寂光院への階段はわくわくさせてくれる
★朝の散歩で訪れた建礼門院の従者たちの小塔をこちらに載せました。是非ごらんください。
**
朝の散歩を終えて、民宿の朝ごはんで
びっくり美味しい変わり紫葉漬けにであった
こんなのはじめて(^.^)中にらっきょが入っております。二つ買っちゃいました。
***
午前九時から開く寂光院を訪れる。
寂光院は紫葉漬け発祥の地なのだった
門へ至る階段の横にあった看板↑
階段上の山門をくぐると↓
山裾に、簡素だが美しい空間が広がっている
御本尊は色鮮やか↓
それは、旧ご本尊が二〇〇〇年(平成十二年)五月の火災で焼けてしまったから
※こちら京都市消防局のページにその時の写真が載せられておりました
建物の屋根まで崩れたにもかかわらず、ご本尊は立ったままのお姿だったのがよくわかる
倒れなかったことにより、内部に納められていた三千の胎内仏なども守られ、今は防火や盗難の心配のない別棟に展示されている
焼失前のお姿↓
今は樹脂で補強され↓この収蔵庫に保管されており
年に一度、公開されている。
焼けただれてもなお荘厳さを感じられるというそのお姿、一度拝んでみたい。
建礼門院像も新しくなっている
火災は周囲の樹木も焦がしていたのがわかる↓
二十年近い歳月で樹木は復活しているのだ
宝物館には平家物語の「大原御幸」の絵がいくつも展示されていた。
清盛の妻の妹・滋子を寵愛し平家を盛り立てたが、やがて滋子も清盛も没すると源氏方にくみしていった後白河上皇。
すべての騒乱が過去となった頃に大原の建礼門院徳子(自分が裏切った盟友の娘ということになる)を訪れる話。
ここ大原で見るとなかなか味わい深い。
阿波内侍が涙ながらに語る絵には、どれにも庭に松が描かれていた。
それを、切り株だけになっているとはいえ現実に見ることができる↓
「千年の姫小松」というのだそうだ。
宝物殿には「安徳天皇が乗っていた船のかけら」と伝わる木片まであった
※こちらに宝物館の様子
境内から少し離れた、かつて建礼門院が住んだと言われる場所に石碑がたてられていた↓
★朝の散歩で訪れた建礼門院の従者たちの小塔をこちらに載せました。是非ごらんください。
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朝の散歩を終えて、民宿の朝ごはんで
びっくり美味しい変わり紫葉漬けにであった
こんなのはじめて(^.^)中にらっきょが入っております。二つ買っちゃいました。
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午前九時から開く寂光院を訪れる。
寂光院は紫葉漬け発祥の地なのだった
門へ至る階段の横にあった看板↑
階段上の山門をくぐると↓
山裾に、簡素だが美しい空間が広がっている
御本尊は色鮮やか↓
それは、旧ご本尊が二〇〇〇年(平成十二年)五月の火災で焼けてしまったから
※こちら京都市消防局のページにその時の写真が載せられておりました
建物の屋根まで崩れたにもかかわらず、ご本尊は立ったままのお姿だったのがよくわかる
倒れなかったことにより、内部に納められていた三千の胎内仏なども守られ、今は防火や盗難の心配のない別棟に展示されている
焼失前のお姿↓
今は樹脂で補強され↓この収蔵庫に保管されており
年に一度、公開されている。
焼けただれてもなお荘厳さを感じられるというそのお姿、一度拝んでみたい。
建礼門院像も新しくなっている
火災は周囲の樹木も焦がしていたのがわかる↓
二十年近い歳月で樹木は復活しているのだ
宝物館には平家物語の「大原御幸」の絵がいくつも展示されていた。
清盛の妻の妹・滋子を寵愛し平家を盛り立てたが、やがて滋子も清盛も没すると源氏方にくみしていった後白河上皇。
すべての騒乱が過去となった頃に大原の建礼門院徳子(自分が裏切った盟友の娘ということになる)を訪れる話。
ここ大原で見るとなかなか味わい深い。
阿波内侍が涙ながらに語る絵には、どれにも庭に松が描かれていた。
それを、切り株だけになっているとはいえ現実に見ることができる↓
「千年の姫小松」というのだそうだ。
宝物殿には「安徳天皇が乗っていた船のかけら」と伝わる木片まであった
※こちらに宝物館の様子
境内から少し離れた、かつて建礼門院が住んだと言われる場所に石碑がたてられていた↓