イギリスの地方都市がそのまま残されているようなハーバー・ストリート。
地元でとれる「ホワイトストーン」と呼ばれた石で1860から80年代に建てられた、
まさにヴィクトリア朝の倉庫や事務所↓博物館に石材のサンプルが展示されていた↓
**
オアマルの街の入り口にはその「ホワイトストーン」でつくられたモニュメントがある↓
↑この石灰岩がNZ(ニュージーランド)各地の都市建築に使われた。
オアマルはワイタキ川の河口近くに位置しているが↓河口そのものではない。
歴史博物館でも飲料水には苦労していたと解説された。
なぜそういう場所に町をつくったのか?
オアマルの街は石材の切り出しと搬出に便利な場所を選んだ結果に思える。
ワンブロウ岬の影になって港がつくりやすく見えた事も
オアマルがここに建設された理由のようだ↓岬の上からオアマルを見下ろしたところ↓
マオリの戦の神MARUを祀った場所がこの岬にあった?
街の名前の由来である置かれていた19世紀の大砲は飾りなのか?歴史の一コマを象徴するものなのか?わからない
↑二つの桟橋が岬の下を守っている↓19世紀末の絵にも同じ桟橋が描かれている↓
↑今はヨットがぽつぽつ係留されているだけだが↑大きな蒸気船が入港している↑
↑1861年にオタゴ半島で金が発見されるといっきに人口が増え、船も増えた。
1864年にはじめて桟橋が建設される前↑沖合に停泊した船から小舟を使って荷下ろしをするのは危険な作業だった↑
1865年から足掛け三年かけて桟橋が建設されたが、
同年にやってきた嵐によって一晩で流されてしまった。
もともと良港とは言い難い場所。
現在は底が浅くて使えず、港はダニーデンに移っている。
**
ホワイトストーンのモニュメントを過ぎて街に入っていく
真っ直ぐな道が直角に交差する計画都市だ。
下調べの時に「19世紀にはロサンゼルスよりも繁栄していた」と解説があったが、
ほんの少し雰囲気が似ていると感じる。
下調べの時「オアマル・ホワイトストーン市民トラスト」のサイトで見た建物がいくつもみえてくる
※HPにリンクします
第一次大戦慰霊記念碑の向こうに↓ランドマーク的な聖ルカ教会が見えてくる↓1860年代街の創成期に建設された英国国教会↓
目立つ尖塔は20世紀に入ってから建設された↑
***
お昼少し前、
今朝の出発が早かったので早めのお昼にしよう。
雰囲気よさげなカフェに即決
ショーケースに並んでいるものもおいしそうだが
オーダーしてからつくってくれたこのエッグ・ベネディクト
ほどよい半熟加減(^^)
サーモンも、何枚でも食べられそう
「このお店の縁の下にペンギンが巣をつくって、日本の『ふしぎ発見』が紹介したんです」とガイドさん。
この町に来る多くの人の目的はペンギン見学だと知った。
「世界一小さなペンギン」とされるブルー・ペンギンは、メルボルンからよく見学にいったフェアリー・ペンギンと同じ種類なのだそうだ。
そう思ってみると↑いろんなところにペンギンがいます(^^)
****
冒頭写真のハーバーストリートを歩こう
かつて駅があって、蒸気機関車が走っていた。
↑こんなふうに
↑ハーバー・ストリート入口↑正面の建物はオアマル港湾事務所だった建物↑2001年に前出の「市民トラスト」が買い取り、2005年に修復された。
ハーバー・ストリートから市街地方向をみたところ↑左手奥のコーナーにあるのは百年以上の歴史があるホテル。最盛期17あったホテルのうち3つが今も営業を続けている。
↑歴史博物館は元は倉庫
なので正面入口から線路が中にひきこまれている↑
↑天井の高い一角で昔の街の様子が上映されていた
↑19世紀後半に流行したスピードの出る自転車↓ホンモノが展示されていた
★歴史博物館のスタッフに街の歴史をきかせてもらったなかで興味深かったこと
●1906年から1960年まで半世紀以上も「禁酒法」が生きていた
港町は荒くれ水夫が多かったので「禁酒法」が導入されたのだろう。
だが、19世紀には飲料水を確保するのがたいへんだったので、衛生管理のためにビールを飲むことを奨励していたという話もあった。
アメリカの「禁酒法」と同様に、販売は禁止するが飲むことそのものは禁止されなかった?
●アジア人と白人が写ったこの写真↓左下の「VJ」とは何?
中国人移民を受け入れたのは本国が日本に侵略されて難民が発生していたから。
「VJ」はVictory over Japan=日本に勝った記念日
これは本国に送還される危険も意味していた。
※オアマルに最初の中国人がやってきたのは1865年。12人。
1869年には2000人になっていたのだそうな。
二時間ちょっとのオアマル滞在だったが、
行程に入れてよかった(^^)
*****
午後、オアマルからダニーデンまで100キロちょっと南下する。
途中で「モエラキ・ボルダーズ」に寄る。
モエラキという場所にあるボルダーズ(丸い石)。
車を止めて海岸へ降りていく↑
砂浜に無造作にころがっている丸石。
NZ観光局のページにはまだ砂に埋もれる前の写真が載っていた。
なぜこんな石になったのかよくわかっていない不思議な石。
この土の中にもっと埋まっている?触ってもなにしてもかまいません。
↑割れたものも
午後三時ぐらいにはダニーデンに着けそうだ。
地元でとれる「ホワイトストーン」と呼ばれた石で1860から80年代に建てられた、
まさにヴィクトリア朝の倉庫や事務所↓博物館に石材のサンプルが展示されていた↓
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オアマルの街の入り口にはその「ホワイトストーン」でつくられたモニュメントがある↓
↑この石灰岩がNZ(ニュージーランド)各地の都市建築に使われた。
オアマルはワイタキ川の河口近くに位置しているが↓河口そのものではない。
歴史博物館でも飲料水には苦労していたと解説された。
なぜそういう場所に町をつくったのか?
オアマルの街は石材の切り出しと搬出に便利な場所を選んだ結果に思える。
ワンブロウ岬の影になって港がつくりやすく見えた事も
オアマルがここに建設された理由のようだ↓岬の上からオアマルを見下ろしたところ↓
マオリの戦の神MARUを祀った場所がこの岬にあった?
街の名前の由来である置かれていた19世紀の大砲は飾りなのか?歴史の一コマを象徴するものなのか?わからない
↑二つの桟橋が岬の下を守っている↓19世紀末の絵にも同じ桟橋が描かれている↓
↑今はヨットがぽつぽつ係留されているだけだが↑大きな蒸気船が入港している↑
↑1861年にオタゴ半島で金が発見されるといっきに人口が増え、船も増えた。
1864年にはじめて桟橋が建設される前↑沖合に停泊した船から小舟を使って荷下ろしをするのは危険な作業だった↑
1865年から足掛け三年かけて桟橋が建設されたが、
同年にやってきた嵐によって一晩で流されてしまった。
もともと良港とは言い難い場所。
現在は底が浅くて使えず、港はダニーデンに移っている。
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ホワイトストーンのモニュメントを過ぎて街に入っていく
真っ直ぐな道が直角に交差する計画都市だ。
下調べの時に「19世紀にはロサンゼルスよりも繁栄していた」と解説があったが、
ほんの少し雰囲気が似ていると感じる。
下調べの時「オアマル・ホワイトストーン市民トラスト」のサイトで見た建物がいくつもみえてくる
※HPにリンクします
第一次大戦慰霊記念碑の向こうに↓ランドマーク的な聖ルカ教会が見えてくる↓1860年代街の創成期に建設された英国国教会↓
目立つ尖塔は20世紀に入ってから建設された↑
***
お昼少し前、
今朝の出発が早かったので早めのお昼にしよう。
雰囲気よさげなカフェに即決
ショーケースに並んでいるものもおいしそうだが
オーダーしてからつくってくれたこのエッグ・ベネディクト
ほどよい半熟加減(^^)
サーモンも、何枚でも食べられそう
「このお店の縁の下にペンギンが巣をつくって、日本の『ふしぎ発見』が紹介したんです」とガイドさん。
この町に来る多くの人の目的はペンギン見学だと知った。
「世界一小さなペンギン」とされるブルー・ペンギンは、メルボルンからよく見学にいったフェアリー・ペンギンと同じ種類なのだそうだ。
そう思ってみると↑いろんなところにペンギンがいます(^^)
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冒頭写真のハーバーストリートを歩こう
かつて駅があって、蒸気機関車が走っていた。
↑こんなふうに
↑ハーバー・ストリート入口↑正面の建物はオアマル港湾事務所だった建物↑2001年に前出の「市民トラスト」が買い取り、2005年に修復された。
ハーバー・ストリートから市街地方向をみたところ↑左手奥のコーナーにあるのは百年以上の歴史があるホテル。最盛期17あったホテルのうち3つが今も営業を続けている。
↑歴史博物館は元は倉庫
なので正面入口から線路が中にひきこまれている↑
↑天井の高い一角で昔の街の様子が上映されていた
↑19世紀後半に流行したスピードの出る自転車↓ホンモノが展示されていた
★歴史博物館のスタッフに街の歴史をきかせてもらったなかで興味深かったこと
●1906年から1960年まで半世紀以上も「禁酒法」が生きていた
港町は荒くれ水夫が多かったので「禁酒法」が導入されたのだろう。
だが、19世紀には飲料水を確保するのがたいへんだったので、衛生管理のためにビールを飲むことを奨励していたという話もあった。
アメリカの「禁酒法」と同様に、販売は禁止するが飲むことそのものは禁止されなかった?
●アジア人と白人が写ったこの写真↓左下の「VJ」とは何?
中国人移民を受け入れたのは本国が日本に侵略されて難民が発生していたから。
「VJ」はVictory over Japan=日本に勝った記念日
これは本国に送還される危険も意味していた。
※オアマルに最初の中国人がやってきたのは1865年。12人。
1869年には2000人になっていたのだそうな。
二時間ちょっとのオアマル滞在だったが、
行程に入れてよかった(^^)
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午後、オアマルからダニーデンまで100キロちょっと南下する。
途中で「モエラキ・ボルダーズ」に寄る。
モエラキという場所にあるボルダーズ(丸い石)。
車を止めて海岸へ降りていく↑
砂浜に無造作にころがっている丸石。
NZ観光局のページにはまだ砂に埋もれる前の写真が載っていた。
なぜこんな石になったのかよくわかっていない不思議な石。
この土の中にもっと埋まっている?触ってもなにしてもかまいません。
↑割れたものも
午後三時ぐらいにはダニーデンに着けそうだ。