熊本熊的日常

日常生活についての雑記

台湾

2011年01月31日 | Weblog
とげぬき地蔵の近くの路地に「台湾」という名前の台湾料理の店がある。たいへん小さな店なので、時間帯を選ばないと入ることができないかもしれないが、私が訪れる時間はそういう時間を外しているので、たいていは私以外に客がいない。

以前、仕事で3ヶ月に一回くらいの割合で台湾を訪れていたことがあった。訪問先は新竹が多く、台北や桃園であったり、稀に高雄のほうであったりすることもあった。仕事で、しかも客として出かけると、面倒を看る側があれこれと気を遣って立派なホテルのレストランなどで食事をいただくことになる。ほんとうは移動の車のなかから目にする街角の大衆食堂のような場所で、メニューの文字から空想を膨らませながら料理を注文し、出されたものと空想の乖離を味わってみたいと思っていたのだが、こちらも気を遣って相手に合わせていた。

しかし、そういうことが累積すると、やはりあの大衆食堂のようなところのものが食べてみたいという気持ちが膨らんでくる。幸い、東京には台湾料理の店はいくらでもある。東京の台湾料理店の料理が新竹や台北のそれらとどの程度同じなのか違うのか知らないが、台湾で行くことができなければ、東京で行くよりほかにどうしょうもない。それで、たまに銀座の外れとか歌舞伎町にある台湾料理屋を訪れてみたりする。巣鴨で暮らすようになって、この「台湾」の存在にはすぐに気がついたのだが、なかなか自分の腹の欲求と、この店の近傍を通りかかるタイミングが合わず、結果として半年に一回程度しかこの店を訪れることはない。今日はその半年に一回の日だったようだ。

あまり深く考えずに角煮麺を注文した。大きな丼に溢れんばかりの内容。真ん中に大きな角煮が横たわっている。その角煮の大きさだけで、今自分の居る空間が台湾へ瞬間移動したような心持ちになる。麺がのびてしまうといけないので、角煮はそのままに麺からいただく。角煮は十分に煮込まれているらしく、大きな塊であるにもかかわらず、箸で簡単に崩すことができる。また、角煮の大きさの割にスープに浮いている脂分が少ない。こう言っては難だが、見た目とちがって上品な味だ。味も量も栄養のバランスも、おそらく見た目以上に生命活動に適したものなのではないか、などと考えてみたりする。こういうものを日常的に食べているから、彼の地の人々は激動の歴史をしたたかに生き抜くことができるのかもしれない。

実は、この店の料理は店主が考えたオリジナルだそうだ。店主は日本人で、奥様が台湾の方とのこと。詳しくは学習院大学の学生が発行しているミニコミ誌「おてもと」の第4号を参照されたい。

そういえば以前の勤務先の近くにあった台湾人兄弟姉妹が切り盛りしていた店は今もあるのだろうか。今度、人形町へ足を伸ばしてみようかと、ふと思った。

注:「おてもと」設置箇所
学習院内:カフェ・ラ・スリゼ、蓁々会売店、黎明会館踊り場、文学部各学科閲覧室
雑司ヶ谷:古書往来座、旅猫雑貨店、ひぐらし文庫、JUNGLE BOOKS、トシマサロン
早稲田:古書現世、立石書店
東池袋:豊島区立中央図書館
千駄木:古書ほうろう、往来堂書店
谷中:古書信天翁
駒込:ぶた屋DEとり屋
小石川:橙灯
牛込神楽坂:クラシコ書店
神保町:ブックダイバー
下北沢:新雪園
中目黒:JUNKADELIC

店舗の存在意義

2011年01月30日 | Weblog
子供が誕生日のプレゼントに電動ハンドミキサーが欲しいというので、店をいくつか探して歩いた。

その前に、カメラの調子が悪いというので、購入店であるヨドバシカメラに持ち込んで見てもらった。売り場に持っていくと、すぐに対応してくれて、問題箇所の特定も難なくなされた。量販店はいくつもあるが、売り場の店員はヨドバシが一番信頼できると思う。生憎、その場で修理できるものではなく、メーカーに依頼しないといけない内容だったのだが、何がどう悪いのかということがわかっている上で依頼するのと、わけもわからず依頼するのとでは、気分が大いに違う。ネット上の流通網が発展して、説明や相談を要しない電気製品や精密製品はアマゾンなどの無店舗業者を利用したほうが経済的なのだが、こうしたアフターサービスが必要な場合を考えると、多少割高でもリアル店舗を利用したほうが安心感が強い。

問題のハンドミキサーだが、調理器具ということで東急ハンズを訪れた。売り場には、バーミックスをはじめとするいくつかの製品が並んでいたが、説明をしてくれる店員がいない。まだその店員が出勤前とのことで、製品の説明ができる人がいないという。物を並べるだけで商売をするのなら、私にでもできる。何のためのリアル店舗なのか、ということが理解されないままに店舗を運営していれば、売上が伸びないのは当然だ。

次に、あまり期待をせずに、伊勢丹に行ってみた。ハンドミキサーはバーミックスしか扱っていない。百貨店、特に新宿伊勢丹の営業の主力は衣料品であり、それ以外のものは飾りでしかないことは承知しているので、素直に別の店を探すことにする。

場所を渋谷に変えてみた。ミキサーを探す前に腹ごしらえである。渋谷は2000年夏から2001年暮れまで1年3ヶ月間勤めていた先があった。その建物は246号線沿いだったが、この周辺は比較的個性的な飲食店に恵まれていた。勤務期間が1年3ヶ月と短かった所為もあり、外出の多い仕事であった所為もあり、自信を持って語るほど通ったところは少ないのだが、好きな店というのがいくつかあって、嬉しいことにそれらが10年を経ても営業を続けている。そのひとつは昨年11月26日付のこのブログで書いた「かつ吉」で、もうひとつは今日訪れたトルコ料理の「アナトリア」である。他に建物を建て替えて私が渋谷で働いていた頃とは様子が変わってしまったが、営業を続けている「澤之井」や、やはり建て替えられた「天厨菜館」もよく利用した。今日は「アナトリア」でトルコの煮込み料理をいただいた。

さて、ハンドミキサーだが、結局、東急東横店で購入した。

渋谷から埼京線で十条へ行き、FINDで一服してから子供と別れた。個展の開催中は予定が合わず、子供は来ることができなかったのだが、この店のことは大変気に入ったと言っていた。月に一度しか会わないということもあるのかもしれないが、子供の眼というのは強く意識して生活している。自分にとっては最も身近な他者という親子の関係もあるのだが、時々このブログにも書いているように、私自身は親子というものが特別な関係だとは認識していない。人が生活を送る上で取り結ぶ数多の人間関係のひとつに過ぎないと思っている。ただ、敢えて他の関係と違うところがあるとすれば、親から子へ何事かを伝えることが暗黙の前提とされている関係ということを挙げることができるだろう。親は自分が考える人生というものを一生懸命に生きて見せ、子はそこから何事かを学習して己の人生に反映させる。「何事」のなかで本当に重要なのは言語化できない部分だろう。だからこそ、生きることそのものを見せないと何も伝わらない。生きるということは、本人がどのような認識を持つかということとは関係なく、不確実の世界を歩むことである。暗黙のうちに明日があると信じ、その明日は今日の延長線上にあると確信しているが、本当にそうなる保証など何もない。根拠のない確信の最たるものが我々の極未来観だ。意識するとしないとに関わらず、我々は不確かな世界を生きる不安のなかにある。だからこそ、身近にいて自分の何歩か先を行く者の背から何事かを読み取りながら生きるものなのではないだろうか。また、先を歩く者も身近に視線を感じるからこそ、真っ当であろうと必死で歩を進めるものなのではないだろうか。

人生が二度あれば

2011年01月29日 | Weblog
日本橋三井ホールで春風亭昇太の独演会を聴いてきた。オーソドックスな古典で前半をまとめ、中入り後は新作「人生が二度あれば」がトリだ。老いて後、仮に時代を遡って悔いの残る場面をやり直すことができたとしたら、本当に悔いは解消されて満足のいく結果になっただろうか、という噺である。

煩悩だの欲望だのを抱えて生きている限り、程度の差こそあれ人は誰しも悔いること、悔いたいことのひとつやふたつはあるのではないだろうか。しかし、仮に時間を逆回転させることができたとして、ある特定の意思決定や行動を修正することができたら、果たして後悔を減らすことができるだろうか。そして、後悔を減らすことができたら、人生は豊かになるのだろうか。

噺のオチは、悔いの残った場面をやり直したら、さらに落ち込むような結末になった、ということなのだが、そこに私は深く共感できた。共感はできたが、共感できるということと、面白いと思うこととは同義ではない。

落語は嫌いではないが、趣味と呼ぶことができるほどに聴き込んでいるわけではない。限られた経験のなかで言わせてもらえば、自分のなかで、新作のなかの今のところの最高傑作は喬太郎の「ハンバーグができるまで」だ。そこを基準に考えると、「人生が…」はひとつひとつの言葉の吟味や磨きが十分とは言えないし、物語の展開に題名が期待させるような大きさがないように思う。トリにするより、むしろ中入り前に演るもので、トリには古典を持ってきたほうが無難であると感じた。尤も、無難なことをしていては噺家としての存在意義が無いので、様々な可能性を試す精神には大いに敬意を評したい。また、落語会に足を運ぶということは、馴染みに浸ることではなく、そうした噺家の精神を味わうことであるとも思う。馴染みに浸るだけならDVDや動画配信を鑑賞すれば足りることだ。

それで人生が二度あったらどうするか、ということだが、私ならやり直したいとは思わない。精一杯生きて、さっさと終わらせてしまいたい。

本日の演目
「初天神」立川生志
「壷算」春風亭昇太
「長命」春風亭昇太
(中入り)
伝の会 長唄三味線
「人生が二度あれば」春風亭昇太

会場:日本橋三井ホール
開演:16時30分
閉演:19時00分

バイオハザード

2011年01月28日 | Weblog
体調を崩した。昨日の夜から調子が悪くなり、そういう日に限って職場でシステム障害が発生して作業に滞りが発生する。帰宅後すぐに床に就き、今日は午後2時半まで寝ていた。おかげで、なんとか身体も軽くなり、今日は普通に出勤して仕事もこなすことができたが、それ以外のことが何もできなかった。

先週、自分の個展のために一週間休暇を取り、今週に入って職場に復帰してみると、なんとなく様子がおかしかった。一見して体調の悪そうな人が多いのである。なかにはインフルエンザで出勤を差し止められている人もいるらしい。しかも、先週末にフロア内での引越しがあり、私の所属部署の部屋は以前にも増して狭くなった。そこへきて風邪の流行なのである。こんなところで過ごしていれば、自分が罹患するのは時間の問題だ。そして昨日から不調に陥ったわけである。

私の勤務先が入居するビルは2007年夏にグランドオープンを迎えた。当然、その時の最新の設備が導入されているはずなのだが、オフィス内の空気環境に目立った改善は見られない。呼吸器系の弱い人などは自分の机やその周辺に加湿器や空気清浄機を持ち込んでいる。それで多少の改善はあるかもしれないが、今回のように風邪やインフルエンザが蔓延してしまえば焼け石に水のようだ。

オフィスや公共の建物の中の環境改善について、何か妙案は無いものなのだろうか。自衛だけではどうにもなるまい。

子 壱千参百六拾伍

2011年01月27日 | Weblog
先週の個展でお買い上げいただいた器を今週は配達している。今日でほぼ配達完了の目処がついた。器は衝撃吸収シートに包み、それを新聞紙で作った袋に入れて、挨拶文を入れた封筒を添えてお届けしている。

落語が好きで、気に入った噺家の落語会にはできるだけ足を運ぶようにしている。故人の場合はCDやDVDを暇さえあれば観たり聴いたりしている。噺のほうでも好きなものがあり、今回の個展では落語ネタも絡ませてみようと考えた。最初、志ん生でもBGMとして流しておこうかとも考え、実際に初日にやってみたのだが、しっくりこなかったので止めた。結局、お買い求めいただいた器に添付する挨拶文に「子 壱千参百六拾伍」というタイトルを付けることにした。その文面が以下の通りである。

***以下引用***
子 壱千参百六拾伍

このたびは「ふだんのちゃわん」をお買い求めいただき、ありがとうございます。器だけで生活が変わるわけではありませんが、「この器を使うようになってから、なんだか気分がいいな」とか、「器を変えてから、いいことが増えたな」なんてことになったら、楽しいですね。手料理を盛るのに使っていただければ嬉しいことこの上ありませんが、既製の惣菜類をプラスチックのトレーからこの器に移し替えるだけでも、食卓の様子が好ましいものになると信じています。どうぞ末永くよろしくお願い致します。
平成二十三年睦月    熊本熊

註 「子 壱千参百六拾伍」は、落語「高津の富(宿屋の富)」での一等の番号です。皆様に幸運が訪れますように。
***以上引用***

おこがましいことだとも思うのだが、自分の手から生まれたものが他人様に少しでもお役に立って欲しいとの願いを表現したつもりだ。それが富札の一等の番号というは、いささか自意識過剰なのではないかとの批判もあるかもしれない。そこは、せめて気持ちくらいは大袈裟に表現させていただきたいとの想いを斟酌していただくことでご容赦願いたい。

「天地明察」

2011年01月26日 | Weblog
久しぶりに小説を読んだ。なぜこの本を選んだのか、今となっては理由がわからないのだが、部屋に積み上げられている未読本のなかにあった。おそらく、どこかで読んだ書評かなにかで興味を覚えて発注したのだろう。

歴史上の人物をモチーフにしているが、司馬遼太郎の作品に見られるような人や文化のあるべき姿に対する強い思い入れのようなものは感じられず、純粋にエンターテインメントとして書かれたような印象を受けた。物語の展開が小気味良く、テレビドラマのような軽快なリズムがある。改暦という、その時代に広く受け容れられている習慣を覆す壮大な話なのだが、肩肘を張るのではなく、登場人物たちの個人的な興味や情熱が、結果として世の中を変えるというところに面白さがある。主人公に私利私欲が無く、己の生き方を貫くなかで、それを評価する様々な世界の人達が現れ、それが大きな運動となって世の中全体をひっくり返すようなことに至るダイナミズムが読み手に心地よさを感じさせるのだろう。

エンターテインメントの常として、主人公が所謂「良い人」ということも肝要だ。渋川春海が本当はどのような人なのかを知っている人は今の時代に誰もいないのだから、人物像はいくらでも創造できるし、エピソードもいくらでも設定できる。下手にリアリティを求めるよりも、この作品のように単純化したほうが、読み手にとっては気持ちよく作品の世界に没入できる。しかし、それでは物語は消費されるだけで、何事かを読者の中に創り上げるというようなことは期待できないのではないか。

内容はいくらでも膨らませることのできる要素を抱えながら深くは掘り下げていない。そのあたりの加減に作者が悩んだ形跡が窺えないこともない。作家という職業を全うしようとするなら、表現したいものと表現できるものとの葛藤は常のことだろう。ましてや、昨今の出版事情は厳しさを増すばかりだ。しかし、そうした厳しい時代だからこそ、いまどき本を手にする人はそれ相応のリテラシーを持ち合わせているはずなのだから、もう少し読者を信頼してもよいのではないかとも思う。

ただの「良い話」、ただの「良い人」、爽やかな読後感、というような要素が無いと、出版物として世に出ないということであるなら、それは今という時代が恐ろしく貧困な時代になり下がっているということでもある。

あなただけに

2011年01月25日 | Weblog
先週の個展にいらしたお客様で巣鴨在住の方も何人かおられた。巣鴨にお住まいだという方には、お勧めの外食先を尋ねてみたのだが、そのなかでフランス亭の名が挙がった。この店はチェーン店の「ふらんす亭」とは全く関係が無いのだが、ハンバーグを定番にしているところは同じだ。2009年1月に帰国して最初の1ヶ月は、このフランス亭のあるマンションの斜め向かいにあるウイークリーマンションで寝起きしていて、フランス亭のあるマンションにも部屋を見にでかけたことがあり、その存在は以前から気になっていた。

昭和の洋食屋のような構えで、店先のショーウィンドーに並んでいるサンプルは埃にまみれている上に、その値札の文字も色褪せている。ただ、窓の向こうでちらちら動くシェフと思しき人影は、何時見ても白衣に細長い白い帽子をかぶっており、そこだけに別の時間が流れているかのような風情だ。気軽に入ることのできる雰囲気ではなく、なんとなく覚悟を決めて入口の扉を開けなければならないような感覚に囚われるのである。

その名を挙げた個展のお客様は「ハンバーグがおいしい」とおっしゃっていた。今日は陶芸の帰り道、ハニービーンズに寄って豆を買った後、フランス亭を訪れた。偶然なのか、ほぼ毎日なのか知らないが、今日の日替わり定食はハンバーグ定食。ランチ時間終了間際だったので、食べ終わりそうな客がひとりだけで、その人も私が料理を待っている間に出ていってしまった。店内の雰囲気は昔の純喫茶のようだ。店名にちなんでのことなのか、壁にはパリの風景の写真が額に収まって掛けられている。店先のサンプル同様、額の写真もかなりの年代物だ。

素直に日替わり定食を注文すると、キッチンからはパテをまとめるペタンペタンという音が聞えてきた。注文を受けてからハンバーグを丸めるというのは、なんとなく「あなただけのために、今こうして作っています」というような感じがして良い気分だ。

しばしばこのブログで話題にさせていただいているAero Conceptの菅野さんも同じようなことをおっしゃっている。Aero Conceptの鞄にはたくさんものが入らない。それは使う人が、その時々で必要最小限のものだけを収めて、「あなただけに会いにきました」という気持ちを表現して欲しいとの思いから、敢えて目的に応じた大きさのものしか作らないのだそうだ。

日替わり定食なら、おそらくその日のメニューのなかで最も注文が多いと予想されるものだろう。それを作り置きするのではなく、それでも注文を受けてから作り始めるというところに、店主の意気のようなものが感じられる。ハンバーグというのは洋食の定番のひとつなので、この店のハンバーグが飛びぬけて美味しいとは言えない。しかし、注文するとキッチンからパテをまとめる音が聞えてくることの豊かさを味わうことができるというのは嬉しいことだ。肉厚のパテにナイフを入れると肉汁が出てきて、上にかかっているデミグラスソースと交じり合う。そのソースを丹念に絡めて口に入れれば、当然の如くに愉快な気分になるものだ。

「ふだんのちゃわん」後日

2011年01月24日 | Weblog
正直なところ、見ず知らずの人に売れることを想定していなかったので、売れたものの配達まで考えていなかった。昔の商店というのは、販売したものを客のもとへ自ら届けるということを当たり前のように行っていたのだから、私も自分の手で購入して頂いた人のもとへ商品をお届けするのが、やはり当たり前だろう。会期終了から一夜明け、今日は購入者のもとへ電話をかけたりメールを出したりして、受け渡しの相談などをさせていただいた。平日の日中は不在のところもあり、全員に連絡がついたわけではないのだが、それでも今日だけで出勤前に4件の配達を完了した。

6日間の個展会期で19人のお客様が32点の作品をお買い上げになった。これにより、ギャラリーの賃借料は賄うことができるが、案内状の制作費まで賄うには少し不足する、という売上高だ。来場者をいちいち数えていないのだが、少なくとも自分が材廊している時に限ってみれば、数少ない来場者がかなりの高確率で作品を購入したことになる。会場の立地は、通りがかりにふらりと入るような場所ではなく、ここに来ることを目的にしていないと到達しないので、それだけで来場者のスクリーニングがある程度行われているのだが、それにしても、嬉しい結果となった。

また、そうした人々と言葉を交わす機会を得たことも良い経験となった。会場には、昨日のこのブログに掲載した挨拶文のほかに簡単な自己紹介と別の簡略な挨拶文も掲示したのだが、なかにはそうしたものを丹念に読んでくださる方もおられる。読めば私の陶芸は道楽であることがわかるから、
「ご自分でお作りになったものは、ご自分のご家庭でもお使いになるのですか」
というような質問も受ける。
「奥様もお喜びでしょう」
などと言う方もおられる。
「いえ、ヤモメ暮らしですから」
などと対応していると、おひとりだけだったが、知り合いにちょうどいい人があるなどと紹介していだくことになりそうなことになったりもする。こういうことは紹介者の意向よりも当事者の意思のほうが重要なので、果たして本当に「紹介」ということになるのかどうかわからないが、そういう心遣いをいただくだけでもたいへんありがたいことだと思う。また、直接交わす言葉だけでなく、記帳ノートに書き記された言葉のなかにも心に響くものがあって、嬉しいというよりも感謝の気持ちでいっぱいになってしまう。

売り上げた全ての作品を購入者のもとに届け終わるまでは、作品展を終了したことにはならない。自分が不在の時に購入して頂いた方もあるので、そうした方については特に自らの手で作品をお渡ししたいと思う。初めての個展の終了まで、いましばらく時間がかかりそうだ。

「ふだんのちゃわん」縁起

2011年01月23日 | Weblog
始まりは友人との雑談でした。何かものを作るということをしてみたいと話していたら、陶芸を薦められました。理由は至極単純で、作ったものを使うことができるから、というものでした。

いざ、どこで習おうかと考えたときに、以前、別のことで通ったことのある池袋コミュニティカレッジが思い浮かびました。ネットで検索もしてみましたが、画像検索を繰り返したところ、大河内先生の作品が気に入ったので、結果として最初に思い浮かんだところになりました。最初の授業は2006年10月でした。途中、勤務の都合で2007年10月から2009年3月まで中断しましたが、ずっと大河内先生のご指導下で週一回の受講を続けています。

作品をただ展示したり、ただ販売したりするだけでは面白くありません。今はネット上の世界で生活に必要なことは殆ど用が済んでしまいます。それは時間をかけないで済むという点では便利なことです。ネットの世界は匿名性が強いので、余計な人間関係に煩わされずに済むというのも利点のひとつかもしれません。ネットは生活を「済ませて」しまうものであるように見えます。「済ませ」た結果として何が残るのでしょうか。「済ませて」浮いた時間や労力で我々は果たしてどれほど豊かになったり、幸福になったりしたのでしょうか。

例えば、身近な調味料として砂糖や塩があります。どちらも、これでもかというほど精製したものが比較的安価に流通しています。調味料自体は「おいしい」ということを要求されませんから、味に関係なく所定の成分に精製することだけに集中して作ったほうが、作る側にとっては都合がよいはずです。しかし、使う側が「おいしい」塩とか砂糖を求めたら、精製したものに行き着くでしょうか。多少の夾雑物が残るところで、ミネラルや旨味成分を味わうことができ、それを「おいしい」と感じるのではないでしょうか。

生活も同じことではないかと思うのです。無闇に効率を追うのではなく、敢えて寄り道や遠回りをしてみることで、それだけ多くのことに遭遇し、そうした経験のなかに心踊ることもあるものなのではないでしょうか。心踊るとはどのようなことでしょう。私は人の心が最も強く活動するのは他者との出会いだと思うのです。人はひとりで生まれ、ひとりで死にます。根本的に孤独な存在であるからこそ、他者との遭遇に大きな喜びを感じるのだと思います。自分の意思で他者と関係するというところが、心が動く鍵なのではないかと思うのです。

今回の作品展は、「出会い」あるいは「縁」にこだわりました。まず、陶芸作品は私の手仕事ですし、それは先生の指導の下に出来上がったものです。このギャラリーは知人に紹介してもらいました。その知人とは別の知人を介して知り合いました。作品展の案内状に関しては、やはり知り合いを通じてデザイン事務所を紹介してもらいました。出来上がった案内状の配布も友人知人を頼って行いました。つまり、この場は私を取り巻く関係性を具象化したものなのです。

もちろん、同じ作業をネット検索だけで済ませることもできるでしょう。しかし、検索するという行為は誰がやっても、ある選択基準の下でほぼ同じ結果に辿りつくはずです。誰がやっても同じなら、私がやる意味は無いのです。私が友人知人に「陶芸の個展を開きたいんだけど」と話をすることで、相手から「じゃぁ、どこそこに聞いてみるよ」とか「だれそれを紹介するよ」という反応を得て、それぞれに広がる縁故を手繰り合わせたのが、この空間なのです。

この空間で、新たな出会いがあれば、あるいは自分が何かに出会っていたことへの気付きがあれば、それもまた楽しく豊饒な経験になるのではないでしょうか。そんなことを考えて、この作品展を開きました。

(以上、個展会場に掲示した挨拶文のひとつ)

五日目

2011年01月22日 | Weblog
今日は5点を販売。友人知人の来訪は4名。週末でも平日でも来場者あるいはカフェのほうの来店者は顕著には差異がない。これは予想と違ったことだ。おそらく、住宅街に位置していて、通りすがりに立ち寄るタイプの店ではないので、そもそもこの店を目的にした人しかやって来ないということなのだろう。これは私にとっては有り難いことであり、嬉しい誤算である。銭儲けで自分の作ったものを販売しているつもりはなく、会場に掲げた挨拶文に書いた意図の下に今回の個展を企画したので、どのような人が自分の作品を購入したのかという視認性の高さは重要だ。器を通して作り手と使い手が互いに相手を感じることのできる世界を創りたいと考えているので、今回の会場は立地も規模も、何よりもこの店の常連客やスタッフの人々というこの場所を巡る人の縁が私にとってはほぼ理想形であると言える。今、この瞬間、ここでこういうことができることを心底幸運なことだと思っている。

四日目

2011年01月21日 | Weblog
今日は4点を販売。友人知人の来訪は2名。閉店間際に勤め帰りの友人が立て続けに2人やって来る。2人とも住まいは遠方なのに、わざわざ寄ってもらうだけでも感謝感激だ。

新しいことを始めるには、それがどのようなことであっても容易ではない。人の行動の8割は習慣に拠っているという話を聞いたことがあるが、習慣という予測可能なパターンを敢えて崩してみるというのは、ある種の覚悟のようなものを要求される。その覚悟を決めるのに余計なエネルギーが必要なのである。その「余計」の程度は新たに始めようとすることの内容次第なのだが、例えば寒い日に布団から抜け出すのにも僅かな覚悟は必要だし、転職を決めるにもそれなりの覚悟が必要だ。そうした大小様々な決断をどれほど多く、意識的に重ねるかということが生活の充実感とか幸福感のような前向きな感覚の多寡を左右すると思っている。

自分の道楽でやっていることを宣伝して、他人様に足を運んでいただく。その皆様にご足労いただいた甲斐があったと思って頂くには、何が必要なのかを考えないわけにはいかない。わざわざ立ち寄って頂いた方には迷惑な話であることは重々承知しているつもりだが、迷惑になったかもしれないという切迫感があってこそ、次の一手を考えようという姿勢が生まれるものだ。

三日目

2011年01月20日 | Weblog
今日も2点を販売。友人知人の来訪は4名。

11時の開店からギャラリーに詰めていたが、どうやら来場者がある時間帯というのは昼過ぎから日没くらいまでのようだ。カフェの2階にあるギャラリーなので、友人知人のように端からギャラリー目的で訪れるということでない限り、昼食や喫茶のついでに2階のギャラリーを覗いてみるということになるのだろう。

今日初めてお目にかかったお客様で、小ぶりの茶碗を1点お買い上げ頂いた方は、このカフェの常連で、ご自身も時々手芸品などをギャラリーで販売されているのだという。当然と言えば当然なのかもしれないが、手工芸品に興味のある人は、自身が手工芸品の作り手でもあることが比較的多いのだろう。そこにある種の共通言語が暗黙裡に交わされているのかもしれないし、少なくとも共通感覚的な要素を共有しているということはあると思う。

やはり自分で行動を起こしてみないことには、自分の置かれている環境を認識することはできない。自分が考えていること感じていることを具象化して、それに対してどのような反応があるのか、あるいは無いのか、ある場合にはどのような反応なのか、そうした諸々の材料から自分自身についての一定の認識が得られる。世の中を観察してみれば、単なる欲望と自我との区別がつかない人が多く、また、そういう人が増殖しているように感じられる。欲望だけを抱えてそれを満足させるための行動も意志も無いというのでは、その周囲に人々にとっては我儘で厄介な人にしか映らないだろうし、そうであれば他者との親しい関係など構築できるはずもないだろうから、孤独に陥るのは自然な成り行きなのである。

今日で個展も三日目を迎えたが、訪れる人の半分くらいは友人知人だが、数は多くなくても毎日確実に今までお目にかかったことの無い人達との出会いがある。それは一期一会のようなものでしかないかもしれないし、そこから思わぬ展開があるかもしれない。発展があってもなくても、他者との出会いは自分の世界がほんの少し大きく深くなるような心持がして楽しいものだ。

ところで、昨日、手箒と束子を購入した亀の子束子西尾商店の本社の写真を掲載する。この建物を前にして、しかも入口に「小売します」という札が下がっていたら、とりあえず中に入ってみるというのが自然な人情だろう。

二日目

2011年01月19日 | Weblog
今日の売上は2点。何人かの来場者があったが、芳名帳に記入があったのは1名のみ。友人知人は4名来場で、全員に対応できた。

午前中から昼過ぎまでは木工に出かけていた。今日は移動書架の製作を開始。図書館などで司書が本を整理するときに使っているワゴンのようなものだ。使う素材はエゾマツ。柱となる部分の横木には杉を使う。今日は全体の計画を立てるのと材料の切り出しで終わる。次回はホゾを作ったり、装飾用の柱材を決めたりすることになるだろう。

先週完成して、仕上げに塗布した蜜蝋の乾燥のために置いておいた杉の箱を持ち帰る。まだ蜜蝋の匂いが強いが、だんだんに蜜蝋の香りが収まって杉本来の香りが出てくることを期待している。

木工から帰って、シャワーを浴びて着替えてギャラリーへ向かう途中、亀の子束子の本社で小さな束子と手箒を購入する。この会社の前を通るたびに、その社屋の建物に興味を覚えていたのだが、今日は思い切って、建物の中に入ってみた。入ってすぐのところが小売のコーナーになっていて、この会社で生産している束子などの商品が陳列されている。これからギャラリーに着いてすぐに、展示の埃を払って、少し綺麗にしようと考えていたので、それ用に手箒を買ったのである。束子は、とりあえずのところは使う予定がないのだが、棕櫚で作った小さな束子が目に入り、衝動的に買ってしまった。片手で包み込んでしまえるほどの大きさで、オレンジ色の紙の包装も面白い意匠だったので、しばらくはこのまま部屋に置いて置こうと思っている。

初日

2011年01月18日 | Weblog
初めての個展の初日を迎えた。今日は陶芸教室の日でもあるので、ギャラリーのほうに顔を出したのは午後3時半頃だったが、既に何人かの来客があり、しかも8点が売却済みとなった。自分が作ったものが別の人に認められるということがこれほど嬉しいことだとは思わなかった。せっかく来ていただいて、しかもお買い求めいただいたにもかかわらず、直接お目にかかる機会を逸してしまった方々には大変申し訳ない思いで一杯だが、これをご縁にいつか必ず埋め合わせができるように精進したいと思う。また、そうでなければ個展など開く意味が無い。

明日は既に夕方来場予定との連絡を受けている友人がいる。明日も木工教室に出かけるので、会場のほうに到着するのは午後3時頃になると思うが、今日に引き続き、旧交を温めたり、新しい出会いに恵まれることを楽しみにしている。

今日はギャラリーに着いてほどなくして、このカフェの常連である町内会長も自転車で到着した。以前にもこのブログのなかで書いたように、会長はお話好きで、今日も午後3時半頃から午後9時半近くまで、ひたすら話し込んでいた。午後9時がギャラリーの閉店時間で、オーナーが片付けを始めたのを潮に切り上げることになったが、閉店がまだなら、そのまま話し続けていたかもしれない。コーヒーの話から始まって、会長がお若い頃に30年以上も趣味で打ち込んでこられた射撃の話や、会長の本職のほうの話など、興味深い話題ばかりで、大変楽しい時間を過ごさせて頂いた。

搬入

2011年01月17日 | Weblog
陶芸などの作品を個展会場となるギャラリーに搬入して陳列。荷物の運搬のためにレンタカーを手配しておいた。住処からレンタカーの事務所まではすぐなので、事務所の人に事情を説明して、住処とレンタカー事務所の間を3往復して荷物を車に積み込む。住処は地蔵通り沿いなので平日の昼は車を駐車する場所が無いのである。最近まで国道17号と地蔵通りの間に大きなコインパーキングがあったのだが、国道の拡幅工事の一環と見られる再開発事業のために立ち入り禁止になってしまった。ほかにもいくつか近所のコインパーキングだったところで建設工事が始まって、近隣で駐車場所を確保することが困難になってしまった。仕方が無いので、荷物を抱えて白山通り上を3回も往復することになった。荷物を積み込んでしまえば、後は楽なものだ。会場のギャラリーまでは車で10分もかからない。

ギャラリーに到着してから、まずはテーブル類の設置。部屋の中央に大きなテーブルをつくり、片側の壁に沿って作り付けの棚があるので、その延長に段違いで棚をつくる。ギャラリーの展示スペース部分は5.46メートル×3.65メートルの広さなので、それほど大きな空間ではないのだが、そこに展示作品数60となると、陳列方法を工夫しないと間が抜けたようになってしまう。

まず、テーブルや棚の上には布を広げる。中央テーブルには風呂敷を8枚ほど重ねながら並べてみた。作り付けの棚には、少し間を置いてランチョンマットを4枚並べてみた。追加した棚2つのうちの片方にもランチョンマット状の布を2枚並べ、もうひとつの棚は布無しとした。この布を並べる作業、特に中央のテーブルに8枚並べる作業は多少試行錯誤があった。布の並びが決まると、布の色柄に合わせて、その上に置く器類の配置も自ずと決まってくる。最後に配置を調整して、値札を並べる。

棚の無い壁のほうには写真の入った額を3つ、ピクチャーレールを使って吊り下げる。最初、3つの額を挟むように両脇に時計も吊るしてみたが、重心の関係で下を向いてしまうので、時計は作り付けの棚の端のほうに置くことにした。

搬入から陳列終了まで約2時間半かかった。細々としたことでいくつか明日に追加しなければならないことに気付いたが、開場準備はほぼ完了。ギャラリーのオーナーの岩崎さんと少し雑談をして、午後6時前に会場を後にする。

搬入作業が終わってしまえば、もう車には用が無いのだが、せっかく午後10時まで借りたので、板橋区内のホームセンターに寄って、木工で使うエゾマツの板と角材とキャスターを購入する。それから白金高輪にあるKif-Kifへ行って晩御飯をいただく。車で移動することに不慣れなので、駐車場を探すのにまごついて、店に入ったのが午後8時を回っていた。この時間になるとKif-Kifのある高輪コミュニティぷらざは閉館しており、中庭のようなところの外階段から店の前に行くのだが、さすがにこれでは始めての客は店にたどり着けないだろう。事実、この時間では私が唯一の客だった。下仁田ネギのソテー、椎茸と生ハムのクリームソースのパスタ、鴨のグリルに赤ワインとカシスのソースをかけたものに温野菜を添えたものをいただく。食いだめ、というわけではないのだが、普段は夜勤なので、ディナーらしい晩御飯をいただくのは滅多に無い機会なので、「本日のおすすめ」の黒板から自分の好物を前菜、パスタ、メインから一品ずつ選んだらこうなった。食べ終わってから、シェフの原さんと少し雑談をして、午後9時10分過ぎくらいにKif-Kifを出た。

レンタカーの返却は午後9時55分。ガソリンを入れている余裕が無かったので、事務所で走行距離でガソリン代を計算してもらって支払を済ませた。