《手造の旅》クロアチアとアドリア海 三日目① ホテルの窓から白波のたつ湾がみえる朝
午前中はイタリアの北東の端に位置するトリエステの見学。海辺の市街地端にある古代の半円劇場見ながらバスは坂をのぼる。
トリエステの大聖堂は、丘の上の古代ローマ神殿跡をそのまま使って作られている。 鐘楼の四角い建物この中の土産物屋を覗くと古代の柱がそのままどっしりと立っていた 神殿の前門をそのまま利用していたのだ⇒ かつて海から町を見た時にはこの神殿が丘の上にそびえていたのだろう。 土産物屋奥の細い階段をのぼってゆくとみごとに保存されたグリフォンと勝利の神の浮彫があった↓
いちばん上にあがると巨大な鐘がぶらさがっているこれが鳴る時間にはのぼらせてくれない。
眺望する先にはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの弟、メキシコ皇帝となったマクシミリアンの住んだミラマーレ城がある
下りてくると、ミサも終わり、中をゆっくり見学できた。ここはとなりあって建っていた9世紀と11世紀の教会を、二つを内包するかたちで三身廊の現在の教会が14世紀に建設されたのだった⇒ファサードのバラ窓はつまり14世紀のもの。左右に古い教会の三角屋根二つの名残があるのが見える↓
床の一部は古代のモザイク側廊のつきあたりに11世紀といわれる聖母子と天使の黄金のモザイク 中世的に厳格な表情かつてのコンスタンチノープルにあるものを思い出させる。
地元ガイドさん曰く「年に数回しか入れない」という礼拝堂が開いていた。ここに、トリエステの紋章の元になった聖遺物が収められているずらりと並べられた中にトリエステの紋章とそっくりの槍の先があった⇒ ははぁ~これがこれの元でしたか伝説によると、サン・ジュストは四世紀ディオクレティアヌス帝の時代に現在のトルコで殉教した聖人。海に投げ込まれて死んだので聖堂内の彼の像も透明な水の入った容器に入れられているのが、上の堂内写真でもちょっと写っている。
兵士だった彼が持っていた槍が、トリエステまで飛んできて地面に刺さったのだそうで、現代の祭壇画にそのようすが描かれてていた。「どっから飛んできたんだ?」と空を見上げる市民⇒
**
堂内で面白い埋葬者を見つけた。
スペインの「カロリスタ」のスタートとなったドン・カルロスのもの。マドリッドのプラド美術館で誰もが見るゴヤ作のカルロス四世の絵。その孫にあたる人物。兄の死後、その娘は王になれないはずだと主張して戦争になった。負けた彼は亡命して、こんなところに埋葬されていたのか。系譜に連なるファミリーは次々にここを墓所にし、子孫は今でもここで式典をやるのだそうだ。