瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第92話―

2009年08月29日 20時40分28秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
9月が直ぐそこに迫っているのに、未だミンミンゼミの大合唱が鳴り止まないね。
そうは言っても山に行けば、蜩が鳴いている。
街の喧騒に張り合って響く蝉時雨も、後数日経てば秋の虫の音に替るだろう。

さて二夜続けて海の怪談を話したが、危険なのは海ばかりじゃない。
今夜は山に伝わる怪談を紹介しよう。




白馬岳の山中に建つ旅館での話だ。

或る吹雪の夜中に――ドンドン!ドンドン!と、戸を叩く人が居る。
奥さんが出てみると1人の男が立って居て、「夜分に突然済まないが、道に迷ったので泊めて貰いたい」と言って来た。

それは災難でしたねと同情し、中へ通そうとした時だ。
子供がひょっこり顔を出し、男の顔を見るや、激しく泣き出した。
子供の泣き声を聞いて、お婆さんも奥から出て来た。

男の顔と、泣きじゃくる子供の様子を見比べていたお婆さんは、薄気味悪い心地がしたのであろう。
奥さんに「泊めるのはお止しよ」と小声で忠告した。

その顔があまりに真剣だった為、また子供の泣き方が異常だったもので、奥さんも少し怖くなり、「今日は駄目なんです」と謝って男に帰って貰った。

夜が明けると今度は刑事がやって来て、顔写真を1枚見せられ、「この男を知りませんか?」と尋ねられた。

写っていたのは、昨夜旅館を訪れた男だった。

驚いた奥さんが捜している理由を尋ねると、刑事は「麓の方で女性を殺害した容疑で追っている」と説明したそうだ。

刑事が帰った後、奥さんは子供を呼び、「昨日どうしてあのおじさんを怖がったの?」と尋ねた。
すると子供は「おじさんの肩に血だらけの女の人がおぶさって笑っているから怖くなった」と言ったらしい。




…いくら子供が泣いたからと言って、吹雪の夜に門前払いを喰らわすのは、人道的にどうかと思わなくもない。
しかし、これは恐らく「山」という舞台を考えての、行き過ぎた演出だろう。
怪談の型としては定番で、よく耳にするが、かなり歴史が有るらしく、岡本綺堂が似た筋の作品を発表している。
「木曾の旅人」と言う題で、綺堂曰く「木曾のきこりから聞いた話」を元にしたそうだ。
どうやら長野付近で発生した、山岳地ならではの怪談らしい。

通信手段の無い山荘に、殺人者と共に閉じ込められるのは、ミステリーの常套手段。
だが現実に出遭うのは、勘弁したいものだ。


今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『現代民話考5巻―死の知らせ・あの世へ行った話―(松谷みよ子、編著 ちくま文庫、刊)』より。
※岡本綺堂の「木曾の旅人」(→http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card43574.html)

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