絶対!勝たねばならない。…なんて思うと身体がコチコチに固まって思うように動けなくなる。絶対!なになにと、0か1かの1本で決めることは出来なかったとき、心が折れやすい。絶対!と決め打ちすることなんてこの世の中、そうあるものではないが世間ではよく使う。特に子どもが絶対と使いたがるが、それは単純化して判りやすいからだ。大人になってからは範囲の幅や選択肢の数があることを知るが、それでも絶対!なんて使っていると幼稚に思われる。現時点でA,B二者択一でAが正しくとも、将来もAが正しいとは限らないケースが出てくる。歴史事象の評価や物理事象の定理などでも深く解析がされるにつれて変化していく。例えば、天動説vs地動説、定常宇宙説vs膨張宇宙説、…。アインシュタインだって定常宇宙説を支持していた。膨張宇宙説だってビッグバンが起きる以前の宇宙の状態は不明だ。知れば知るほど絶対!と云う言葉は使えなくなる。だから、現時点において…とか、私の知る限り…とか、、の注釈が必要になってくる。その前に、知識やデータを集め、考えなければならない。そう言う努力もせずに絶対!は使えない。特に、絶対!出来ないと、やらずに言うのは愚の骨頂である。でも、サッカーに興味のない人には関係ないが、私は心情的に明日のサッカーW杯ギリシャ戦には日本チームが絶対!勝って欲しいと願っている。(鮎の甘露煮を作りました。)
今日の夕食は、
◆鮭の西京焼き ◆高野豆腐と豆の卵とじ ◆野菜の焼き浸し ◆酢たこ ◆ご飯