熊本熊的日常

日常生活についての雑記

夏は旅行

2011年06月30日 | Weblog
東京の梅雨明けはまだのようだが、夏であるには違いない。職場でも長期休暇を取る人がぼちぼち現れるようになった。どういうわけだか知らないが、長期休暇を取るということは旅行に出かけるのと同義ということに世間ではなっているらしい。旅行が好きというなら、休暇を取って好きなことをするというのは自然なことだ。しかし、単に休暇は旅行という習慣を墨守しているだけという人が多いような印象がある。好きでもないことや楽しくもないことのために時間や労苦を割くという行動がどうにも理解できない。

自分のことを考えると、家族を持っていた頃は、習慣というより義務で、子供の夏休みに合わせて旅行にでかけたものだ。離婚して家族から解放されると、その当時の印象が悪い所為もあるのかもしれないが、単なる物見遊山で出かけたいという欲求は湧いてこない。確かに、若い頃は遠くへ出かけるという行為自体が楽しいことだった。今は、少なくとも移動については疲労するだけのことなので避けられるものなら避けたいと思っている。事実、避けている。一人で暮らすようになってから遠出をするのは、何かしら目的があるときだけだ。昨年は6月に京都へ出かけたが、大きく二つの目的があり、ひとつが友人が出した店を訪れることと、好きな落語の舞台を訪ねることだった。一昨年は、やはり6月に北海道へ出かけたが、それは久しく会っていない友人の顔を見るためだった。

人生が果てしなく続くと無条件に感じることができるような年齢の頃は、然したる用もなく観光するということに抵抗は無かったが、人生がいつ終わっても不思議ではない年齢になると、他人との関係を抜きに行動を起こしにくくなるものだ。私にとっては、人と人との関係が豊かささ、より素朴に表現すれば、楽しさの基本だ。同道する相手がいるでもなく、出かけた先で旧交を暖め合う相手に会うでもなく、友人や知人に勧められて心踊る経験を共有するでもない、他人との関係性の見えない行為に時間を蕩尽する余裕は、今の私には無い。尤も、余裕以前に興味が無い。

子供が夏休みにロンドンへ遊びに行くという。大英博物館が観たいのだそうだ。勧めたい場所はいくらでもあるのだが、あまり口を出しては本人のためにならないので、ひとつふたつとっておきの場所だけを伝えておいた。ふと、須賀敦子がエッセイに書いていたオリエント急行にまつわる父親との思い出の話が脳裏をよぎった。

熱く暑い

2011年06月29日 | Weblog
東京にはまだ梅雨明け宣言が出ていないようだが、今日も暑い一日だった。午前中は東村山へ木工に出かける。工房にはエアコンがない。木屑や粉塵でエアコンのフィルターがすぐに詰まってしまうからだろう。冬場は石油ストーブ、夏場は扇風機が活躍している。それでも、天井が高く面積が広いので、汗はかくけれど、暑くてどうしょうもないというようなことはない。今日は制作中のマガジンラックの面取りとヤスリがけ、マガジンラックと組み合わせる天板の墨付けを行った。

在籍している美大の美術館が先週、リニューアルオープンだったので、木工の帰りに立ち寄った。在籍しているとは言っても通信課程であり、スクーリングは本校ではなくて吉祥寺や新宿で行われることが殆どなので、本校を訪れるのは今回が初めてだ。東村山から西武国分寺線に乗って、鷹の台で下車。そこから酷暑のなかを歩くこと20分近く。といっても、途中は玉川上水沿いの遊歩道なので、歩くことは苦にならない。籍を置く大学としては3校目で、籍を置かなくても訪れたことのある大学はいくつもあるが、そうしたことで形成されている自分のなかの「大学」像と比較すると、なんとなく無機的な印象を受けた。美術館は図書館とつながっていて、どちらも比較的新しい建物だ。それなりに工夫はなされているようだが、どちらも中途半端な感は否めない。特に、図書館は、「大学」の図書館の割には小規模だ。尤も、近頃は情報のデジタル化が進んでいるので、物理的に大きな器は必要とされないということなのかもしれない。書棚が螺旋状に配置されているというのが特長らしいが、それで使い勝手が良くなるという風でもなく、それがどうしたというような感がなくもない。螺旋構造の所為なのか、新しい所為なのか、その両方なのか知らないが、居心地の良い場所らしく、館内に設置されている席はかなり埋まっていた。

普段は木工の後は一旦住処へ戻って着替えてから出勤するのだが、今日はそういうわけにはいかないので、国分寺に出てJR中央線に乗って東京へ出て、そのまま出勤する。中央線の特別快速というのは文字通り快速というか怪速で、国分寺から東京まで所要時間35分でしかない。かなり時間に余裕を持って出勤できたので、ビルのなかのラウンジで15分ほど昼寝をしてから職場へ向かった。

とにかく暑い日で、国分寺ではホームにあったアイスの自販機でアイスを買って食べ、職場のビルのラウンジではアイスコーヒーを飲む。普段、飲み物も含めて間食をすることが殆どないのだが、今日は始終冷たいものが欲しくて仕方なかった。

深夜に帰宅後、押入れから扇風機を取り出した。この夏の、扇風機使い始めである。ちなみに、3月の電気代は前年同月比44%減。暖房は部屋の備品として設置されているガスエアコンと自分で購入した電気温風ヒーターがあるのだが、今年は震災の被災者と何事かを共有するという名目で、地震の後、暖房を一切使用しなかった。この3月から4月にかけては寒い日が続いたのだが、厚着と保温シートの併用でなんとか乗り切った。その結果が前年比で半減近い電気代なのである。

この夏も被災者と勝手に連携ということでエアコンの使用はしないつもりでいる。尤も、以前にも書いたかもしれないが、私の住処は日当たりが悪い上に、四方に窓があるため、真夏でも比較的涼しい風がよく通る。風の通りが良いのは、洪積台地に位置しているからかもしれない。これも以前に書いた記憶があるのだが、住処を決める際の条件のひとつは洪積台地上にあることだった。10万年以上前から陸地だったような場所なら、住み心地が悪いはずがないだろうとの思いと、それまでの生涯は沖積低地だけしか経験が無かったので、単純に洪積台地への好奇心と無邪気な憧れがあった所為もある。おかげで、異常な猛暑と言われた昨年の夏ですら、エアコンを使用したのは10日間だけで済んだ。普通の夏だった一昨年は4日間しか使用していない。但し、扇風機は毎日のように使っていた。

この夏、東日本全域がとんでもないことになっているが、関係者はそれぞれの立場で最善を尽くしているはずだろうから、多少の不自由に文句をつけても始まらない。自分の置かれた現実を素直に受け入れ、自分なりにできることをするよりほかにどうしようもない。災い転じて福となす、というような結果が出てこないとも限らない。大事なことは、よく考えること、工夫すること、協力すること、というようなことだろう。いろいろな意味で熱く暑い夏になりそうだ。

病んで 混んで

2011年06月27日 | Weblog
何年かぶりに健康診断以外で病院を訪れた。転職のたびに、それぞれの健診指定病院があって、特に40歳を超えてからは再検査となる機会も多くなったので、いくつもの病院の診察カードが手元にあるのだが、そうしたなかで相対的に利用頻度が高く地理的に利便性の高いところに出かけてきた。利用頻度が高いといっても、直前に利用したのは2007年9月のことだ。

オフィス街でしかも駅から近いという立地である所為か、午後の診療開始時間に訪れると受付前の待合は満員で、私が受診する診療科では、私の順番は14番目だという。凡その待ち時間を尋ねると、1時間程度だろうというので、勤務先のある隣のビルのラウンジで暇をつぶすことにした。このところ、暑くなったり涼しくなったりしているので、自然に身体へのストレスが高くなっているということもあるだろうが、それにしても病んでいる人が多いものだと驚いてしまった。よく世間で言われているような老人の社交場というのではない。オフィス街なので、仕事を抜け出してきた風の人たちが殆どだ。

そんななかに、職場の同僚がひとり紛れ込んでいた。その場では相手のほうが私に気付いていなかったが、出勤してから尋ねてみると、症状が慢性化して1年近く定期的に通院しているのだという。疾病の原因がストレスなので、現状では完治は難しく、症状を監視しながら生活しているのだそうだ。偶然に、私も彼と同じ診療科で、私のも症状が殆ど消えたかと思えば酷くなるというようなことを繰り返しながら、何年も続いている。何年も続いていても、生活に支障を感じなければ病院で診てもらおうという気は起きないものだ。最近、少し酷くなってきて気になるようになったので、その酷くなったところを診てもらおうと思って、こうして診察にやってきたのである。

診断の結果、薬を使ってみて2週間経過観察ということになり、ステロイド剤を処方された。「何年も」と書いたが、私のは子供の頃から場所を変えながら同じような症状が続いているので、この先も続くのだろう。ステロイドというのは症状を緩和するためのもので、原因を根治する薬ではない。どこにも悪いところがない、というような人はいないという。程度の差こそあれ、だれもが何がしかの負担を抱えながら生活をするというのは自然なことなのだろう。だから、病院の待合が混むのも自然なこと、ということになる。

蓄積の効用

2011年06月25日 | Weblog
今月9日、10日、12日のこのブログで話題に取り上げた小冊子の課題が評価とともに返送されてきた。評価Aで合格したので、後は試験を受けて合格すれば単位取得となる。試験のことはあまり頭になく、8月も9月も試験のある日に既に予定を入れてしまったので10月に受験するつもりでいる。改めて、自分が履修している科目の試験日程を確認すると、おそらく、全ての科目の受験はできないのではないかと思われる。新学期開始から3ヶ月目にして、早くも留年の危機に直面することになった。

ところで小冊子についての講評だが、高評価のポイントとなったのは、構図がしっかりしていること、日常のなかに季節の変化をとらえる視線、規定通りの体裁、ということだった。丁寧な助言も個別具体的に記載されており、たいへん勉強になった。

「構図がしっかりしている」ことの背景として、これまでに撮りためた写真から素材を選んでいるという点が挙げられていたのと、コメントのなかに掲載した写真そのものに対する好意的評価があったことは嬉しいことだ。以前にも書いたように、写真撮影にはそれほど興味は無かったのだが、褒められると興味が湧いてくる。「豚もおだてりゃ木に登る」を地で行くような己の心情の変化に苦笑を禁じえない。

写真については、毎年子供にカレンダーを作って贈るために素材として撮りためている。子供という特定の個人の眼を意識しているのが、結果的には面白い写真のストックにつながっているのだろう。ただ、正直なところ、写真を撮るというのは、やはり辛い。デジタルカメラなので、数多く撮影して良いと思えるものだけを選び出すことは、理屈としては可能である。しかし、シャッターを切る一瞬を大事にしないことには、「面白い」写真などそもそも撮影することはできないのではないか、という思いがある。たまに恵比寿の写真美術館や、都内のギャラリーで開催されている写真展なども観ることがあるのだが、そうしたなかで眼を惹くのは、フィルムが貴重品であった時代や国の写真家の作品だ。一見したところは、他の数多いる写真家の作品と顕著な差異は無いように思うのだが、何かしらその前を素通りし難い何物かを感じてしまうのである。それは結局のところ、写真を使って何事かを訴えたいと思う心が表出しているということではないだろうか。毎度、繰り返しになってしまうが、
「言葉より先に人のこころありき、ってことを何年か続けているうちにみつける。わかってきた、ってことかなぁ。そっから芸は始まっている。どんな芸でも。音符を並べるうちは音楽家になれない。文字を並べるうちは文筆家にはなれない。結局はそれを通した心を述べるための手段でしかない。音符も、文字もね。」
という「小三治」のなかの言葉が全てだろう。

こんなふうに毎日書いているブログにしても、気がついたときに撮影している写真にしても、自分の「心」をどのように伝えるか、という思いがなければ意味が無い。また、人に伝えるに足るだけの「心」を持つように精進を続けなければ、生きている甲斐も無いということだろう。

或る「間違い」

2011年06月24日 | Weblog
職場で、帰り支度を始めようかという頃になって、若い同僚が近づいてきて、「熊本さん、お忙しいですか?」という。「そうでもないけど、何?」というと、あれこれと話を始める。要するに愚痴なのだが、面白かった。

何か特別面白いことをしようと思えば、定石を外してみるというのは選択肢のひとつになるだろう。彼は敢えてそれに挑んだのだが、今のところは目論見を外し、しかもその目論見について語る相手も身近にいないというのである。それでも彼は恵まれている。都内にある、誰でもその名を知っている私立高校を出て、やはり都内にある、誰でもその名を知っている国立大学を卒業している。卒業生どうしの連携は強く、そうした人たちがこの国の中枢を担っている。彼はそうしたネットワークの中に居るのである。だから、彼が自分の抱えている疑問や不満を語っても、職場では思うように通じないのに、学生時代の友人だと別の仕事をしている人であっても通じるという現象が起こる。おそらく、逆も真で、彼の学生時代の友人も似たような経験を重ね、それがますますネットワークを強固なものにする誘因として作用しているのだろう。

新たな価値を創造する契機になるのは、詰まるところは人と人との出会いだと思う。世に「閥」と呼ばれるものがあり、そこで企業や社会の重要な決定につながるような意思疎通が図られているのは時代や洋の東西を問わず共通したことだろう。情報通信技術の大衆化のなかでSNSと呼ばれるものが急速に普及したのも、人々の間に他者とのつながりを希求する本能にも似た衝動があるからだろう。そのつながりを支える、あるいは裏付けるものが「信用」と称されるもので、形式としては履歴のように見えるが、それを構成するアイテムが持つ記号論的な意味が履歴に価値を与えている。個人的な経験からすれば、学歴は重要なのだが、学歴それ自体ではなく、その背後にある文化がより重要だろう。例えば、小学校から付属校があり実質的に16年一貫教育の学校や、国立大学であっても入学者の出身校に強い偏りがあれば実質的には7年あるいは10年の一貫教育ということになる。そうした長い時間を共有することで醸成される共通感覚のようなものが人間関係の根底にあるように思う。家族というものを特別視する人が多いのも、結局はその人が抱える人間関係のなかで最も長い歴史を持つということに起因した感情に拠るところが大きいのだろう。時間というものに着目すれば、そうした大学を卒業していても、その一貫した時間の流れから外れていれば、その大学を出た意味は半減してしまうのではないだろうか。逆に、そうした学歴の本流を押さえていれば、卒業後に多少目先の変わった進路を取っても、傍目には悲観するほどの苦境に陥ることは無いように思う。おそらく、学校で学ぶ学問自体には然したる意味はない。学ぶことを通じて見出す「自分」とか、学校や学問という場を通じて得るネットワークに価値があるということだろう。

ところで、彼の悩みだが、要するに進路を誤ったというのである。尤も、それは深刻なものではなく、彼くらいの年齢や社会人経験の人が誰しも抱えていることだろう。今、この瞬間の選択が正解なのか誤りなのか、というようなことは人生全体の文脈のなかでしか判断することができない。生きているという現在進行形においては、正解も間違いもどちらも存在し得ない。私はそう思っている。

「点検」

2011年06月23日 | Weblog
仕事からの帰りは、原則として山手線を利用している。職場を出るのが0時過ぎなので、東京駅の山手線ホームにたどり着くのは早くても0時10分頃になる。その後に東京駅を出発する内回りの発車時刻は0時13分、27分、38分で、その前後に北行きの京浜東北線が同じホームから出ている。山手線の最終は0時38分でも、0時40分発の京浜東北線赤羽行きが、田端駅でこの2分先発の山手線に接続するので、私にとっての最終電車は0時40分の京浜東北線だ。今日は、恵比寿駅で「ドアの点検」のために山手線のダイヤが乱れ、0時13分発が運休になってしまった。京浜東北線のほうは通常通りに運行されていたので0時17分発の南浦和行きに乗って、田端で山手線を待った。この時間にしてはホーム上は人が多かったが、到着した山手線は昼間の乗車率程度で、混雑しているというほどではなかった。私の前に立っていたオネエサンたちはそれぞれに熱心にスマホの画面を操作している。覗き込んだわけではないが、自然に目に入るその画面は簡体字で表示されていた。地震の後、身近なところで中国人の姿が激減したが、あれから3ヶ月も経って状況が多少なりとも落ち着くと、消えた人たちも戻ってくる。それでも、印象としては震災前と同じと言えるほどではない。

車内の様子はともかく、JRを利用していて面白いのは、その言葉である。ダイヤが乱れ、列車を運休させるほどの状況でも「ドアの故障」とは言わない。あくまで「点検」だ。今日に限ったことではない。いつからそうなったのか知らないが「故障」という用語はJRではタブーになったらしい。何故なのかは知らない。私の勝手な想像だが、「故障」というと、その原因を明らかにしなければならなくなる。どこが故障したのか、それは何故なのか、明確にしなければ、乗客の命を預かる事業者として事業責任を全うしたことにならない。ところが、「点検」と言い換えることで、原因も責任も消えてしまう。誰が考えるのか知らないが、感心するほど姑息だ。

かつて国鉄総裁だった石田礼助は「粗にして野だが、卑ではない」という言葉を遺したそうだ。この言葉は城山三郎が石田の半生を描いた小説の題名にもなっている。国鉄からJRになって、乗客に対する職員の対応は表面的には卑屈になった。国鉄時代は酷いのがいたものだが、民営化後は態度の悪い職員というのを見たことがない。しかし、態度が改善されても、意識が改善されたわけではなく、単にそういうマニュアルになったからそうなったというだけのことかもしれない。少なくとも石田が主張していた「パブリック・サービス」の精神というものは、今のJRには無い。その証拠に、3月の震災のときには早々と休業を決め、帰宅の足を奪われた市民を駅施設から排除し、公共交通の担い手としての意識が無いことをわかりやすい形で表現して見せた。

「故障」を「点検」と言い換える精神は、おそらくJRだけのことではないだろう。「安全」と声高に喧伝していた原子力発電所がああいうことになった背景にも、同じ精神が流れているのではないだろうか。あれも確か「公共」関係の施設だろう。近頃は景気が低迷を続けている所為で、就職先としては「公共」関係が人気なのだという。3月の震災は我々に様々なことを問いかけたが、「公共」が本来負うはずの責任の意味もわからない輩が「公共」の仕事を占拠するとどうなるかということも、震災は我々に示して見せた。

夏至。真夏日。

2011年06月22日 | Weblog
夏至。東京はこの夏初めての真夏日。梅雨明けはまだだが、これから夏本番だ。不思議なもので、これから暑くなろうという端が夏至。日照時間が短くなり始めてから、平均気温が上がりだす。逆に、平均気温が上昇している最中に、季節は秋へ向かって舵を切っている。
「もう」は「まだ」なり
「まだ」は「もう」なり
という言葉がある。物事は一斉に変化するのではなく、兆しがあって、然る後にある方向へ向かって大きく動き始めるということなのだろう。その兆しを捉えてどうこうすれば良さそうに思うのは、おそらく後講釈で、兆しが現れた段階で、既に手のつけようが無いということのほうが多いのではないだろうか。状況の変化に直面してあたふたするのは恰好の良いものではない。逆境にあっても腐らず、順境にあっても驕らず、平らな人というのが美しいと思う。

美しい手

2011年06月21日 | Weblog
人と話をするとき、当然に相手の顔を見るのだが、何故か手も気になってしまう。なにがどうというわけではないのだが、なんとなく真面目に生活をしているように思われて、好感を抱いてしまう手というのがある。

今日も陶芸の帰りにFINDへ寄ってお昼をいただいた。今日で3週連続だ。このところ、2階のギャラリーが空いていたのだが、今週は「Mine個展」と題して、金属を使った展示が行われている。「金属」と一口に言ってもいろいろあるが、展示の主体はアクセサリー類で、他に銅板を使った看板のようなものとか、錫でペーパーウエイトなどを作るワークショップもある。今日が初日ということで、作家の友人知人らしき人たちが入れ替わり立ち代り訪れていた。そうした間隙を縫うように、作家のお話を伺うことができた。

はじめのうちは、ごく普通に話をされていたのが、話をしているうちに少しずつ熱くなってくるのが伝わってきて楽しかった。小柄な若い女性なのだが、その割に手が妙にしっかりとしているのが印象的だった。ごつい、というのとは違う。毎日手指をしっかりと動かして金属相手に真面目な仕事をしている、というような雰囲気なのである。大学で金工を学び、祖父母から譲り受けた板金工場を工房として使い、今回の個展に出品しているようなものを作っているのだそうだ。金属を相手にしている所為なのか、生まれつきなのかは知らないが、その手を見ただけで、その言葉が全て信用できるような気がした。

今も昔も、或いは、今は昔

2011年06月20日 | Weblog
「自分たちの買ったもの、自分たちの獲たものの代価は考えるけれども、それを作ったものの労力の代価というものを、われわれは少しも考えようとしない。それどころか、そんなものに良心の表示めいたものなどを見せたら、それこそ笑いものにされてしまう。そのように、けっきょく、過去の仕事にも、現在の仕事にも、感銘的なその意義というものにまったく無感覚でいることが、われわれの文明が、いかに無益なものが多いかということをじゅうぶんに説明している。ほんの一時間の楽しみのために、数ヵ年の労役をあたらむざむざと消費してしまうような贅沢な沙汰――幾千人という心なしの金持ちが、思い思いに、用もない自分たちの欲望を満たすために、幾百という人間の生命の代価を、年々蕩尽する不人情などがそれである。文明の食人鬼どもは、自分ではそうとは気がつかないけれども、その残酷なことは、野蛮人の食人種よりもよほど甚だしいし、かれらよりもっと大量の肉を食いたがる。深遠なる人道――洪大なる人間愛は、根本的に無益な奢侈の敵であり、官能の満足や利己主義の快楽に、なんの制限も設けないような社会には、それがどんな様式のものであろうとも、根本的に反対するものなのである。」

さて、これはいつの時代のどの国のことを指した記述だろうか。私はこれを読んで自分たちのことを書いているかのような印象を受けた。ここだけを読めばそう見えるかもしれないが、309ページの文庫本の277ページ目から次のページにかけて書かれていることなので、そうではないことは読んでいる本人にはよくわかっている。この文章は次のように続いていく。

「ところが、極東では、それとは逆に、生活を簡素にするという道義上の義務が、ずいぶん古くから教えられてきている。それは祖先崇拝の念が、この洪大な人間愛を発達させ、育てあげたからである。われわれ西欧人には、この人間愛がない。けれども、かならずいつの日にかは、われわれを滅亡から救うために、この人間愛を求めざるをえなくなる時がきっとくるにちがいない。」

つまり、書いている人は「西欧」の人で、彼が「極東」すわち日本で暮らして考えたことがこのように記述されているのである。書かれたのは1896年。書いたのはLafcadio Hearn、またの名を小泉八雲。岩波文庫の「心」に収められている「祖先崇拝の思想」のなかの一節だ。今日、この本を読了したのだが、この引用に見られるように「今も昔も」というところも「今は昔」というところもあった。よく「時代の変化」というようなことを耳にするが、我々はどれほど「変化」しているものなのだろうか。変化しているとすれば、それはどのような状態へ向かっての変化なのだろうか。

闇に語る

2011年06月19日 | Weblog
3日間のスクーリングの最終日。昨日の動物園見学と見学しながらグループでの話し合いをもとに発表内容を1時間半ほどでとりまとめて各グループ15分ずつのプレゼンテーションと、それに続く5分間の質疑応答を行う。

私のグループは私がプレゼンを担当することになった。プレゼンなど、仕事では嫌というほどやってきたが、今回は勝手が全く違う。仕事のプレゼンは目的と対象が明確だが、通信課程となると目的も聴衆もあやふやで、闇に向かって語るようなものだ。聴衆と共有している体験がわずかな講義と動物園の見学というだけでは、どのような言葉で話をすれば通じるのか皆目見当がつかない。政治家や芸能人が偉大なのは闇に向かって自己を主張できる勇気と才能を持っていることなのだということが改めてわかる。

スクーリングを終えて、夜、住処に戻ると疲労というより消耗が酷くて、すぐに横になってしまった。

寿命の意味

2011年06月18日 | Weblog
スクーリングで上野動物園を訪れた。上野動物園を題材に生涯学習プログラムを考えるというのが今回のスクーリングの課題だ。昨日は生涯学習や動物園についての講義があり、今日は9時半の開園から17時の閉園まで7人一組のグループに分かれて動物園のなかを観察した。途中、動物園ホールに全員集合して動物解説員による説明を1時間ほど受けた。

動物園を訪れるのは子供が小さい頃のこと以来なので10年ぶりくらいだろうか。上野に限ってみれば自分が子供の頃以来なので40年ぶりくらいかもしれない。自分があまり動物に関心が無いということもあるが、今日のように行かなくてはならない理由が無い限り、この先も自ら動物園に足を向けることは無いと思う。

さて、動物園で気になるのは、動物のことだ。檻のなかで一生を過ごすということを、動物はどのように捉えているのだろうか。このことに関しては現実に様々な議論があるらしい。そうした議論はさておき、今日の動物解説員による説明で面白いと思ったのは、寿命に注目した点だ。動物園の動物は野生にある同種の動物より倍以上長命であることが多いのだそうだ。天敵もなく、餌の心配もないのだから、寿命を中断する要素が殆ど無い。人間の場合は、運動不足が生活習慣病の誘因になったりするのだが、それも動物にとっては大きな問題とはならないのだそうだ。なぜなら、野生の動物も殆どの種は積極的に運動をすることはないというのである。餌を探すため、敵から逃れるために、やむを得ず走ったりすることはあり、そうした場面がしばしばメディアに登場するので、人間の側が勝手に颯爽と走る動物の姿をイメージしているだけということらしい。狭い檻に閉じ込められているのはストレスになるのではないかとの見方もあるが、ストレスが寿命短縮化要因とするなら、動物園の動物が野生よりも長命であるということは、檻の中のほうがストレスが少ないということを意味することになる。

だからといって、動物園で飼育されることが動物にとって良いことなのか、相手のある話でもあるので、軽々しく論じることはできまい。人間だけの話にしても、100歳まで生きることは50歳で死ぬことよりも当人にとってよいことだ、と無条件に断言することはできないだろう。生きるとはどういうことなのか。長く生きることは良いことなのか。そういう問いを棚上げにして、「生涯学習」というものを考えることができるのだろうか。スクーリングの個人課題のひとつに「動物園で学ぶことの意義」を問うものがあったが、それ以前に「動物園とは何か」、「動物とは何か」、「命とは何か」というような諸々に思い悩んでしまった。

パラドクスを感じた日

2011年06月16日 | Weblog
久しぶりに美術館を訪れた。「久しぶり」と言っても4日に芹沢介美術館と静岡県立美術館を訪れているのだが、昨年のペースに比べればかなり間隔は開いている。美術館やギャラリーでぶらぶらするのが好きで、それが高じて美大の通信課程に入学したのに、そのことで時間の制約が大きくなって好きなことが思うようにできなくなってしまった。尤も、似たようなパラドクスは生活のなかにいくらでもあるのだろう。パラドクスに振り回されてしまっては元も子もないのだろうが、ほんとうに大事なことをしっかりとつかんでさえおけば、ちょっとした葛藤や矛盾も面白い経験として受け容れることができる。

ところで、今日訪れたのは出光美術館だ。「花鳥の美」という収蔵品による企画展。既に何度も目にするものなのだが、たとえガラス越しにしか観ることができなくても、やはり本物を眺めるのは楽しいものだ。仁清は、初めてそれと知って見た頃はそれほど好きでもなかったが、何度も目にするうちに魅せられてくる。ただ華やかというのではないし、ただ精緻というのでもない。落語で言うところの「間」のようなものが心地よいのである。大作なのに威張った感じがしない、という意味での粋も感じる。世の中には、小物なのに妙に威張って「自己表現」などとたわけたことを抜かす野暮天が多いような気がする。勿論、仁清という人物を知るわけはないのだが、作ったものを見て、作った人に対する興味を喚起させたり、作った人に会ったような気にさせたりするというところに、その作品や作家の大きさがあるように思う。

学ぶということ

2011年06月14日 | Weblog
このブログにもたまに登場する職場の同僚で、専門学校に通って料理の勉強をしている人がいる。4月に進級試験に合格して基礎科から初級へ進んだのだそうだ。所謂「料理教室」というようなものではなく、プロの料理人を目指す人たちが通うところらしい。それで、基礎科では同じクラスに生徒が9人だったのが、初級へ進んだのが4人で、残りの5人は学校を去ってしまったのだという。毎回、授業のときに実技の採点を受け、否応なく自分のクラス内での序列がわかるようになっているのだそうだ。基礎科の時には比較的余裕があったのが、初級の4人になってからは、その人は落第の瀬戸際に立たされている、とは本人の弁だ。4人のなかで毎回トップの人は専業主婦で、毎日かなり練習を積んでいるらしく、野菜を切る速さから料理の出来に至るまで抜きん出ているという。他の3人は勤めをしながら通っているという点は同じなのだが、勤めの中身が違うような気がする、という。

時々、彼女が作ったもののおすそ分けに与るのだが、そもそも人にあげるものはそれなりに自信のあるものだということを差し引いても、なかなかたいしたものばかりだ。それでも、学校で点数をつけられてしまえば、クラス内での彼女の位置はたいへん微妙なのだという。料理に限らず、技術や芸術の世界というのは常人の感覚を超えたところの道を極めようというのだから、生半可な心がけや姿勢では満足のいく評価を獲得するには至らないということは、経験がなくとも漠然と納得のいくことだ。

確かに技は重要だ。しかし、技を習得したところで、「料理人」というものになることができるわけでもないだろう。4月30日付のこのブログのなかで「小三治」というドキュメンタリー映画のことを書いたが、そのなかで語られていることを思い出した。

「言葉より先に人のこころありき、ってことを何年か続けているうちにみつける。わかってきた、ってことかなぁ。そっから芸は始まっている。どんな芸でも。音符を並べるうちは音楽家になれない。文字を並べるうちは文筆家にはなれない。結局はそれを通した心を述べるための手段でしかない。音符も、文字もね。」

いくら適切に食材を調理したところで、それだけでは料理にはならないのではないだろうか。食べてくれる相手がいて、その人に料理を通じて伝えたい何事かがなくては、それは料理ではなく単なる餌でしかない。もちろん、伝えたいことを伝えるための選択肢が豊富になるという意味では、技は優れていたほうが都合が良いに決まっている。だからこそ技は重要なのである。それでも、私的な場面であろうと、料理人対客という場面であろうと、それを相手に伝えることで相手が幸せを感じるようなことが無ければ、どれほど優れた技であろうと何の意味も無いと思う。

よくあるのは、技量を誇るだけの見世物のような芸事だ。常人にできないことができると自慢するだけのことは、相手を圧倒することはできても幸せにすることはできない。今、この瞬間、自分の技量を駆使して相手に喜んでもらえるようなものを作るにはどうするか、というようなことは残念ながら人に教えられてできるようになることではない。当事者が自分で考えなければならない。考えるには、相手のことを推し量る想像力がなくてはならないし、想像力の裏づけとなる自分自身の経験がなくてはならない。

先日、茶道の稽古のときに先生が仰っていたが、大寄せの席などで小言の多い人がいるのだそうだ。確かに基本とか定石というものはあるが、亭主が何故、そうしたものを外した道具を使ったり、設えをしたりしたのか、その心を推し量る姿勢が無ければ、そもそも茶会にでかけていく意味など無いのではないか、というのである。茶会は人の揚げ足を取る場所ではなく、愉しむための場ではないか、と。

どのような分野であれ、およそ人が生活の中で遭遇する場面というのは必ず自分以外の人とのかかわりあいがある。自分に我があるように、他人にもそれぞれの我があるということを忘れて、自我にばかり執着すれば、他人との関係に軋轢が生じるのは必定だ。気持ちよく生活することは、他人との関係を円満に保つということに他ならない。世に「処世術」だの「心理学」だのと人間関係のハウツーを語るものがいやというほどあるのは、そうしたことへの需要が強いことの証左であり、また、単純明快に割り切れるものではないから星の数ほどの「術」や「学」が上げ潮のゴミの如くに浮遊するのである。つまり、その肝心要のところには正解が存在しないということなのだ。一番大事なことは誰かに教えてもらうのではなく、自分で考えるよりほかにどうしょうもないのである。

それで、料理学校での成績のことに戻ると、それはどうでもよいことなのではないかと思うのである。何事であれ、基礎とか基本原理というものを理解することは必須だ。そうした基盤の上に立って、自分は何をどうしたいのか、ということが肝心ではないだろうか。それを言葉にする必要は全くない。「月を指す指は月ではない」という。言葉で表現しようとする対象を持つことが重要なのだと思う。それは学ぶものではなく己の中に醸成するものだろう。

最後の4分

2011年06月13日 | Weblog
1ヶ月半ぶりにプールで泳いだ。もともと運動らしいことをしたことがない上に、年齢を重ねて体力が衰え、さらに日頃の運動不足と、幾重にも悪条件が重なっていることは承知しているので、今日のところは2,000メートルでやめておいた。泳いでいる最中は特に異常は感じないのだが、プールから上がろうと壁際の梯子に足をかけた途端に足が攣りそうになって動揺する。幸い、その場はなんとか治まり、着替えて無事に住処へ戻ることができた。年を取ると、自然に運動量が減ってしまうのだが、そうなると自然に体力が落ちるという悪循環に陥ってしまう。健康管理という観点からは、年齢と共に運動量を増やすつもりくらいがちょうど良いのかもしれない。

健康といえば、食生活も大事だ。記録を取っているわけではないので、あくまで印象でしかないのだが、このところ食べる量が減っているように思う。それなりに腹は減るのだが、食べたいものが思い浮かばないのである。しかし、その割に体型は変わらない。つまり、基礎代謝が落ちているということだろう。以前、何かで苦痛の少ない死に方というのを聞いたことがある。それによると、枯れるように死ぬのが良いそうだ。

比喩として適切なのかどうなのかわからないが、飛行機の事故が多いのは離陸時7分間と着陸直前の4分間で、総称して「魔の11分」などと言うらしい。飛行経路を人生に当てはめれば、離陸時は既にかなり昔に終わったことであるが、着陸はこれからだ。着地点は定かではなくとも、地面ははっきりと見えている。美しく着陸するというのは、考えれば考えるほど難しいことのように思われてくる。体力のことも健康のことも、それ以外の諸々も。

学校というところ

2011年06月12日 | Weblog
美大に入って初めて取り組んだ通信課題ができあがり、明日、郵便局へ持ち込んで発送しようという段になった。提出物の形式については事細かな指示があるのは理解できるとして、提出方法にも使用する封筒のサイズが角形3号という指定がある。学校からは長形3号の提出物発送用封筒が支給されている。今回の課題の提出物も、その支給された長形3号に収まるのだが、理由の説明無く角形3号なのである。

少し前に、学校からアンケートの依頼が来た。その文面は「依頼」ではなく「指示」だ。「アンケート」ということで無記名ということもあり、その「指示」文面に引っかかりもあったので無視することにした。

大学というところに籍を置くのは今回で3校目だ。自分が齢を重ねてふてぶてしくなっている所為かもしれないのだが、学校から来る文章類の文面が、これまでとは違って、いつも気になる。そこには暗黙のうちに学校側と学生側の間に上下の関係が想定されているように感じられてならない。果たして学生と学校の適切な関係とは、そういうものなのだろうか。

最初に卒業した大学はごくありきたりのところで、高校を卒業してそのまま進学したところだったので、大学あるいは先生とのやりとりというところの位置関係には殆ど関心を払うことは無かった。ふたつ目の大学はイギリスの学校で、そうしたやりとりが自分の言語ではないため、関係性というようなことは正直なところよくわからない。そして今回の学校になるわけだが、これまでの何回かのスクーリングとそれに伴う学校の事務方の人たちとのやり取りには違和感は無い。問題は文書なのである。なんとなく威圧的なものが感じられて、手にする度に首をかしげる。

卒業後の大学との関係も学校毎に違う。最初に卒業した大学では、卒業後でも@以下が大学のメルアドが使える。もちろん、指定した別のアドレスへ転送するよう設定することもできる。また、URLも割り当てられていて、ブログやHPを開設することもできる。しかし、大学名のアドレスやURLというのは、在学中であるとか大学に就職しているというならいざ知らず、さすがに使い勝手が良くないだろうと思う。使っていないので、そういう表現しかできないのだが、とりあえず大学のほうのメルアドもURLも自分が日常用いているものへ転送するよう設定してある。このほか、大学名の入ったクレジットカードというものもある。図書館などの大学施設も使えるし、活用しようと思えば活用できそうなリソースはそれなりに用意されている。イギリスの大学は、日本にいると卒業生間の交流の機会は年に数えるほどしかないが、それでも毎年、学生募集のために世界を巡回するミッションが来日する折には会合の席が設けられる。日本でも年に何度かはあるほどなので、当然、イギリス国内では頻繁に卒業生間の交流の場が設けられている。卒業してしまった後だからということもあるだろうが、どちらの学校も首を傾げたくなるような姿勢は感じられない。

つまらぬところに我を張って単位を落とすというのも大人気ないので、手元にあった放送大学の角2号封筒を、求められている角3号に作り直し、そこに課題を入れて学校へ送った。