聖徳太子研究の最前線

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厩戸での誕生はキリスト教の影響と見る説の背景(1):平塚徹「日本ではイエスが馬小屋で生まれたとされているのはなぜか」

2021年01月15日 | 論文・研究書紹介
 聖徳太子が厩戸のところで生まれたという伝承は、イエス・キリストが馬小屋で生まれたことと似ているとして、唐に入ってきていた景教(ネストリウス派のキリスト教)の影響だとする説があります。久米邦武が明治38年(1905)に『上宮太子実録』で説いたのが最初ですね。

 この問題については、聖徳太子は架空の存在とする大山誠一説なみに粗雑で間違いが多い田中英道氏の太子礼賛本について批判した記事で触れました(こちら)。その際、キリスト教影響説を否定するなら、平塚徹氏がネットで「イエスは馬小屋で生まれたのではない」と説いていることを証拠とした方が良いのではないかと読者が指摘してくれたのですが、その平塚氏のネット上の文章が詳細な論文となりました。

平塚徹「日本ではイエスが馬小屋で生まれたとされているのはなぜか」
(『京都産業大学論集:人文科学系列』51号、2018年3月、こちら

です。
 
 言語学者である平塚氏は古代以来の諸国語のキリスト教文献を検討し、西ヨーロッパではイエスが生まれたのは家畜小屋とするのが一般的であり、イエスの降誕を描いた絵画では牛とロバが描かれていることが多いと述べます。そして、新約聖書のうち、『ルカ福音書』では、どこで生まれたかは明示せず、宿屋には泊まる場所がなかったため、マリヤは「初めての子を布でくるんで飼い葉桶に寝かせた」とあるのみだとします。やや遅れる『偽マタイ福音書』では洞窟で生まれたとし(この伝承は、ギリシャ正教会に伝えられていく由)、マリアたちが洞窟を出て家畜小屋に入り、飼い葉桶にイエスを寝かせると、牛とロバが礼拝したとなっているそうです。

 これに対して戦国時代の日本のキリシタン書では、イエスが生まれたのは「厩」とすることが多い由。ただ、「厩(うまや)」の語は、当時は牛などの小屋についてもそう呼んでいたと氏は注意します。また、飼い葉桶にあたる言葉なかったためか、「食(は)み桶」のほかに「馬船(うまふね)」などの語を用いていた由。

 ところが、近代のキリスト教文献となると、イエスが「うまや」で生まれたことを「馬小屋」で生まれたと理解することが定着していったとし、その原因をいくつかあげて検討する際、「聖徳太子が厩の前で生まれたという貴種出生譚との連想が働いたことも考えられる」と述べます。久米が類似点を指摘したのは、「両者が連想されやすい状況にあったことを示している」というのが氏の見解です。 

 こうした検討の結果、イエスが「馬小屋」で生まれたという理解が近代になって定着した理由として、(1)聖徳太子の厩戸誕生伝承の影響、(2)家畜小屋を意味する英語の stableが次第に馬小屋を意味するようになったこと、(3)飼い葉桶に当たる適当な言葉がなく、「槽(うまぶね)」とか「馬槽(うまぶね)」などの語が訳語として用いられた、という3点をあげています。

 つまり、聖徳太子の厩戸誕生伝説はイエスが馬小屋で生まれたことの影響ではなく、逆に、イエスが馬小屋で生まれたという理解が広まったのは、聖徳太子の厩戸誕生伝説の影響であった可能性があるというのが氏の結論です。

 いや、面白いですね。キリシタンの宣教師たちは、日本人には釈尊の生まれたインドに対するあこがれがあることを利用し、インドの王の子であるジョザファットが人生の無常と苦を痛感し、バルラームという修行者に出会ってキリスト教徒となったものの、父王から迫害されたため、宮殿から抜けだしてバルラームと修行に励み、後には父王を改宗させたたとする話を日本語訳した『聖ばるらあんとじょざはつの御作業』を印刷して、日本人信者の教化に利用しましたが、これは釈尊の伝記が元だったのと似てますね。

 この話については、拙著『東アジア仏教史』(岩波新書、2019年)でも触れておきました。神話化された釈尊の伝記がイスラム圏に伝わって苦行者の話とされ、東ヨーロッパに伝わってキリスト教の修行者の話となり、さらにヨーロッパ全体に広まって大人気のヒーローとなる過程で、悟る前の釈尊を意味する「ボーディサットヴァ(菩提薩埵)」の俗語の形が、「ジョザファット(ヨサファット)」という名に変わったのです。

 カトリック教会は、ヨサファットを聖人(殉教者)として認定し、聖ヨサファットの日まで定めていましたが、19世紀半ばから西洋の仏教学が進展し、上記の事情が判明するに至って、その日は取り消されました。

 なお、景教の文献は僅かしか残ってませんが、前にブログで書いたように、私が見た唐代の漢文文献の断片(敦煌写本)では、「末艶(マリア)」は「涼風(聖霊)」によって妊娠して「移鼠(イエス)」を生んだとあるのみで、生まれた場所に関する記述はありませんでした。景教文献については、昨年、敦煌写本の影印版が刊行されましたので、いずれ詳しく書きます。こうした学問的な検証をせず、「厩戸誕生=景教の影響」の立場で珍説を書きまくっている人たちがいるのは困ったものです。
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