サンチャゴへの巡礼路が隆盛した時代は、ロマネスク建築の教会がたくさんつくられた。その中で、フロミスタにあるサン・マルティン教会は頂点と言っても良いバランスを誇っている。朝日のなかブルゴスを出発し、一時間ほどで高速を降りる 小さな町にはいってバスをおり、角を曲がってすぐ、この景色が目の前にあった↓
誰もいない広場。 日本で言えば平安時代末期にあたる時代から、変遷はあってもこの場所にあり続けている。入口両脇の塔はドイツのロマネスクに影響をうけたと考えられる。ピレネーの東からフランスだけでなくいろんな影響がこの巡礼路を通じて伝わった。
建設をオーダーしたのはナヴァラ王サンチョ三世の妃ムニア。1066年に費用を寄付した記録があるそうだ。その後、15年から20年の期間を経て完成したとされる。※現地の解説リーフレットによる
「大王」と呼ばれた夫が亡くなって、自らの死までの三十年のあいだに、巡礼路にたくさんの貢献をした王妃。「プエンテ・ラ・レイナ」の橋を建設させたのも彼女だから、街がその名前になった。※⇒五年前に訪れた時の日記をこちらからご覧いただけます
短い期間で完成したので、建築の統一性が保たれた。フランスからやってきた何組かの職工が同時期に残したおもしろい彫刻がならぶ↓
外側を一周していると、壁に以前あった入口の跡が見えた↓
中へ入ると、かつての教会がどんなに「改築」されてしまっていたかを見せてくれる模型があった。ううむ、こんなの状態だったのか↓
入口部分の屋根は落ち、両サイドの塔のうち右側は半分になっている。後陣の上に八角形の塔がたてられ、増築部分が横に突き出している。模型の後ろへまわると、こんな↓
さっき外で見た入口の痕跡は、この増築部分を付け加えた時に開けられた穴だったのか。
11世紀の姿をとりもどすためには相当な工事が必要だったのだ。 この基本のアーチはしかし、変わっていない↓
数々ある彫刻は聖書の話ばかりではない。中でも、いちばんユニークなのがイソップ童話「カラスときつね」の話が表されたこれ↓
↑イソップは紀元前六世紀に、「背信者」として処刑された人。二千五百年も前の人の創作した話が、時代と空間をとびこえて、こんな場所に刻まれている
***人の少ない時間にゆっくり見ることができてよかった。すぐ横のカフェで休憩。五年前もここに入ったっけ↓
今回の行程では、前回ほど小さい街を訪れることは出来ないが、これだけは、見ていただきたかったのです(^^)