数日前から静岡のPCもADSLになったので、
しばらく休んでいた「イギリス徒歩旅行 フットパスを歩く」を
再開しました。お暇な折にはどうぞ覗いてみてください。
これは6年前の旅の記録です。
イギリスのジギタリスが咲く野原
スカピオサ(マツムシソウ)が咲く野原
南アルプスで見たタカネグンナイフウロとそっくりの花
総選挙の結果でジャーナリズムは大騒ぎだが、二週間以上こっちにいるので、投票できなかった私は、紅旗征戎我がことにあらず、と気取っておこう。
夕べ風呂に入りながら考えた。
私たちは文明という装置によって、できるだけ自然の支配から離れて、
自由になろうとして来た。
でもどうしても乗り越えられないもの、それは生と死である。
これに老と病を加えれば仏教の四苦になる。
病を楽しむなんてことはとても出来ないが、
その時自分の痛み、苦しみ以外の想いで、
悩むことは無いようにしたいとは思っている。
友人は今、老と病の真っ最中である。
体が動きにくいだけで、痛みは特に無いらしい。
意識はしっかりしているが言葉は出にくくなっている。
でも淡々として今の状況に耐えている。
体が徐々に動きにくくなってくる病気だが、
一ヶ月前まではまだ木工教室に意欲満々だった。
彼のそばにいることは苦痛ではない。
昨日は奥さんと一緒にシャワーを浴びる手伝いをしたが、
まあここにいて私がやれることは、毎日一回は顔を出して話すことぐらい。
そんなところだ。
もともと頭のいい、しっかりして落ち着いた人だから、
今もそのままで、周りの人にも苦痛を与えない。
ゆっくり自然の中に戻っていくことを、静かに受け入れられる人だ。
そういう人が30年間、もともと何のかかわりも無かったのに、
傍にいたのだから、私はなんと幸せだったのだろう。
田舎は自然が美しい。でも実はそこに住む人たちがいいのだ。
この地区にはほかにもいい人達が大勢いる。
都会にも大勢いるに決まっている。でも都会ではそれが見えない。
田舎では人の姿がよく見える。
田舎暮らしのいい点はそこなのだ。
生老病死すべてについて、人と一緒に自然に近く生きられることだと思う。