熊本熊的日常

日常生活についての雑記

夏の味覚

2010年06月30日 | Weblog
前夜に激しい雷雨に見舞われ、製作中の赤松集成材によるレターケースは、またもや引き出しが開かなくなってしまった。なんとか引き出しを取り出して、今日も鉋がけに終始する。来週こそ完成、というところまで再び進捗。次に作るものがまだ具体的にイメージできていないこともあり、完成が伸び伸びになっていても不思議とこれといった感情が湧かない。木を相手にしているのだから湿度の影響を受けるのは当然だ、という諦観のようなものがあるのも確かである。また、完成して持ち帰った後で不具合が出るよりは完成前に不具合が出尽くしてくれたほうが、使用する上では都合が良いという現実的な事情もある。

次回への期待を胸に帰宅すると、生協から宅配食材が届いている。そのなかから玉蜀黍を蒸してみることにした。皮を剥き、髭を取り去り、沸騰した蒸し器で7-8分ほど蒸すと、肌の黄色が濃くなり、ひとつひとつの粒がはちきれんばかりに膨らむ。私は蒸すという調理法が好きだ。茹でると旨味が湯のなかに逃げるような気がするし、蒸したほうが甘味が増すように感じるのである。枝豆も空豆も私は蒸して食べる。蒸したての玉蜀黍を食べるのに、ビールを開ける。但し、ビールはノンアルコール。私は飲めないわけではないが、特に酒が好きというわけでもなく、酒に回す腹があるなら、それは料理に振り向けたいと考えるほうなので、自ら酒を買うこともない。このノンアルコール・ビールも頂き物だ。私が酒を飲まないのを知らないわけではないとは思うのだが、先日の父の日に子供が雑貨を見繕ってプレゼントしてくれた。そのなかに陶器のビアマグがあって、今日はそれを使った。冷えたビールにあつあつの玉蜀黍。窓を開け放った部屋。口の中で弾ける玉蜀黍の粒を感じながら、夏もいいなと思う。

夜、職場で携帯電話が鳴る。生協からだ。何事かと思いきや、鰻の蒲焼のセールスだった。そういう季節なのでそれなりの需要があると踏んで商品を準備したものの、単価が高めということもあって在庫を抱えてしまったのだろう。生協からこのような電話が入るのは、宅配会員になって以来、この半年で初めてのことでもあり、そうした担当者の困惑が透けて見えるようでもあったので、1パック2尾入りだけ付き合うことにした。

生協の商品は単価はやや高めに見えるのだが、品質を考えれば納得のいくものだと思って今のところは会員を続けている。産地直送というのも、今の時勢では安心感があり、なかには商品に貼ってあるシールのコード番号をネットで検索するとその生産者の紹介が出てくるというようなものまである。作り手の姿を感じることができるというのは好きだ。ちなみに今日の玉蜀黍は茨城産で、営業協力の鰻蒲焼は加工食品だが使われている鰻は鹿児島県大隈の養殖物だそうだ。

来週はレターケースが完成して、鰻が来る。夏は楽しい。

ある均衡

2010年06月29日 | Weblog
ユトリロがこれほど人気のある作家だとは知らなかった。会期の終わりが近い所為もあるのだろうが、平日の昼間だというのに、東郷青児美術館で開催中のユトリロ展は賑わっていた。

ユトリロは画家だが画家としての教育は受けていない。油絵の具の扱いの基本は画家である母親から手ほどきを受けたが、それ以外は全くの我流なのだそうだ。何があったのかは本人しかわからないことだが、アルコール依存症の治療の一環として医師に勧められて絵を描くようになったという。題材になっているのは街の風景とか教会が多い。しかも、現実の風景ではなく絵葉書をもとに描いたものが多いという。私の勝手な空想だが、人は不安に苛まれると確かなものを求めるのではないだろうか。現実の世界が生き辛いなら、心安らぐ世界を自分の中に作りあげてしまう。しかし、荒唐無稽というのはかえって虚構を強調してしまうので、現実であってもおかしくないような程度の空想が、手を伸ばせばそこにあるように感じられて心地よいのだろう。ユトリロが描いた風景は、そうした微妙な現実ではないだろうか。

今回の展覧会は、彼の作品を「モンマニーの時代」「白の時代」「色彩の時代」と区別すると「色彩の時代」のものが多いのだが、画家としての評価が最も充実しているのは「白の時代」の作品だ。そして、その時代はユトリロが最も荒れた生活をしていた時代でもあるそうだ。「白の時代」の作品は建物の壁の白い色や質感に徹底的に拘ったものだ。それが「色彩の時代」になると、どこかそうした拘りが薄くなっているように感じられる。結局、描いた本人にっとはどうあれ、絵画としての価値となると、その「拘り」に重きが置かれるということのようだ。

人は追い詰められると精神の均衡を失い、それを回復させるべく必死の活動をするのだろう。その必死の向かうところは人それぞれであり、同じ人であっても時と場合によって様々なのだろうが、時として、その必死の活力が世の中で価値を認められるようなものの創造につながる。その世間の評価と本人の認識とが乖離しているのも興味深い。人の「価値」とは何なのだろうかと改めて考えさせられてしまう。

昔、京都在住のメル友がいた。まだ今のように迷惑メールが飛び交う以前の時代で、プロバイダーの掲示板か何かで知り合った人だ。どれくらいやりとりが続いたのか記憶が定かではないのだが、2回だけお会いしたことがある。その人は、京都に住んでいるけれど出身は東京で、美大の出身だった。ユトリロの絵が好きだという話を聞いていて、私の出張の折に京都でお会いしたとき、ユトリロの画集を土産に持って行った。伊勢丹美術館でのユトリロ展のカタログだ。その後、メールだけではなく絵手紙を何度か頂いたが、自然に行き来がなくなってしまった。その絵手紙は今も手許に持っている。最後の日付は秋、住宅街の空が描かれていた。

POTTERS AT WORK

2010年06月28日 | Weblog
昨日、日本民藝館で「POTTERS AT WORK」というDVDを買った。陶器製作を生業とするふたつの家族の仕事の様子を撮影したドキュメンタリーだ。1976年の作品で監督はカナダ人のMarty Gross。ナレーションなどは一切なく、ただ陶工一家の日常が撮影されている。本編30分だが、それ以上の内容を感じるのは自分が陶芸をやっていて、写っている人たちの一挙手一投足に並々ならぬ関心を持っている所為だけだろうか。

栃木県立美術館の濱田庄司展では、NHKアーカイブスの「あの人に会いたい」での濱田の回が会場内に設置された大型テレビで繰り返し再生されていた。番組の性質上、スタジオでのインタビューが多いのだが、益子での作陶の風景も盛り込まれており、その様子が大変参考になった。国立新美術館でのルーシー・リー展でもBBCの番組「Omnibus」で彼女を取り上げた1982年2月14日放送のVTR約20分が繰り返し流されていた。これも私にとっては貴重な映像だ。

こうした作陶の映像に惹きつけられる経験が過去2ヶ月程の間に2回もあったので、その余韻も冷めやらぬ昨日、日本民藝館を訪れた折に売店でこの「POTTERS AT WORK」というDVDを見つけ、買うことを即決した。

レジでクレジットカードの処理をしながら、民藝館のスタッフが思いもよらぬ言葉を発した。
「なんか、今日はこのDVDがよく売れるんですよね」
こんなものを買う奴がいるのかと驚いてしまった。
「え! そうなんですか?」
私は動揺を隠せない。しかし、考えてみれば、休日にわざわざこんなところに古道具を眺めに来る奴は変わり者である確率が高いのである。売店の担当者もそれを十分承知しているからこそ、こんなDVDを棚にまとめて並べておくのだろう。
「このDVD観ると驚きますよ。すごいんですから」
と民藝館の人は追い討ちをかける。
「すごいんですか?」
「陶芸家と陶工って、全然違うんだなぁ、って思いますよ」
「あぁ、そうでしょうねぇ」
「前に、ここに陶工の方を呼んで実演して頂いたことがあったんですけど、すごかったですねぇ」
「へぇ、そんなことがあったんですかぁ」
楽しい会話だ。

30分の映像なので、作陶場面を観たいと思っていた身には、かえってフラストレーションを感じてしまう面もないわけではないのだが、思わず繰り返して再生してしまうほど面白かった。

ケンチャナヨ

2010年06月27日 | Weblog
日本民藝館で開催中の朝鮮陶磁展を観てきた。民藝というのは手仕事によって作られた普段使いの道具類を指す言葉で、最初は匠とか芸術家の作品に対する「下手物(げてもの)」という呼称であったのが、言葉の響きがよくなくて、また、誤解を与えやすいとの配慮から「民藝」に改められたという話を聞いたことがある。美術館の陳列ケースのなかに収まれば芸術品だろうが下手物だろうが、自分の生活を超えたところのもののように感じられてしまう。しかし、それは多くの人に見てもらうための便宜であり、観る側としてはケースのなかのものを自分が使うことを想像しながら眺めることで、発見や感じることがあるものだ。

この企画展は芸術新潮の6月号にも紹介されており、そこでは白磁の長頸瓶や文房具の小物類が取り上げられている。その記事にも書かれているが、展示されている陶磁品から受ける印象は「心地よい揺らぎ」である。私は自ら正真正銘の下手物陶器を製作しているので、同じ下手物仲間が美術館という上品な場所に納まっていると、我がことのように嬉しい、ということは考えない。おそらく作り手は完成度の高さを目指して作ったのだろうが、結果として微妙に中心がずれてしまったり歪んでしまったのだろう。普段使いのものならば、多少歪みがあっても使用に差し支えはない。むしろ、歪みがあったほうが使いやすいというようなこともあったかもしれない。そうして生活のなかに溶け込んだ道具というのは、年季が入って力強さとか貫禄のようなものを得るのかもしれない。言い換えれば、そうした力強さの源は、小さな故障を気にせずに使うおおらかさではないだろうか。

さらに言うなら、道具の細かな歪みを気にしないのは、使い手である人間の身体が歪んでいるからではないか。我々の身体はほぼ対称だが厳密に対称ではないのは誰もが経験として知っていることだ。自分自身が不完全なのだから、相手に対しても多少のことは大目に見るという公平さが、自分と相手とを総合したときの収まりの良さとして感じられる、というのは言いすぎだろうか。あるいはそのような理屈っぽいことではなしに、自分の歪みと相手の歪みとが共鳴する心地よさがある、というようなことではないだろうか。

ほかに考えたのは、例えば西洋の文化というのは、細部を完成させ、完成された細部を積み上げることで全体を構成し、その完成された全体が意味を成すというような造りになっているように思う。都市も建物も家具も道具も、計算された幾何学模様のような構造だ。その幾何学の秩序こそが文明であり、その秩序の間尺に合わないことは力づくで合わせようとする。また、そうすることが正義なのである。西洋の道具類も建物も都市も国家も、社会も自然との向かい合い方も、計算可能性や説明可能性ということが基礎にあり、その論理では受け止めることができないことを宗教によってまとめているように感じられる。たいへん大雑把な認識の仕方であることは承知しているが、敢えて自分自身の頭を整理するという意味も含めてまとめている。中国大陸の文化もそういう意味では西洋的であるように思う。それに対して私が属する文化圏では、自分の身体感覚を基礎にしており、それはそれとしての論理もあれば構造もあるのだが細かいことは放っておく、というような姿勢があるように思うのである。健康であれば、身体感覚を基礎にする限りは、多少の細かな問題があっても生活は何事もなく進行する。ズレや歪みは、その何事も無く物事が進行していく力強さを強調しているようにすら見えるのである。

表現者たち

2010年06月26日 | Weblog
留学先の同窓会組織で知り合った人がアートフェスティバルに出展するというので、その作品を拝見しにACTへ出かけてきた。会場には出展者本人もおられたので、作品を前にしていろいろお話を伺うことができ、たいへん愉快なひと時を過ごした。

信濃町駅から会場へ向かう道には、自分と同じ目的地を持って歩いている人の姿は皆無だった。路地に入り会場の建物が視界に入ったとき、その建物の前はおろか、路地自体に人影が無い。開催日を間違えたかとも思ったが、会場建物入り口には受付が出ていた。会場の2階のほうからは大勢の人がいる雰囲気が階段を降りて伝わってきている。ほっとして、受付を済ませて2階の会場に入ると、そこは別世界だった。

所謂アーティストとして生活することは容易ではない。よほどの才能と幸運とに恵まれない限り無理である。しかし、世の中には誰もが知っているようなブランドには背を向け、ひたすら自分だけのものを求めている人は少なくない、らしい。そんな市場がどれほどあるのか知らないが、以前に読んだ「小さな雑貨屋、はじめました」という本に紹介されていた雑貨屋経営者も異口同音にどこで誰が作ったものなのか使っていたものなのかわからないような古道具類や手作り品といった独特の味わいのある商品に根強い需要があることを語っている。「味わい」というのは、物を単に物理的存在として見るのではなく、その背景にある物語とか作り手の想いといったものを自然に想像する使い手側の姿勢が反映された在り様だ。物それ自体に「味わい」という物性があるわけではない。そういうものの見方のスタイルを持った人たちの層のようなものが確かにあって、それがそれぞれの時代の表現のようなものを創りあげていくのだと思う。

ところで、今日の会場の様子だが、大変盛況に見えた。作品を購入する姿もあり、製作者と購入者との直接対話というのは、特にこのような商品の場合は商品の一部と言ってもよいほどに重要なものだとの認識を新たにした。勿論、どれもこれも感心するようなもの、というわけにはいかない。それでも、単に作品の物理的な部分だけではなく、作り手と観客が作品を前に何事かを語り合う場がどれほどあるかということは、その社会の豊かさの指標にもなり得るのではないだろうか。初対面の人と自分の想いを語り合う、語り合う何事かを持って生きる、というようなことが当たり前にある状況が文化というものではないかと思う。

喜ばれる喜び

2010年06月25日 | Weblog
昨日、HCBの「ポートレイト」をアマゾンのマーケットプレイスで販売して発送したということを書いたが、今日、購入者からお礼のメールを頂いた。商品の状態の良さに「感動」し、「生涯大事にします」と仰るのである。短い文言ではあったが、なんとなく躍動的な文章で、読んでいて嬉しくなってしまった。

昨日も書いたが、他人様から金銭を頂く以上、少なくともそれに見合った、できることならそれ以上のものを提供したいと思っている。今となっては滅多に開くことのない写真集は何冊かあるのだが、状態が悪くて金銭を頂くのが憚られるようなものは売らないことにしている。具体的に計画があるわけではないのだが、いつか雑貨屋のような店を持ちたいと夢見ている。そうしたら、店頭に並べて、実際に商品の状態と値段を納得の上で購入してもらえるよう、そうした状態の良くない商品は開店するまで手許に在庫しておくつもりである。

自分の手許にあるものを売って代金を受け取るという直接的な場においては、商品を媒介とした関係がわかりやすい形で現れる。相手が喜んだり不満に思ったりする様子も明らかだ。ところが、会社組織のなかで、商取引の現場から遠い後方で働いていると、自分が提供しているものと受け取る給料との関係が判然としない。給料に見合うだけの働きをしているのかどうか、正直なところ疑問である。自分の職責を果たしているつもりでも、それが果たして企業の目的に合致しているものなのかどうか、利潤獲得に寄与しているのかいないのか、さっぱりわからない。わからないのは私のような下々の給与の根拠だけではない。

2010年3月期の有価証券報告書からは1億円以上の役員報酬を開示することが義務付けられており、このところ開示内容が明らかになっている。開示したところで、その金額が果たして当事者の働きに見合ったものかどうか、誰も判断のしようがない。ただ、赤字決算でありながら、億円単位の報酬を得ている役員がいるとなると、利害関係者は素直にその現実を受け容れるものなのだろうか。例えば、新日鉄、住友金属、東芝、ソニー、新生銀行の2010年3月期決算は赤字だ。新日鉄、東芝、ソニーについては営業利益は黒字なので、言い訳ができないわけではないだろう。しかし、営業段階で赤字ということは経営者としての責任を果たしていると言えるだろうか。新生銀行に至っては公的資金の注入を受けている。公的資金注入は金融システムの安定を目的としたものであって、個別銀行の経営を支援するためではないのだが、税金を投じて、それが高額の報酬として一部の役員へ流れているというのは国民感情としては違和感を覚える。とはいえ、そうした報酬を受け取る側は当然だと考えている人が殆どではないだろうか。

私にしてみれば夢のような大金なので容易に想像はできないが、結果に見合っていない高額報酬を受け取るというのは、薄気味悪い気がする。薄気味悪い高額報酬を手にするよりは、数百円、数千円の商品で感動してもらうほうが余程嬉しい、というのは貧乏人のやせ我慢かもしれない。かつて三井物産社長と国鉄総裁を歴任した石田禮助の生涯を描いた城山三郎の作品に「粗にして野だが卑ではない」がある。ここに描かれている石田のような人たちが奮闘して戦後日本の復興を支え、自分が率いる企業が赤字で取引先に迷惑をかけ社員の首を切りながら自分だけは当然のように高額報酬を懐にする人たちが迷走する日本の凋落に加担する、と言ってしまうのは情緒的に過ぎるだろうか。

参考:産経ニュース あの企業の「1億円プレーヤー」 主要企業の役員報酬一覧

今年上半期の販売状況

2010年06月24日 | Weblog
もうすぐ6月も終わるが、今年上半期にアマゾンのマーケットプレイスで売却した本のリストが以下の通りである。書名、著者名、販売日時 販売価格の順で表示した。実際の販売に際しては、購入者が送料として340円を負担するので、販売者の手許に入る金額は販売価格に340円を加えた金額から実際の送料と梱包費用を差し引いたものになる。

ポートレイト 内なる静寂―アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集 [大型本] by Cartier‐Bresson,Henri; Nancy,Jean‐Luc 2010/06/23 22:27:44 ¥4,000

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1) [文庫] by 湊 かなえ 2010/06/17 11:47:24 ¥200

Pen ( ペン ) 2010年 4/15号 [雑誌] 2010/06/06 02:15:33 0¥300

百年小説 [単行本] by 森鴎外; 夏目漱石; 幸田露伴; 尾崎紅葉; 徳冨蘆花; 国木田独歩; 徳田秋声; 島崎藤村; 樋口一葉; 岡本綺堂; 岩野泡鳴 2010/06/05 00:54:34 ¥3,000

The Great LIFE Photographers [ハードカバー] by The Editors of LIFE; Loengard, John 2010/05/31 21:07:54 ¥1,000

Pen ( ペン ) 2010年 5/1号 [雑誌] 2010/05/25 10:01:24 ¥600

ku:nel (クウネル) 2008年 01月号 [雑誌] 2010/05/23 21:31:23 ¥200

Pen (ペン) 2009年 11/15号 [雑誌] 2010/05/22 10:51:55 ¥300

日本売春史―遊行女婦からソープランドまで (新潮選書) [単行本] by 敦, 小谷野 2010/05/11 15:51:24 ¥300

芸術新潮 2008年 04月号 [雑誌] 2010/05/08 23:23:24 ¥500

Pen (ペン) 2009年8/1号 [雑誌] 2010/05/06 07:06:13 ¥300

ゼロからつくる、はじめてのカフェ [単行本] by 葉子, 川口; カフェズキッチン 2010/05/03 03:55:14 ¥500

Wildlife Photographer of the Year Portfolio 18 [ハードカバー] by Cox, Rosamund Kidman 2010/04/24 01:35:13 ¥2,000

Pen ( ペン ) 2010年 2/15号 [雑誌] 2010/04/20 14:21:34 ¥400

Pen (ペン) 2010年 2/1号 [雑誌] 2010/04/17 13:45:24 ¥500

Pen (ペン) 2009年 10/15号 [雑誌] 2010/04/16 22:37:35 ¥300

サザビーズ 「豊かさ」を「幸せ」に変えるアートな仕事術 [単行本] by 石坂 泰章 2010/04/15 17:06:13 ¥700

永沢まことのとっておきスケッチ上達術 [単行本] by 永沢 まこと 2010/04/14 23:18:43 ¥400

Pen ( ペン ) 2010年 4/1号 [雑誌] 2010/04/12 14:35:54 ¥400

Pen (ペン)2009年 10/1号 [雑誌] 2010/03/08 22:47:24 ¥500

TITLe (タイトル) 2006年 11月号 [雑誌] 2010/03/02 11:53:54 ¥500

パパ・ヘミングウェイ(紙ジャケット仕様) [CD] 加藤和彦; やすいかずみ 2010/02/06 11:32:03 ¥1,000

ベル・エキセントリック(紙ジャケット仕様) [CD] 加藤和彦; やすいかずみ 2010/02/05 00:46:34 ¥1,000

Martin Parr [ペーパーバック] by Williams, Val 2010/01/19 03:17:53 ¥2,000

大和よ武蔵よ ~吉田満と渡辺清 [単行本] by 勢古 浩爾 2010/01/15 07:39:44 ¥1,000

Pen (ペン) 2008年 2/1号 [雑誌] 2010/01/09 03:32:24 ¥600

さらばヤンキース―我が監督時代 [単行本] by トーリ,ジョー; ベルデュッチ,トム; Torre,Joe; Verducci,Tom; 恵理, 小坂 2010/01/07 18:51:44 ¥1,000

きのうの神さま [単行本] by 西川美和 2010/01/07 11:59:27 ¥500

Pen (ペン) 2009年 6/15号 [雑誌] 2010/01/03 22:02:04 ¥300

全部で29冊、総販売金額は24,300円だ。出品ペースは変わらないが、昨年よりは売れ行きが良い。一見して雑誌が多いが、どの号も同じように売れるというわけではない。特集によって売れるときと売れないときがある。以前にも書いたかもしれないが、インテリアとか建築関係の特集号はほぼ確実に買い手が付く。住まいへの関心が高いということだろう。バブル崩壊以降、不動産産業自体は凋落の一途を辿っている印象が強いが、地域と住宅の種類によっては根強い需要があるのも事実である。住まいは生活の場であり、そこをどのように作るかということは自己表現の場でもあるのだから、人に文化というものがある限り、住まいへの関心が強いのは当然だ。海外の都市を特集したものも売れる。音楽CDは、そもそもあまり買わないので売るものもないのだが、数少ない経験ではこれも比較的良い値段で売れる。この半年間で2枚売った加藤和彦のCDは、彼が自殺したときにどのような音楽を作る人なのかと興味を持って購入したものだ。自分自身も時々死ぬことを考えるので、自殺する人がどのような人なのかということには常に関心を持っている。

単価は殆どが百円単位だが、たまに千円単位のものも売れる。この半年間で1,000円以上の単価で売れた本が7冊あるが、このうち4冊が写真集である。売ってしまってこんなことを書くのも妙なのだが、どれもこんな値段ではもったいないような充実した内容の写真集だと思う。買った人はよい買い物をしたと、買った人に成り代わって嬉しくもある。今日発送したHCBのポートレイトは不思議な写真集だ。有名無名あらゆる人のポートレイトを集めたものだが、いったいどのようにしてこんな写真が撮れたのだろうと思う。カメラを向けられれば、程度の差こそあれ、人は緊張するものだろう。それ以前に、至近距離からカメラを向けられたら嫌なのではないだろうか。なぜこの写真の被写体の人たちは、こんなふうに写されているのだろうか。撮影者と被写体との間に信頼関係がある、という以外に説得力のある理由が思い浮かばない。つまり、ポートレイトほど難しい写真は無いと思う。写真と真剣に取り組もうと考える人にとっては必携の写真集だと、素人の私は思ってしまう。手前味噌のついでに書かせてもらうなら、私が出品している書籍はどれも価格以上の内容のあるお買い得品ばかりだと確信しているし、またそういう値付けをしているつもりだ。たとえ不用品の処分であっても、他人様から金銭を頂くのだから、その金銭に見合うだけの満足を提供すべく品物や値段に最大限の考慮を払うのが礼儀というものだと信じている。

写真集のことを書いていたら、久しぶりにカメラのワークショップにでも参加してみようかという気になってきた。

大気の実感

2010年06月23日 | Weblog
木工で製作中のレターケースが大詰めを迎えた。前回、引き出しの調整をして、5段あるどの引き出しも問題なく開閉できることを確認した上で、仕上げのオイル塗装のためのマスキングをした。今日、オイル塗装を行い、マスキングを剥がして引き出しを入れてみる。下から順々に入れていくと3段目あたりからきつくなり、最上段は半分ほどしか入らない。

今日は夜明け前から朝方にかけて激しい雨が降っていた。マスキングをした日は晴天だった。湿度が上昇したことで、木が大気中の水分を吸収した上に、オイルを含んだこともあって、全体として膨張したのだろう。見た目にも引き出しの前板が上下方向に微妙に大きくなったような印象がある。

先生とふたりで、引き出しの当たっている箇所を見つけ出しながら、丹念に鉋をかけて調整する。最下段以外はどこかしら鉋をかけ、ようやく全ての引き出しが収まるべき状態に収まった。

これで来週までオイルを乾燥させ、裏板を嵌めて全体を布で磨いて完成となる。3月17日に作り始め、週一回のペースで、途中休講も挟んだので、実質的には3ヶ月の工程となった。再来週からは、普段使いの食器を収納する木箱を杉材を使って作るつもりでいる。まだ詳細が固まっていないので、今抱えている端材で陶器を収める箱を先に作るかもしれない。

木工からの帰り道、巣鴨駅から程近いCha ba naという店で久しぶりにビルマ素麺を食べようと思った。生憎、ビルマ素麺は売り切れていたので、トムヤム・ヌードルをいただく。トムヤムは辛そうなので敬遠していたのだが、たいへんおいしかった。スープをスプーンで掬いながら、何を使って作っているのだろうとスプーンのなかの固形物を探索する。香草やスパイスの滓のようなものに混じって干し蝦の姿がある。ロンドンで暮らしていた頃、近所の中華食材店で調達していた干し蝦は重宝していた。見た目はどうということのない乾物なのだが、けっこう値段が張るものだ。その分、味に対する効果は抜群で、スープ類にしても煮物などにしても、炒め物に散らしても、一味旨味が増すのである。帰国してからは、干し蝦に代わって大和屋の鰹節が大活躍しており、日々の料理に干し蝦を使うことはなくなってしまったが、こうして目の前にあるとまた使ってみようかという気にならないこともない。

今日は朝方の大雨で暑さはそれほど感じないが、梅雨時とはいえすっかり夏である。こんな陽気には、暑い地域の料理がおいしく感じられる。木工で湿度を実感した後に、アジア料理でモンスーンを感じる。家に帰ってから、先日京都の一保堂で買った薄茶を点てる。器は焼きあがってからまだ使っていなかった並信楽の茶碗。見た目に使いやすそうだと思っていたが、使いやすい良い茶碗だと自画自賛。

いただきます

2010年06月22日 | Weblog
私はヤモメ暮らしだが、自炊をしてひとりで食事をする時でも自然に「いただきます」と声に出す。食べ終われば「ごちそうさまでした」と言う。習慣と言ってしまえばそれまでだが、自分が口にするものにかかわった全てに対して感謝しているつもりである。食材の生産者や加工者、運送業者、水道光熱事業者、などのありとあらゆる人々、自然の恵みといったものが目の前にあるご飯や料理の背後を支えていると思うと自分が居る場所から宇宙の果てまで一気につながるような心持になる。自分の口から始まる果てしない食物連鎖を想像すると、それは感謝とか有り難さというようなものではなく、ただただ驚異だ。

誰でもそうなのかと思っていたが、そうではないらしい。以前、ある小学校で、給食の時間に児童に「いただきます」と言わせるのはおかしい、というクレームをつけてきた母親がいたのだそうだ。彼女の言い分としては、給食費を支払っているのだから「いただく」というのはいかがなものか、というのだそうだ。この手の発想しかできないようなのが人の親をやっていると思うと背筋が寒くなる。

確かに、我々の生活は市場のメカニズムのなかで営まれている。人により、文化により、時と場合により、様々な価値観があるのだが、個別に対応していては世の中が円滑に回らないので、便宜的に貨幣価値という単一の尺度をつかって不特定多数の利害の調整と経済行為を行っている。物事が複雑化すると、本来の目的が見失われて手段が自己目的化するのはよくあることだ。世の中がゼニカネで動くのは、貨幣というもののそもそもの在りようが忘れ去られ、それが唯一絶対の尺度であるかのような考えが蔓延しているからだろう。だから、金銭の授受によってあらゆる種類の関係性が均衡を得る、と考える人がいることに何の不思議も無い。給食費を支払ったのだから、その対価として給食を食べるのは当然のことであるのに、殊更に「いただく」などと言わせるのは、均衡していたはずの関係を乱すことになる、という理屈はわからないではない。しかし、給食と給食費の関係は給食という商品の供給とその消費という表層のことにすぎない。しかも貨幣価値による換算はあくまでも便宜的なものであって、それだけが当事者間の関係を表現するものでもない。金銭による決済で完結できるのは、社会の一応の安定の必要最小限の部分でしかない。だからこそ、人の文化には社交が欠かせないのである。

「社交」というと、愛想よく誰とでも付き合うことをイメージするかもしれないが、もっと単純に他人や社会との交わりのことである。人に我がある限り、その我を表現するという欲求が付いて回る。時として、それが他人との衝突になることもあるが、人それぞれに歴史や文化があるのだから、その表現は多種多様であって当然だ。公序良俗を犯さない範囲で自分の我を抑え、他人の我を認めるという姿勢がなければ、おそらく毎日が窮屈で苦痛になるのではないだろうか。金銭だけが唯一絶対の価値尺度というようなことで、果たして自分が居心地の良い社会生活を営むことができるのだろうか。給食費を払ったのだから「いただきます」は不要という発想の背景に、引き篭もりや無差別殺人と同じ根を感じる。恐ろしい時代になったものである。

夏至に最果て

2010年06月21日 | Weblog
昨年の夏至は稚内、一昨年はSt Ivesと最果ての地で過ごしたのだが、今年は何事も無く東京で過ごしている。一応、出かける先の候補は考えたのだが、月初に京都へ出かけたこともあり、遊んでばかりもいられないので、こうしておとなしくしていることにしたのである。その候補地というのは青森県、なかでも下北半島だった。

下北半島の最北端、大間へは行ったことがないのだが、半島の半ばにある六ヶ所村へは仕事で出かけたことがあるので、未踏の地ではないということも今回出かけるのを見送った理由のひとつである。ただ、下北半島に限らず、青森県というのはなかなか興味深い土地であるのは確かだ。

私は青森県で暮らしたことが無いので、あくまでも想像と通りすがりの目線でしかないのだが、北国の厳しい冬という印象に反して、実は豊饒な土地ではないかと思う。まず立地だが、県の北と東西が海に面している。しかも、太平洋側と日本海側とでは海流の性質を異にしているので、県の東側が太平洋岸気候、西側が日本海側気候であり、そのなかでも山地もあれば平野もあるので気候が変化に富んでいる。また、陸奥湾を抱くように津軽半島と下北半島が延びているので、県内全域が豪雪地帯でありながらも、気候の厳しさが多少は緩和されているのではないだろうか。例えば、江戸時代において現在の県域を支配していた盛岡藩も弘前藩も何度も飢饉に見舞われたが、下北地方は餓死者が殆どいなかったといわれている。

海流の変化に富んだ海に囲まれているということは漁業資源に恵まれているということでもある。農林水産省の「平成21年漁業・養殖業生産統計年報」(2010年4月30日公表)によれば、青森県の漁獲量は15.2万トンで全国7位、国内シェア3.7%だが、「大間のマグロ」や「むつ湾ホタテ」などは全国ブランドとして定着している。

豪雪地帯にありながら国内有数の農業生産地でもあり、農林水産省の資料によれば、平成19年の食糧自給率(確報値)はカロリーベースで119%である。日本全体の食料自給率が40%なので、その値がいかに高いかということがわかる。平成20年の速報値では青森県は121%、日本全国で41%とさらに高い値になっている。特にりんごの生産では国内産の約半分が青森県産だ。代表品種は「ふじ」で、これは育成地である藤崎町に由来する名前である。一昨年、ロンドンで暮らしていたが、彼の地でも「Fuji」はプレミアム価格で流通していた。尤も、少なくとも私の生活圏内で目にしていたFujiはどれも中国産だったが。

農業以外の産業では核燃料処理を挙げないわけにはいかないだろう。県内に本社を置く企業のなかで最大級のものが国策会社である日本原燃だ。2009年3月期の総資産2兆2,200億円、資本金2,000億円、売上高3,054億円、営業利益186億円、経常利益44億円、当期利益45億円という業容だ。ちなみに青森県の公金取り扱い金融機関である青森銀行は2010年3月期で総資産2兆2,237億円、経常収益554億円、経常利益38億円、当期利益21億円である。青森銀行の2009年3月期は赤字決算だった。原燃は、その事業の性質上、経営内容や経済効果といったことが声高に語られることはないだろうが、直接間接に県経済に与える影響はあるはずだ。例えば、青森県の公式サイトには「原子力発電施設等周辺地域企業立地支援事業費補助金(F補助金)」の案内が出ている。おそらく、この手の補助金はこれだけではないのではなかろうか。

また、日本あるいは極東地域の安全保障においても青森県という場所は要のひとつとなっている。このところ沖縄の在日米軍が何かと話題になっているが、在日米軍の空軍部隊の主力は第5空軍だ。この司令部は横田だが、横田は米空軍のみならず米軍全体の極東地域における兵站ハブである。その第5空軍の戦闘部隊は横田には無く、沖縄嘉手納(第18航空団)と青森三沢(第35戦闘航空団)に駐屯している。このため、三沢基地は航空自衛隊唯一の日米共同使用航空作戦基地であり、北日本空域の要といえる。海上自衛隊の基地のなかで固定翼機の運用が可能な日本最北端の基地が八戸航空基地であり、ここは北方領土有事の際に対策指令本部が置かれることになっている。陸上自衛隊にとっても青森県は東北方面隊の主要拠点である。

勿論、現在直面している過疎の問題は無視できない。しかし、新幹線の開業により、東京=八戸間は約3時間で結ばれている。さらに今年12月4日には東北新幹線は八戸から新青森まで延伸される。この開業により東京=新青森間の最速達列車の所要時間は3時間20分程度となる予定だ。青森に限らず、東北地方全体が経済成長から取り残されているかのような印象が無いわけではないのだが、今や青森は決して最果ての地というわけではないのである。

ところで、弘前城の近くに「おぐらや」という甘味屋があり、そこの「ごま氷」というのがかき氷通の間で知られていたのだが、もう無いのだろうか。大学3年の頃、東北を旅行したときにその評判を聞いて訪ねてみたのだが、生憎休業日だった。今となっては記憶もあやふやで「おぐらや」も「小倉屋」だったのか「おぐら屋」だったのか、あるいは他の文字だったのか、定かでないのだが、ゴマを混ぜた水を凍らせた氷を削って、シンプルな白蜜をかけたものが絶品だという噂を聞いた。ネットで検索してみたのだが、それらしいものが引っかからなかった。なんとなく寂しいことである。

表現者が表現するもの

2010年06月18日 | Weblog
関東地方で40年ぶりの本格的な若冲展だというので、少しばかり期待をして千葉まで出かけたのだが、さすがに動植綵絵は無く、諸々の事情を推察すればそれは想定の範囲内ではあったのだが、やはり少しがっかりした。

しかし同時に、2007年5月に京都相国寺で開催された若冲展を、早起きして出勤前に観に出かけたことが今更ながらに満足された。相国寺境内にある承天閣美術館は同寺が所有する若冲の手になる「釈迦三尊像」を中心に両側に15幅ずつの「動植綵絵」が並ぶように設計されている。2007年の展覧会は、そのあるべき姿が実現したわずか22日間の夢のような展覧会だったのである。チケットを買うのに1時間近く並び、展示会場に入るのにさらに1時間近く並ぶことになり、出勤の時間も迫っているのでゆっくりと眺める余裕もなかったけれど、「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅に取り囲まれる経験というのは、今思い出しても心踊るようなものだった。

ふと、手もとのチラシに目を落すと、こんなことが書いてある。

「《動植綵絵》のような華麗な着色の作品だけが若冲の世界ではありません。」

それだけではない。そもそもこの展覧会のタイトルが「伊藤若冲 アナザーワールド」だ。「アナザー」は、動植綵絵に象徴されるカラリストとしての若冲に対して、水墨画や版画の作品群で象徴される彼の別の世界を指しているのだろう。そんなことにも気付かないなんて、と展覧会を見終わった今頃になって情けない思いをしている。しかし、この展覧会はこれとして十分に堪能できた。

西洋画の世界とは違って、現在多くの作品が残されている日本画の作家たちは、存命中に高い評価を得ていた。若冲の時代、京都の画壇では一番人気が円山応挙、二番が若冲で、三番は池大雅だったそうだ。若冲は、近年においてプライスコレクションで有名になったので、「若冲の発見」などという表現もメディアのなかで見かけるが、「発見」したのは単に「発見」した人の教養が足りなかったというだけのことであって、決して無名の画家であったわけではない。

これも少し考えれば気がつくのだが、動植綵絵のような作品群を残していること自体、彼が並々ならぬ経済力を持っていたことの証左だ。今も和絵の具は比較的高価だが、あれほどの写実的で大判の作品を多数描くことができたということは、その画材を揃え、完成までの収入を支えるだけの経済力がなくてはならない。自分に経済力が無いならば、よほど懐の深いパトロンでもいない限り生活が成り立たない。

彼が画業に専念するようになったのは40歳を過ぎてからだ。彼は京都の青物問屋の4代目として生れ、40を過ぎて隠居ができる身分になると、さっさと弟に家督を譲って隠居してしまう。そこから85歳で亡くなるまで、若冲ワールドが展開するのである。当然、才能も豊かだったが、それを開花させる環境にも恵まれていたということだろう。そうした余裕があるからこそ、観るものの緊張感を解きほぐすような、どことなくおっとりとした絵画世界を実現できたのだと思う。

恒産無くして恒心無し、ということが常に言えることなのかどうか知らないが、芸術に限らず人の心を動かすものは良きにつけ悪しきにつけ余裕ではないかと思う。「余裕」の意味するところが必ずしも経済的なものではないのだが、どれほど才能と環境に恵まれていたとしても、一途に過ぎると感動よりも畏怖の念を呼んでしまうのではないか。そうなるとスイートスポットが狭くなり、特定の嗜好を持つ人にしか受け容れらないものになってしまう。観る人がそれぞれの経験に照らしてそれぞれに楽しむことのできる作品を創造するには、作家の側にも自由な解釈を受け容れる度量の広さのようなものがないといけないのではないだろうか。若冲の作品の背景にあるのは、経済力という現実的な余裕もあるのだろうが、描く対象に対する慈愛のようなものであるように思われる。若冲が描く動物も植物も微妙な愛嬌があるように感じられるのは、描く対象に対する若冲の自愛に満ちた眼が反映されているということだろう。

ところで、若冲は本物の象を見たのだろうか。

「告白」

2010年06月16日 | Weblog
深夜、職場のあるビルの1階受付コーナーは照明も最小限に落されて人の姿は無い。他のどのフロアよりも高い天井で音が反響する。女性が泣いているような音が聞こえる。地下へ降りるエスカレーターが軋む音だ。軋んでいるのはエスカレーターだけだろうか。この音を聞くたびに、自分が生きている世界がまるごと軋んでいるような心持になる。まるごとならば逃げようがない。

子供が読んで面白いと言っていたのと、映画がたいへん評判であるので、文庫になった「告白」を読んだ。「現実は小説よりも奇なり」という言葉があるが、物語が作られ過ぎていて面白いとは思えなかった。作為が露骨に過ぎると感じられることよりも、おそらく、物語の根底にある思想を作者と共有できなかったということだろう。

人を殺すということは特別なことなのだろうか。この作品のなかに4件の殺人事件が登場する。いずれの事件も人を殺すことの明確な理由が、ややこじつけに過ぎるのではないかと思えるほどに、在る。物語の軸を成すのは、最初の事件とその遺族、「告白」の主の告白だ。その事件は、結果としては事故に近いのだが、殺意の下の事件である。その犯人2人がそれぞれに次なる殺人を重ねる。おそらく2人とも殺人の根底にある動機を満足させることはできていない。何人殺したところで満足させられるような動機ではないのだから。

犯人は2人とも所謂マザコンだ。母親を喜ばせることで自分の存在を確認する。母親の喜びが自分の喜びであり、母親の落胆は自分の絶望、という設定だ。2人とも中学生で、友人関係は希薄、母親だけが自己の存在の拠り所である。ただ、片方は母親のほうも息子の存在に自己を重ね合わせている共依存だ。もう片方は、はっきりとは書かれていないのだが、おそらく母親の意識からは捨て去られた存在だ。最初の事件の被害者であり、最後の事件の加害者でもある主人公もまた、少し極端な境遇ということになっている。しかも舞台は中学校という限定された世界であり、少しばかり極端なことが起こっても、なんとでも理屈をつけてしまうことができる状況設定だ。

あるいは、極端な世界を描くことで、日常のなかの歪みを敢えて強調したのかもしれない。しかし、殺人事件に限らず、およそ事件というものは、ごくありふれた生活に降って沸いたように起こるものなのではないだろうか。犯罪者は精神に異常をきたしている結果として犯罪を起こす、という考え方もあるようだ。痴漢や万引きといったことを繰り返す人のなかには、性欲や物欲を満足させることが目的ではないという場合が多々あることも事実だろう。ところで、正常と異常というのは区別可能だろうか。

ふと茶碗を思った。先日、「茶室に思う」を書いたときに「芸術新潮」の2008年3月号を読み返したのだが、そのなかの樂吉左衞門と川瀬敏郎との対談で樂氏がこのようなことを言っている。
「この世界はいつも軋んでいて、自分もまたそこで苦しみ、悲しみ、もがいている。そうしたなかで生れた茶碗をどこかで手にした人もまた、同じ苦しみ、悲しみを抱えているはず。僕の葛藤は茶碗を通して、きっとその誰かに伝わる。伝われば何かがかわる、何かが生れる。そう思っているからだよ。」(「芸術新潮」2008年3月号 103頁)

もうひとつ思い出したのは、須賀敦子の「ふつうの重荷」というエッセイだ。
「書店は、もう彼女にとって英雄たちの戦場ではなくて、避けるわけにはいかないだけの、だれもが人生で背負っている、ふつうの重荷になっていた。もう、しかたがないわよ。彼女はなんどもそう繰り返した。そういう彼女の表情には、哀しいあきらめというよりは、成熟がもたらす、しずかな落着きがあった。」(「ふつうの重荷」河出文庫版 須賀敦子全集第1巻 2008年2月10日 3刷 369-370頁)

「苦しみ」だの「悲しみ」という言葉を使うと、その文字面の印象もあって何か悲惨な感じが香るのだが、生きることの原動力が我であるのだから、生活の中で他者の我と衝突するのは必然である。それが無数に組み合わされているのが人生であり、人の世界なのだから、人生に「ふつうの重荷」があり「世界は軋んで」いるのである。

諦め、というのとは違うのだが、思うようにならない人生のなかで、現実と折り合うことのできる状態を正常と呼び、駄々っ子のように我を張り通す以外の方策を見出すことができない状態を異常と呼ぶことができるのではないだろうか。正常も異常も状態を指すのだから、誰もが経験することだ。

異常な人々や異常な状態だけを描くことで世界のありようが見えてくるなら、その作品は普遍性を持つということだろう。しかし、よほど筆力に優れているとか、構想が巧みに練られれているというようなことがなければ、単に異常だけを取り出して「びっくり財布」のような作品を書いてみても、それはその場限りの話題になりこそすれ、そう遠くない将来には忘れ去られてしまうのだろう。逃れようのない世界で暮らして、自分よりももっと追い詰められた人の姿を見れば、まだ自分はましなのだと安心できる心情が無いとは言えない。しかし、そこで終わってしまっては、作品世界の広がりは無い。主人公の犯人に対する復讐の、あまりに偏狭で短絡的な発想に、作者の人間に対する洞察の底の浅さのようなものが感じられ、所詮は娯楽小説の域を出ないと感じた。尤も、だからこそ売れるのだが。

動中の工夫

2010年06月14日 | Weblog
はやぶさが帰ってきた。2003年5月9日に打ち上げられ、2005年9月にイトカワという小惑星に到達して、昨日の夜遅くに地球へ戻ってきたのである。そのニュースをウエッブで読んでいたら、ふと白隠慧鶴の書「動中工夫 勝静中 百千億倍」(動中の工夫、静中に勝ること 百千億倍)が頭に浮かんだ。

2005年11月、はやぶさはイトカワ離陸後に姿勢制御用化学エンジンが燃料漏れを起こす。その反動で姿勢が乱れて通信が途絶。行方不明になってしまう。7週間後にはやぶさが発する信号が受信されたが、これははやぶさが回転運動をしていて偶然にアンテナが地球の方角に向いた所為だった。回転運動なので、20秒間の交信、30秒間の通信途絶、というサイクルでの通信再開だった。この20秒を捉えるべく指令は20秒以内に収まるように工夫したのだという。

また、化学エンジンの燃料漏れにより、搭載していた12基の同エンジンが2005年12月までに全て故障。つまり、姿勢制御用エンジンで姿勢制御ができない状態に陥ってしまう。しかし、これも航行用のイオンエンジンの推進剤を使って代用したのだそうだ。

航行用のエンジンを姿勢制御にも利用するとなると航行に不自由が生じる。そこで、太陽電池パネルを帆船の帆のようにして、風の代わりに太陽光の圧力を利用した。

これらのほかにも数多くあったであろう工夫と努力の甲斐も無く、当初予定した帰還軌道に乗りそこなう。その結果として帰還は3年延期となる。問題となるのは消耗品や衛星そのものの寿命だ。

2009年11月、4基中3基目のイオンエンジンが故障。2基の故障箇所が別だったので、これらをつなぎ合わせて動作させるという文字通りの離れ業を成し遂げた。これにより、はやぶさは動力を失わずに昨日の帰還を実現してみせたのである。

ニュース記事を読んでいて熱いものを感じてしまった。あの手この手の工夫の数々。満身創痍になりながらも飛び続けるはやぶさ。知恵を出し続ければなんとかなる、というようなお気楽なことではないのだが、諦めないということと「動中の工夫」の大切さを認識させられた。何事か考え、それを試してみるということを、数多くやらなければ、事態は変化しないというのは当然なのだが、危機に陥ると様子見モードに入ってしまう。様子見も当然必要なのだが、様子見と無為とは見た目は同じでも全然違うことである。近頃、自分の無為無策が気になって不快な気分に陥ることが多かったので、はやぶさのニュースは妙に心に響くものがあった。

存在意義

2010年06月13日 | Weblog
五島美術館で開催中の書跡展を観に出かけてきた。古筆に関するギャラリートークがあり、それを聴いてみたいと思ったのである。ギャラリートークというと、展示品を前にして30分から1時間程度、学芸員が解説をするという形式が一般的だが、ここは展示室が小さい所為なのか、別館のホールで講義形式によるものだった。規模は小さいながら、著名なコレクションを数多く抱える美術館なので、日曜ということもあり、驚くほどの集客力だ。開始30分前に会場に着いたら、かなり大きな会場が7割程度埋まっていた。

万葉仮名において、漢字1字で1音を表現するという方法が確立されていたにもかかわらず、そこからさらに仮名へと発展したのは何故だろうか。解説のなかでは「日本の美意識」ということも言われていたが、漢字による表現と仮名による表現を分離しなければならない思考や言語運用上の必然性があったのだろう。

漢字だけの時代から仮名も使われる時代になり、大きく変化したのが表記方法だ。「散らし書き」という、紙面に大きく余白を取りながら文字を散らすように書くものが、和歌などの表記を中心に行われるようになる。当時、紙は高価なものだったので、それを贅沢に使うことで書き手は自分の権勢を誇示したという側面もあっただろう。しかし、それ以上に、文字と余白とが上手く調和すると、そこに立体感や動きが感じられるようになることが注目されたのであろう。自然光の下で人々の暮らしが営まれていた時代、和紙そのものの表情も日照の位置や強さによって変化する。そこに書かれた文字は、おそらく見方によって、躍るように見えたかもしれない。「言霊」という言葉があるが、それは決して呪術的な意味だけではなく、紙の上で時間の経過と共に変化する文字の様子から、文字や言葉が生き物のように感じられて生まれた表現かもしれない。

漢字、ひらがな、カタカナという3種類の文字を使って現代の日本語は表記される。その3種類の文字それぞれに存在意義があり、どれひとつ欠けても思考や感情の表現に不自由することになる。もしかしたら、この国の知識階級の人々はその昔、これらの文字に加えて墨の濃淡や行間あるいは空白、紙の種類といったものを巧みに組み合わせ、そこに光という時間とともに変化する要素までをも加えて、意思や感情を伝え合ったのではないか、という夢のような仮説を考えることが、できないわけでもあるまい。

京都で見聞した茶室の話や、以前に別の美術館で聴いた書についてのギャラリートーク、その他諸々と、今回の話とが重なり合って、目から鱗が落ちるように、仮名というものの存在意義や日本語の豊かさが了解されたように感じた。

正常化なのか

2010年06月12日 | Weblog
落語のチケットを入手するのが大変な時期があったが、もう落ち着いたようだ。今日は関内ホールでの落語会に出かけてきたが、客の入りは低調。1階席が6割程度の消席率で2階席はほぼ空に近い状況だった。今日の出演者と関内という場所を考えれば、意外なほど地味な会となった。

しかし、私が落語を聴き始めた頃はこんな感じだった。寄席などに出かけても、新宿末広あたりは閑散としていて、そうしたなかで聴くのが、また好きだった。それが、「落語ブーム」と呼ばれる時代になり、ちょっとテレビでの露出が多かったり、世間で評判になったりした噺家の独演会ともなると、チケットの入手が困難なほどになった。それが、昨年後半あたりから、チケットの抽選に外れるということが顕著に少なくなってきた。これは別に景気が悪い所為ではないだろう。

今日の落語会もそうなのだが、前のほうの席が歯抜けのように空いていることがある。これは席自体は売れているが、何らかの事情で購入者が現れなかったということだ。落語会の観客は平均的に高齢者が多いので、今日のような暑い日は外出を控える、あるいは控えざるを得ない状況に陥っている、ということなのかもしれない。もったいないことではあるが、健康第一というのは合理的な判断だろう。

さて、関内という場所だが、私は好きだ。今住んでいるところから鉄道で1時間ほどかかるのだが、これくらいなら十分行動圏内である。開演前に時間に余裕を持って出かけ、vis vivaでエスプレッソをいただく。ここのエスプレッソは抽出されるなかのおいしいところだけを選りすぐって客に出すので、デミタスカップの底に舐めるほどしか入っていない。それでも、まるでチョコレートのような風味さえ感じられる本場以上のエスプレッソを味わうことができるのは、自分が知る限りこの店しかない。おいしいカフェがあるというのは、自分のなかではその土地に対する印象を大いに良くする要素である。

元犬 柳家花いち
権助提灯 柳家花緑
(仲入り)
天災 立川談笑
御神酒徳利 柳亭市馬

開演 13:30
閉演 16:00