聖徳太子研究の最前線

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梅原猛の珍説(3):救世観音像は怨霊なので中がくりぬかれていて背も尻も無い

2021年01月08日 | 聖徳太子をめぐる珍説奇説
 梅原猛氏は、救世観音像の頭に太い釘を打ち付けてあると騒ぎ、聖徳太子の怨霊が活動しないようにするための呪詛の行為だという珍説を仰々しく述べていたのですが(こちら)、救世観音については、もう一点、写真や美術史の先行研究を確かめず、事実誤認に基づく珍説を大まじめに論じたてていました。その粗雑さを批判したのが、

町田甲一『大和古寺巡歴』「法隆寺:東院 夢殿」
(有信堂高文社、1976年)

です。

 梅原氏は、『隠された十字架』(新潮社、1972年)では、フェノロサ、和辻哲郎、亀井勝一郎、高村光太郎などが救世観音像から異様な印象を受けたことを強調した後、百済観音との違いについて、「救世観音の体は空洞であることである。つまりそれは、前面からは人間に見えるが、実は人間ではない。背や尻などが、この聖徳太子等身の像には欠如しているのである」(397頁)と述べます。

 そして、「いったい、世界の彫刻の中で、背後を中空にしておくという像が他にあろうか。……私は寡聞にしてそういう例を聞かない」と続け、これは「人間としての太子ではなく、怨霊としての太子を表現しようとしたからであろう」と推測します。

 そして、亀井が怨霊のごときもの、高村が化物じみたものを感じたのは「直感として正しかった」とし、「それは怨霊のごときものではなく、怨霊そのものであり、化物じみたものではなく、化物自身なのである」(同)と断定するのです。

 ところが、美術史家である町田氏は、こうした議論は、フェノロサが『東亜美術史綱』(有賀長雄訳、フェノロサ氏紀念会、1921年。原著は、Ernest Fenollosa, Epochs of Chinese and Japanese Arts,1912年)において、何重にも巻かれていた木綿の布をとりさった後の情景として、「此の驚嘆すべき世界無二の彫像は忽ち吾人の現前に現はれたり。像形は人体より少し大なるも背後は中空なり(原文は It was a little taller than life, but hollow at the back,……)」と述べていることに基づくと指摘します(179頁)。

 むろん、救世観音像は背も尻もなくて空洞になっているなどということはなく、背面もきちんと作られています。そんな木彫の仏像は古代の日本には存在しないのです。町田氏は、フェノロサの助手であった岡倉天心も簡単な記録を残しているものの、背後は中空などと書いていないと述べ、「梅原は、この像の実際の姿をみていないばかりでなく、背面を撮った写真すら見ていないのである」と批判し、「フェノロサはおそらく金堂釈迦三尊像の両脇侍とこの救世観音をうっかり混同してしまっているのであろう」と推測しています(183-184頁)。

 困りましたね。明らかな事実誤認を指摘したこうした批判についても、梅原氏は「多少調子にのって私がいいすぎた言葉じりをとらえて難じた」部分的な批判にすぎず、本質的な批判になっていないとみなしてきたのです。

 梅原氏は早い時期から天才を自認してきましたので、あるいは、引っ込みがつかなくなってとぼけているのではなく、自分の説は天才的すぎて頭の固い専門家には理解できないだけだと本気で思っていたのかもしれません。こうなると、学説というより、もう宗教ですね。

 本に誤りはつきものであって(私の本も同じです)、再版の際に訂正するとか、訂正表をはさむといった例は多いのですが、「直感」に導かれて書いた『隠された十字架』の場合、主要部分が事実に基づかないトンデモ説の連続ですので、それらを訂正しようとしたら絶版にするほかないでしょう。

 梅原猛珍説シリーズを続けると、こうした連載が50回くらい続くことになります。どうしましょうかね。先の記事で紹介した美術史の大橋一章氏が、『隠された十字架』は推理小説のように面白かったが、「読みながら、ここはおかしい、これは事実ではないと思ったページの下端を折っていくと、読み終わったとき本の上より下の方がはるかに厚くなって」おり、古代史や美術史の研究者に尋ねても、「いずれも梅原説に批判的な人ばかりで、支持する人は一人もいなかった」と書いておられる通りです(こちら)。

 ただ、呆れかえってしまって相手にせず、反論を書く研究者が少なかったことが、「私の説に対する本質的な反論はない」という開き直りを許す結果となってしまい、それを真に受けるファンを生み出してしまったのです。聖徳太子虚構説もそれに近いことになっています。諸説は様々あって良く、論争がなされて当然なのですが、それぞれの研究者が事実は事実として認め、自説の誤りを是正しつつ皆で研究を進展させていくほかありません。
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