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瀬戸際の暇人

今年も休みがちな予定(汗)

異界百物語 ―第53話―

2008年08月12日 21時36分02秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

明日は旧盆の入りだね。
あの世とこの世が繋がって、死んだ人が帰って来る時分だ。
百物語を催すには都合が良い。

所でリアルに百物語を行うとしたら、どんな風にすれば良いだろう?
今回紹介するお話の題はずばり『百物語』――昨日話したのと同じく岡本綺堂作で、昨日と同じく小石川の切支丹坂上に在る青蛙堂にて披露されたと言う怪談だ。



今から80年程の昔…いや、もっと大昔の話かもしれない――何でも弘化元年とか2年とかの9月、上州の或る大名の城内で起った出来事である。


秋の夜に若侍共が夜詰めをしていた。
昨日から雨が降り止まず、物凄い夜であった。
何時の世も同じ事で、こういう夜には怪談の始まるのが習いである。
その中で、一座の先輩と仰がれている中原武太夫という男が言い出した。

「昔から世に化け物が在ると云い、無いと云う。その議論まちまちで確かに判らない。今夜の様な晩は丁度誂え向きであるから、これから彼の百物語と云うのを催して、妖怪が出るか出ないか試してみようではないか。」
「それは面白い事で御座る。」

何れも血気の若侍ばかりであるから、一座の意見直ぐに一致して、いよいよ百物語を始める事になった。
まず青い紙で行燈の口を覆い、定めの通りに燈心百筋を入れて五間ほど離れている奥の書院に据えた。
その傍には一面の鏡を置いて、燈心を一筋づつ消しに行く度に、必ずその鏡の面を覗いてみる事という約束であった。
勿論、その間の五間には灯火を置かないで、途中は全て暗がりの中を探り足で行く事になっていた。

「一体、百物語と言う以上、百人が代わる代わるに話さなければならないのか?」

それについても種々の議論が出たが、百物語というのは一種の形式で、必ず百人に限った事ではあるまいという意見が多かった。
実際そこには百人の頭数が揃っていなかった。
しかし物語の数だけは百箇条を揃えなければならないと言うので、くじ引きの上で1人が3つ4つの話を受持つ事になった。
それでもなるべくは人数が多い方が良いと言うので、嫌がる茶坊主共までを狩り集めて来て、夜の五つ(午後8時)頃から第1番の浦辺四郎七という若侍が、まず怪談の口を切った。
何しろ百箇条の話をするのであるから、1つの話はなるべく短いのを選むという約束であったが、それでも案外に時が移って、かの中原武太夫が第83番の座に直ったのは、その夜ももう八つ(午前2時)に近い頃であった。
中原は今度で3番目であるから、持ち合せの怪談も種切れになってしまって、或る山寺の尼僧と小姓とが密通して、2人共に鬼になったとかいう紋切形の怪談を短く話して、奥の行燈の火を消しに行った。

前にも言う通り、行燈の有る書院まで行き着くには、暗い広い座敷を五間通り抜けなければならないのであるが、中原は最初から二度も通っているので、暗い中でも大抵の見当は付いていた。
彼は平気で座を起って、次の間の襖を開けた。
暗い座敷を次から次へと真っ直ぐに通って、行燈の据えてある書院に行き着いた時に、ふと見返ると、今通って来た後ろの座敷の右の壁に何やら白い物が掛かっている様にぼんやりと見えた。
引っ返してよく見ると、1人の白い女が首でも縊った様に天井から垂れ下がって居るのであった。

「成る程、昔から言い伝える事に嘘は無い。これこそ化け物と云うのであろう」と中原は思った。

しかし彼は気丈の男であるので、そのままにして次の間へ入って、例の如くに燈心を一筋消した。
それから鏡を取って透かしてみたが、鏡の面には別に怪しい影も映らなかった。
帰る時に再び見返ると、壁の際にはやはり白い物の影が見えた。
中原は無事に元の席へ戻ったが、自分の見た事を誰にも言わなかった。

第84番には筧甚五右衛門と言うのが起って行った。
続いて順々に席を起ったが、どの人も彼の怪しい物について一言も言わないので、中原は内心不思議に思った。
さては彼の妖怪は自分1人の眼に見えたのか、それとも他の人々も自分と同じ様に黙っているのかと思案している内に、百番の物語は滞り無く終った。

百筋の燈心は皆消されて、その座敷も真の闇となった。

中原は試みに一座の者に訊いた。

「これで百物語も済んだのであるが、各々の内に誰も不思議を見た者は御座らぬか?」

人々は息を呑んで黙っていると、その中で彼の筧甚五右衛門が一膝進み出て答えた。

「実は人々を驚かすも如何と存じて、先刻から差控えて居りましたが、拙者は84番目の時に怪しい物を見ました」

1人がこう言って口を切ると、実は自分も見たと言う者が続々現れた。
段々詮議すると、第75番の本郷弥次郎と言う男から始まって、その後の人は皆それを見たのであるが、迂濶に口外して臆病者と笑われるのは残念であると、誰も彼も素知らぬ顔をして居たのであった。

「では、これからその正体を見届けようではないか。」

中原が行燈を点して先に立つと、他の人々も一度に続いて行った。
今迄は薄暗いのでよく判らなかったが、行燈の灯に照らしてみると、それは年の頃18、19の美しい女で、白無垢の上に白縮緬の扱き帯を締め、長い髪を振り乱して首を縊って居るのであった。
こうして大勢に取り巻かれていても、そのまま姿を変じないのを見ると、これは妖怪ではあるまいという説も有ったが、多数の者はまだそれを疑っていた。
兎も角も夜の明ける迄はこうして置くが良いと言うので、後先の襖を厳重に閉め切って、人々はその前に張番をして居ると、白い女はやはりそのままに垂れ下がって居た。
その内に秋の夜も段々に白んで来たが、白い女の姿は消えもしなかった。

「これはいよいよ不思議だ」と、人々は顔を見合せた。
「いや、不思議ではない。これは本当の人間だ」と、中原が言い出した。

初めから妖怪ではあるまいと主張していた連中は、それ見た事かと笑い出した。
しかしそれがいよいよ人間であると決まれば、打捨てては置かれまいと、人々も今更の様に騒ぎ出して、取敢えず奥掛りの役人に報告すると、役人も驚いて駈け付けた。

「や、これは島川殿だ!」

島川と言うのは、奥勤めの中老で、折節は殿の御夜伽にも召されるとか言う噂の有る女であるから、人々は又驚いた。
役人も一旦は顔色を変えたが、よく考えてみると、奥勤めの女がこんな所へ出て来る筈が無い。
何かの子細が有って自殺したとしても、こんな場所を選む筈が無い。
第一、奥と表との隔ての厳しい城内で、中老ともあるべき者が何処をどう抜け出して来たのであろう?
どうしてもこれは本当の島川ではない。
他人の空似か、或いはやはり妖怪の仕業か、何れにしても粗忽に立ち騒ぐ事無用と、役人は人々を堅く戒めて置いて、更にその次第を奥家老に報告した。
奥家老下田治兵衛もそれを聴いて眉を皺めた。
兎も角も奥へ行って、島川殿にお目に掛かりたいと言い入れると、昨夜から不快で臥せっているからお逢いは出来ないという返事であった。
さては怪しいと思ったので、下田は押返して言った。

「御不快中、甚だお気の毒で御座るが、是非とも直ぐにお目に掛からねばならぬ急用が出来致したれば、ちょっとお逢い申したい。」

それでどうするかと思って待ち構えていると、本人の島川は自分の部屋から出て来た。
成る程不快の体で顔や形も酷くやつれていたが、何しろ別条無く生きているので、下田もまず安心した。
何の御用と不思議そうな顔をしている島川に対しては、いい加減の返事をして置いて、下田は早々に表に出て行くと、彼の白い女の姿は消えてしまったと言うのである。
中原を始め、他の人々も厳重に見張って居たのである、それが自ずと煙の様に消え失せてしまったと言うので、下田も又驚いた。

「島川殿は確かに無事。してみると、それはやはり妖怪であったに相違ない。斯様な事は決して口外しては相成りませぬぞ。」

初めは妖怪であると思った女が、中頃には人間になって、更にまた妖怪になったので、人々も夢の様な心持であった。
しかしその姿が消えるのを目前に見たのであるから、誰もそれを争う余地は無かった。
百物語のお蔭で、世には妖怪の在る事が確かめられたのであった。


その本人の島川は一旦は本復し、相変らず奥に勤めていたが、それから二月程の後に再び不快と言い立てて引籠っている内に、或る夜自分の部屋で首を縊って死んだ。
前々からの不快というのも、何か人を怨む筋が有った為であると伝えられた。

してみると、先の夜の白い女は単に一種の妖怪に過ぎないのか?
或いはその当時から島川は既に縊死の覚悟をしていたので、その生霊が一種の幻となって現われたのか?
それは何時までも解かれない謎であると、中原武太夫が老後に人に語った。



妖怪か、とも妖怪ではないのか…読者を惑乱させる術に長けた、綺堂ならではの傑作であろう。

今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

所で此処の百物語も、既に53番まで語り終えている。
どうだろう?…そろそろ怪しい物を見た人は居ないかい?

――怪語らば、怪来たる。

くれぐれも覚悟をして置くがいいだろう。


それじゃあ夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。




参考、『白髪鬼―岡本綺堂怪談集―(岡本綺堂、著 光文社、刊)』。
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異界百物語 ―第52話―

2008年08月11日 22時40分22秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
来る道ぬかるんでいただろう?
昨夜こっちでは土砂降りの雨が降ったものでね。

連日猛暑が続いてるが、そろそろ秋の気配が漂ってきたかな。
そう言えば何時の間にか立秋を過ぎて、残暑見舞いの時季に入った事だし。

さて本日紹介するのは、明治の終りから昭和の初め迄活躍した作家、岡本綺堂の書いた怪談話だ。
広くは『修善寺物語』等の戯曲や、『半七捕物帳』シリーズで有名な氏だが、それ以外に怪談作家としても名が知れている。
無類の怪談好きだった氏は国内の話に飽き足らず、欧州や中国の怪談を蒐集して翻訳、書籍に纏めて紹介した。
怪奇文学の分野でも、かなりの功績者と言えるだろう。

綺堂の怪奇小説の書き方は、「百物語」の様な席で人から伝え聞いて、という体裁を取る事が多い。
最も有名なのが『青蛙堂鬼談』だ。
「青蛙(せいあ)」とは3本足の蝦蟇の事で、中国杭州地方に古くから伝わる神の化身で在り、又の名を「金華将軍」とも呼ばれる。
話は弁護士をしている梅沢と言う男が、中国へ行った知人から土産に貰った3本足の竹細工の蛙に因んで「青蛙」の雅号を持ち、その梅沢が常に開いてる句会の客達を誘って、百物語を催そうという所から始まる。

オムニバス的に幾つかの怪談が続く最初に紹介されるのが、その神秘な蝦蟇――「青蛙神」に纏わる話だ。



時代は明の末で、天下が大いに乱れんとする頃……。
江南の金陵、即ち南京の城内に張訓という武人が在った。
或る時、その城を預かっている将軍が饗宴を開いて、列席の武官と文官一同に詩や絵や文章を自筆で書いた扇子1本づつをくれた。
一同ひどく有難がって、銘々に開いてみる。
張訓も同じく押し頂いて開いて見ると、どうした訳か自分の貰った扇だけは白扇で、何も書いてない。
裏にも表にも無い。
これには甚だ失望したが、この場合、上役の人に対して、それを言うのも礼を失うと思ったので、張訓は何気無くお礼を申して、他の人達と一緒に退出した。
しかし何だか面白くないので、家へ帰ると直ぐにその事を妻に話した。

「将軍も一度に沢山の扇を書いたので、きっと書き落したに相違ない。それが生憎に俺に当ったのだ。とんだ貧乏くじを引いたものだ。」

詰まらなそうに溜息を吐いていると、妻も一旦は顔の色を陰らせた。
妻は今年19で3年前から張と夫婦になったもので、小作りで色の白い、右の眉の外れに大きい黒子の有る、真に可愛らしい女であった。
その妻は少しの内黙って考えていたが、また段々に何時もの晴れやかな、可愛らしい顔に戻り、夫に向って慰めるように言った。

「それは貴方の仰る通り、将軍は別に悪意が有って為された事ではなく、沢山の中ですから、きっとお書き落しになったに相違有りません。後で気が付けば取換えて下さるでしょう。いいえ、きっと取換えて下さいます。」
「しかし気が付くだろうか?」
「何かの弾みに思い出す事が無いとも限りません。それについて、もし将軍から何かお尋ねでも有りましたら、その時には遠慮なく、正直にお答えなさる方がよう御座います。」
「うむ…。」

夫は気の無い返事をして、その晩はまずそのままで寝てしまった。
それから2日程経つと、張訓は将軍の前に呼び出された。

「おい。この間の晩、お前にやった扇には何が書いてあったな?」

こう訊かれて、張訓は正直に答えた。

「実は頂戴の扇面には何にも書いて御座いませんでした。」
「何も書いてない…」

将軍は暫く考えていたが、やがて、静かに頷いた。

「成る程、そうだったかも知れない。それは気の毒な事をした。では、その代りにこれを上げよう。」

前に貰ったのよりも遥かに上等な扇子に、将軍が手ずから七言絶句(しちごんぜっく)を書いたのをくれたので、張訓は喜んで頂戴して帰って、自慢らしく妻に見せると、妻も彼と同じく喜んだ。

「それだから、私が言ったのです。将軍は誠に物覚えの良い方ですから。」
「そうだ、まったく物覚えが良い。大勢の中で、どうして白扇が俺の手に入った事を知ったのだろう?」

不思議に思ったものの、別に深く詮索する程の事ではないので、それはまずそのままで済んでしまった。
それから半年程経つと、かの闖賊(ちんぞく)という怖ろしい賊軍が蜂起して、江北は大いに乱れて来たので、南方でも警戒しなければならなくなった。
しかし太平が久しく続き、誰も武具の用意が十分であるまいというので、将軍から部下の者一同に鎧一着づつを分配してくれる事になった。
張訓もその分配を受けたが、その鎧がまた悪い。
古びている上に破れている。
それを抱えて、家へ帰って、またもや妻に愚痴を零した。

「こんな物が、大事の時の役に立つものか。いっそ紙の鎧を着た方がましだ。」

それを聞いた妻は、また慰めるように言った。

「それは将軍が一々に検めて渡した訳でもないのでしょうから、後で気が付けばきっと取換えて下さるでしょう。」
「そうかも知れないな。何時かの扇子の例もあるから。」

そう言っていると、果して2、3日の後に、張訓は将軍の前に呼び出されて、「この間の鎧はどうであったか」と、また訊かれた。
張訓はやはり正直に答えると、将軍は子細有り気に眉を寄せて、張の顔をじっと眺めていたが、やがて言葉を改めて訊いた。

「お前の家では何かの神を祀って居るか?」
「いえ、一向に不信心で御座いまして、何の神仏も祀って居りません。」
「…どうも不思議だな。」

将軍の額の皺はいよいよ深くなった。
その内に何を思い付いたか、彼はまた訊いた。

「おまえの妻はどんな女だ?」

突然の問いに、張訓は些か面喰らったが、これは隠すべき筋でも無いので、正直に自分の妻の年頃や人相などを申立てると、将軍は更に訊いた。

「そうして、右の眉の下に大きい黒子はないか?」

「よく御存じで……。」と、張訓は驚いた。
「うむ…知っている。」と、将軍は大きく頷いた。

「おまえの妻はこれまで、2度も俺の枕元へ来た。」

驚いて、呆れて、張訓は暫く相手の顔をぼんやりと見詰ていると、将軍も不思議そうにその子細を説明して聞かせた。

「半年程前に、お前達を呼んで俺の扇子をやった事が有ったろう?その明くる晩の事だ。1人の女が俺の枕元へ来て、『昨日張訓に下さいました扇子は白扇で御座いました。どうぞ御直筆の物とお取換えを願います』と、言うかと思うと夢が覚めた。そこで、念の為にお前を呼んで訊いてみると、果してその通りだと言う。その時にも少し不思議に思ったが、まずそのままにしておくと、またぞろその女が昨夜も来て、『先日張訓に下さいました鎧は朽ち破れていて物の用にも立ちません。どうぞ然るべき品とお取換えを願います』と言う。そこで、お前に訊いてみると、今度もまたその通りだ。あまりに不思議が続くので、もしやと思って詮議すると、その女は正しくお前の妻だ。年頃といい、人相といい、眉の下の黒子までが寸分違わないのだから、もう疑う余地は無い。お前の妻は一体どういう人間だか知らないが、どうも不思議だな。」

子細を聞いて、張訓もいよいよ驚愕した。

「まったく不思議で御座います。よく詮議を致してみましょう。」
「何れにしても鎧は換えてやる。これを持って行け。」

将軍から立派な鎧を渡されて、張訓はそれを抱えて退出したが、頭はぼんやりして半分は夢の様な心持であった。
3年越し連れ添って、何の変った事も無い貞淑な妻が、どうしてそんな事をしたのか?
さりとて将軍の言葉に嘘が有ろうとは思われない。
家へ帰る途中で色々考えてみると、成る程思い当る事が有る。
半年前の扇子の時にも、今度の鎧の問題にも、妻は何時でも先を見越した様な事を言って自分を慰めてくれる。
それがどうもおかしい、確かに不思議だ。
これはしかと詮議しなければならないと、張訓は急いで帰って来ると、妻はその鎧を目敏く見付けてにっこり笑った。
その可愛らしい笑顔は鬼とも魔とも変化とも見えないので、張訓はまた迷った。
しかし彼の疑いはまだ解けない。
殊に将軍に宣言した手前、何とか解決を付けなければならないと思ったので、彼は妻を直ぐに部屋へ呼び込んで、まずその夢の件を話すと、妻も不思議そうな顔をして聞いていた。
そうして、こんな事を言った。

「何時かの扇子の時も、今度の鎧についても、貴方は大層心持を悪くしておいでの様でしたから、どうかしてお心持の直るようにして上げたいと、私も心から念じていました。その真心が天に通じて、自然にそんな不思議が現れたのかも知れません。私も自分の念が届いて嬉しゅう御座います。」

そう言われてみると、夫もその上に踏み込んで詮議の仕様もない。
唯わが妻の真心を感謝する他は無いので、結局その場は有耶無耶に済んでしまったが、張訓はどうも気が済まない。
その後も注意して妻の挙動を窺っている内に、前にも言う通りの訳で世の中は段々に騒がしくなる。
将軍も軍務に忙しいので、張訓の妻の事等を詮議しても居られなくなった。
張訓もまた自分の務めが忙しいので、朝は早く出て、夕は遅く帰る。

こうして半月余を暮し、5月に入って梅雨が毎日降り続いた頃。
それが珍しく午後から小止みになって、夕方には薄青い空の色が見えた時の事だ。
張訓もその日は珍しく自分の仕事が早く片付いて、まだ日の暮れ切らない内に帰って来ると、何時もは直ぐに出迎えをする妻がどうしてか姿を見せない。
内へ入って庭の方をふと見ると、庭の隅には大きい柘榴の木が有って、その花は火が燃える様に紅く咲き乱れている。
妻はその花の蔭に身を屈めて、何か一心に眺めて居るらしいので、張訓はそっと庭に降り立って、抜き足をして妻の後ろに近寄ると、柘榴の木の下には大きい蝦蟇が傲然として蹲って居る。
その前に酒壺を供えて、妻は何事をか念じているらしい。
張訓はこの奇怪な有様に胸を轟かして尚も注意して窺うと、その蝦蟇は青い苔の様な色をして、しかも3本足であった。
それが例の青蛙である事を知っていたら、何事も無しに済んだかも知れなかったが、張訓は武人で、青蛙神も金華将軍も何にも知らなかった。
彼の眼に映ったのは自分の妻が奇怪な3本足の蝦蟇を拝している姿だけである。
この間からの疑いが初めて解けたような心持で、彼は忽ちに自分の剣を抜いたかと思うと、若い妻は背中から胸を突き透されて、殆ど声を立てる間も無しに柘榴の木の下に倒れた。
その死骸の上に紅い花がはらはらと散った。
張訓は暫く夢の様に突っ立って居たが、やがて気が付いて見回すと、3本足の蝦蟇は何処へか影を隠してしまって、自分の足下に転げているのは妻の死骸ばかりである。
それをじっと眺めている内に、彼は自分の短慮を悔む様な気にもなった。
妻の挙動は確かに奇怪なものに相違なかったが、兎も角も一応の詮議をした上で、生かすとも殺すとも相当の処置を取るべきであったのに、一途に早まって成敗してしまったのはあまりに短慮であったとも思われた。
しかし今更どうにもならないので、かれは妻の亡骸の始末をして、翌日それを密かに将軍に報告すると、将軍は頷いた。

「お前の妻はやはり一種の鬼で在ったのだ。」


それから張訓の周囲には色々の奇怪な出来事が続いて現れた。
彼の周囲には必ず3本足の蝦蟇が付き纏って居るのである。
部屋に入って寝そべって居れば、寝台の傍まで這って来る。
庭に出れば、その足下に這って来る。
外へ出れば、やはりその後から付いて来る。
恰も影の形に従うが如き有様で、何処へ行っても彼の在る所には必ず、青い蝦蟇の姿を見ない事は無い。
それも最初は1匹であったが、後には2匹となり、3匹となり、5匹となり、10匹となり、大きいのも在れば小さいのも在る。
それがぞろぞろと繋がって、彼の後を付回すので、張訓も持余した。
その怪しい蝦蟇の群れは、彼に対して別に何事をするのでもない。
唯のそのそと付いて来るだけの事であるが、何分にも気味が良くない。
勿論、それは張訓の眼に見えるだけで、他の者には何にも見えないのである。
彼も堪らなくなって、時々剣を抜いて斬り払おうとするが、一向に手応えが無い。
ただ自分の前に居た蝦蟇が後ろに位置を変え、左に居たのが右へ移るに過ぎないので、どうにもこうにもそれを駆逐する方法が無かった。
その内に彼らは色々の仕事を始めて来た。
張訓が夜寝ていると、大きい蝦蟇がその胸の上に這い上がって、息が止まるかと思う程に強く押し付けるのである。
食卓に向って飯を食おうとすると、小さい青い蝦蟇が無数に現れて、皿や椀の中へ片っ端から飛び込むのである。
それが為に夜もおちおちは眠られず、飯も碌々には食えないので、張訓も次第に痩せ衰えて半病人の様になってしまった。
それが人の目に立つ様にもなったので、彼の親友の羊得というのが心配して、段々その事情を聞き質した上で、或る道士を頼んで祈祷を行って貰ったが、やはりその効は見えないで、蝦蟇は絶えず張訓の周囲に付き纏って居た。
一方、彼の闖賊は益々猛威を奮わせ、都もやがて危いという悲報が続々来るので、忠節の篤い将軍は都へ向けて1部隊の援兵を送る事になった。
張訓もその部隊の内に加えられた。
病気を申立てて辞退したら良かろうと、羊得は頻りに勧めたが、張訓は肯かずに出発する事にした。
彼は武人気質で、報国の念が強いのと、もう一つには、得体も知れない蝦蟇の怪異に悩まされて、いたずらに死を待つよりも帝城の下に忠義の死屍を横たえた方が優しであるとも思ったからであった。
彼は生きて再び還らない覚悟で、家の事等も残らず始末して出た。
羊得も一緒に出発した。

その一隊は長江を渡って、北へ進んで行く途中、或る小さい村落に泊る事になったが、人家が少ないので、大部分は野営した。
柳の多い村で、張訓も羊得も柳の大樹の下に休息していると、初秋の月の光が鮮かに鎧の露を照らした。
張訓の鎧は彼の妻が将軍の夢枕に立って、取り換えて貰った物である。
そんな事を考えながらうっとりと月を見上げて居ると、傍に居る羊得が訊いた。

「どうだ?例の蝦蟇は未だ出て来るか?」
「いや、江を渡ってからは消える様に見えなくなった。」

「それは良い按配だ。」と、羊得も喜ばしそうに言った。

「こっちの気が張っているので、妖怪も付け込む隙が無くなったのかも知れない。やっばり出陣した方が良かったな。」

そんな事を言っている内に、張訓は俄かに耳を傾けた。

「あ、琵琶の音が聞こえる…。」

それが羊得にはちっとも聞こえないので、「大方お前の空耳であろう」と打ち消したが、張訓はどうしても聞こえると言い張った。
しかもそれは「自分の妻の撥音(ばちおと)に相違ない、どうも不思議な事も有るものだ」と、彼はその琵琶の音に引かれる様に、弓矢を捨ててふらふらと歩き出した。
羊得は不安に思って、慌ててその後を追って行ったが、張の姿はもう見えなかった。

「これは唯事でないらしい。」

羊得は引っ返して3、4人の朋輩を誘って、明るい月を頼りにそこらを尋ね歩くと、村を出た所に古い廟が在った。
辺りは秋草に掩われて、廟の軒も扉も夥しく荒れ朽ちているのが月の光りで明らかに見られた。
虫の声は雨の様に聞える。
もしやと思って草むらを掻き分けて、その廟の前まで辿り着くと、先に立っている羊得があっと声を上げた。
廟の前には蝦蟇の様な形をした大きい石が蟠まっていて、その石の上に張訓の兜が載せてあった。
そればかりでなく、その石の下には1匹の大きい青い蝦蟇が恰もその兜を守るが如くに蹲って居るのを見た時に、人々は思わず立ち竦んだ。
羊得はそれが3本足であるかどうかを確かめようとする間も無く、蝦蟇の姿は消える様に失せてしまった。
人々は言い知れない恐怖に打たれて、暫く顔を合せていたが、この上はどうしても廟内を詮索しなければならないので、羊得は思い切って扉を開けると、他の人々も怖々ながら続いて入った。

張訓は廟の中に冷たい体を横たえて、眠った様に死んでいた。
驚いて介抱したが、彼はもうその眠りから醒めなかった。
拠所無くその死骸を運んで帰って、一体あの廟には何を祀ってあるのかと村の者に訊くと、単に青蛙神の廟であると言い伝えられているばかりで、誰もその由来を知らなかった。
廟内は全く空虚で何物を祀ってあるらしい様子も無く、この土地でも近年は参詣する者も無く、ただ荒れるがままに打ち捨ててあるのだという事であった。

青蛙神――それが何であるかを羊得らも知らなかったが、大勢の兵卒の内に杭州出身の者が在って、その説明によって初めてその子細が判った。

張訓の妻が杭州生れである事は羊得も知っていた。



…神様の姿形もそれぞれ、人によってはおぞましく思える物も在る。
しかし古今東西、その怒りは甚だ怖ろしいと決ってるらしく。

今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それでは道のぬかるみに足を取られないよう、気を付けて帰ってくれたまえ。

おや、蛙の鳴声が聞えて来るね……

もしも3本足の蝦蟇に出くわしたら、失礼を働かないようにする事だ。
何せ神様の化身だからね…怒らせたら怖ろしい目に遭わされるよ。

それじゃあ夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



参考、『影を踏まれた女―岡本綺堂怪談集―(岡本綺堂、著 光文社、刊)』
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異界百物語 -第51話-

2008年08月10日 23時03分21秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい…今年も忘れず来てくれて嬉しいよ。

さぁ早く何時もの席へ…1番奥の壁際の、とっときの席へ座ってくれたまえ。

古びてギイギイと良く軋む、自慢の席さ。

ああ…また新顔さんを連れて来てくれたね。

会のルールは御存知かい?

一夜に1話づつ奇怪な話を語り…終える毎に灯された蝋燭を、1本消してく。


最初灯してた蝋燭は百本。

一昨年は25本迄消した。

去年は50本迄消した。

…残りは50本だ。

今年は75本迄減らす積りだよ…そして次の年には………


古より、奇怪な話を百語った後には、真の妖が現れると云う。


全ての蝋燭が吹消された時、暗闇の中に何が見えるか?

後半分……わくわくして来やしないかい?


前置きはこのくらいにして、そろそろ参ろうじゃないか。

灯りに惹かれてやって来た、酔狂な輩が集う恐怖の宴。


訪れたからには………途中退席は無しにして貰うよ……。




貴殿は『ザシキワラシ』と言う名の妖怪を御存知かな?

そう…東北地方に古くから伝わる、大きな座敷に取り憑く、童子の姿をした妖怪だ。
夜眠ってる人の枕を返したり、擽ったり、蹴ったり殴ったり等、悪戯をするのが大好き。
しかし取り憑いた家を栄えさせ…逆にザシキワラシが去ると、その家は没落してしまうと云う。

そんな妖怪に取り憑かれた屋敷が、今でも実在すると言ったら、貴殿は信じられるだろうか?


その屋敷は岩手県二戸市に在る宿、『緑風荘』と言う。(→http://www9.plala.or.jp/ryokufuso/)

この宿の現在の主人の話では、緑風荘のザシキワラシは、奥座敷の『槐の間』と呼ばれる部屋にだけ、現れるそうだ。
そして他地方で見られるザシキワラシと違い、悪戯は働かず、気配を感じさせたり、寝ている人の体にそ…っと触れるだけだと言う。

極稀に姿を現したりする事も有ると云う。
その人の話では、ザシキワラシは着物を着た男の子であったそうだ。

宿の主人が言うには、正体は此処の家の御先祖に当る人間らしく。
名前を「藤原朝臣亀麻呂(ふじわらのあそんかめまろ)」。
後醍醐天皇に仕えた藤原(万里小路)藤房の一族と伝えられ、幼くして病に倒れた後、屋敷の守り神になったと云う。

時には打ち掛けを纏った女性に連れられ、現れる事も有るのだとか。
「オーブ」と呼ばれる怪しい光球を目にしたり、写真に収めたりした人も居る。

出現時刻は午前2時頃、現れる時は決って金縛りにでも遭った様に体が動かなくなる…という体験談が数多く宿に寄せられている。

そうして部屋に泊まり、ザシキワラシを何らかの形で体験した人には、必ず幸福が訪れるそうだ。
此処のザシキワラシを見たお蔭で、太平洋戦争の時代、戦地から無事生還出来たという話まで有る。
部屋の床の間には「ザシキワラシを見たお蔭で幸せになれた」と言う人々から贈られた品がズラリ並んでいて、壮観な眺めだ。

果たして噂は広く知れ渡り、『槐の間』に宿泊を希望する人は廃れない。
現在、平成23年(2011年)12/31迄、宿泊予約が埋っているのだとか。

こうして宿は代々繁盛し続け、ザシキワラシが福を授けると云う伝説は、今も生き続けている。


何時の世も人は幸福を求める。
その欲望は際限を知らない。
求める姿は時に健気で、時に浅ましく。

座敷の守り神は、そんな人間の欲心が生出した物の怪かも知れぬ。



…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

………随分部屋が暗くなったね。


お帰りはこちらからどうぞ。
気を付けて帰ってくれたまえ。


そしていいかい?

………風呂に入ってる時は……決して足下を見てはいけないよ。


何故って……?


………もしも足下に伸びる手を見付けたら………貴殿は如何されるかな……?


それでは、ごきげんよう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




参考、『不思議の旅ガイド-日本幻想紀行- 多田克己、村上健司、共著 人類文化社、刊』。
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異界百物語 ―第50話(後編)―

2007年08月31日 21時47分15秒 | 百物語
前編からの続】




日の沈む頃、若者は1人、城へ上りました。
そしてと或る部屋で火を明々と熾し、火の傍に刃物が付いた木工用の台を据え、自分はろくろの台に座りました。

落着いた若者は、「ああ、ぞっとしたいものだなあ」と、お定まりの呟きを漏らしました。

真夜中頃――若者が少し火を掻き起こそうと考えた時です。
突然隅の方から、「うう、なんて寒いんだ、にゃーお」と喚く声が、聞えて来ました。

「寒けりゃ、こっちへ来い!
 火に当って温まるがいいや!」

若者がそう叫んだ途端、大きな黒猫が2匹飛び込んで来て若者の両側に座り、爛々とした目で睨み付けました。
やがて体が温まると、猫は若者に「兄弟、いっちょトランプをやろうじゃないか!」と持ち掛けました。
それを聞いて、若者が返事をします。

「いいだろう!
 だがその前に、前足をちょっと出してみせな!」

すると黒猫は、鋭い爪を伸ばした前足を、にゅっと出して見せました。

「おやおや、なんて長い爪なんだ。
 待て、先ずこいつを切らなくちゃならん。」

そう言ったかと思うと、若者は猫の首っ玉を捕まえて、木工用の台に乗せ、前足をネジでしっかり止めました。
すかさず黒猫共を打殺し、外の池へ放り込みます。

「お前達の指を見たら、トランプをやる気が無くなったよ!」

所が2匹の猫を始末して、若者がまた火に当ろうとすると――あちらの隅から、こちらの隅から、真っ赤に焼けた鎖に繋がれた黒犬や黒猫がどんどん出て来て、終いには若者の身の置き所が無くなりました。

犬猫達は物凄い声で鳴きながら、火を踏ん付けたり蹴散らしたりして消そうとします。

若者は暫く黙って見ていましたが、その内に我慢ならなくなり、木工用の刃物を掴むと、「失せろ、この野郎共!!」と怒鳴って、そいつらに切掛りました。

中には飛んで逃げた物も在りましたが、大半は切殺して外の池へ放り込みました。

漸く独りになった若者は、火種を吹き熾してパチパチと燃やし、体を温めました。
そうやって座っている内…目がくっ付きそうな程、眠くなりました。
辺りを見回すと、隅の方に大きなベッドが在るのが目に入りました。

「これはお誂え向きだ」と思い、中へ潜り込みます。

所が目を瞑ろうとした途端、ベッドが独りでに動き出しました。
そして急に走り出したのです。
まるで馬が牽いてでもいる様に、ベッドは若者を乗せたまま、部屋部屋の敷居を越え、階段を上ったり下りたりして、城中駆け回りました。

「良いぞ、良いぞ!
 もっとやれ、もっとやれ!」

若者は、はしゃいで叫びます。
するとベッドは、いきなり天地逆転引っ繰り返り、若者に圧し掛かりました。

若者は直ぐさま布団や枕を跳ね飛ばすと、外に逃れて「こんな物、乗りたい奴が勝手に乗れ!」と吐き捨てました。

それから手探りで元居た部屋に戻り、火の傍で横になると、夜が明けるまで寝ていました。

朝が来て、王様が城にやって来ました。
見れば若者は死んだ様に床に転がっています。
王様は、ああこの者も化物に殺されてしまったんだなと思い、痛ましげに呟きました。

「良い若者だったのに…惜しい事をした。」

丁度その時目を覚ました若者は、起上がって答えました。

「未だ死んでは居りません。」

王様はびっくり仰天、しかしとても喜んで、「どうであった!?」と昨夜の様子を尋ねました。

「上手く行きましたよ。
 残りの2晩もきっと、似たり寄ったりでしょう。」

若者はあっさりと質問に答えました。

昼間、あの宿屋へ若者が行くと、亭主は目を円くさせ、言いました。

「生きてるあんたにまた会えるとは思わなかったよ。
 で…ぞっとするのはどういう事か、解ったかね?」

「とんでもない、何1つ解らなかった!
 誰か教えてくれないものかなあ。」

若者は溜息吐いて零しました。


次の夜、若者は再び城へ上って行くと、昨夜と同じ部屋で火の傍に腰を下ろし、「ぞっとしたいものだなあ」と、お決まりの文句を言い出しました。

真夜中近い頃――辺りにガタガタという、騒がしい物音が響いて聞えました。

音はどんどん大きくなって行き、ちょっと静かになったかと思うと、終いに凄い叫び声と共に、人間の半身が煙突から落ちて来て、若者の目の前に転がりました。

「おーい、もう半分入り用だ!!
 これじゃ足りないぞ!!」

煙突覗いて若者が叫ぶと、騒ぎが再び始まり、轟々わあわあと音を響かせて、残り縦半分も落ちて来ました。

「待ってろよ。
 今お前の為に、火を吹き熾してやるからな。」

そう言って若者が火を熾して、ふと後ろを見ると、半分づつの体は1つに合さり、恐ろしい顔で若者の席に座って居ました。

「おい、その台は俺の座る所だぞ!」

若者が男を押し退けて座ろうとすると、男も負けずに抵抗します。
しかし若者は力ずくで男を押し退け、また自分の席に戻りました。

するとまたもや煙突から、次々に男が落ちて来ました。
男達は持って来た人間の脚の骨9本と頭蓋骨2つを使い、九柱戯(ボーリングの1種)を始めました。

見ている内に若者もやりたくなって、「なあおい、俺も入れてくれないか?」と頼みました。

「いいとも、金が有るならな!」
 
「金なら有るさ!
 …所で、お前達の球は真ん丸じゃないな。
 それじゃあ遊び難いだろう、俺に貸してみろよ!」

男達から頭蓋骨を借りた若者は、ろくろを回して真ん丸に削りました。

「さあ、これでずっと良く転がるぞ!」

「おお、こいつは良いや!」

若者はゲームに加わって、金を少し取られました。

そして12時の鐘が鳴った頃――何もかも全て、若者の目の前から消えて無くなりました。

それから夜が明けるまで、若者は横になって、ぐっすり眠りました。

次の朝、王様が来て、昨夜の様子を尋ねられました。

「今度はどんな具合だった?」

「九柱戯をやりました。
 そして小銭を少し取られました。」

「ぞっとはしなかったか?」

「とんでもない、とても楽しく過しました。
 ぞっとするとはどういう事か、知りたいものですね。」

尋ねられた若者は、こう返事をしました。


3日目の夜、若者はまた独り城の中に篭り、何時もの席に座ると、溜息吐いて「ぞっとしたいものだなあ」と零しました。

夜も更けた頃――大男達6人が、棺桶を1つ担ぎ込んで来ました。

若者は『こりゃきっと、つい2、3日前に死んだと言う、俺の従兄弟だろう』と考え、「従兄弟や、こっちへ来いよ!」と指で合図して呼びました。

男達が棺桶を床に置いて出て行くと、若者は傍に寄って蓋を取りました。

中には死んだ男が1人…顔を触ってみたら、冷たくて氷の様でした。

「待ってろ、今温めてやるからな!」と若者は言って火の傍へ行き、自分の手を温めて顔に当ててやりました。

それでも死んだ男は冷たいままです。

そこで若者は男を棺桶から出して膝に乗せ、火の傍に座ると、血がまた巡り出す様に腕を擦ってやりました。

しかし幾ら擦っても効き目は現れません。

若者は聖書に出て来る「2人で寝れば温かい」という言葉を思い出して、男をベッドに入れ布団を掛けてやり、自分も一緒に寝ました。

暫くすると、死んだ男が温かくなって来て、もぞもぞと動き出しました。

「おお、生き返ったか、従兄弟よ!」

所が死んだ男は、「今度は、俺が貴様を絞め殺してやる!」と、恐ろしい顔で喚きました。

「何だと!?それが俺の受取る礼か!!
 だったら直ぐに貴様を、元の棺桶へ戻してやる!!」

怒った若者は、そう言って男を抱え上げ、棺桶に放り込んで蓋を閉めました。

すると、さっきの男達6人がやって来て、また棺桶を担いで行ってしまいました。

独り残された若者は、溜息を吐いて呟きました。

「ぞっとしそうもないな…。
 此処じゃ一生かかっても、ぞっとする事は習えないだろう。」

そこへ新たに男が1人、入って来ました。
今迄現れた誰よりも大きくて、恐ろしそうな顔付をしています。
白い長髭を生やし、かなり年を取って見えました。

「ちびすけめ!!
 ぞっとするのはどういう事か、直に解らせてやる!!
 貴様の命を奪ってやろう!!」

男が怒鳴りながら迫って来ます。

「そう簡単に行くものか!!
 命を奪りたければ、俺を捕まえてみせろ!!」

負けずに若者が怒鳴り返します。

「捕まえてやるとも!!」と叫んで伸ばされた化物の手を、若者は払い除け、朗らかに話しました。

「まあまあ、落着けよ!
 多分俺は、貴様と同じ位、力が有るぞ!
 いや、もっと強いだろう!」

「ほう、なら確かめてみようじゃないか!
 お前の方が俺より力が有ったら、命は奪らないでおいてやる!
 さあ、早速試してみるとしよう!」

老人がせせら笑って言います。

そして若者を部屋から連れ出し、暗い廊下を幾つも通り抜け、鍛冶場の火の側へ案内しました。

壁に掛けてあった重たい斧を手に取ると、若者の目の前で、鉄床を1打ちに地面にめり込ませて見せました。

「その程度の力なら、俺の方が上だ!」

しかし若者は、怯む事無く、もう1つの鉄床の方へと向います。
老人も見物する積りで付いて行き、若者の直ぐ横に立ちました。
白くて長い髭が垂れ下がったのを見て、若者は即座に斧を掴むと、1打ちで鉄床を割り、老人の髭をその割れ目に挟み込みました。

「さあ、捕まえたぞ!!
 死ぬのは貴様の方だ!!」

そう叫ぶと若者は、近くに有った鉄棒を取って、老人を滅多打ちにしました。

終いに老人は、「止めてくれ!!宝物を沢山あげるから!!」と、ひいひい泣いて頼みました。

若者は斧を引き抜いて、老人を離してやりました。

老人は若者を連れて、また城へと戻り、地下室に案内して、金貨の詰った箱を3つ見せました。

「この内、1つは貧しい人達に。
 1つは王様に。
 そして最後の1つは、あんたの物だ。」

老人が話し終ると同時に、12時の鐘が鳴りました。

すると化物は消え失せて、若者は独り暗闇の中に取り残されました。

若者は手探りで元の部屋への道を見付け、夜が明けるまで何時もの様に、火の傍で寝ていました。

次の朝――王様が来て、「今度こそ、ぞっとするのはどういう事か、解ったであろうな?」と尋ねました。

しかし若者は首を横に振って答えました。

「とんでもない、それは一体どういう事なのでしょう?
 昨夜、私の死んだ従兄弟がやって来ました。
 それから髭を生やした男が来て、地下室で金貨を沢山見せてくれました。
 でも、ぞっとするのはどういう事か、誰も教えてくれませんでした。」

話を聞いた王様は大層喜ばれ、若者に感謝の言葉を述べました。

「お前は城の魔法を解いてくれた。
 約束通り、わしの娘と結婚するがよい。」

若者は王様に向い、こう返事をしました。

「それは誠に結構な話ですが…。
 でも、ぞっとするのはどういう事か、私には今もって解りません。」

金貨が地下室から持出され、そして結婚式が挙げられました。

若くして王様となった若者は、美しい奥方を心から愛し、2人は仲睦まじく暮しました。

ですが彼の、始終「ぞっとしたいものだなあ、ぞっとしたいものだなあ」と呟く癖は、相変らず直りませんでした。

これには奥方もうんざりして、ほとほと困ってしまいました。

すると奥方の侍女が、こう申し出ました。

「私がお手伝い致しましょう。
 きっと王様に、ぞっとする事を解らせて御覧にいれます。」

侍女は庭を流れている小川へ出掛けて行き、小魚の沢山入った水を、桶にいっぱい汲んで来ました。


その夜、若い王様が寝ると――奥方は、侍女の勧めに従って、王様の布団を剥ぎ取り、桶に入った小魚入りの冷水を、ざあっっと浴びせ掛けました。

小魚はベッドの上で眠る王様の周りを、ぴちぴちと跳ね回ります。
その感触に驚いて目を覚ました若い王様は、奥方に大声で言いました。


「ああ、ぞっとする、ぞっとする!!
 漸く、ぞっとするのはどういう事か、解ったぞ!!」



…オチが実に効いていると言えよう。

人が動物から進化した切っ掛けは、恐怖に立ち向う心…「勇気」だったと、自分は考えている。
とは言え、全く恐れを知らない人間程、恐ろしいものは無い。
それは最早「神」と呼んで差し支え無いのではなかろうか。


これにて今夜の…そして今年分の話はお終いだ。
さあ、今年最後の蝋燭を、吹消して貰おうか。

……有難う。

これで丁度、半分消えた事になる。

今年も最後までお付合い戴き、有難う。
続きはまた来年…この薄暗い小部屋で、残り50本の蝋燭と共に、貴殿が来るのを、お待ちしていよう。

その日まで、御機嫌よう。
…繰り返すが、帰り道の途中、後ろは振り返らないように。
夜に鏡を覗かないように。

いいかい、約束だよ…。



『完訳グリム童話集1巻(ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 作、野村泫 訳、ちくま文庫 刊)』より。
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異界百物語 ―第50話(前編)―

2007年08月31日 21時47分02秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
8/7~毎晩催して来た怪奇の宴も、今夜でお終い。
続きは来年…同じく8/7より始めたいと考えている。

今夜お話しするのは、自分がグリム童話で、最も気に入ってるものだ。
長い話だが、よければ最後まで聞いて貰いたい。



或る父親に息子が2人居りました。
兄の方は利口で抜け目が無くて、どんな事でも上手くこなしました。
所が弟の方は愚かで何も解らず、何も習い覚える事が出来ませんでした。
だから何かにつけ用事は、兄がやるように決っていました。

人々は弟を見る度に、「この子の事で、親父は何れ苦労するだろう」と噂し合いました。

そんな弟には、1つだけ気に懸かる事が有りました。

父親が兄に使いを頼む折…日が暮れてから、或いは夜中になってからの場合、こと通り道に墓地や気味の悪い場所が在る時等、兄は決って「とんでもない、お父さん、俺は行かないよ。ぞっとするもの」と断るのです。

また、晩に皆が火を囲んで物語を話している内、身の毛もよだつ様な話になると、聞いている人達は必ず「ああ、ぞっとする」と言うのです。

隅の方に座って、その声を耳にする度、弟は何時も不思議に思っていました。

『皆は何時も、ぞっとする、ぞっとする、と言うけれど、俺はちっともぞっとしない。
 どうやら、ぞっとする、というのは、俺には解らない、秘密の技らしいぞ。』

或る時父親は、弟のあまりの不出来さに業を煮やし、こんこんと説教しました。

「そこの隅っこに居るの、よく聞けよ。
 お前も大きくなって、力が付いて来たのだから、自分で食って行く為に、何かを習わなくてはいけないぞ。
 見ろ、お前の兄貴は、しっかりやっているだろ。
 なのに、お前ときたら…どうしようもないな。」

それを聞いた弟は、こう返事をしました。

「その事だけどね、お父さん。
 僕は出来るのなら、ぞっとする事を習いたいと思ってるんだ。
 何の事だか、さっぱり解らないんだもの。」

隣で話を聞いていた兄は、腹の中で嘲笑いました。

『あいつ、正真正銘の大馬鹿だ。
 きっと一生かかっても碌な者にはなるまい。
 三つ子の魂百までと言うからな。』

父親は溜息を吐き、諦め顔で言いました。

「…勝手に習うがいいや。
 だけど、そんな事習ったって、ちっとも食っちゃ行けないぞ。」

暫くして教会の下働きが、この家を訪ねて来ました。
父親はこの人に、下の息子は何をやらせてもからきし駄目で、何も解らず、何も覚えない、と愚痴を零しました。

「ほとほと困っているんですよ…。
 私があいつに、『どうやって食って行く積りだ』と訊いたら、『ぞっとする事を習いたい』なんて言い出す始末ですから。」

それを聞いて、教会の下働きは答えました。

「それくらいなら、俺の所で習えるさ。
 よかったらその息子、俺に預けてくれないか?
 充分に教え込んでやるから。」

父親は、「あいつもちっとはましになるかも」と考え、下働きの元へ息子をやる事に決めました。


教会へ連れて来られた若者は、鐘を鳴らす役目を与えられました。

2、3日経って――下働きは真夜中に若者を起すと、今から教会の塔に登り、鐘を鳴らして来い、と言い付けました。
それから、ぞっとするというのはどういう事か、自分が脅かしてよく教え込んでやろうと考え、先回りをしたのです。

若者が塔の上に着いて、鐘の引き綱を掴もうとした時です。
鐘楼に繋がる階段の上に、何か白い物が立って居るのが目に入りました。

「そこに居るのは誰だ!?」

不審を感じた若者が怒鳴るも、その白い物は無言のまま、ぴくりとも動きませんでした。
再び若者が怒鳴ります。

「おい、返事をしろよ!!
 こんな夜中に、こんな所へ、一体何の用なんだ!?
 用が無いなら、さっさと行ってしまえ!!」

それでも白い物は、じっと立ったままで居ます。
実はその正体は下働きで、若者を恐がらせようと白い布を被り、幽霊の真似をして居たのでした。
しかしそんな事に気付かない若者は、本気になって怒り、三度怒鳴りました。

「おい、貴様が真っ当な人間なら、何とか言え!!
 さもないと、階段から突落すぞ!!」

それでも下働きは、威勢が良いのは口だけだろうと考え、石の様に黙して突っ立って居ました。
三度無視された若者は、全く躊躇せず勢い良く体当たりし、幽霊を階段から突落しました。
可哀想に幽霊は、階段を10段程転がり落ちて、隅の方でのびてしまいました。
その後若者は鐘を鳴らして家へ帰ると、ベッドへ戻り、寝直したのでした。

下働きのおかみさんは、夜中出たまま戻って来ない旦那を、夜中ずっと待っていました。
とうとう心配になり、寝ている若者を起すと、行方を知らないか尋ねました。

「ウチの旦那が何処へ行ってしまったのか、知らないかい?
 あんたより先に、塔へ登って行った筈なんだけど…」

若者は寝惚け眼で「知りませんね」と返事した後…ちょっと考えてから、こう答えました。

「…そういえば鐘の前の階段に、誰か立って居たっけ。
 声をかけても返事をしないし、出て行こうともしないから、てっきり悪い奴だと思って突落してしまいました。
 あれがもしも旦那さんだとしたら…済まない事をしました。」

話を聞いたおかみさんが、慌てて駆け付けて見ると、それは確かに旦那でした。
突落された旦那は、隅の方に転がり、折れた1本の足を抱えて、うんうん唸っていました。
おかみさんは大声で泣き喚きながら旦那を運び下ろし、若者の父親の所へ駆け込むと、カンカンに怒って言いました。

「あんたの所の若造ときたら、とんでもない事を仕出かしてくれたよ!!
 ウチの旦那を階段から突落して、足を1本折ってくれたのさ!!
 あんなろくでなしは、さっさと引取っておくれ!!」

父親はびっくり仰天して駆け付けると、若者を叱り飛ばしました。

「お前は何て罰当たりな事をしてくれたんだ!!
 正気の沙汰とは思えん、悪魔にでも吹き込まれたんだろう!!」

「お父さん、聞いておくれよ。
 僕はちっとも悪くないんだ。
 夜中にあの人が不審な格好して立って居たから、てっきり悪い事を働きに来た奴だと思って、突落してやったんだ。
 その前に、返事をするか、出て行くかしろって、3度も注意したんだぜ。」

息子の言い分を聞き、父親は溜息吐いて返しました。

「やれやれ、お前にゃ、恥を掻かされるばかりだ。
 お前の面なんか金輪際見たくねえ…俺の前から消えて無くなれ!」

「いいよ、お父さん。
 でも夜が明けるまで待って下さい。
 そしたら良い機会だから、ぞっとする事を習いに出掛けます。
 その技を覚えたら、自分で食って行く事も出来るでしょう。」

「好きな事を習うがいいや!
 …お前の事なぞ、もう知らん!
 そら、50ターラーやるから、これを持って彼方までも行っちまえ!
 言っとくが、外に出たらお前の生まれが何処で、父親は誰かという事は、人に話すんじゃないぞ!
 俺が恥掻いちまうからな!」

「解った、お父さんの言う通りにするよ。
 それぐらいなら、気を付けてられるだろうしね。」

そんな訳で夜が明けると、若者は貰った50ターラーの金を懐に入れて、大きな街道へ出て行きました。
そして道を歩いてる間中、引っ切り無しに独り言を呟いて居ました

「ぞっとしたいものだなあ。
 ぞっとしたいものだなあ。」

そこへ男が1人追い付いて来て、若者の呟きを耳に入れました。
暫く一緒に歩いて居た2人の前に、7人分の死体がぶら下がった絞首台が見えて来ました。
男がそこで、若者に言いました。

「御覧、あそこに木が在るだろ?
 あそこで7人の男が、綱屋の娘と結婚式を挙げたんだ。
 今は飛び方を習っている所さ。
 あの下に座って、夜になるまで待って居ろよ。
 そしたらきっと、ぞっとする事が習えるから。」

これを聞いた若者は、喜んで返事をしました。

「そんな簡単な手段で、ぞっとする事が習えるのかい!?
 もしも習えるのなら、俺の持っている50ターラーを、お礼にあんたにあげようじゃないか!
 だから明日の朝、俺の所へまた来てくれよ!」

若者は絞首台の所へ行くと、その下に腰を下ろして、日が暮れるのを待ちました。


真夜中になると冷たい風が吹き荒び、体が凍える程の寒さを感じました。
それで火を熾したのですが、当って居ても中々温まりませんでした。
上にぶら下がって居る男達が、風に吹かれてぶつかり合い、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして居ます。
それを見た若者は、火の傍に居る自分がこんなに寒いのだから、上に居る奴等はさぞかし寒かろう…それでじっとして居られないんだなと思いました。
若者は情け深い性質だったので、近くに架けて在った梯子を上ると、順番に綱を解き、7人共降ろしてやりました。
それから火を掻き立て、ぷうぷう吹くと、皆を火の周りに座らせ、体が温まるようにしてやります。
その内、火が男達の着ている物に燃え移りました。
それを見た若者は、男達に注意しました。

「気を付けろよ!
 さもないとまた上に吊るすぞ!」

所が死人達は耳を貸さず、黙って自分達のぼろ服を燃えるに任せています。
若者はその様に腹を立てて、叫びました。

「お前達が自分で気を付けないんなら、俺は手を貸してやらないぞ!
 お前達と一緒に焼け死ぬ気は無いからな!」

そしてまた、皆を順番に上へ吊るしました。
それから熾した火の傍に戻ると、気にも懸けず寝てしまいました。

次の朝、話を持掛けた男が、約束通り訪ねて来ました。

「どうだい、ぞっとするのはどういう事か、解ったろう?」

しかし若者は、口を尖らして、男に答えました。

「とんでもない、ちっとも解りゃしなかったよ!
 上にぶら下がってる奴等は、ちっとも口を利かないし、おまけに馬鹿で、着ているぼろが焼けても知らん顔だ!」

男はこれを聞くと、ほとほと呆れて、「こんな奴には、未だかつてお目に掛かった事が無い」と呟きつつ、立ち去りました。

若者もまた、何処を目指すでも無しに、道を歩き出しました。
そうしてまた、何時もの独り言を呟くのでした。

「ああ、ぞっとしたいものだなあ。
 ああ、ぞっとしたいものだなあ。」

若者の後ろに付いて歩いていた荷馬車引きが、呟きを耳にして、「あんたは誰だね?」と訪ねて来ました。

若者は「知らないよ」と素っ気無く返しました。

荷馬車引きがまた、「あんたは何処の生れだね?」と訪ねて来ました。

「知らないよ。」

「あんたの親父さんは誰だね?」

「それは言う訳にはいかないんだ。」

「あんたは何をしょっちゅう口の中でもぐもぐ言って居るんだね?」

その事なら喋れると、若者は答えました。

「俺はぞっとしたい、と思っているんだけど、教えてくれる人が誰も居ないんだ。」

これを聞くと荷馬車引きは、呆れて言いました。

「くだらない事を考えるのは止しな。
 なんなら俺と一緒に来いよ。
 泊る所を探してやろう。」

若者は荷馬車引きと一緒に行く事にしました。

日が暮れる頃、2人は1軒の宿屋に着きました。
皆が飲み食いして居る場へ入った時、若者はまた大声で言いました。

「ぞっとしたいものだなあ。
 ぞっとしたいものだなあ。」

それを聞いた宿屋の亭主は、笑いながら言いました。

「そんな望みなら、この国できっと叶えられるだろうよ!」

亭主の言葉を聞いて、側に居たおかみさんが、慌てて口を挟みます。

「お止しよ、お城の事を話すのは!
 向う見ずの連中が、もう何人も命を落としてるんだよ!
 …こんなに若くて綺麗な目をした人が、2度とお日様を拝めなくなったら、可哀想だろう!」

しかし若者は、引き止めるおかみさんに向い、きっぱりと答えました。

「どんなに難しくても、何とかそれを習いたいと思っているんです。
 その為に旅立ったのですから。」

そうして若者に煩くせがまれた亭主は、とうとう話を打明けました。


「此処からそう遠くない所に、魔法をかけられた城が在る。
 そこで3晩寝ずの番をすれば、ぞっとするのはどういう事か、きっと習えるだろう。
 王様は、それを遣り遂げた者に、自分の娘を妻として与えると約束している。
 その姫は、お日様が照らす世の中で、1番綺麗な人だと評判の方だ。
 城の中には沢山の宝が隠されていて、魔物達がそれを見張って居るらしい。
 その魔物をやっつけられれば、きっと大金持ちになれるだろうとの噂だ。
 とは言え、これまで大勢の人が城の中へ入って行ったけど、無事出て来れたのは、未だ1人も居ないのだとか…」


話を聞いた若者は、次の朝、城から出て仮住まいをしている王様の前に出ると、城中の番を引受ける事を申し出ました。
王様は命知らずな若者に対し、約束事を告げました。

「城に入る者には、3つの品物を持ち込む事を、許可しておる。
 命の無い物であれば、何なりと申し付けるがよい。」

そこで若者は、火とろくろの台と、刃物が付いた木工用の台を願い出ました。
王様は、日の有る内に残らずそれらを、城へ運ばせました。



後編に続】
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異界百物語 ―第49話―

2007年08月30日 22時14分31秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今年の宴も、遂に終りが見えて来たね。
始めの頃と比較すると…随分明りが減って、趣が増したじゃないか。
そろそろ何かが出て来ても、おかしくない雰囲気になって来たと…思わないかい?

とは言え、今夜お話しするのは、特に恐いものじゃない。
有名な物語なので、知っている人は多いだろう。



昔々在る所に王様が居ました。
王様には娘が12人も居て、何れ劣らぬ美人ばかりでした。
このお姫様達は、皆一緒に、1つの広間で寝ていました。
広間には12台のベッドが、ずらりと並んでおります。
そして夜、広間にお姫様達が入ると、王様は部屋の戸に鍵を掛け、閂を差すのが習いでした。

所が或る朝、王様が戸を開けて見ると、お姫様達の靴は散々踊った後の様に、ぼろぼろになっていました。
その理由を尋ねてみるも、お姫様達は頑として口を開きません。
城中の全ての人間に探らせても、秘密を突止める事は出来ませんでした。

心配になった王様は、「誰でもよい、娘達が夜中に何処で踊って来るのか突止めた者には、娘の1人を花嫁として選ばせ、自分の亡き後王位を譲ろう」というお触れを出しました。

但し「名乗り出ておいて、3日3晩経っても探り出せなかったら、命は無い」という、恐ろしい約束事も付け加えられました。

すると程無く、或る王様の息子が現れて、この冒険をやってみようと申し出ました。
王子は喜んで迎え入れられ、日が暮れると、お姫様達の寝室の隣の部屋へ案内されました。
そうしてお姫様達が何処へ出掛けて踊るのか、気を付けて居るように言い付けられたのです。
広間の戸は、お姫様達がこっそり何かをしたり、他所へ抜け出したり出来ない様に、1晩中開けっ放しにされていました。

所が夜も更けた頃――王様の息子の瞼は、まるで鉛の様に重くなり、ぐっすり眠ってしまいました。

明くる朝目を覚まして見ると、お姫様達は、やはり12人共踊りに行って来た事が判りました。
底に穴の開いた靴が、部屋に並んでいたからです。
2日目の晩も、3日目の晩も、同じでした。
可哀想に王子は、情け容赦無く、首を刎ねられてしまいました。

その後も大勢の人がやって来て、この危ない仕事に挑戦しましたが、結局皆命を落としてしまったのです。


さて或る日の事――怪我をして、もう勤めの出来なくなった貧しい兵隊が、偶々王様の住む都へやって来ました。

都を通る道の途中で、兵隊は1人のお婆さんに出会いました。
お婆さんは彼に向い、何処へ行く積りかと、尋ねて来ました。

兵隊は「自分でもよく解らないんだ」と物憂げに答えた後、ふと冗談の積りで付け加えました。

「実は…例のお姫様達が、靴が破れるまで何処で踊って来るのか、そいつを突止めて王様にでもなってやろうかな…なんて考えてたりするんだがね。」

それを聞いたお婆さんは、事も無げに言いました。

「そんな事は大して難しい事じゃないさ。
 夜、ワインを持って来られても決して呑まず、ぐっすり眠ったフリをしてれば良いんだ。」

それからお婆さんは、小さなマントを取出し、兵隊に渡しました。

「これを羽織ると、姿が見えなくなるからね。
 お姫様達の後を、こっそりつけて行く事が出来るよ。」

良い知恵を授けられた兵隊は、本気でその仕事をやってみる気になり、心を決めて王様の前へ出て行くと、お姫様を戴きたいと申し込みました。
すると今迄申し込んだ人達と同様に、王室の人間と変り無く、手厚くもてなされました。

日が暮れて寝る時刻になると、兵隊は控えの間へ案内されました。
寝床に入ろうとした時、1番上のお姫様がワインを1杯持って来ました。
しかし兵隊は、顎の下に括り付けておいたスポンジに、こっそり滲み込ませ、1滴も呑まずにおきました。
それから横になり、暫くじっとして居ましたが、やがてぐっすり寝込んだ様に、大鼾を掻き始めたのです。
これを聞いた12人のお姫様達は、笑い出しました。

「こんな事に手を出さなければ、この人も命を長らえられたのにね」と、1番上の娘が憐れむ様に言いました。

兵隊が眠った事を確認すると、お姫様達は起き出して、衣装箪笥や大箱・小箱を開け、煌びやかなドレスを纏いました。
そして鏡の前でお化粧し、そわそわと待ち切れない様に、広間を跳ね回りました。
ただ、1番末のお姫様だけは、不安げに顔を曇らせ、ぼそぼそと呟きました。

「どうしてかしら?
 …何だか胸騒ぎがするの。
 誰かにこっそり見られている様な…。」

これを聞いた1番上のお姫様は、笑って言いました。

「本当に貴女は臆病ねえ。
 何時もそうやって、びくびくしてばかり。
 こっそり見られて居るだなんて…まさかあの男が実は起きているとでも?
 そんな心配無用ですよ!
 あんなに煩く鼾を掻いて…起きる気配など、毛筋も見えないわ!
 今迄大勢やって来たけど、誰1人謎を解けなかった。
 …あの男なんて、眠り薬を盛る必要すら無かったかも!」

仕度を終えたお姫様達は、用心の為、再び隣室で眠る兵隊の様子を窺ってみました。
しかし兵隊は目を瞑って身動き1つしなかったので、これなら大丈夫と安心し、顔を見合わせ、にっこり笑いました。

1番上のお姫様が、自分のベッドをとんとん叩きます。
するとベッドは忽ち床の下へ沈んで行き、後にはポッカリと穴が開いていました。
穴から地下には、階段が続いています。
お姫様達は上から順々にその穴を潜ると、衣擦れの音を響かせ地下階段を下りて行きました。

この有様をこっそり部屋の外から覗いていた兵隊は、直ぐさま貰った小さなマントを羽織りました。
すると途端に兵隊の姿は透明に変り、見えなくなってしまったのです。

大急ぎで末のお姫様の後ろに従いましたが、慌てていた為、階段途中でうっかりドレスの裾を踏んでしまいました。
末のお姫様が、びっくりして叫びます。

「あ!誰かが後ろから、私のドレスを掴んだわ!」

しかし1番上のお姫様は、怯える末のお姫様を窘めます。

「馬鹿な事を言うのはお止め。
 大方釘にでも引っ掛けたんでしょう。」

階段を下り切り、着いた底には、素晴しく綺麗な並木道が続いていました。
木の幹も枝も葉も全て銀で出来ていて、闇夜にきらきらぴかぴか光っています。

兵隊は、「1つ証拠の品を持って帰るとしよう」と考え、小枝を1本折りました。

すると木が――ポキーン!!と、大きな音を立てました。

「あら!?何、今の音!?」

末のお姫様が慄いて叫びます。

「あれはお祝いに撃つ大砲の音よ!
 きっと王子様達が、私達が来るのを歓迎して、撃たせているのでしょう!」

1番上のお姫様は、末のお姫様の心配を気にも懸けず、笑って答えました。

何時しか並木は、金色に変っていました。
幹も枝も葉も全て見事な金で出来ていて、まるで真昼の如くきらきらぴかぴか光り輝いています。
兵隊は此処でも小枝を1本折りました。

また木が――ポキーン!!と、大きな音を立てます。

「あ!また音がしたわ!!」

末のお姫様が再び怯えて叫びます。

「ですから、あれは、お城で撃ってる祝砲です!
 私達の到着を、王子様達は今か今かと待ち侘びていらっしゃるのですよ!」

しかし1番上のお姫様は、やはり気に懸けようと致しません。

並木は終いに、幹も枝も葉も全て、ダイヤモンドに変っていました。
あまりの眩さに、目が眩んでしまいそうです。
兵隊は此処でも小枝を1本折りました。

三度木が――ポキーン!!と、大きな音を立てます。

「ああ!また鳴ったわ! 
 …幾ら何でもおかしいわよ。
 祝砲を何度も撃つなんて…。」

末のお姫様はすっかり縮み上がってしまいました。

「いいえ、ちっともおかしくは感じませんよ!
 きっと私達が、もう直ぐ王子様達の魔法を解いてあげられるから…。
 喜ばれて、何時もよりも多く、撃っているのでしょう!」

しかし1番上のお姫様は、断固祝砲だと言い張りました。

並木が切れた頃、大きな湖が目の前に現れました。
湖には小舟が12艘浮んでい、美しい王子が1人づつ座って居ました。
お姫様達が湖岸に到着すると、王子達は微笑みながら小舟を近付けました。
そして、それぞれお姫様を1人づつ舟に乗せて行くのを見た兵隊は、末のお姫様と一緒に乗り込む事にしました。

「どうしたんだろう?
 今夜は舟が何時もより重い気がする。
 有りったけの力を出して漕がないと、前に進まないぞ。」

末のお姫様を乗せた王子が、首を捻って不思議がります。

「きっと、この陽気のせいだわ。
 私も何時もより疲れている気がするもの…。」

末のお姫様は、汗をハンカチで拭いながら、王子に答えました。

湖の向うには、皓々と明りの点いた、美しいお城が建っていました。
お城からは、太鼓やラッパが奏でる楽しい音楽が、始終鳴り響いて聞えます。
王子達は舟を漕いで向う岸へ着けると、お姫様達をエスコートして、お城に入って行きました。

そして王子達は、それぞれ自分の好きなお姫様と踊りました。
兵隊も一緒になって踊りましたが、その姿は勿論誰にも見えませんでした。
お姫様の1人がワイングラスを手に取ると、兵隊が直ぐに呑干してしまうので、グラスを口へ運んだ時には空になっていました。
その度に末のお姫様が恐がって騒ぎましたが、その度に1番上のお姫様が叱って黙らせました。

お姫様達は、此処で明け方の3時まで踊りました。
その頃には、靴はすっかり履き潰れてい、お姫様達は仕方なく踊りを止める事にしました。

王子達は、また湖を小舟で渡って、お姫様達を送り返しました。
兵隊は今度は前に出て、1番上のお姫様の舟に乗り込みました。
岸に着くとお姫様達は、それぞれ好きな王子に別れを告げて、明日の晩もまた来る事を約束しました。

並木を抜け、階段の所までやって来ると、兵隊は皆より先に駆け上り、自分のベッドに潜り込みました。
そして、12人のお姫様達がくたびれてのろのろと上って来た時には、大鼾を掻いて本当に眠ってしまいました。
それを目にしたお姫様達は、再び顔を見合わせ、くすくすと笑いました。

「どうやらこの男も心配無いようね。」
「明後日には命を落す事になるのに、呑気なものだわ。」
「可哀想に…。」

それから、美しいドレスを脱いで片付け、踊ってぼろぼろになった靴をベッドの下に置くと、横になりました。

次の朝、兵隊は未だ何も言いませんでした。

そして、この奇妙な振舞いをもっと観察してやろうと思い、2日目の晩も3日目の晩も、お姫様達について行きました。
すると何もかも最初の晩とすっかり同じで、お姫様達はその都度、靴がぼろぼろになるまで踊り続けて居ました。

3日目の晩に、兵隊は水晶で拵えられた美しいグラスを1つ、証拠の品として持って帰りました。


いよいよ王様に答えなければならない日が来ると、兵隊はあの3本の小枝とグラスを持って、王様の前に出て行きました。

王様が、「私の12人の娘達は、夜中に一体何処で、靴が破れるまで踊って居るのか?」と尋ねると、兵隊は、「12人の王子達を相手に、地下の城で」と答えて、これまで目にした成り行きをすっかり話し、証拠の品々を取出しました。

話を聞いて驚いた王様は、直ちに娘達を呼ぶよう、申し渡しました。
すると、こっそり物陰に隠れて、兵隊の話に聞き耳を立てて居た12人のお姫様達が、蒼い顔して前に出ました。
王様は娘達に、今兵隊の話した事は本当か、と尋ねました。
秘密がすっかりバレてしまったお姫様達は、諦めて全て白状しました。
それを聞き、王様は直ぐに広間に在る娘達のベッドを叩いたり、床の下を調べさせたりしましたが、地下へと続く階段は一向に現れませんでした。

「お前達は魔物に騙されていたのだ。
 ……危うい所だった。」

王様は兵隊に心から感謝を述べると、どの娘を妻に欲しいか尋ねました。

すると兵隊は、「私はもう若くありません。ですから、1番上の方を戴きたい」と答えました。

そこで、その日の内に結婚式が挙げられ、王様は、自分の亡き後は兵隊に国を譲る、と約束しました。


所であの王子達は、12人のお姫様と踊った夜の分だけ、魔法にかかっている日が延びる事になりました。



…とこの様な、不思議な物語である。
考え様によっては恐い…王子達の正体は一切明かされず、その後どうなったのか、魔法が解けたらどうなるか等の説明が、全く書かれていないのだから。
異界の表現が、誠に妖しく美しい。
ダイヤの並木は少々余計に思えるが(そもそもダイヤの枝では、流石に易々とは折れないだろうと思うのだが…)、金と銀の並木を通って行く場面は、想像するだに幻想的。

それにしても「自分はもう若くないから、1番上を貰いたい」と言うのは、かなり失礼な言い分じゃないだろうか。
自分達の秘密を探れず首を斬られる男達を、平気で見て居られる姫様を嫁にして、その後兵隊は果たして安楽に暮せたものか…色々気になる点が多い話である。


今回微妙に怪談から外れたが、話はこれにてお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それでは帰り道、異界に迷い込まないよう、くれぐれも気を付けて。
後ろは絶対に振り返らないように…。
夜に、鏡を覗いたりしないように…。

では御機嫌よう。
今年最後の晩を、楽しみにしているよ…。



『完訳グリム童話集6巻(ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 作、野村泫 訳、ちくま文庫 刊)』より。
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異界百物語 ―第48話―

2007年08月29日 20時43分43秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今夜も来てくれて有難う。
そちらは皆勤賞ものかい?
嬉しいねえ…ラジオ体操の様に、最終日には何か景品でもプレゼントしたいくらいだよ。

さて、今夜から最終日までは、あの『グリム童話』の内から、紹介したいと思う。



残酷な話が多いと世に有名な『グリム童話』だが、これは去年或る晩に語った通り、主に兄ヤーコプ・グリムが、「子供には有るがまま伝えるべき」との主張貫いての為だ。
そもそも『グリム童話』は、原題『Kinder und Hausmärchen(キンダー・ウント・ハオスメルヒェン)』の通り訳すなら、「子供達と家庭の童話」……「ドイツの家庭で、大人から子供へ伝えて行きたい話」との意味を篭めて、グリム兄弟は蒐集・執筆したのだろうと考えられている。
ただ「子供向きの話」と言う意味では無いのだ。

とは言えやはり世論に抗い切れなかったか…兄弟が生前中、グリム童話は第7版まで発行されているが、版を重ねる毎に弟ヴィルヘルムが中心となって、大きく改訂されている。
結果、後の版になればなる程、創作が入れられ、物語として面白いものになっているのだが、元来伝承されてた話からは遠ざかってしまったという批判が無きにしも非ず。
もっとも不思議と、残酷な話は削られていない。
削られている殆どは、子供が主役の話中での残酷描写・性描写だろう。
去年紹介した『子どもたちがごっこをした話』等は、初版以降、姿を消している。
童話が広く世に出た事で、ヴィルヘルムは子供の目を意識して、収録を控えたのかもしれない。

前置きが長くて済まない。
今夜は初版から第7版まで不思議と削られず、妙にリアルな描写が恐い、残酷話を紹介しよう。



昔々在る所に粉屋が居ました。
この人には綺麗な娘が1人在りました。

その娘が年頃になると、粉屋は娘が良い結婚をして大事にされる事を望み、「ちゃんとした人が結婚を申込みに来たら、娘をやる事にしよう」と考えました。

程無く結婚したいと言う人が来て、その人はとても金持ちらしく見えました。
粉屋は、何処にも文句を付ける所が無かったので、その人に娘をやると約束しました。
所が娘は、その男がどうも好きになれませんでした。
何度顔を合せて話をしても親しみが持てず、男の事を思うだけでも、心がぞっとするのです。

或る時、男が娘に言いました。

「あんたは私の許嫁になったのに、1度も私の所へ訪ねて来ないね。」

娘は、「だって私、貴方の家が何処に在るのか知らないんですもの」と、言い訳しました。

すると花婿は言いました。

「私の家は、町の外れの暗い森の中に在るよ。」

娘はどうしても男の家に行きたくなかったので、「行く道が解らないもの」と、やんわり断りました。

しかし花婿は、娘の言い逃れを許さず、押し切る様に言いました。

「次の日曜日に、町を出て私の所へ来ておくれ。
 友人達にあんたを紹介したいと思う。
 森を通る道が解る様に、灰を撒いておいてあげるからね。」


そして約束の日曜日が来ました。

娘は自分でも訳が解らない程、不安で堪りません。
ですが約束をした以上仕方ないと諦め、出掛ける事にしました。
出掛ける前に用心の為、娘は2つのポケットに、えんどう豆とれんず豆を、いっぱい詰込みました。

森の入口に着くと、灰が撒いてあるのが目に付きました。
娘はその灰を辿りつつ、1足歩く毎に右へ左へ、豆を2、3粒落として行きました。

丸1日近く歩き、漸く森の真ん中へやって来ると、真っ暗い中に家が1軒、ぽつんと建っているのが見えました。

酷く陰気で気味悪そうで…娘は近付くのも嫌に思えました。

それでも勇気を出して家を訪ねると、中には誰も居らず、しんと静まり返っています。

すると突然、けたたましい声がかかりました。


「お帰り、お帰り、若い花嫁さん
 あんたは人殺しの家へ来たんだよ」


驚いて娘が上を向くと、壁に鳥篭が掛かっていて、中には鳥が1羽居ました。

声はどうやら、その鳥が出したようでした。
鳥はもう1度、同じ様に叫びます。


「お帰り、お帰り、若い花嫁さん
 あんたは人殺しの家へ来たんだよ」


薄気味悪く鳴く鳥を後にして、美しい花嫁は部屋から部屋へと、家中隈無く歩き回りました。

何処もかしこもがらんとしていて、人っ子1人見当たりません。

終いに娘は、地下室へも下りてみました。

するとそこには、酷く年取った女が1人、頭をがくがく揺らして立っていました。

娘はお婆さんに向い、尋ねました。

「ねえ、教えて下さらない?
 私の許婚は、此処に住んでいるのかしら?」

尋ねられたお婆さんは、こう返事しました。

「ああ、可哀想に…あんたはとんだ所へ来ちまったね。
 あんたは自分が花嫁で、直に結婚式を挙げると思っているかもしれないけど、あんたは死神と結婚式を挙げる事になるだろうよ。
 此処は人殺しで人食いの巣窟なんだ。
 見ての通り、私は水を入れた大きな鍋を火にかけている。
 そう言い付けられてるんだ。
 奴等あんたを捕まえたら、情け容赦も無く切り刻んで、煮て食っちまうだろうよ。
 助かりたかったら私の言う通りにしな。
 でなきゃ、あんたはお終いだよ。」

そう言うとお婆さんは、娘を人の目に付かない、大きな樽の後ろへ連れて行きました。

「そこで子鼠みたいに、大人しくしといで! 
 ちょっとでも動いちゃいけないよ!
 動いたら、あんたの命は本当にお終いになっちまうからね!
 夜になるまで待って……強盗達が眠った隙に、2人で一緒に逃出そう。
 実を言うと、私はずっと前から、そのチャンスを待っていたのさ。」

お婆さんの言葉が終るか終らない内に、罰当たりな連中が別の娘を引き摺って帰って来ました。
泣き叫ぶ娘に、強盗共は無理矢理ワインをなみなみ3杯呑ませます。
1杯目は白いワイン、2杯目は赤いワイン、3杯目は黄色いワイン。
呑まされた娘は、心臓が破裂して、死んでしまいました。
それから連中は娘の素晴しい服を剥ぎ取り、テーブルの上に寝かせると、美しい体を細かに切り、塩を振掛けました。

樽の後ろから、この光景を見ていた花嫁の体は、可哀想にがたがたと震えました。
強盗共が自分をどういう目に遭わせようとしているのか、よく解ったからです。

殺された娘の薬指には、金の指輪が嵌められていました。
連中の中で、それに気付いた男が、外そうとします。
しかし直ぐに抜き取れなかったので、男は手斧を取って、指を切り落しました。
所が指は高く跳ねて樽の向うまで飛び、丁度花嫁の膝の上に落ちました。
男は灯りを取って、指を探し出そうとしましたが、中々見付りませんでした。

すると別の1人が、「あの大きな樽の後ろ側に落ちたんじゃないか?」と言いました。

それを聞き、樽の陰に隠れている花嫁の震えが、益々酷くなります。

「こっちへ来て、御飯を食べな!
 探すのは明日にしたらどうだい!
 指は逃げ出しゃしないよ!」

探されては大変と、お婆さんが怒鳴って引き止めます。

すると強盗共は、「婆さんの言う通りだ」と言って探すのを止め、御飯にしました。

間も無く連中は、鼾を掻いて、地下室に寝転びました。
お婆さんが予め、連中のワインに眠り薬を垂らし込んでおいたからです。

花嫁は鼾の音を聞くと、樽の後ろからこっそり出て来ました。
ずらりと床に寝転がっている連中の上を、おっかなびっくり忍び足で越えて行きます。
無事に通り抜けた娘は、お婆さんを連れて1階の玄関を出ると、急いで人殺しの巣窟から逃出しました。

道に撒いてあった灰は風に吹き飛ばされていましたが、来た時蒔いたえんどう豆とれんず豆が芽を出し伸びていて、月明かりの中、道を教えてくれました。

2人は夜通し歩いて、明け方に漸く水車小屋に辿り着く事が出来ました。
家に着いた娘は、父親に遭った事を何もかも話しました。


結婚式当日――粉屋は、自分の親戚と知り合いを、全部呼んでおきました。

そこへ、花婿が姿を現しました。

皆が席に着いた所で、1人づつ何か話をするように求められました。
でも花嫁はじっと座ったきりで、何も話そうとしません。
そこで花婿が、花嫁に向って言いました。

「どうだね、何も思い付かないのかい?
 あんたも何か聞かせておくれよ。」

花嫁は、花婿の言葉に応えて、話し始めました。

「それじゃあ、私が見た夢の話をしましょう。
 私は1人で森を通って行きました。
 すると、終いに1軒の家に着きました。
 中には人っ子1人居ませんでしたが、壁に鳥篭がかかっていて、その中に居る鳥が2度、こう叫びました。
 
 『お帰り、お帰り、若い花嫁さん
  あんたは人殺しの家へ来たんだよ』

 ――ねえ貴方、これはただの夢よ。

 さて、私は部屋という部屋をすっかり歩きましたが、何処もかしこもがらんとしていて、気味が悪いったらありません。
 終いに地下室へ下りてみました。
 するとそこには酷く年を取って、頭をがくがくさせたお婆さんが居ました。
 私はその人に『私の許婚はこの家に住んでいるの?』と尋ねました。
 するとその人は、『ああ、可哀想に…あんたは人殺しの巣窟に来てしまったんだよ。あんたの花婿は此処に住んでいるけど、あんたを殺して、切り刻んで、煮て食う積りなんだよ』と答えました。

 ――ねえ貴方、これはただの夢よ。

 でもお婆さんは、私を大きな樽の後ろに匿ってくれました。
 私がそこに隠れた途端、強盗共が帰って来ました。
 連中は娘を1人引き摺って来て、その娘に白・赤・黄色と、3種類のワインを呑ませました。
 それを呑んだ娘は死んでしまいました。
 
 ――ねえ貴方、これはただの夢よ。

 それから連中は娘の服を脱がせ、テーブルの上に載せると、細かく切り、塩を振掛けました。

 ――ねえ貴方、これはただの夢よ。

 すると強盗の中の1人が、薬指に指輪が嵌っている事に気が付き、外そうとしました。
 だけど中々抜けないものだから、その男は手斧を取って、指を切落としました。
 所が指は高く跳ねて、大きな樽の後ろへ飛び、私の膝の上に落ちました。

 ――ほら、これがその指よ、指輪が嵌っているでしょ。」

話し終えた花嫁は指を取り出し、居合せる人達に見せました。
婿の強盗は、話を聞いている内に真っ蒼になり、飛上って逃出そうとしました。
客達は皆でその男を取押えると、裁判所に引渡しました。


婿の強盗とその一味の者は、働いた悪事を裁かれ、1人残らず死刑になりました。



…同型の話として、『フィッチャーの鳥』と『青ひげ』が在る。
この内『青ひげ』のみ、最終版には収録されていない。

結末等、童話にしては妙に現実的に思える。
恐らくは実際に有った出来事を元にして、語り伝えられていたのではなかろうか。
どんなに残酷な物語でも、現実の残酷さは超えられない。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

では恐ろしい鬼に出くわさないよう、早く帰るといいだろう。
くれぐれも背後を振り返らないように、注意してくれ給え。
深夜、鏡を覗いてもいけないよ。

御機嫌よう。
次の晩を、楽しみにしているよ…。



『完訳グリム童話集2巻(ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 作、野村泫 訳、ちくま文庫 刊)』より。
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異界百物語 ―第47話―

2007年08月28日 19時36分19秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
学生さんの多くは、そろそろ夏休みが終るけど、もう宿題は済ませたかい?
9月からスパートをかける積りの、かつての自分の様な人も居るだろうが…より清々しく2学期を迎えられるよう、今の内に頑張られる事をお勧めしたいね。

さて、今夜の話も、妖精についてだ。

とは言え…今迄の妖精譚を聞いていて、思っていたイメージと随分違うと驚かれた人も居るに違いない。
本来向うで言う妖精とは、日本で言う所の『妖怪』に近い。
蝶の様に羽の生えた美しい小人の姿をしていると云うのは、後年シェークスピアの作品等に影響を受けて広がったイメージだ。

妖精の起源は、キリスト教伝来時に異端とされ、堕とされた土地神だとの説が有る。
更に、その土地で亡くなった死者の霊だとの説も有る。


日本には『ザシキワラシ』と呼ばれる、屋敷を守る妖怪が居るが、西洋にも同様の妖精が居る。

ドイツでは屋敷に憑く妖精を『コーボルト』と呼ぶ。
この精はあらゆる家事を片付けてくれる。
厩で水を運んだり、馬の背を擦ったり、家畜の糞尿を片付けたり。
薪を割ったり、麦酒を汲んで来たり、その他何でもやってのける。
家精が憑いて居る家では家畜が増え、諸事万端目出度く運ぶ。

コーボルトは、家に居付こうとする時、必ずその前に試験をする。
夜間に鋸屑を、その家の中へ掃き入れたり、牛乳の壺に様々な家畜の糞を投げ入れたりする。
そうされた時は、家主が良く注意して、鋸屑が散らばらない様にし、糞が入ったままの乳壺から家族皆が飲む様にすると、コーボルトはその家に居付く事を決め、家の住人が1人でも存命して居る限り、そこを離れない。

料理番の女がコーボルトの助けを借りる為には、毎日決った時刻に、家の中の決った場所へ、美味しい料理を盛った皿を置き、直ちにその場を去らねばならない。
この約束を実行し続ける限り、女は怠けて居られ、夜は早く床に就ける。
朝起きると、女の為すべき仕事は、きちんと済まされているからだ。
もし彼等に食事を宛がうのを1度でも忘れたら、以後は再び自分だけで仕事を片付けねばならなくなる。
それ所か、途端に手が不器用になって、熱湯に突っ込んで火傷をしたり、皿や鉢を割ったり、料理を零したりといった事が度重なり、挙句の果ては主人に油を絞られる破目になるだろう。
そんな光景をコーボルトは大層愉快がり、くすくす笑いを何処からともなく漏らして聞かせるのだとか。

女中が入替わっても、コーボルトはずっと居続ける。
だから出て行く女中は、新入りにコーボルトの面倒を良く見るように、伝えておかなければならない。
もし新入りが嫌がったり怠けたりしたら、入った家では何をしても上手く行かず、結局直ぐに出て行く事になるだろう。

逆に、仕事をてきぱきと片付ける女中を見ると、周囲は「あの娘には、コーボルトが憑いている」と言ったりした。

コーボルトの大きさは人間の子供並で、派手な色模様の上着を着ていると伝えられている。
そういった形から、『クルト・ムーゲン』、『ハインツヘン』等…即ち『小僧さん』とも呼ばれている。
更に或る人が言うには、殺された時に使われた凶器を付けたままの、世にも恐ろしい格好をした物も居るとか。
その人の考えでは、コーボルトとは昔、「その家で殺された人間の霊魂」だという事らしい。



…説明が長くて済まないが…こっからがメイン話だ。


或る屋敷での事――


1人の女中がコーボルトと仲良くなり、その姿を見たくて堪らなくなって、「どうか姿を見せて欲しい」と、しつこく頼んだ。

コーボルトは遂に折れて、或る日「何処そこへ来れば姿をお見せしよう。…ただ冷や水をバケツ1杯持って来る事を、くれぐれも忘れぬように」と答えた。


言われた通りにして女中が行って見ると――コーボルトは床に敷いた座布団の上に裸で伏していて、背中には大きな肉切り包丁が突き立っていた。


これを見た女中は、驚愕と恐怖のあまり、泡を食って倒れてしまった。

コーボルトは女中が気を失うと直ぐに飛び起きて、バケツに用意された冷水を彼女の顔に浴びせ掛けて、意識を覚まさせた。


――以来、この女中は、2度とコーボルトの姿を見たいとは、言わなくなったそうだ。



…この話は『グリム童話』の作者、ヤーコプ・グリムとヴィルヘルム・グリムが著した、『グリム・ドイツ伝説集』の中に載っていたものだ。
グリム兄弟はドイツに残る伝説を、約10年かけて蒐集し、本にして纏めた。
童話と違い、有りの侭伝えようと言うコンセプトなので、起承転結に欠けるものばかりだが、後年創作の素材に使われたと思しき説話が、かなり多く収録されている。

それにしても…もしコーボルトの正体が、家で殺された者の霊魂だとしたら…昔ドイツのお屋敷では、人殺しがポピュラーだったと考えられやしないかと…そっちの方が恐い話だ。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。
夜道の途中で後ろは振返らないように。
深夜に鏡を覗いてもいけないよ。

そうそう、今丁度フジで怪奇番組をやっているね。
最近は芸能人お祓い云々等余計な企画が多いが…再現フィルムに毎回1本位は恐い物が有り、自分は気に入っているのだよ。
オカルト好きな人には観賞を勧めたいね。

では御機嫌よう。
また次の晩を楽しみにしているよ…。



『グリム・ドイツ伝説集(ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 著、桜沢正勝、鍛冶哲郎 訳、人文書院 刊)』より。
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異界百物語 ―第46話―

2007年08月27日 19時55分50秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

おや…肩に蛾が1匹、止まっているよ。
今夜の連れは、そいつかい?

はは…そう嫌わなくてもいいじゃないか。
貴殿は虫が苦手な性質のようだね。
じゃあ今夜は、小さな白い蛾の姿をした、妖精の話をしよう。

…意地が悪い?

そう言わずに…昔から蛾や蝶や鳥は精霊の化身、死んだ者の魂に譬えられているんだ。
貴殿だって、死んだら蛾の姿に変り、この世を彷徨う事になるかもしれんよ。



スコットランドでは、洗礼を受けずに死んだ赤子の霊は、浮ばれずに小さな白い蛾の姿で彷徨うと言伝えられている。


昔、ウィッテンハムと言う村で、親から望まれずに生れてしまった為、母親がこれを殺し、墓地近くの木の根元に埋めた所、夜な夜な赤ん坊の霊が出現するようになった。
霊は白い蛾の姿で、墓地や自分が埋められた木の周りを、泣きながら彷徨った。


「悲しいな、悲しいな
 僕には名前が無い
 悲しいな、悲しいな」


洗礼も受けず、生れて直ぐ殺された赤子の魂は、頻りに訴える。
ひらひらと飛び回るその白い羽は、暗闇の中で薄ぼんやりと光って見えた。

村人は皆恐ろしがり、近寄ろうとする者は居なかった。
うっかり声をかけたら死ぬに違いないと噂し合ったのだ。


所が或る時、1人の酔っ払いが、泣声を聞いて墓地に近付いて行った。
恐がって誰も寄付かない場所も、酔っ払って気の強くなった男には、全く平気であった。

夜の闇に包まれた墓地には、1匹の蛾が妖しく白い羽を羽ばたかせ、すすり泣いて居る。


「悲しいな、悲しいな
 僕には名前が無い
 悲しいな、悲しいな」


夜毎繰り返していた泣声を耳にし、酔っ払いは陽気に声をかけた。

「よう、何を泣いてんだぁ!?
 『ウィッテンハムのショートホッガーズ』!!」


『ショートホッガーズ』とは、赤ん坊用に編む毛糸の靴の事で、この地では赤ん坊への愛称としても使われていた。


男にこう呼びかけられた小さな魂は、途端に喜んで言った。


「嬉しいな、嬉しいな
 名前を貰ったぞ!
 『ウィッテンハムのショートホッガーズ』だって!
 嬉しいな、嬉しいな」


この夜以来、泣声は聞かなくなった。

漸く天国に昇れたのであろう。



…日本流に言えば、『水子霊』と言った所だろうか。
浮ばれない魂は何処にでも居る。
貴殿の肩に止った蛾が、ひょっとしたらそうかもしれない。
彼等はとても人懐こいからね。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

では帰り道、気を付けて。
その蛾に送って貰うといい。
後ろは絶対に振返らないように。
深夜に鏡を覗かないように。

それでは御機嫌よう。
また次の晩を、楽しみにしているからね…。



『小学館入門百科シリーズ153――妖精百物語――(水木しげる著)』より。
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異界百物語 ―第45話―

2007年08月26日 20時18分08秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
8月最後の日曜日…貴殿は如何過されただろうか…。
行く夏を惜しみ、来る秋に焦がれ…今夜も語らせて貰おう、不可思議な物語。

昨夜同様、今夜も異界の者と出くわした男の話だ。
それも、より奇怪なね…。



スカンジナビア地方に伝わる話――


或る晩、ハンスと言う男が、或る小高い丘の側を通り掛った時…なんとその丘が浮いて見えた。

星明りの下、浮上がった丘は、赤く光る柱に支えられ、その下では沢山の妖精達が、陽気に躍り回っていた。

それを見たハンスは意識が朦朧とし、不思議な力に引張られる様に、ふらふらと妖精達の宴に近付いて行った。

すると彼の目の前に、1人の妖精の女が立った。

皓々と照る月にも勝る、光り輝く美しい乙女だった。

乙女はハンスに近付いて、彼の首に腕を回すと、にっこり微笑んでキスをした。


その晩から、ハンスの性格は、ガラリと変った。

恐ろしく乱暴になり、何を着せても、ズタズタに引裂いてしまう。

そこで周囲の人々は、ハンスが破く事が出来ないよう、靴の底に使う硬い革で、服を作って着せた。


以来、彼は『底革のハンス』と呼ばれるようになったと云う。



…短く、オチが無いのが、不気味に感じられて仕方ない。
何故、彼は乙女に魅入られたのか?
乙女はどんな目的から、彼をその様に変えたのか?
それから彼は、どうなってしまったのか?
全てが謎に包まれている…。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それでは帰り道、気を付けて。
魔物に魅入られないよう、寄り道せずに帰るといい。
背後は絶対に振返らないように。
夜に鏡を覗かないように。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。



『小学館入門百科シリーズ153――妖精百物語――(水木しげる著)』より。
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