旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

台湾島の征服行第一歩を示した皇子の記念碑

2020-02-07 08:52:37 | 台湾
基隆の港に近い崖下に北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)の記念碑がある。

文字は戦後に削られたままになっている↓

Prince Shirokawaときくと優雅な王子様かと思うかもしれないがまったくそうではない。
戊辰戦争当時は幕府軍と逃避行をして新政府に敵対。維新後はドイツに留学して軍事を学び、帰国して中将になっている。

日清戦争の結果清国から割譲された台湾の人々は日本人を歓迎などしていなかった。
独立政府を標榜して迎え撃つつもりだった。条約の効力を発効させるためには武力で既成事実にするしかない。
明治政府は彼を最前線に派遣した。
1895年5月29日、基隆の北五キロほどのところにある墺底漁港に上陸。
6月3日には基隆を占領し6月6日には台北城(当時は城壁で囲まれていた)へ入った。

翌1895年の10月まで台湾島南部への征服行は続くが、北白川宮能久親王はマラリアにかかって10月26日台南で没した。死は公表されず、遺体を搬送帰国させたのちに発表された。

この記念碑は1933年(昭和8年)になって建立されたものだそうだ。当時はもちろん文字が刻まれていた↓

当時は台湾全土で三十三もの北白川能久親王に関連する記念碑があったそうだが、今はここしかない(と解説版は言う)。

さらにおどろくのは、見上げた崖の上に刻まれた文字↓

右から「仰皇猷」の文字が刻まれているのだそうだ。

国民党時代には放置されていたこうした場所は、民進党政権時代になってからずいぶん復興され、史跡とされるようになってきた。
日本から訪れる我々も知っておいてよい事々がたくさんある。




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