家人は「江戸時代の手習い~古文書学習事始め」の講座に参加しに行きました。手習いは現在の書道教室ではなく、師匠からの知識習得であったようです。例えば『庭訓往来』のように往復書簡の形式で作成された文例集を習います。『書札調法記』文例集は書き出しの「一筆奉啓上候」でも極々上の人に出すものと同輩、目下、家来に出すものと違えて10通りもあります。まさに封建制階級社会です。極々上の人宛に出すものは楷書で字をくずしませんが目下になるほど言い回しも「一筆申し候」と簡単になり、字をくずします。「候」なんて「、」になってしまいます。そう言うパターン化したことを学習塾や寺子屋で学習して行くのだそうです。今回、簡単な古文書を読み、面白かったらしい。一方、現在はグローバルなupheaval社会。自身の個性で打ち勝って行かねば生き残れない厳しい社会です。例えば、1+1=をどう考えるかです。リンゴ1個とリンゴ1個はリンゴ2個になりますがバナナ1個とでは1+1=はそのまま1+1です。粘土であれば数的には1+1=は塊を合わせれば1になります。物が何か、+する方法がどうか、で結果が変わります。そう言うことを深く考えるか、単純に考えるかが個性です。頭の回転が速い人はじっくりとものを考えない傾向にあります。逆に鈍い人は理解の過程が遅いだけ考えることをします。スピードの時代、効率性の時代と言われますが一直線の目的志向型(goal-oriented)だけが良いわけではありません。横道に踏み込んだり、遠回りしたり、迷いながら目的に縛られず自由な発想が得られます。これを好奇心主導型(curiosity-driven)と言うそうです。時間をどう使うか。サッサとやるか、グズグズしながらやるか、それは評価の視点で変わり、時間の価値は同等かも知れません。グズグズして頭の悪い私たちもこのように考えれば救われます。(最寄の公園に咲くランタナ)
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