聖徳太子研究の最前線

聖徳太子・法隆寺などに関する学界の最新の説や関連情報、私見を紹介します

「天寿国繍帳」の「彼の国の形、眼に看がたし」の句の典拠

2010年11月01日 | 聖徳太子・法隆寺研究の関連情報
 前回の記事では、法隆寺金堂の釈迦三尊像銘は、釈尊が天に昇って亡き母のために説法していた間、地上の弟子たちは釈尊の不在を歎き悲しみ、優填王は恋慕のあまり牛頭旃檀で釈尊の木像を作って礼拝供養したという仏像起源譚を意識し、その箇所の表現を用いていると書きました。

 そして、「天寿国繍帳」にも優填王像の話の影響が見られる可能性があると書いたのですが、「彼の国の形、眼に看がたし(彼国之形、眼所叵看)」がそれでしょう。天寿国については、基本は兜率天であって、それに極楽浄土や神仙世界や太子の伝記や仏伝などのイメージが重なっているように思いますが、極楽も兜率天も「目で見るのは難しい」などとは言われていません。逆に、浄土経典などは、阿弥陀仏や極楽の様子を観想するよう勧めているほどです。

 ところが、優填王に関する話、たとえば釈迦三尊像銘と同様に「愁毒を懐く(懐愁毒)」の句が見られる中国成立経典、『大方便仏報恩経』では、次のように説かれています。

論議品第五
爾時如来為母摩耶夫人并諸天衆、説法九十日。閻浮提中、亦九十日、不知如来所在。大目連神力第一、尽其神力、於十方推求、亦復不知。阿那律陀天眼第一、遍観十方三千大千世界、亦復不見。乃至五百大弟子、不見如來、心懐憂悩。優填大王恋慕如來、心懐愁毒。即以牛頭栴檀、摽像如来所有色身、礼事供養、如仏在時無有異也。(大正蔵3巻、136b24)

 すなわち、釈尊が天に昇り、亡き母、摩耶夫人と天人たちのために、90日にわたって説法している間、弟子たちは釈尊を捜しあてられず、「天眼第一」として知られる阿那律が全世界を千里眼の能力で眺めまわしても「見ず」、他の五百弟子も「如来を見ず」という状態であったため歎き悲しみ、優填大王は「心に愁毒を懐」いて、釈尊の「色身(かたちある姿)」そっくりの像を香木で作り、礼拝供養した、というのです。ここでは、「(天)眼」ですら「見えない」と明言されています。

 天寿国については、極楽浄土、兜率天、霊山浄土、漠然とした天の国、その他様々な説があって論争が続いていましたが、「眼に看がたし」の部分については、おそらくこれが典拠と見て間違いないでしょう。

 このことは何を意味するか。釈迦三尊像銘にしても、天寿国繍帳銘にしても、太子の母である間人皇后が非常に重視されており、その追善が強く願われているということですね。しかも、釈迦三尊像銘では、その二人とならんで干食王后(膳妃)に重点を置いて描いており、一方、天寿国繍帳銘では、橘大女郎が主役とされていて、前半の系譜では間人皇后と太子と橘大女郎の三人がいずれも欽明天皇と蘇我稲目の双方の血を引いていることが長々と説かれています(銘文全体の55%!)。つまり、いずれも太子だけをひたすら崇拝して書かれたものではないのです。
この記事についてブログを書く
« 法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘... | トップ | 藤原鎌足の人物像には聖徳太... »

聖徳太子・法隆寺研究の関連情報」カテゴリの最新記事