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いま時、道慈が『日本書紀』の聖徳太子関連記事を書いたとする時代遅れの概説:水口幹記「道慈」

2023年01月11日 | 論文・研究書紹介

 『人物で学ぶ日本古代史1 古墳・飛鳥時代』の次に出た『人物で学ぶ日本古代史2 奈良時代篇』(吉川弘文館、2022年)では、『日本書紀』編纂および「聖徳太子はいなかった」説がらみで言うと、藤原不比等、舎人親王、道慈、長屋王その他が取り上げられています。

 その中で見逃すことができないのが、

水口幹記「道慈ー奈良仏教の礎を築いた僧侶ー」

です。

 水口氏は、天文・陰陽の術や日中交渉を初めとして幅広い分野を研究されているものの、古代日本の仏教に関する論文はおそらく書いていないと思います。つまり、この「道慈」という項目は、専門でない分野の人物を担当させられているのであって、気の毒なのですが、このブログとしては聖徳太子に関する記述としては無視できないため、問題点を指摘させてもらいます。

 まず、道慈が滞在していた可能性が高い長安の西明寺について、空海・円載・円珍・真如などの日本僧が続々と訪れているため、日本との関係が深いとされています。これはその通りなのですが、西明寺は唐における仏教国際センターのような存在であり、インドや西域からやって来た僧はここに止まることが多く、また百済や新羅の僧侶などもここに滞在し、中国僧の講義を受けていました。

 問題は、道慈の業績の一つとして、帰国時に「最終段階を迎えていた『日本書紀』編纂への関与である」と断定し、「仏教関連だけでなく、聖徳太子関連記事にも及んでいるとされ」るとして、唐で学んだ最新知識を『日本書紀』編纂に存分に生かし、「日本の歴史」を紡いでいった人物だったともいえるのである」と論じています。

 参考文献では、曾根正人『道慈』(吉川弘文館、2022年)と吉田一彦「道慈の文章」(大山誠一編『聖徳太子の真実』、平凡社、2003年)だけがあげられています。吉田さんのこの論文は、『日本書紀』の聖徳太子関連記述は和習だらけであることを指摘した森博達氏の検討によって完全に否定されたものです。2022年にもなって、そうした時代遅れの説が紹介されているのは不思議です。

 最新の成果である曾根さんの『道慈』では、

最新の唐仏教を吸収して帰国したばかりの道慈は、執筆者として最適だったはずである。……個々の記事にどういう形で道慈が関与しているかは不明だが、その知識や見解はかなり反映されていると考えられる。(99頁)

と述べており、道慈の関与を説くものの、どの記事にどの程度関与したかは「不明」としています。『日本書紀』の仏教関連記事、とりわけ聖徳太子関連記事は和習だらけであって、t唐に16年も留学し、儀礼的ながら講経も担当したことがある道慈が直接執筆したとは考えられないとされたため、こうした言い方になっているのです。

 ただ、これでも言い過ぎであって、せめて「持ち帰った文献や唐の仏教に関する知見を提供した可能性がある」程度に留めるべきだったでしょう。その場合は、道慈の立場とは異なる記述となっている可能性がある、とすべきですね。

 戒律重視、唐代仏教尊重の道慈の立場から見て、『日本書紀』の仏教関連の記述は道慈が書いたものとは考えられないことは、直林不退氏がかなり前に論じており、このブログでも紹介しました(こちら)。

 あと注意すべき点は、曾根さんは道慈が『日本書紀』に関与したと見ているものの、藤原不比等と長屋王と道慈が理想的な天皇像としてでっちあげたとする大山流の虚構説にはまったく触れていないことですね。言及する価値無し、ということでしょう。

 いずれにしても、水口氏は、最新の成果であって道慈の『日本書紀』関与を認める曾根さんの本ですら、道慈がどの記事にどの程度関与したかは不明としている点に注意すべきでした。また、曾根さんも、文体面や直林氏の論文にもっと注意すべきでしたね。 

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