旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

パリの夜景は見ておかないと

2016-07-24 21:50:49 | フランス

昼間、プロのガイドさんとエッフェル塔からオペラ座まで歩いた次女は、午後四時ごろ帰着して「エッフェル塔の夜景をみたいけれど、起きられるか自信ない」と言ってベッドにダウン。このままほおっておいたらパリの夜景を見ないでおわることになる・・・20時に起こして、セーヌ川遊覧へ連れ出した。

アルマ橋のたもとに到着し※これはNYの「自由の女神」の持つトーチと同じ大きさのもの。自由の女神はもともとフランスからアメリカ合衆国へのプレゼントでしたから。しかし、このモニュメントの真下を走る道路でダイアナ妃の事故が起こったので、現在は「ダイアナ記念碑」みたいなことになってしまっている

21時ちょうどの船に乗ったが、まだまだ明るい この時期のパリは日が暮れるのは22時ごろなのです。

それでも、空は夕暮れの色に変わり始めて美しい。アレクサンドル三世橋の下をくぐる。

ルーブル宮殿↓

河畔では週末に集まって踊る人たちがたくさん

シテ島、ノートルダムの後ろ姿↓

フランス革命時代には監獄となった、元王宮のコンシェルジュリ。ファサードがずいぶんきれいになった↓

ふたたびバトー・ムーシュの乗り場前をとおり⇒

エッフェル塔が見えてきた!

小松の予想では、21時のものにのると、ちょうど22時ぐらいにエッフェル塔の前を通過するので、一時間に一度の「シャンパンイルミネーション」が見られる。・・・しかし、22時になっても、何も起きません???船上のひとたちもなんだかひょうしぬけの表情で船を降りた。

そして、再びアルマ橋へ歩いていった22時10分を過ぎて・・・あ!はじまった

何故かわからないけれど、ちょうどの時間でなく「シャンパン・イルミネーション」がスタートしたのだった。写真で、普通のイルミネーションとの違いが分かりますでしぅようか。

地下鉄でシャンゼリゼ通りの真ん中・ルーズベルト駅まで移動し、コンコルド広場方面へ歩く。

途中でさっき下をくぐったアレクサンドル三世橋とその向こうのアンヴァリッドの金色のドームが見えた。あの下に、ナポレオンの墓があるのだ↓

コンコルド広場には臨時の観覧車が聳え立っている。今日はちょうどトゥール・ド・フランス自転車レースの式典があったので、一部が通行止めされ、こんな夜景を見ながらゆっくり歩けた↓

リヴォリ通りからホテル・リッツのあるヴァンドーム広場へ抜け↓

ホテル近くのオペラ座前に出た↓

時刻は23時半になろうとしている。きょうはよくがんばりました(^^)

 

 

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次女をおいて、昔の仲間とマーケット買い出しランチ

2016-07-24 13:46:46 | フランス

次女はパリのガイドさんがエッフェル塔とルーブルの観光へ連れて行ってくださることになった。

小松は、二十年以上前のアフリカ研修でいっしょだったパリ在住の友人たちとバスティーユで待ち合わせた。

バスティーユ監獄のあった場所は今はこんな大きな交差点になっている。ここのすぐ近くには日曜と木曜の午前中にひらく大きな市場がある。品ぞろえは実に多彩で、魚屋さんから、椅子の修理やさんからから・・・ 

キプロスでその美味しさを知ったタイムの蜂蜜があったので購入!五百グラムで12ユーロは安い↓

大人の楽しみ=生牡蠣と白ワインを市場のテーブルで↓

一ダースの牡蠣(大きさにもよるけれど)が15ユーロ。牡蠣を食べる人には、白ワイン1グラス1ユーロで出してくれる↓

ちかくのアパートの一室で、軽いランチをしようという。それでは、小松が大好きなアスパラときのこのソテーでもおつくりしましょう(^^)

グリーンアスパラと  ジロール茸

チキンローストを丸一羽 バゲットももちろん

徒歩三分ほどのこの建物 もちろん十九世紀からの建物だから階段は古い

三十平米ほどの部屋だが、こぢんまりと居心地良い。 

さっそくキッチンをお借りして

こんなランチになりました!

二十数年前、右も左もわからなかった添乗員時代に、はじめてのアフリカ(ケニアとタンザニア)を一緒にまわった仲間と、こうしてパリのアパルトマンでささやかなランチタイムが持てる。こういう時間がもてることが、なんとか今日まで生き延びてきたことの、最大の価値なのだと思う。

 

 

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