Sidi Sahabは「聖なる友人」という意味。廟は預言者ムハンマドの友人だったアブー・ザマ・エル・ペラウィが葬られている。
彼はいつも預言者の髭を三本肌身離さず持っていたので、ここは「床屋のモスク」とも呼ばれている。

ということは、イスラム教が誕生した七世紀からの場所、ということになる。どこかに当時からのものが残っているのだろうか。
中に入っていく↓

↓装飾はタイルでオスマントルコ時代の雰囲気


中庭はスペインに残る雰囲気

ストゥッコ装飾はスペインのアルハンブラなどを思い出させる。

すでにヨーロッパのバロックも感じられる。
年代を調べてみると17世紀にオスマントルコのベイ(地方領主)がマドラサ(イスラム教の学校)を敷設して、大幅に増築していたのだった。
預言者の誕生祭には割礼や婚礼が行われるのだそうだ。
では、その「預言者の散髪屋」の廟のもともとはどこだったのか?
↓回廊の一角、異教徒が入っていは行けない奥がそれだった↓

一千年以上の間、八角形の墳墓にシンプルな覆いをかけただけの場所だったのである。
観光していた別のアラブ系の女性たちが「写真撮って」とやってきました(^.^)

彼はいつも預言者の髭を三本肌身離さず持っていたので、ここは「床屋のモスク」とも呼ばれている。

ということは、イスラム教が誕生した七世紀からの場所、ということになる。どこかに当時からのものが残っているのだろうか。
中に入っていく↓

↓装飾はタイルでオスマントルコ時代の雰囲気


中庭はスペインに残る雰囲気

ストゥッコ装飾はスペインのアルハンブラなどを思い出させる。

すでにヨーロッパのバロックも感じられる。
年代を調べてみると17世紀にオスマントルコのベイ(地方領主)がマドラサ(イスラム教の学校)を敷設して、大幅に増築していたのだった。
預言者の誕生祭には割礼や婚礼が行われるのだそうだ。
では、その「預言者の散髪屋」の廟のもともとはどこだったのか?
↓回廊の一角、異教徒が入っていは行けない奥がそれだった↓

一千年以上の間、八角形の墳墓にシンプルな覆いをかけただけの場所だったのである。
観光していた別のアラブ系の女性たちが「写真撮って」とやってきました(^.^)
