竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

はだかで暮らす人たち。

2009-09-14 06:28:01 | 歴史と人類学
 
アマゾンの奥に裸で暮らすナンビクワラ族がいました。主に採集狩猟生活を送っていて移動の際は、女達が大きな籠に全てを入れて背負います。寝るときは焚き火のそばで灰にくるまって、夫は妻をうしろから抱き、母は子を胸にかかえ、独り者は両手を腿の間にさしこんで、エビのようにからだを曲げて寝るのです。
 
彼らには挨拶言葉がありません。物をもらったら黙って受け取る。それだけ。こちらが何かほしいと言えば作ってくれたりする、でも御礼は求めない。
 
子供をとても可愛がり、叱ったり躾けたりすることもありません。犬やオウム、鶏、猿が子供達と同じように可愛がられています。(イギリスでは犬さえも見事に躾けられています)
 
 
毎日の生活にも決まりがありません。それぞれが食べたいときに食べ、寝たいときに寝る。
 
今から20年ほど前に彼らを観察した川田順三は、「われわれのゴタゴタした社会では、めったに到達できない解脱の境地に、無一物で暮らす彼らは、ごくあたりまえに入ることができるのかも知れない」と語っています。
 
子供や小動物を可愛がること、正座をしてすわることなどから、川田順三は日本人によく似ていると感じています。かって日本の庶民は、裸をあまり恥ずかしがりませんでした。庭先で行水をして、それが外から丸見えだったり、外国人が通ると聞けば男も女も素っ裸で外に飛び出して見たりしていました。私の子供の頃も人前で赤ちゃんにおっぱいをやるのは当たり前でした。
 
儒教道徳が身につかなかった日本人は、かなり古い生活文化をどこかに残しています。躾けのできてない私も、せっせと竹細工に励むことにしましょう。
 
 
 
レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」を読みかけてから、不思議と南米に縁があります。「悲しき熱帯」のなかに印象的な部族ナンビクワラ族を、レヴィ・ストロースの弟子で、「悲しき熱帯」を訳した人類学者の川田順三が、レヴィ・ストロースの調査から50年後に訪れています。その記録が「ブラジルの記憶」です。