聖徳太子研究の最前線

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ベルギーのゲント大学開催のEAJS大会で近代の聖徳太子パネル

2023年06月03日 | 聖徳太子・法隆寺研究の関連情報

 昨年3月、近代の聖徳太子像に関するシンポジウムが開催され、私はコメンテーターを担当したことは、このブログでも紹介しました。発表者が全員、海外出身の研究者という面白いシンポジウムでした(こちら)。

 そのシンポジウムを主催した東北大学のオリオン・クラウタウさんが組織したパネルが、この8月にベルギーの古都、ゲント(ヘント)大学で開催されるEAJS、すなわち、ヨーロッパ日本学協会の2023年大会において開かれることになりました。

 

 一昨日、そのプログラムが確定して発表されました。ベルギー開催ですし、参加には事前の有料登録が必要ですので、「お近くにおいでの際はどうぞ」とは言えないのですが、興味深い内容となることでしょう。パネル名と内容は、以下の通りです(こちら)。

Phil_13:
A tradition of reinvention: Shōtoku Taishi in modern Japanese religious history   
Convenor: Orion Klautau (Tohoku University)

Discussant: Makoto Hayashi (Aichigakuin University) 

Kosei ISHII (Komazawa University):
Modern commentaries on the apocryphal "five constitutions" of prince Shōtoku  

Yulia Burenina (Osaka University):
Projecting modern ideals on the past: Nichirenist perspectives on Shōtoku Taishi

Orion Klautau (Tohoku University):
Harmonizing the Prince: Shōtoku Taishi’s constitution between the Taishō and early Shōwa years  

以上です。

 発表者のうち、クラウタウさんは近代日本仏教研究のリーダーの一人、ブレニナさんは近代日蓮宗研究の代表的な研究者の一人、林 淳さんは近世から近代の日本宗教史の第一人者です。

 私は、このブログで何回か触れた聖徳太子作とされる偽の『五憲法』が、近世から近代にかけていかに歓迎され、利用されたかについて、特に明治初期に「三条教則」が出された際の対応を中心にして話す予定です。

 なにしろ、「憲法十七条」 は「神」という言葉を一度も使っておらず、「忠」も「孝」も説いていないため、江戸時代の国学者や儒学者からは評判が悪かったのです。

 そこで、「憲法十七条」の「篤敬三宝」を改変して「篤敬三法」とし、「三法」とは「儒・仏・神なり」と断言する偽憲法がでっちあげられたのですね。

 五憲法では、通常の「憲法十七条」をそのように改変した「通蒙憲法」のほか、為政者向けの「政家憲法」、神職向けの「神職憲法」、儒者向けの「儒士憲法」、僧尼向けの「釈氏憲法」が作られ、中国の儒教・仏教・道教の三教一致説にならった儒教・仏教・神道の三教一致が説かれていました。

 このため、明治期に神道重視の政策がとられると、大人気となったのです(こちら)。その影響は今日まで続いており、かの「お客様は神様です」の三波春夫が解説本を出しているほどです(こちら)。

 問題は、この『五憲法』を含む偽文書群たる『先代旧事本紀大成経』72巻は、吉田神道を受け継ぎ(こちら)、「憲法十七条」の根本は日本の神の教えであって、その日本の神の教えがインドで仏教となり、中国で儒教となったのだ、世界最古の文明は日本なのだと説いていたことです。

 某田中英道氏の妄想と同じ図式ですね(こちら)。田中氏に限らず、自国の文化が世界最古・最良と誇る人たち、あるいは、近代文明のきっかけを作ったのは自分の国だなどと誇る人たちは、いろいろな国にいますが、パターンは見事に同じですね。

 ただ、この『五憲法』は偽作として発禁になったものの、江戸期の時代思潮と合う部分があったため、忍澂や面山といった著名な学僧のほか、安藤昌益や山崎闇斎なども利用しています。自分の説に都合が良いと、どうしても文献批判が甘くなるのですね。 

 『五憲法』については、江戸から明治の版本は、1点を除けばすべて入手できましたので、文献的な発表ができるでしょう。これだけ版本を集めることができたということは、いかにたくさん印刷されて出回っていたか、ということですね。

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