瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第93話―

2009年08月30日 20時04分07秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
台風が近付く最中、今夜もお訪ね頂き有難う。
貴殿が足繁く通ってくれたお陰で、4年に渡り会を催す事が出来た。
心から感謝しているよ。
蝋燭の火が全て消えるまでのカウントダウンに入った事だし、此処から先は貴殿が恐怖をより身近に感じられるような話をしようじゃないか。

ところで貴殿はどんな場所に居る時、怖気を感じるだろう?
それは独りで…閉め切った…例えばトイレなんかは如何かな?
今夜と明日の夜は、トイレを舞台にした怪談を語ろう。




1988年頃、日本で面積第一位の湖として有名な琵琶湖までドライブしに行ったMさんが体験した話だ。

Mさんが長命寺港に車を停めて休憩していた時、公衆トイレに若い男女が3人、入って行くのが見えた。
すると暫くしてその3人が、叫び声を上げながら飛び出して来た。

そのままMさんと友人が居る車まで走り寄り、窓を叩いた顔を見れば蒼白である。
呆気に取られているMさん達を前に、3人の内の1人はこう言って頼んだ。

「あのトイレ、変なんです!
 一緒に来て見てくれませんか!?」

尋常ではない様子に、Mさんが3人に訳を話すよう求めると、彼らは震える声で自分達がたった今体験した事を話して聞かせた。

「外からドアを開けようと引っ張ったら、中から引っ張り返されたんです!
 それで誰か入ってんだなと思って、隣のトイレに入ろうとしたんですが…
 隣も、その隣も、そのまた隣も、6つ有るトイレ全て、ドアを引っ張ってみたんですが、その度にぐいっと引っ張り返されるんです…!」

「ノックはしたんですけど返事は無いので、開けようとして引っ張ると、ぐいっと引っ張り返されるんです…!」

ひょっとしたら中に変質者でも居るのかもしれない。
そこで弟と友人は車から出ると、3人と一緒に公衆トイレに入って、試しにドアを1つ引っ張ってみた。
と、10cmほど開いた所で、ぐっと強い力で引っ張り返された。

「うわーっ…!!」

全員、一目散にトイレを飛び出したと言う。

しかし気を取り直した弟の友人が、もう1度トイレに戻ると、今度はお経を唱え、合掌してからドアを引いた。
するとドアは簡単に、すうっと開き、中には誰も居なかったと言う。

「ドアを開けた時、確かに人の手でぐいっと引っ張り返された様な、そういう感触が有ったんだ。
 心臓が止りそうな位、恐かったよ」

後でMさんは家族にそう話したと言う。

噂では以前そのトイレで焼身自殺が有ったとの事らしい。




…家のトイレは使い慣れてる分、未だ恐怖は薄いだろうが、出先のトイレは結構入るのに勇気が要るものだ。
特に鄙びた土地の、電燈がチカチカと瞬いているトイレなど、独りで入るには恐ろしい。
そういえば以前、箱根の宿でのトイレの怪を話したね。
鍵を掛けて丸腰になるという、逃げるに逃げられない状況が、トイレに圧倒的な数の怪談を集める理由だろう。


今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

大分雨風が激しくなっている。
どうか気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『現代民話考3巻―偽汽車・船・自動車の笑いと怪談―(松谷みよ子、編著 ちくま文庫、刊)』より。

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