昨日、いつもこちらに来る度に遊びに行っている友人S氏が、
病院から一時帰宅するという電話があった。
私はこちらに居ながら、S氏が入院したことさえ知らなかった。
体調がよくないことは、2週間前遊びに行ったときに言っていた。
一週間前救急車で入院したのだという。
夕方退院する頃を見計らって行って見ると、
退院したばかりで、ベッドに横になっていた。
熱中症と脱水症状から入院ということになったらしいが、
かなり回復したので、戻って来たという。
東京にいる息子夫婦も来ていて、
ベッドから一人で立ち上がれないで、もどかしがっている彼を、
私も一緒になってあれこれ過ごしやすいように手伝った。
近所の親しい人も来ていろいろ話しかける。
S氏はもう八十近いが、近所の人たちは私と同年輩、
なにかと彼の世話になった人たちだ。
彼は、私がこの地に住むことになったときの区長で、
山林地主の彼は長い間この地のリーダー的存在だった。
30年前石見銀山に住んでいた私は
地方新聞に載っていた記事を頼りに、
生涯学習をうたい、過疎地に詳しいという掛川市長に、手紙を出した。
竹細工をやっいる、母親が住む東京とあまりに遠いので、
静岡に引っ越したい、どこか過疎地を知らないか、そんな内容だった。
市長からすぐ返事が来た。一度来てみないかと。
私はオンボロ車で島根から掛川まで出かけた。
市役所に行く前に、過疎の進んでいそうな市の北部を少し回ってみた。
市長に会いに行くと、ちょうど市役所で区長会が行われており、
そこに来ていた市長の友人で、北部地区の区長をしていたS氏を紹介された。
早速S氏と一緒に彼の家に行き、一晩泊めてもらった。
翌日案内された家は、前日この地を走って、
あ、こんな家もあるなと思った家だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/f6/f52252d68ac150b36974f9754d33142a.jpg)
その家を借りることにして、島根に帰った。
それからまもなく、家内と二人の子供を連れて引っ越してきた。
家を見て家内は愕然としたようだ。
建具も無い、畳もろくにない、こんな家に住めるのか、と。
だが翌日近所の人たちが手伝いに来てくれた。
市内で区画整理をやって、いらなくなった建具や畳が運ばれた。
すぐさま何とか住める家になった。
風呂は鉄鍋式の五右衛門風呂、
水は山から引いた水道、電気は来ている。
テレビは?家内が嫌いだから無し。
ちなみに今の家の居間にあるテレビはDVD用だ。
以来30年、私は島根の3年間で覚えた竹細工、
家内も島根で始めた紙塑人形をやり、
三人目と四人目の子供が生まれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/7a/24c1c4294dbb63dfc3afe4ea78a122d4.jpg)
引っ越してから8年後、衰えてきた母親を見るために、
家族は小平市に戻り、私一人で毎月二週間ずつ行き来している。
S氏とはそれ以来の付き合いだ。
お互いよき話し相手でもあり、
一緒に町の水彩画サークルに参加したりして、遊び相手でもある。
彼はこの10年ほど、パーキンソンを患っている。
でも持ち前の積極性から、水彩画を続けたり、
製材業も始めたりして、病気の進行はゆっくりだった。
最近も木工教室を開いて、温泉に来る客を呼ぼうとしていた。
私が掛川の図書館のギャラリーで、展示会をやろうと思ったのも、
生徒が集まらない彼の木工教室の、生徒集めもかねてのことだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/3a/a40ff47fe1534cb1972e609d307ddc47.jpg)
前の家の仕事場から見た風景
その彼がいよいよ衰えてきた。
今度の私の家は彼の家のすぐ近く、木工轆轤の人のすぐ下だ。
私は五年間介護の仕事をやってきたので、
なにかと彼を手伝うことが出来そうだ。