今朝は朝刊がお休みです。少しほっとします。このところ悲惨な事件が多く、そこから離れることが出来るからです。哀しみと暴力。哀しみから暴力へ。哀しみを救うために正義の名の下に暴力が正当化された物語が映画やテレビで放映されている。特にマンガの世界は100%それに近い。勧善懲悪。物語が単純で解りやすい。TVニュースもワイドショーとなりショー化され、悲惨な事件はさらに悲惨にその哀しみを伝え、その裏で実行された暴力はさらに極悪非道に伝える。この暴力は正当化されてはいないが社会から弾き出された時にその反動として正常心を失わせ、衝動的に暴力に走らせる哀しさを伝え、その原因をある一点に絞り、たとえばそれが一般に暮らしている人のこころにも宿っている人間の性(さが)として焙り出し恐怖心を煽り視聴を図る。他人事にさせない恐ろしさがテレビにあります(被害者として、加害者として、あるいは義憤を感じる第三者として)。テレビに限らず、すべての広報メディアにはもともとプロパガンダ(特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する宣伝行為)の要素があります。
また、新聞、テレビには公共性があり、その報道にはほとんど無批判に、肯定的に受け入れてしまう。表面に浮き上がってきた事実の一部のみが時間的制約を受けた記者の取捨選択でニュースとなる。逆に興味本位な読者、視聴者の関心を買うために繰り返し繰り返し同じことが伝えらる。そして、次の事件から次の事件へと興味を移していく。前の事件はもう過去として特別なことがない限り二度と報道されることは無い。発生させた原因を広く深く検証することもなく終わっている。
だから、事件に係ることがないように自ら考えなければならない。その防御として、正常心を保つ人間力が大切です。人間力とは全体を考え、結果を想像する力があるかどうかです。その想像できる冷静さ・機転はどこから来るのでしょう。それは幼年期に絵本を親から読み聞かされたり、それをなぞって自分で読むことからその力が培われます。本を読むことにより言葉をつなげ、頭の中で眼に見えないもの(絵・イメージ)を新しく生み出し、それを瞬間的に組立て、連続的に意味のあるストーリー(内容)に仕立て上げているのです。これこそが想像力です。その力は脳の力を結集し集中させて出来上がります。幼少期・小学低学年期の絵本を読んであげることが非常に大切で親の役割です。親として子に伝えておきたいことはさまざまありますが慌ただしい生活の中で思いや経験を順序立てて子どもに分かるよう話すことは無理です。既にある物語や偉人伝で代用して語り、徐々に大きな社会に接していく準備をさせていくことが必要です。言葉や物語がこのようにして得られ、豊かになることは考えたり、いろんなことを思ったり、人との交わりを豊かにし次のステップへと成長させます。そうして感情をコントロールし、心が安定し常識があり、何事にも動じず、しっかりとした考え方が出来る人になっていくのだと思います。
~新聞がないのでこんな事を思いました。