聖徳太子研究の最前線

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四天王寺の至宝を中心にしたサントリー美術館の聖徳太子展は壮観

2021年12月24日 | 聖徳太子・法隆寺研究の関連情報
 一昨日、四天王寺間近の大阪市立美術館に長らく務めていた石川知彦氏が監修し、和宗総本山 四天王寺の編で刊行された『聖徳太子と四天王寺』の紹介記事を公開しましたが、これと内容がかなり重なる特別展が開催中であることを紹介し忘れていました。

和宗総本山四天王寺・サントリー美術館・日本経済新聞社主催:
 千四百年御遠忌特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」
(サントリー美術館:11月17日~1月10日、事前予約不要。こちら

です。秋に、和宗総本山四天王寺・大阪市立美術館・日本経済新聞社・テレビ大阪の主催で、大阪市立美術館で開催されていた特別展の東京版です。



 太子二歳時の南無太子像や摂政像や絵伝・文献など四天王寺の至宝を柱として、さらに日本各地の太子絵伝を中心とした太子関連文物を数多く集めており、壮観でした。図録は、カラー写真満載で357頁プラス英文の作品紹介となっており、ずしりとした重さです。

 四天王寺は何度も焼け、そのたびに同じ場所に再建することを繰り返してきました。法隆寺が古代の伝統と格式を受け継ぐ寺であるのに対して、四天王寺は貴族から庶民に至るまでの太子信仰の中心の寺として栄えており、性格の違いが面白いところです。

 図録が四天王寺所蔵の鎌倉時代の太子絵伝の図で始まっているのは、太子伝の絵画化と絵解きが奈良時代に四天王寺で始まったとされていることを象徴するものです。人々の生きた信仰は、こうした資料を絵で、しかも実物で見ないと、実感されにくいでしょう。

 たとえば、多くの絵伝では、厩戸での誕生を描く際、厩のことを、宮中の馬を管理する役所とする伝承に基づいて宮中の建物の一つとして描き、その中に駿馬を何頭も描いており、隣の建物にも馬がいるような立派な施設としています。「馬小屋で誕生」などと言うから、キリストの誕生との類似が説かれるのですが(こちらや、こちら)、近世以前の人々が思い描いていたのは、前にも書いたように、現在で言えば「英国から技師が派遣されていた王室用ロールスロイス整備工場のところで間人皇后が産気づいて生まれたため、成人するとスポーツカーで飛ばすのが好きになった」といったようなイメージですね。

 あと、印象深いのは、亡くなる場面を描く際、膳菩岐岐美郎女と枕を並べて横たわっている姿で描くことです。僧がこの場面を絵解きすると、聞いている善男善女たちは、涙にくれたことでしょう。

 図録では、主催者挨拶に続き、

総論:南谷恵敬四天王寺執事長「四天王寺の聖徳太子信仰」
 聖徳太子・四天王寺年表

図版:第一章 聖徳太子の生涯
   第二章 聖徳太子信仰の広がり
   第三章 大阪・四天王寺の一四〇〇年
   第四章 御廟・叡福寺と大阪の四天王寺信仰
   第五章 近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ

となっており、第二章「宗派を超えて崇敬される太子」では、浄土教や律宗など、様々な系統の僧侶たちの太子信仰に基づく活動を示す文献や絵伝が紹介されています。「聖徳太子」という呼称を教えないとなると、こうした文化の伝統を教えないということになってしまいます。教える際、聖徳太子というのは没後の呼称だとつけ加えておけば良いだけのことです。

第五章では、近代における太子の絵から山岸涼子の「日出処の天子」の原画までが紹介されています(これは、漫画好きの方にはお勧めです)。

 そして、解説となる「各論」では、四天王寺絵堂の解説、絵伝に描かれた四天王寺、伝記の展開と太子関連の巡礼、中世の律宗と太子信仰、近世の絵伝、伽藍の修理などが論じられており、太子信仰の実際の姿が分かるようになっています。

 こうした図録の内容が示すように、充実した展覧でした。
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