作祭

  三遊亭粋歌「すぶや」
  三遊亭白鳥「新婚妄想曲」
  柳家喬太郎「落語の大学」
  林家彦いち「神々の唄」

   渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール  開演 14:00 終演 16:10

 8 柳家小三治と愉快な仲間たち

  柳家三之助「堀之内」
  柳家はん治「妻の旅行」
  柳家さん八「小さん一代」
  大喜利 司会:柳家小里ん
      柳家さん八、柳家〆治、柳家はん治、柳家三三、柳家ろべえ
  奇術 花島世津子
  柳家小三治「お化け長屋」

   なかのZERO大ホール  開演 13:30 終演 16:10

 9 落語教育委員会 柳家喜多八・三遊亭歌武蔵・柳家喬太郎 三人会

  三遊亭歌太郎「片棒」
  柳家喬太郎「任侠流山動物園」
  柳家喜多八「やかんなめ」
  三遊亭歌武蔵「胴切り」

   横浜にぎわい座  開演 17:00 終演 19:10

 10 小さん孫弟子七人会 小さん芸語録

  開口一番「道灌」
  柳亭市童「狸の礼」
  柳家小せん「湯屋番」
  柳家甚語楼「松ひき」
  柳家小里ん「試し酒」
  柳亭佐龍「おしくら」
  立川生志「かぼちゃや」
  柳亭市馬「笠碁」
  入船亭扇辰「麻のれん」
  柳家喬太郎「ちりとてちん」

   銀座ブロッサム中央会館  開演 11:30  終演 15:40

 11 下町ダニーローズ第18回公演 『不幸の家族』

   脚本・演出:立川志らく
   出演:モロ師岡、立川志らく、ぜんじろう、松元千明、原武昭彦、古今亭菊志ん、奥村香里、幸田友見、小林英樹、長谷川奈緒美、松尾マリヲ、上野G〜

   下北沢小劇場B1

 12 立川流落語会 真打昇進披露公演

  立川だん子 「道具屋」
  立川談吉 「置き泥」
  立川談笑 「粗忽の釘」
  立川志の輔 「猫の皿」
  立川左談次 「大安売り」
  真打昇進披露口上
  立川雲水 「おごろもち盗人」
  立川談之助 「選挙あれこれ」
  土橋亭里う馬 「子別れ」
  立川佐平次 「子は鎹」

   国立演芸場  開演 13:00 終演 16:00

 13 室内楽の魅力 ブラームス第4回 トゥーン湖畔の夏 トリオ・ヴァンダラー

  ブラームス ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 Op.8
  ブラームス チェロ・ソナタ第2番 ヘ長調 Op.99
  ブラームス ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.101

  アンコール曲
  ブラームス ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 Op.8 初稿版より 第4楽章
  ドヴォルザーク ピアノ三重奏曲第4番 ドゥムキーより 第5楽章

   第一生命ホール  開演 14:00 終演 16:00

 14 特撰花形落語会 柳家喬太郎・柳家三三 二人会

  三遊亭わん丈 「寄合酒」
  柳家喬太郎 「初音の鼓」
  柳家三三 「橋場の雪」
  柳家三三 「お血脈」
  柳家喬太郎 「竹の水仙」

   サンパール荒川 大ホール  開演 14:00 終演 16:10

 15 特撰花形落語会 柳家喬太郎・柳家三三 二人会

  春風亭百んが 「浮世床」
  柳家三三 「締込み」
  柳家喬太郎 「擬宝珠」
  柳家喬太郎 「純情日記渋谷編」
  柳家三三 「夢金」

   杉並公会堂 大ホール  開演 19:00 終演 21:19

 16 第619回 紀伊國屋寄席

  柳家小かじ 「一目上がり」
  春風亭一左 「真田小僧」
  柳亭燕路 「かんしゃく」
  三遊亭金馬 「夏の医者」
  古今亭志ん橋 「鰻の幇間」
  一龍斎貞水 「大岡政談 江戸怪奇夜話」

   紀伊國屋ホール  開演 18:20 終演 21:30

 17 第45回 三田落語会 夜席

  桃月庵はまぐり 「金明竹」
  柳亭小燕枝 「千早振る」
  柳家さん喬 「火事息子」
  柳家さん喬 「野ざらし」
  柳亭小燕枝 「意地くらべ」

   仏教伝道センタービル8Fホール  開演 18:00 終演 21:10

 18 大手町座 第19回 ザ・ニュースペーパー 演じる新聞、観る新聞

 19 府中 権太楼の会

  柳家小多け 「無筆」
  柳家ほたる 「元犬」
  柳家我太楼 「紀州」
  柳家権太楼 「笠碁」
  柳家権太楼 「らくだ」

   府中グリーンプラザ けやきホール  開演 17:00 終演 19:25

 20 興福寺 塔影能

  舞囃子 「三輪」
          金剛龍謹
          谷口正壽、曽和鼓堂、前川光範、杉市和
          地謡:惣明貞助、山田伊純、豊嶋幸洋、宇高通成、種田道一

  狂言 「魚説教」
          茂山七五三
          茂山宗彦
          後見:山下守之
          向井弘記、豊嶋晃嗣、今井清隆

  能 「土蜘蛛」
          金剛永謹
          福王知登、是川正彦、廣谷和夫、前川光範、杉市和
          千筋之伝 間:井口竜也
          後見:宇高通成、豊嶋幸洋
          地謡:和田次夫、田中敏文、都丸勇、重本昌也、今井克紀、種田道一、松野恭憲、金剛龍謹

   興福寺特設会場  開演 17:30 終演 20:00

 

21 仮名手本忠臣蔵 第一部(大序—四段目)

   松本幸四郎、片岡秀太郎、中村扇雀、中村錦之助、市川高麗蔵、中村松江、市川左団次、中村梅玉ほか

   国立劇場  開演 11:00  終演 16:15

 22 さん喬一門 師弟七人会 夜の部

  春風亭一花 「堀の内」
  柳家小伝次 「きやいのう」
  柳家さん喬 「明烏」
  柳家喬之助 「引越の夢」
  柳家喬太郎 「孫帰る」
  柳家さん喬 「笠碁」
  柳家喬太郎 「茶代」
  柳亭左龍  「茶の湯」

   よみうり大手町ホール  開演 17:00 終演 21:00

 23 仮名手本忠臣蔵 第二部(五—七段目)

   中村吉右衛門、尾上菊五郎、中村又五郎、中村錦之助、尾上菊之助、中村雀右衛門ほか

   国立劇場  開演 11:00  終演 16:15

 24 深江戸 さん喬独演会

  春風亭一花 「やかん」
  柳家さん喬 「宮戸川(前段)+笠碁」
  柳家さん喬 「寝床」
  柳家さん喬 「福禄寿」

   深川江戸資料館小劇場  開演 18:30 終演 21:20

 25 仮名手本忠臣蔵 第三部(八—十一段目)

   松本幸四郎、中村梅玉、中村魁春、中村児太郎、中村歌六、市川笑也ほか

   国立劇場  開演 11:00  終演 16:00

 26 本門寺落語 春風亭一之輔独演会2016冬の陣

  野坂法行 池上本門寺執事 挨拶
  春風亭きいち 「芋俵」
  春風亭一之輔 「お見立て」
  春風亭一之輔 「柳田格之進」

   池上本門寺 朗峰会館  開演 18:00 終演 20:15

 

今年訪れた美術展、神社仏閣など

1 「有田焼創業400年記念 十三代今右衛門 十四代柿右衛門 展」 三越日本橋本店

2 「春を言祝ぐ 一軸一盌展」 三越日本橋本店

3 河鍋暁斎記念美術館

4 高尾山薬王院有喜寺(東京都八王子市)

5 「書の流儀」 出光美術館

6 「恩地孝四郎展」 東京国立近代美術館

7 「ようこそ日本へ 1920-30年代のツーリズムとデザイン」 東京国立近代美術館

8 「MOMATコレクション ちょっと建築目線でみた美術、編年体」 東京国立近代美術館

9 「ボッティチェリ展」 東京都美術館

10 「はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術館コレクション」 新国立美術館

11 「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」 森アーツセンターギャラリー

12 米山久志・岳龍窯個展

13 壽命山昌福寺(山梨県南巨摩郡富士川町)

14 小室山妙法寺(山梨県南巨摩郡富士川町)

15 妙石山懸腰寺(山梨県南巨摩郡富士川町)

16 日蓮宗総本山 身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)

17 「ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏」 東京ステーションギャラリー

18 「勝川春草と肉筆美人画 〈みやび〉の女性像」 出光美術館

19 「ほとけの教え、とこしえに。仏教絵画名品展 コレクション展」 根津美術館

20 「没後100年 宮川香山」 サントリー美術館

21 「美の法門 柳宗悦の美思想」 日本民藝館

22 「日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展」 国立西洋美術館

23 「描かれた夢解釈 醒めて見るゆめ/眠って見るうつつ」 国立西洋美術館

24 「安田靫彦展」 東京国立近代美術館

25 「芹沢銈介のいろは 金子量重コレクション」 東京国立近代美術館工芸館

26 「春らんまんの日本画まつり」 東京国立近代美術館

27 第56回 東日本伝統工芸展 日本橋三越本店

28 「金で彩る銀座、箔一」展 新しい日本のおもてなし 箔一 銀座の金沢

29 遠山記念館

30 山崎美術館

31 「まぼろしの紙幣 横浜正金銀行券 横浜正金銀行貨幣紙幣コレクションの全貌」 神奈川県立歴史博物館

32 さいたま市大宮盆栽美術館

33 益子参考館

34 「生誕300年記念 若冲展」 東京都美術館

35 「創設80周年特別展 日本民藝館所蔵 朝鮮工芸の美」 日本民藝館

36 「川端康成コレクション 伝統とモダニズム 知識も理屈もなく、私はただ見てゐる。」 東京ステーションギャラリー

37 「北大路魯山人の美 和食の天才」 三井記念美術館

38 「世界遺産 ポンペイの壁画展」 森アーツセンターギャラリー

39 「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」Bunkamura ザ・ミュージアム

40 「よみがえる仏の美 修理完成披露によせて リニューアルオープン展第3弾」 静嘉堂文庫美術館

41 「館蔵 近代の日本画展」 五島美術館

42 青花の会 骨董祭 神楽坂 la kagu、新潮講座、AYUMI GALLERY

43 鉄道博物館

44 Tokyo Antique Fair 2016 東京美術倶楽部

45 「開館50周年記念 美の祝典 III 江戸絵画の華やぎ」 出光美術館

46 「日伊国交樹立150周年記念 メディチ家の至宝 ルネサンスのジュエリーと名画」 東京都庭園美術館

47 松岡美術館

48 OLD CAR CENTER KUDAN

49 菩提山願成寺 白水阿弥陀堂(福島県いわき市)

50   「観音の里の祈りとくらしII びわ湖・長浜のホトケたち」 東京藝術大学大学美術館

51 「平櫛田中コレクション展」 東京藝術大学大学美術館

52 「日韓国交正常化50周年記念 ほほえみの御仏 二つの半跏思惟像」 東京国立博物館

53 「開館50周年記念 美の祝典 III 江戸絵画の華やぎ」(2回目) 出光美術館

54 「From Life 写真に生命を吹き込んだ女性 ジュリア・マーガレット キャメロン展」 三菱一号館美術館

55 「全身詩人、吉増剛造展」 東京国立近代美術館

56 「近代風景 奈良美智がえらぶMOMATコレクション」 東京国立近代美術館

57 「アントワネットも愛したフランスの布 西洋更紗 トワル・ド・ジュイ展」 Bunkamura ザ・ミュージアム

58 「沖縄の工芸」 日本民藝館

59 「開館50周年記念 東洋・日本 陶磁の至宝 豊麗なる美の競演」 出光美術館

60 「大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで」 江戸東京博物館

61 常設展 江戸東京博物館

62 「アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」 国立新美術館

63 「土木展」 21_21 DESIGN SIGHT

64 「古代ギリシャ 時空を超えた旅」 東京国立博物館

65 「ポンピドゥー・センター傑作展 ピカソ/マティス/デュシャンからクリストまで」 東京都美術館

66   「驚きの明治工藝」 東京藝術大学大学美術館

67 「中国陶磁勉強会」 根津美術館

68 「松島瑞巌寺と伊達政宗」 三井記念美術館

69 「陶・林妙子 作品展」 ギャラリーおかりや

70 神宮 外宮・内宮(三重県伊勢市)

71 元興寺(奈良県奈良市)

72 興福寺(奈良県奈良市)

73 東大寺(奈良県奈良市)

74 入江泰吉旧居

75 法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)

76 中宮寺(奈良県生駒郡斑鳩町)

77 法輪寺(奈良県生駒郡斑鳩町)

78 法起寺(奈良県生駒郡斑鳩町)

79 西大寺(奈良県奈良市)

80 三井寺 長等山園城寺(滋賀県大津市)

81 東寺 真言宗総本山教王護国寺(京都府京都市南区)

82 「没後50年 河井寛次郎展」 美術館「えき」KYOTO

83 八坂神社(京都府京都市東山区)

84 音羽山清水寺(京都府京都市東山区)

85 大椿山六道珍皇寺(京都府京都市東山区)

86 補陀洛山六波羅蜜寺(京都府京都市東山区)

87 修学院離宮

88 下鴨神社 賀茂御祖神社(京都府京都市左京区)

89 龍宝山大徳寺(京都府京都市北区)

90 桂離宮

91 松尾大社(京都府京都市西京区)

92 百丈山石峰寺(京都府京都市伏見区)

93 伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区)

94 慧日山東福寺(京都府京都市東山区)

95 「創設80周年特別展 柳宗悦・蒐集の軌跡 日本の工芸を中心に」 日本民藝館

96 「鈴木其一 江戸琳派の旗手」 サントリー美術館

97 「第25回 日本盆栽作家協会展/明治の盆栽事情」 さいたま市大宮盆栽美術館

98 氷川神社(埼玉県さいたま市)

99 「ゴッホとゴーギャン展」 東京都美術館

100 「驚きの明治工芸展」 東京藝術大学大学美術館(2回目)

101 「台東区コレクション展 日本絵画の源流、法隆寺金堂壁画・敦煌莫高窟壁画模写」 東京藝術大学大学美術館

102 「禅 心をかたちに」 東京国立博物館

103 「平安の秘仏 滋賀樂野寺の大観音とみほとけたち」 東京国立博物館

104 「時代 を映す仮名のかたち」 出光美術館

105 「平安古筆の名品」 五島美術館

106 「クラーナハ 500年後の誘惑」 国立西洋美術館

107 日蓮宗大本山 長栄山池上本門寺(東京都大田区)

108 「開館75周年記念特別展 円山応挙」 根津美術館

109 穴八幡宮・高野山真言宗 準別格本山 光松山放生寺(東京都新宿区)

110 新宿 諏訪神社(東京都新宿区)

111 金鑚神社・金鑚山大光普照寺(埼玉県児玉郡神川町)

 

今年聴講した講演、各種見学、参加したワークショップなど(敬称略)

1      「書の流儀と流派の発生を探る」 笠嶋忠幸(出光美術館学芸課長代理) 出光美術館

2      「柳家三三師匠と行く落語『鰍沢』の舞台をめぐる旅 富士川落語まちプロジェクト特別企画」 協賛 一般社団法人落語協会

3      「美の法門について」 岡村美穂子(鈴木大拙館名誉館長) 日本民藝館

4      「勝川春草はなぜ肉筆画を描いたのか 浮世絵における制度としての「絵画」と「版画」」 廣海伸彦(出光美術館学芸員) 出光美術館

5      「国境の地に生きる フィンランド・カレリアとエストニア・セトゥの人びと」 庄司博史(国立民族学博物館名誉教授) モンベル渋谷店

6      「柳宗悦 浅川巧が愛した韓国 柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司が歩いた道を歩く」 藤本巧(写真家) 日本民藝館

7      「南太平洋のサンゴ島を掘る 女性考古学者の謎解き」 印東道子(国立民族学博物館教授) モンベル渋谷店

8      青花の会 古美術入門5 木村宗慎(茶道家) MGP矢来スタジオ

9      「日本民藝館の沖縄染織 全所蔵品精査を終えて」 柳悦州(沖縄県立芸術大学附属研究所教授) 日本民藝館

10   「「僕のフィールドワーク」論 微笑みの国の工場から」 平井京之介(国立民族学博物館教授) 三省堂書店神保町本店

11   「人間にとってスイカとは何か カラハリ狩猟民と考える」 池谷和信(国立民族学博物館教授) モンベル渋谷店

12   「「複合の美」の思想:蒐集の根底にあったもの」 中見真里(清泉女子大学教授 国際関係思想史) 日本民藝館

13   「シベリアで生命の暖かさを感じる」 佐々木史郎(国立アイヌ民族博物館設立準備室主幹) モンベル渋谷店

14   「続歌の歴史と短冊」 別府節子(出光美術館学芸員) 出光美術館

 

どれも素晴らしいものでした。関係者の皆様に感謝申し上げます。


読書月記 2016年12月

2016年12月30日 | Weblog

赤瀬川原平 『外骨という人がいた!』 ちくま文庫

ブックオフオンラインで購入。この手の古本で1,500円分購入するのはけっこう大変。欲しい本は1冊かせいぜい2冊なのである。しかし、それだけでは1,500円にならないことが多いので、別にたいして興味もないものも適当に併せ買いするはめになる。送料を払って欲しい本だけを買えばよいのだが、ついつい貧乏性の本性が出てしまう。

それでこの本だが、なんというか馬鹿馬鹿しい。宮武外骨という人のことはこの本で知ったし、おもしろいことをした人だとは思うのだが、特に感心するほどのことはない気がした。ただ、外骨がどうこうというよりも、本書で紹介されている外骨の仕事から当時の世相を想像すると、今と変わらないという印象を持ってしまう。このところ、本の読後感を書くと毎回のように人間というものの変わりばえのなさを言葉を変えて語っている気がするのだが、もうそういう思いは確信に近いものになりつつある。『滑稽新聞』の記事にある「立派な名に改めた物事」は今の差別用語撲滅運動に通じるものだし、「社会は分業」は今の格差社会うんぬんと同じだ。選挙に立候補しておきながら、自分では自分に投票せず、それにもかかわらずわずかながらも票が入ったことに本人が驚いている様子は、私も真似してみたい。つまり、いつか選挙というものに出てみたい、と思わせる。ただ、当時と今とで違うのは、外骨がしばしば警察に逮捕されたのに対し、今のネット民はよほどのことをしない限りは逮捕されるということはない。自由に発言する人間が社会秩序の脅威と捉えられたのは、それだけ為政者側が治安に自信がなかったということではないだろうか。今でもネット上でのことが警察沙汰になることもあるが、権力側の構えが外骨の時代よりもソフトになっていることは確かだろう。当たりがソフトであるからといって、実質が鷹揚になったのかどうかはわからない。権力の表出方法が変化しただけで、社会の規制の在り方というのものの内実は変化していないのかもしれない。

 

赤瀬川原平 『ライカ同盟』 ちくま文庫

ブックオフオンラインで他の赤瀬川作品と一緒に購入。この本が主目的の購入ではなかったので、内容にさほど期待はしていなかったが、この人が書くものは深いと思う。古本なので、前の持ち主が引いた線がある。それも一箇所だけ。中古本の楽しいところは、そういう自分以外の人の心の動きの痕跡に触れることにもある。

それでライカだが、この本にもあるように、写真云々ではなく素朴に「あぁ、ライカぁ」と思うカメラなのだろうと妄想する。カメラのメカに思い入れのある人とかカメラそのものを愛している人はこの本に登場する人々のようにライカが持つ究極感のようなものに惹かれるのだろうし、そのスタイルとか細部のこだわりのようなところに惹きつけられる人もいるだろう。Aero Conceptのカバンをロックするときに金具から発せられる音はライカのシャッターの音を模したものだそうだ。

ここで言う「ライカ」はフィルムカメラの時代のライカのことである。デジタルになってしまうと、フィルムの代わりにCCDやCMOSを使っている、というだけのことではなくて根本的にフィルム時代のカメラとは別物になってしまう。「カメラ」というときのカメラはあくまでも光学精密機器であって、レンズとそこを通してフィルムに映像を感光させる一連の部材やメカニズムと総体としてのデザインのパッケージである。これに対し「デジタルカメラ」というのはカメラの姿をしたパソコンであって、つまりは映像データを電子データに変換して記録する映像キャプチャーなのである。結局同じでしょ?と思う人のほうが世の中には多いだろうが、本質がまるで違う。

うだうだと語っているが、私は「カメラ」を所有していない。所謂「趣味」としてのカメラとか写真にも興味はない。最後に使ったフィルムカメラはニコンのピカソだ。今使っているのはライカのデジタルカメラX1である。ピカソとX1の間はデジタルだけだが、キヤノンのIXY、リコーのGR Digital、GR Digital IIIを経てX1に至った。このブログにも自分で撮った写真を貼り付けているが、写真を撮るのも撮られるのも好きではない。それなのにカメラをいじってみたくなるときがあるのである。子供が家にある電気器具や時計の類を分解して壊してしまうというのはよくあることだと思うのだが、機械というのはそういうものなのではないだろうか。

それでこの本だが、以下に備忘録。

たしかに近代設備の、犬の毛などぜんぜん飛ばない無塵室で、白衣を着てカメラをいじっていれば、とりあえず信用される。でもそれで技倆がわかるわけではない。(102頁)

考えてみれば、未来というものに憧れることのできたしあわせな時代である。それが革命と新製品の時代であった。そして時代は崩れた。(126頁)

頂上を極めたところでとくに何もない山もあるが、頂上を極めたところで一段と世界が開ける山がある。山は全部同じだという民主主義もあるだろうが、山の格の違いというのはどうしてもあるのだ。(140頁)

自分だ自分だといっても、やはり友だちは必要である。たとえつまらない一言でも、その友だちの一言で生き方が軌道修正されて、結果としては大いに助けられていた、ということがあるでしょう。ライカはそういう友だちなのだ。(148頁)

つまり数字やデータではないもう一つの何かの力、それが神秘の力と短絡されたりもするんだけど、ライカレンズの場合はそれを軟らかさというふうに表現している。ぼけ味とか空気感とか言ったりもする。(151頁)

人は冗談が消えたときに、どっと宗教に走る。というか、どっと観念に走る。難しい言葉に頼る。理解を超えた超理解にすがろうとする。(240頁)

しかし義理でなくても、宗教というのはいつも切実な問題である。むかし共産主義が宗教を否定して、その考えが知識人層を支配する時代が長くつづいたのだけど、その共産主義が壊れてしまった。壊れたあとでよく見たら、じつはその共産主義が宗教だったということが判明したわけで、宗教はますます切実なアイテムであるということを認めざるを得ないのである。(241頁)

 

土井善晴 『一汁一菜でよいという提案』 グラフィック社

「ほぼ日」の記事で見かけてリンクをクリックしてアマゾンで購入。読もうと思えば一気に読了できる分量だが、だいぶ引っかかりながら読み終えた。書かれているのは当たり前のことばかり。しかし、それが当たり前ではない時代で、こんなことが立派な装丁の本として流通する世の中であることに複雑な気持ちになる。

食べることは生きることの中核行為でもある。意識するとしないとにかかわらず、食べるために生き、生きるために食べている。つまり、食は毎日続く常なるものである。落ち着いた気持ちで毎日の食事を頂くことが日常生活の本質といってもよい。そこから生きることのすべてが発するのである。毎日の普段の食をどうするか、ということがその人の世界観を映していると言っても大袈裟ではないと思う。また、普段の食が人の世界観を醸成するとも言える。本書のなかでは最初の3章が全体の核ではないか。目次だけでも納得できてしまう。
 今、なぜ一汁一菜か
  食は日常
  食べ飽きないもの
 暮らしの寸法
  自分の身体を信じる
  簡単なことを丁寧に
  贅と慎ましさのバランス
  慎ましい暮らしは大事の備え
 毎日の食事
  料理することの意味
  台所が作る安心
  良く食べることは、良く生きること

 

尾辻克彦 『肌ざわり』 河出文庫
尾辻克彦 『父が消えた』 河出文庫

どちらもブックオフオンラインで購入。いずれも表題作ほかの短編集。小説はあまり読まないので、これも特にどうという感想はない。ただ、「父が消えた」のなかに面白いと思う部分があったので備忘録として書き留めておく。

「父親というのは金でしょ、財産というか、そういうものがなかったら、別に父親の意見なんてないと思うよ」(43頁)

「その報告で面白いのはね、一生を苦労し尽くした人とか、自分の一生の仕事に満足している人というのは、容易にその最後の受け入れの状態に達するらしいのだけれど、たとえば物質的な財産に囲まれた人とか、政治的な人脈などをたくさん持っている人とかいうのは、やはり最後の状態にまで行くのに相当の抵抗があって、大変な苦労をするらしいね。その途中の不幸な心理のまま息を引取るのが多いという」
「ああ、それはわかりますね。この世に執着が強すぎるというか、その錘がしっかりとぶらさがっていて、それにいつまでも引張られているんでしょうね」(65頁) 

 

小長谷有紀 『人類学者は草原に育つ 変貌するモンゴルとともに』 臨川書店

みんぱくフィールドワーク選書の9巻目。講演会に参加する都合で13巻目の『シベリアで生命の暖かさを感じる』を先に読んだので、これで10巻目、全体の半分だ。このシリーズはどれもそれぞれに面白い。タイトルだけ見るとそれほど興味をそそられないものが多いのだが、これまでがっかりさせられたものがひとつもない。

本書に「ウメサオタダオ展」のことが書かれているが、私がみんぱく友の会に入会するきっかけとなったのが本展である。ちょうど東日本の震災があった頃のことで、急に思い立って新宿から夜行バスに乗って大阪を訪れた。そのときのことはこのブログの2011年3月20日「天啓」に書いた。あのときはウメサオ展を観に行ったというよりも、地震後のザワザワとした東京を離れたいという気持ちでとりあえず大阪に行ったのだと思う。そこでたまたまウメサオタダオ展が開催されていて、それを観て何かを感じたのである。今、手元にはその展覧会の図録に相当する『梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡』があるが、本書の編集責任者が小長谷先生だ。

それで『人類学者は草原に育つ』のほうだが、書かれている個々の内容よりも、フィールド調査というものを通じてどれほど深く社会にコミットできるのかというスケール感に感心した。「調査」というと第三者的な立ち位置から踏み出さないかのような印象を受けてしまうのだが、確かに対象に踏みこまなければ調査などできるはずはない。かといって、特定の対象の思想や行為に影響を受けすぎても調査にはならないだろう。そのあたりの対象との距離の置き方で成果が大きく変わることは想像に難くない。ここでも結局は自分が何者であるかというしっかりとした自覚が求められるのだろう。どんな学問も自分とは何者かという意識を離れては成り立たないのではないか。


8時丁度の

2016年12月24日 | Weblog

「8時ちょうどのぉ あずさ2号ぉでぇ わたしはわたしは あなたから …」という歌があったが、8時ちょうどに八王子を発車する八高線に乗った。八王子駅を利用するのも八高線に乗るのも初めてなのだが、思いの外利用客が多く駅周辺や構内の人の動きが活発であることに驚いた。尤も、往来の人々の多くが学生だ。自分の職場が休みなので土曜は休日と思いがちだが、今日はただの土曜日だ。

本日のお題は金鑚神社に参拝することと、八高線で八王子から高崎まで行くことだ。「芸術新潮」の8月号に「神社100選」という特集記事があり、そのなかに埼玉県から2つの神社が選ばれていた。ひとつが大宮の氷川神社であり、もうひとつが金鑚神社だった。生まれてから25歳までと27歳から30歳までを埼玉県内で暮らした身としては、県内有数の神社くらいは知っておいたほうがいいかもしれない、と思ったのと、先月にたまたま氷川神社のほうを訪れたので、せっかくだから二社ともお参りしておこうと思ったのと、冬至を過ぎた直後で自然の循環の節目をお祝いしておこうと思ったことなどから今回の参拝を考えた。要するに、なんとなく行ってみようかな、と思っただけだ。

「芸術新潮」の記事だが、「仏塔のある神社2」として奈良の談山神社と兵庫の名草神社とともに紹介されていた。仏塔はそもそもは近所の天台宗金鑚山一乗院(大光普照寺)のもので神仏習合の名残である。仏塔はこの地の領主であった安保全隆が天文3年(1534年)に建立・寄進したものだそうだ。仏塔は残ったが安保氏は歴史から消えてしまった。今でこそ有名な戦国大名やその後の大名、財閥など諸々あるが、悉く成り上がりであることはちょっと調べればすぐにわかる。成り上がるということは成り下がることも当然に起こるということでもある。それで、金鑚神社だが、本殿はなく御神体である御室ケ嶽一帯を直に拝む祭祀形態である。山を直接拝む形式の神社はここの他には奈良の大神神社と長野の諏訪大社の上社だけだそうだ。大神神社がある奈良県桜井市のあたりは古代日本の中心地であったところで、神社という形態が成立する以前から国家祭祀が行われていたと見られる歴史的にはきらびやかな土地である。諏訪大社は御柱祭で有名だが、記紀に登場する土地である。奈良や諏訪に比べると地味な印象は免れないが、そう思って見る所為か、何かが違う土地であるように感じられる。何がどうということは説明できないのだが、なんか変だぞ、と感じるのである。

さて、八高線のほうだが、その名が示すように八王子と高崎を結んでいる。開業は1931年、全通は1934年。比較的新しい路線という印象だ。東京から高崎へ向かう、あるいは高崎から上京する場合、高崎線を利用するのが一般的ではないかと思うのである。八王子と高崎を結ぶ需要というものが何だったのか、素朴に興味があった。実際に乗車して何がわかるというわけでもないのだが、わからないということがわかるというのも物事の整理には必要なことだと思う。

本日の移動経路は以下の通りである。京王線沿線の自宅を起点に時計回りで移動した。移動の中に八高線というローカル線と新幹線を入れてみた。

0800発 八王子 877E 八高線
0854着 高麗川
0907発              233D 八高線
1020着 丹荘
1025発 丹荘駅前 カミカワタクシー
1035着 金鑚神社

1210発 金鑚山大光普照寺 徒歩
1310着 台湾料理 吉祥
1330発
1335着 丹荘
1407発             239D 八高線
1427着 高崎

1538発 高崎     326C Maxとき326号
1602着 大宮
1608発             1638K 埼京線 各駅停車
1652着 新宿

 


冬至弁当

2016年12月21日 | Weblog

冬至である。七十二候の第六十四候、乃東生(なつかれくさしょうず)の頃でもある。昼が一番短いというか夜が長いというか、そういう日だ。今日を境に明るい時間が少しずつ増えていく。サイクルとして陰から陽に転じる、イメージを感じさせる。それで世界のあちこちで冬至近辺にはお祭りのような行事がある。身近なところでは柚子湯に浸かるとか、南瓜を食べるというようなことをする。クリスマスも冬至祭と無関係ではないだろうし、正月も時代を遡れば今時分であったのではないだろうか。

旧暦は冬至を起点とし、冬至月には十二支の子月(しげつ・ねのつき)を当てている。ややこしいのは旧暦の月名のほかに和風月名というのがある。旧暦の月名では、冬至月を起点に子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥となり、起点とはいいながらも数字では冬至月は旧暦11月だ。となると、旧暦2月が卯月となる。新暦において「卯月」といえば4月のことだが、こちらの「卯月」は和風月名。和歌や俳句の季語においても混乱があるようだが、季節の移ろいに合っているのは旧暦であるような気がする。

明るくなるのはめでたい、めでたいことにはあやかりたい、というわけで冬至に合わせてお札を出す神社仏閣もある。東京で有名なのは早稲田の穴八幡で、「一陽来復」と書かれたお札が頒布される。一般に神社のお札は白い紙を折り畳んだものだが、ここの「一陽来復」は円筒形だ。なぜ平面ではなく立体なのかといえば、お札に金柑の種、銀杏、柚子の皮が収められているからだ。金柑、銀杏、柚子で「きんぎんゆず」、つまり「金銀融通」という言葉遊びのようなものだ。ありがたいのか、馬鹿にされているのか、よくわからないが世間では穴八幡といえば商売繁盛・金運向上のご利益があるとされているところなので、ありがたく所定の位置にお祀りしておいたほうがよいだろう。穴八幡のとなりにある放生寺のお札「一陽来福」も同様だ。

ちなみに、穴八幡の「一陽来復」に添付の説明書の最後のほうに以下の記述がある。
「この御守は江戸時代の元禄年間から行われた穴八幡宮だけに傳来する長い傳統のある特別の御守であります。近年附近の寺社等で類似のお守を出して居る様ですが、当社とは全く関係ありません。御参詣の方は間違のない様穴八幡宮の御社殿でお受け下さい。」

穴八幡と放生寺とを訪れてみればわかるが、同じ敷地内だ。江戸時代の地図を見れば「穴八幡」「別當 放生寺」と並んで記載されている。放生寺は穴八幡の別当寺だったのである。神仏習合、本地垂迹説では八幡神と阿弥陀如来は同じものだ。 つまり、穴八幡と放生寺はイケイケだったのである。自分のところの御守の由来を説明するのは結構だが、「近年附近の寺社等で類似のお守を出して居る様ですが、当社とは全く関係ありません。」の一文は余計ではないか。神や仏の世界くらいはおおらかであって欲しい。

さて、そういうわけで、本日の私の弁当には金柑の甘露煮、銀杏を混ぜたかやくご飯、柚子の皮のスライスを混ぜた野菜の酢漬け、というように「金銀融通」が盛り込まれている。他に、鶏つくね、南瓜の煮物、胡瓜の漬物、キヌサヤが入っていた。


「ふだんのちゃわん」その2

2016年12月17日 | Weblog

十条のギャラリーカフェFINDに出かけて、仮決めになっていたギャラリー使用を正式に契約してきた。前回ここで作品展を開催したのは2011年1月18日火曜日から23日日曜日まで。そのときのことはこのブログにも書いているが、まず客は来ない。カフェの客のなかにギャラリーを覗いてみるという人がいる程度だ。前回と今回の違うところは営業時間で、前回は11時から21時までだったが、今回は10時から18時まで。この時間短縮がどう影響するのかしないのか気になるところではある。

前回は葉書形式の案内状を作った。知り合いに紹介してもらったデザイン事務所に発注して作成し、自分の交友範囲内で配布した。先に書いたように、それが殆ど集客につながっていないので、今回は宣伝はやらないことにした。ギャラリーを借りて、作品を並べて、売れるのを待つ。ただそれだけにしようと思っている。

どのような作品がどれほどあるのか、まだ在庫をよく見ていないのだが、自分の陶芸作品だけでは会場が埋まらないというようなことであれば、家にある書籍類も会場の隅に並べてみようかと思う。妻も自分で作った刺繍などを並べるつもりなのかもしれない。

前回の作品展に関連したブログは以下の通り。いずれも2011年、東日本を震災が襲った年だ。

1月10日 一週間前
1月17日 搬入
1月18日 初日
1月19日 二日目
1月20日 三日目
1月21日 四日目
1月22日 五日目
1月23日 「ふだんのちゃわん」縁起
1月24日 「ふだんのちゃわん」後日
1月25日 あなただけに
1月27日 子 壱千参百六拾伍 

FINDでギャラリーの正式申込を済ませた後、池上本門寺で一之輔の独演会を聴く。本日の演目は以下の通り。

野坂法行 池上本門寺執事 挨拶
春風亭きいち 「芋俵」
春風亭一之輔 「お見立て」
春風亭一之輔 「柳田格之進」

会場:池上本門寺 朗峰会館
開演 18:00 終演 20:15


やっぱりわからない

2016年12月11日 | Weblog

国立劇場で忠臣蔵の第三部、八段目から十一段目までを観てきた。初めて観た第一部での違和感をかかえたまま、先月の第二部、今月と話が進んで、やっぱり私には忠臣蔵はわからないということがわかった。

今回は前から2列目、花道脇の席だった。芝居でも落語でも観たり聴いたりするのにちょうどよい席というものがある。ずっと以前、同じ劇場の同じホールで上方の噺家の落語会を聴いたことがある。そのときは3階席で、舞台を遠くに見下ろすような位置だった。落語を聴くのにこれはまずい。メディアへの露出の多い噺家だったので、そういうことになったのだろうが、そういう落語会は客席の集積度合いに比べて内容が空疎であるというのは私の経験則だ。その会も例外ではなかった。会場も噺もよかった最近の落語会は先月の深川江戸資料館小劇場での柳家さん喬の独演会だ。近頃は落語はもう聴きに出かけるのを止そうかなと思うことが多くなったのだが、こういう会に巡りあうと、やっぱりまた行こうかなと思ってしまう。

落語の話はともかくとして、今の時代の照明や音響の技術の下で歌舞伎の装束を観ることにそもそも無理があるような気がする。あの白塗りの化け物のような化粧や派手な衣装は電気のない時代の明るさといか暗さのなかで観るのにちょうど良いものであって、現代の電気照明で煌々とした舞台で間近に観ると、いろいろツッコミを入れたくなってしまって素直に演劇のほうに集中できない。八段目は女形2人だけによる台詞無しの踊りだが、前から2列目の席で観ると、女形と女は全く別物であるという当然の現実を目の当たりにして、なんとも言えない気分になるのである。尤も、妻に言わせれば、上手な役者というのはただ立っているだけでもほんとうに綺麗に見えるものなのだそうだ。

それで話のほうなのだが、第一部で高師直から嫌がらせを受けて頭に血が上っていた若狭之助の家臣で、師直に賄賂を贈って自分の殿への嫌がらせを収めた加古川本蔵の娘と大星由良之助の倅である力弥が婚約をしていたというのである。これはけっこう重要なことだと思うのだが、八段目になって初めて明らかになる。「えーっ、そうだったのぉ!」と私は思ってしまうのだが、客席の様子を窺うと驚いている様子は微塵もない。

という話をしたら、妻に力弥と小浪の婚約は二段目で語られているとの指摘を受けた。再び「えーっ、そうだったのぉ!」。二段目を見たのは10月10日だった。二段目前半、「桃井館力弥使者の場」で描かれている。言われてみれば、思い出す。その時のプログラムには人物関係図も掲載されている。芝居を観るには記憶力も要求されるのである。

それで加古川本蔵のことだが、武士の世界で家臣というものが守るべき根本的倫理としてお家大事、殿大事というものがあり、その倫理を貫徹させた本蔵は桃井若狭之助の家臣として非の打ち所のない人物だと思うのである。あの松の間での事件に本蔵は居合わせており、刀を抜いた塩冶判官を羽交い締めにして殺傷事件を防いだのも本蔵だ。殿中にあるまじき不法行為者を取り押さえるのは当然のことだ。ところが、由良之助やその妻お石に言わせれば、本蔵は賄賂で師直に諂う武士の風上にも置けぬ奴、しかも判官に無念の思いをさせた張本人なのだ。それは感情論としてわからないではないが、為政者たる立場の者が時々の情に従っていたら社会の安寧を守ることはできない。本蔵を責めるのは筋違いというものだ。しかし「忠臣蔵」ではその感情論のほうに義があるとするのである。なんと本蔵までもが自己批判をして亡くなってしまう。

どういうわけか本蔵が高師直の屋敷の図面を持っていて、娘が力弥の嫁になることの引き出物として、亡くなる間際に由良之助に図面を差し出す。図面を手に入れた由良之助はいよいよ討ち入りだというので、武具を整えさせた商人、天川屋義平のもとへと急ぐのである。このあたりの展開は、なんだか狐につままれたようだ。

天川屋のほうは、塩冶浪人にシンパシーを感じ彼らのために武具調達をする商人だ。これも「なんで?」と思ってしまう。殿中で刀を抜くというあってはならないことをしてお家取り潰しとなった武家の浪人が相手方に討ち入りをすることは、仇討ちというものが認められる社会にあってさえも容認されるはずのないことだ。容認されないことに手を貸すのは犯罪だ。ましてや天川屋は商人。武家の話に首を突っ込むなど、そもそも許されない。天川屋本人もそれは承知している。だから、武具が整い、討ち入りが近いことを感じ取ると妻を実家に返してしまい、奉公人も必要最小限だけ残して暇を出してしまう。そこに塩冶浪人が天川屋の信頼度を試すべく同心に扮して店にあった荷物を改めようとすると身を呈して阻止する。いざ討ち入りという段になって最後の安全確認ということだろうが、さんざん利用しておいて最後に相手の了見を試すというのは、ちょっと嫌な感じがした。しかし、ここで天川屋に裏切られては元も子もないので、ここは仕方がないか。

要するに、この話は要所要所が納得できないのである。納得できない話が1748年の初演から現在まで歌舞伎のなかの歌舞伎のような演目として公演され続けている。怪奇現象だ。

おそらく、忠臣蔵というのはエンターテインメントとして考えうる全ての要素を盛り込んだものなのだろう。観る側が、それぞれの好みと気分に従ってそこから感激する場面を自分なりに自分の中に構成して楽しむものなのではないだろうか。殿様が悔しい思いをさせられた挙句に切腹に至り、家来がその無念を晴らす。殿の無念はいかばかりであったか、というところに想いを抱いて共感するもよし。殿の無念を晴らすべく苦心惨憺臥薪嘗胆一年数ヶ月、天晴れ仇の首をとった、やったぁ、と思うもよし。役者の演技の細かいところに世界観を見出してその上手下手を考えるもよし。人間の情緒を刺激するあらゆる要素が盛り込まれているのだから、十人十色それぞれの楽しみ方があるのだ。そもそも、理屈ではないのである。理屈ではないから、説明できない。でも、面白い、楽しい、すっとする、感心する。だから繰り返し観ても飽きることがない。そうやって続いているのだろう。