小太りMTB

ちっともMTBに乗ってないMTBerのブログ

でたぁあ!フリーエージェントNEWフレーム

2006年07月14日 | Bicycle[機材、装備]
 「重力技研」さんの萩原さんが運営するブログ「ノラメカニックの人畜無害無味無臭」(長い・・・)で、また萩原さんがやってくれました。
 フライング発表?ダダ漏れ情報?機密漏洩?戦略的擬似情報漏洩?

 KHSのBMXXブランド、フリーエージェントからLIMO26と、DEVILです。
 詳しくは、同ブログの記事「また新型?○○○ってすごいのね」をご覧下さい。

 私が気になるのは、LIMO26。白がいいですね。
 ターゲットはMTBトラック競技、4X関連ですが他の事にも十分転用可能とのこと。私の好きなローカル下りトレールにも最適とのこと。
 トゥルーテンパーOXプラチナムをの使用を予定。重量も約2.0kgと軽量!とのこと。ショックです。

 私のNEW DMRは2.76kg。(カタログ値)。しかも、クロカン系のP7の1,980g(実測)とほぼ同等。ガックリです。

 DMRの記事に書きましたけど、私の乗り方だとDMRは、かなりオーバースペックなんですよ。その分重量を削ってくれた方がありがたいのです。でも、DMRの価格帯でそんなバイクはなかったのですよねぇ。
 まあ、DMRはかなりお買い得な値段なンで・・・って、LIMO26も?・・・かなり・・・・?・・・なんか、悔しいコトになりそう。

 さらに気になるのが「きっとその内にしなやかで軽めのクロモリで里山系フレームがKHSから出るんだろうな・・。」ってコメント。ああ・・・P7が・・・泣いちゃうよ、俺。

 この記事は、同ブログの記事「また新型?○○○ってすごいのね」にトラックバックさせて頂いております。


裏山ポタリング(5)                     -馬場曲輪・大掘切・月ノ池-

2006年07月13日 | MTB[トレイルラン]
Yamajiro_33s

 またもや「裏山ポタリング」シリーズ。
 例によって、各史跡の位置関係は、こちらこちらの写真を参照下さい。

 今回は、「馬場通路」の東の突き当たりにある「馬場曲輪」。前回の記事に書いた通り、馬とは関係はないそうです。
 写真に写っている建物は復元建物ではなく、発掘調査で確認された柱穴位置を利用した四阿(あずまや)とのこと。

 上記のような柱穴あとや、出土された染付、灰釉小皿、ほうろく、かわらけ、火鉢、すり鉢などの「生活用品」、カマド跡などから、この場所は物見台からの連絡を実城主要部へ中継する兵が生活していた曲輪だったとのことです。

Yamajiro_16s 上の「馬場曲輪」の柵の向こうが「大堀切」です。
 堀切とは、尾根伝いに侵入する敵を防ぐため、尾根をV字形または逆台形に掘り込んだものです。この「大堀切」は、掘り幅15m、深さ15m、長さ46mと、この城跡最大規模のものです。
 また、写真に見えるように堀切の底には、高さ1.5m、幅1.8mの畝状の石積みが築かれ、堀切を侵入経路とされる事を防いでいます。
 大堀切の向こうは三ノ丸ですが、この大堀切のお陰で、直接、馬場曲輪から三ノ丸に侵入できない構造となっている訳です。

Yamajiro_34s 一番上の馬場曲輪の写真の手前側にある階段を、右側に下りて行くと「月ノ池」にでます。
 「月ノ池」は、直径7m、深さ2.5mの池です。
 発掘時には、気に投棄されたと見られる多量の石垣石と推定される岩石とともに、長さ数mの加工された丸太材や角材が発見されたようです。城の構築物の可能性もあり、現在調査中とのことです。

Yamajiro_36s 月ノ池と大堀切は、このように繋がっています。
 手前が月ノ池、奥が大堀切、左上が馬場曲輪、右上が三ノ丸です。
 
 
 
 今回は、ここまで。飽きてきました?
 もう少しお付き合い下さい。次回は、最大の見所「大手虎口」です。


裏山ポタリング(4)                     -物見台・馬場通路-

2006年07月12日 | MTB[トレイルラン]
Yamajiro_26s_1

 今日は定時間であがらないといけない日なので、早速裏山に行こうと思ったら会社を出た途端に雨。こんなことなら残業しておけばよかった。
 とは言っても定時間の日に簡単には残業できないのです。所属長の了解、捺印の上、本部長の了承を得て、組合に申請を出さないといけないのです。って自分の都合で定時であがったり残業したりと、サラリーマンにあるまじき労働スタイルです。

 で、今回も「裏山ポタリング」シリーズ。

 「馬場下通路」と下があれば、その上があるもの。今回は「馬場下通路」の上にある「馬場通路」とその行き止まりにある「物見台」です。

※ 「馬場下通路」の記事は、「裏山ポタリング(1)」を参照ねがいます。また、各史跡の位置関係は、こちらこちらの写真を参照下さい。

Yamajiro_19s 馬場通路は、馬場下通路の一段上にこれと平行して走っています。この写真は、馬場通路の入り口から物見台方向(西)を眺めた写真です。
 ちなみに「馬場」という名称は、この先(東)にある「馬場曲輪」からきているようです。、「馬場曲輪」自体その細長い曲輪から、後世に命名されたと考えられいるようですが、発掘調査の結果かからは、馬場に関連する遺構は発見されていないようです。
 また「曲輪(くるわ)」とは、江戸時代の城郭の「丸」に相当するもので、土塁・柵・堀で囲んだ平坦な土地に建物などを構えた一つの区画とのことです。

Yamajiro_21s

 馬場通路・物見台の構造はこのようになっています。(説明看板の図)
 北側には、幅1.2m、長さ72mの石塁が築かれ、敵の攻撃に備えていたようです。

Yamajiro_22s これは、馬場通路から馬場下通路を覗いた写真です。説明看板にも、関連HPにも説明はありませんが、このような位置関係であれば、馬場下通路に侵入してきた敵に対する攻撃の足場にもなりえたと思われます。

Yamajiro_25s これが物見台です。この構築物自体は、調査で確認された柱穴の位置を表示する為ものであり、物見矢倉の復元ではありません。
 物見台は、馬場通路の西端、堀切で断ち切られた尾根の先端部分にあり、石積みによる基壇の中央に物見矢倉と推定される建物の柱穴が発見され、その遺構表示として写真の物見台が建てられているようです。

Yamajiro_23s 判り易いので、説明看板にあったパース図を載せておきます。

 この記事の一番上の写真が、物見台の上から見た、北東~北~北西を望んだ写真です。4枚の写真を合成していますが、自動合成したら変な写真になっちゃいました。
 この日は雲がかかっていて見えませんが、東から男体山、赤城山、榛名山、白根山、浅間山、妙義山(順番に自信無し)を望むことができます。

 一番下の写真は、南側の写真です。空気の澄んだ晴れた日には、富士山や都心の高層ビルが見えます。

Yamajiro_30s これは、これから走る所の写真です。
 手前の山に登る前で左に折れて、後は何処をどう走っているやら、自分でもよく分かりません。

 ところで今更なのですが、このような記事って読者の方にとって面白いのでしょうか?「つまらない。」と言われても、新ネタが出てくるまで書き続けますけど。

Yamajiro_31s


ケツを刺される。

2006年07月10日 | MTB[トレイルラン]
 「裏山ポタリング(2)」で蚊に刺された痕の一つが、案の定、膿んできました。この後ジュクジュクになって何時までも綺麗にならないンですよね。
 でも、脚全体が腫れるよりはマシです。脚が腫れると歩くだけで痛いですからね。

 さて、今日は仕事を早くあがれたので、また裏山に行ってきました。
 余りの体力の無ささ加減に愕然とした私は、最近、時間を作っては自転車で登りをやるようにしています。良い心掛けです(自分で言う事ではない?)。

 今日は登るのがメイン。日が落ちる前に下る必要があるので、直接自分のアパートがある側に下りる短いトレールを使います。短いと言っても、見通しの良い高速コースあり、テクニカルな根っこ、岩場ありの面白いコースです。

 自転車はP7。このP7、「重力技研」さんにサスをメンテしてもらい、この前自分でチェーンを新品にしてから絶好調。

 なにせサス(ブラックプラチナ)が120mmも動く上に、コイルスプリング並のフィーリング。全く予想外の高性能ぶりに、タイヤのグリップなどお構いなしに、バイク任せでドカドカ下れちゃいます。

 ところが、根っこ、岩場が続くテクニカルなコースに入った矢先に、何やらリアサスが生えたような感触。「しまった!」と思った途端、リアタイヤが「ボコボコボコ・・・」。パンクです。飛ばしすぎです。バイクに任せ過ぎ。タイヤは1.95なんですから。
 こんなアンバランスな設定に誰がした!って私です。だって、ブラックプラチナがこんなに良いなんて(重力技研チューン前提)思わなかったンだもん。
 タイヤをフリーライド向きにすれば、そうそうパンクしないでしょうけど、今度はリムがもたないでしょう。DMRとも被っちゃうし。パンクさせないテクニックを身に付けるとしましょう。

 蚊が一杯いる森の中でチューブ交換をする気にはなれないと言う訳で、折角の面白いセクションを蚊に追われながらバイクを押し降ろすことになりました。

 トレールを出た途端、そこは住宅地。恥ずかしいけど、道端の邪魔にならないところでチューブ交換です。
 しかし、ここも安全地帯ではなかったのです。日が落ちたら蚊の天下。一分もしないうちにシマシマのやぶ蚊が寄ってきます。蚊を追い払いながら急いでパンク修理をしました。

 そして、アパートに帰ってきて、風呂に入り洗濯物をして、PCの前に座ったら何かお尻が痛かゆい。まさかと思いましたが刺されてました。レーパンの上に短パンを履いていたので、短パン、レーパンのパッド越しに刺しています。流石、やぶ蚊です。

 仕方がないので、刺されたところに液体ムヒを塗ります。で、立ち上がると液体ムヒが「ツツゥ~」と・・・「ヌォアアァ~!」し!しみるぅぅ~!
 こういう敏感なところには、練り物ムヒを塗るべきでした。
 せめて、ここは腫れませんように・・・。


裏山ポタリング(3)                     -城跡全容-

2006年07月09日 | MTB[トレイルラン]
Yamajiro_42s_1

 今日は皆とトレールランの予定。朝5時に目が覚めたのですが、まだ早すぎるので二度寝。目が覚めたら既に集合時間。「先に走ってて」メールを入れて仕度をしてたつもりが、また寝てしまいました。
 日頃の寝不足(不眠症なんです。)が祟っているのでしょう。「ごめんなさい」メールを入れて今日のトレールランは諦めます。
 楽しみにしてたのに・・・って、それより皆さん行けなくてごめんなさい。

 と言う訳で昨日の「裏山ポタリング(2)」の続きです。

 続きと言っても、撮ってきた写真の整理、トリミング、加工、リサイズと、城跡のWeb調べをしてたら、力つきてしまいました。てな訳で、今回は城跡の全容の紹介だけです。

 それから「裏山ポタリング(1)」の間違いを、修正、追記しました。

 上の写真が、御台所曲輪に設置されている城跡全容の模型です。これで各史跡の位置関係が分かるかと思います。
 この写真以外にも、西側(写真左側)には西城、東南側(写真手前右側)には、砦の跡があります。

 下の写真は、上の模型を北側から眺めた写真。

 昨日は、大分歩き回ったので当分ネタには困らなそう。

Yamajiro_43s


裏山ポタリング(2)                      -大手口?-

2006年07月08日 | MTB[トレイルラン]
Yamajiro_57s
 今回は「裏山ポタリング(1)」の続きですが、疲れたのでさわりだけ。
 「裏山ポタリング(1)」の記述には、後々調べると間違いが多々見付かったので、あとで修正しておきましょう。

 上の写真は、本城跡付近に群生していたアジサイ。綺麗なので撮ってみました。

 今日は、「本城大手口」から登ってみます。実はこの大手口ってのが間違いぽいンですよね。平成の発掘以前の説明看板には間違いもあるそうなんで。
 写真で見ると漕いで登れそうですけど、見た目より急な坂で助走も付けられないので私には無理。担いで登る事にします。

Yamajiro_18s この道を登って行くと、このように岩がゴロゴロしています。シロートの私には、この岩が自然石なのか加工してあるものかは分かりません。
 直ぐ左側には沢が流れていて、地形的に大手口という感じはしませんが、道筋に沿って後世にできた沢とも考えられるので、なんとも言えません。
 まあ、この道が当時のものなのかどうかは、ヒマなときにWebで調べてみましょう。

 ところで、写真を見ての通り蚊が多いところです。写真を撮ってる間に5,6匹の蚊が脚にたかっています。まだ、虫除け剤を塗っていなかったのですね。何時も書いている通り、私は蚊が苦手な体質。急いで蚊の居ない所まで登って、すかさずムヒを塗っときます。お陰で、今回は脚全体が腫れ上がるようなことはありませんでした。
 蚊に刺されたら、直ぐに薬を塗るのが一番です。

 この後、色々な所を廻ったのですが、それはまた別の機会に。

 藪漕ぎあり、転倒あり、得体の知れない虫(?)に刺されたり、このところの雨で崩落したトレールにツッコミそうになったりと、ポタリングという思惑とは違った、チョットした冒険遊びなトレールランでした。


期待通りです。                     「ノラメカニックの人畜無害無味無臭」様!

2006年07月07日 | Bicycle[機材、装備]
 「ノラメカニックの人畜無害無味無臭」様の記事「脳汁垂れ流し」にコメントを書こうとしたら、Doblogに登録してないと書けないのね。
 と言う訳でトラックバックさせて頂きます。

 期待通りに、いきなり駄々漏れ情報!皆さんも、この記事に跳んで貰うと面白いモノが見れますヨ。

 先ずカッコイイ!それに軽そう(実際に軽いらしい)。メンテ楽そう。
 イイですねぇ~!突っ走れ!KHSジャパン!頑張れ重力技研!てな感じです。

 あとそれから、ご要望通りリンクしておきましたンで、宜しくです。(って何を?)


NEW DMRのクランク&リング

2006年07月07日 | Bicycle[機材、装備]
Dmr_crank_01s
 また、お買い物ネタです。
 NEW DMR用のチェーンリングです。前はプロファイルレーシングの36Tを使っていたのですが、ローカルトレールだとチト重い。って訳で34Tです。
 ブラックスパイアのDH用です。「重力技研」さんにとって頂きました。ホントはエンビィのシルバーをとって貰うつもりでしたけど、エンビィ-のはシルバーと言ってもチョット前のLXみたいに青味がかっていたので、ブラックスパイアの黒で正解かも。
 ちなみに、エンビィのはサーリーに使ってます

 クランクは、今時珍しいクロムメッキモノ。私の大好きなヒカリモノです。おまけにクランク長は165mmと私の短い脚に最適です。大分前にヤフオクで買いました。
 前に使っていたのは、クランク長175mmの古いXT。実は漕ぎはそれ程苦労はしなかったのですけど、ペダルを地面にガツンガツンぶつけるンですよね。
 
 ヒカリモノのクランクと黒のリングも、メリハリがあってヨロシイのでは。
Dmr_crank_02s


「ノラメカニックの人畜無害無味無臭」様                       リンク追加

2006年07月06日 | お知らせ
 実はこのブログ、「重力技研」さんの萩原さんのブログなんですね。

 開設の経緯には「この度KHS様よりの依頼で、blogを開始する事と相成りました。」とありますが、KHSさんはどういうモクロミなのでしょうか?最新情報を流してくれるのでしょうか?それとも、放置プレイ中の重力技研HPをみかねたのでしょうか?

 何れにしても、順調に更新中のようです。
 ブログって簡単に更新できるけど、ネタがないと当然更新できないのよねぇ。
 萩原さん。ブログくらい、あまり気張らずに気楽にいきましょう。

 この記事は、「ノラメカニックの人畜無害無味無臭」様の記事「はじめまして」にトラックバックさせて頂きました。


ミサイルだァ~!

2006年07月05日 | その他
 と騒ぐと、あの国の思う壺なンでしょうけど、ビックリしましたねぇ。

 普段はブログの内容が拡散してしまうので、時事ネタは書かないンですけど、ビックリして書いちゃいました。

 6発ものミサイル発射には、何らかの狙いがあったのでしょうけど、あの着弾点では、あの国の狙いが果たせたのかどうか?ただ引っ掻き回してより孤立を深めただけのような。アメリカはのってこないと思うぞ。
 日本を始め、米、韓、露が何らかの非難的な表明をしてますが、中国が何も表明してないところが気になるところ。

 それよりも、6発の内の1発は、また日本列島越しに太平洋に落すつもりだったのかもしれませんが、あの着弾ではミサイル自体の性能が心配になります。もし、日本に着弾しちゃったらどうするつもりなのでしょう?と言うより、そうなったらどうする日本!
 事故とみなして、経済制裁ってのが妥当な線か?経済制裁と言っても苦しむのはあの国の一般国民で、中枢は余り堪えなさそうなんだけど。

 とにかく、冷静に対処して、何処かの国みたく「一気にカタをつける」(コレって偏見?)事態にならないことを願っています。現時点でそれはあり得ないでしょうけど。


 と、夜になってみると大分報道の方も落ち付いてきたようで。それよりも、私、また間の抜けた事書いてますね。

 先ず7発だったようですね。7初目は、スカッド或いはノドン級とか。でも、全てICBM級の10発との報道もあるようで。

 それから、射線上には日本は無く、着弾点が綺麗に直線を描いてるってとこ。あの9:1分けの軍事評論家の方によると、これはちゃんと機能するミサイルを持っているってことがアピールできたってことで、意味のあることのようですね。
 それに、日本のイージス艦の観測による切り離しに失敗して日本海に落下したテポドン2号と思われるミサイルは、ホントにアラスカまで届いちゃったら大変な事になるから、意図的に切り離さなかった可能性もあるとか。なるほどねぇ。
 でも、ロシアは「意図的にあそこに落したら、ただじゃおかない。」って言ってるぞぉ。

 次に経済制裁。人道支援はまた別の話なのね。

 それに、中国も遺憾の意を表明してくれましたね。ちょっと安心です。
 あとは、国連安保理で、中、韓、露がどのような態度にでるかですね。


 あらためて読むと、この記事ってニュースの受け売り。時事ネタは書くもんではないですね。 


クロモリ兄弟

2006年07月03日 | Bicycle[機材、装備]
P7surlys
 今稼動しているバイクは、この2台だけ。DMRが組み上がれば、クロモリ三兄弟になります。

 昨日の日曜日は、雨が降ったり止んだり。で、一応本皮サドルなので、コンビニ袋で雨対策してます(乗る時は雨でも外します)。
 この日のトレールランはサーリーでの出動。P7は帰りに「輪娯館」さんで弄る為に持ってきただけ。

 ピンクのサーリー1×1には、私が「サリーちゃん」というカワイイ(ベタな)命名をしたのに、近頃仲間内から「漢バイク」という汗臭い名前で呼ばれています。
 でも、この日は「漢バイク」の名を返上したくなる程のダメダメな走りっぷり。まあ、乗っている私がダメダメなんですけどね。

 この日のトレールランは下りコース。路面は良い具合に湿っていて、先週よりもグリップが良いです。
 しかし、私は体がガチガチで全然乗れてません。先週の顔面着地が祟っているのか、寝不足(まだ不眠症なンですねぇ。嫌になっちゃう。)で体の調子が悪いのか、乗り方は分かっているのに体が言う事を効きません。
 普段は、1本指ブレーキ(サーリーのサス性能?からして、1本で十分に効くのです。)なのに、2本指ブレーキになっちゃいます。2本指になった途端に、手首も肘も肩もガチガチになっちゃうンですねぇ。多分、ブレーキを「ギュ!」って握り易いからなんでしょうけど。

 完全に守りの姿勢です。私の場合、トレールでも街乗りでも、ある程度攻めの姿勢の方が、転倒や事故や怪我が少ないようです。まあ、萎縮してるようでは良い動きが出来ないってのは、一般的な話しかも。
 で、この日はコケる気満々、嫌な予感全開です。こんな日は、自分で「コケるぞ、怪我するぞ。」って自己暗示をかけているようなもんですから、2本目の走行は止めにしときました。

 と言う訳で、早々に退散。お昼までの間、「輪娯館」さんでP7を弄ることにします。

Rd_guard_01s で、「輪娯館」さんで先ず買ったのが、グランジのRDガード。この前チェーンサックで曲げてしまったRDハンガーの補剛対策です。
 持ってみると、見た目よりも随分軽く感じられ、トラブル回避策としては妥当な重量増と思えます。
 私は、変速がヘタなのか、登りがヘタなのか、登坂時の変速トラブルをよくやらかすのです。

Rd_guard_02s 取り付けた状態がコレ。ハンガー取り付け部とアクスルシャフト部とで、四角い骨格を形成してますので、チェーンサック等のRD側からの入力に対する補剛にも効く筈です。
 でも、この写真を見るとハンガーがまだ曲がっているように見えますね。ちゃんと真直ぐにしたンですけどね。変速も完璧だし。
 それよりも、RDガードのハンガー部のイモネジを締め込み過ぎたクサイ。ちょっと戻しておきましょうって、実はイモネジの頭を舐めてしまったンですねぇ。バカです。
 このRDガードを取り付ける際は、ハンガー部のネジは、アクスルとの平行度を見ながら慎重に締め付けた方が良いでしょう。ネジロックのお陰でネジが底付きした際のトルク変化が掴み難いのです(言い訳だけど、ホントの話し。)。
 私のは、このままか、気が向いたらイモネジ先端と段付き部を削ることにしましょう。

Hg53_chain_01s 次に買ったのが、チェーン。お店に置いてあった一番安いHG-53にしました。
 今までは、XTかXTRクラスを長々と使っていたのですが、チェーンは消耗品。安いチェーンをこまめに取り替えた方が気持ち良い事に、今頃気が付きました。

Hg53_chain_02s コレがチェーンを取り付けた状態。
 新品だと気持ち良いくらい、一発でディレーラーの調整が決まります。余りに気持ちよく決まったので、いまいちだったFディレーラーも調整し直し、変速は完璧。インナー×ハイ以外(使いませんからね。)は、全く音がしなくなりました。気持ちイイ!

 丁度そこに、トレールラン組みから「お昼を食べるよ。」と連絡が入ったので、いつもの蕎麦屋さんで遅いお昼。これで、この日はおしまい。

 これで、1×1とP7は、ほぼ完璧に仕上がったのですが、ローカルトレールのメインバイクになるであろうDMR(ヘッドパーツがない)と、シーズン真っ只中のダウンヒルバイクのジャイアントDH(リアブレーキキャリパーがない)が、組み上がっていません。どうにかしなくちゃ。


裏山ポタリング(1)                            -山城跡・馬場下通路-

2006年07月01日 | MTB[トレイルラン]
[7/9追記・修正] 私の勘違い、思い込みによって、間違いを記述しているところがありましたので、追記、修正致しました。[追記・末]

 普段から「フリーライド・ポタリング」と言ってるからには、たまにはポタリングらしく寄り道をしてみましょう。今回は、私のアパートの裏山ポタリングをしてみます。

 このブログでは、「裏山」と軽く言ってしまっていますが、標高238.5mの独立峰。独立峰に相応しく、東西3.1km、南北3.8kmの山城跡のある国の史跡であります。
 Webで軽く調べてみますと、1469年に新田一族であった岩松家純によって築城されたとあります。(1469年以前、平安時代末期には新田氏によって築かれた城の前身があり、新田義貞一族の滅亡と共に一時は廃城になったという説もあるようです。)

 その後、甲斐の武田氏・越後の上杉氏・相模の小田原北条氏などの戦国大名と、連携、敵対、攻防を繰り返しましたが、この山城は難攻不落を誇りました。1574年には五度に渡り上杉謙信の攻撃を受けましたが、持ちこたえています。
 しかし、1590年に豊臣秀吉の小田原征伐により、攻撃され落城。廃城となっています。(小田原征伐に「伴い」廃城かな?)
 攻撃による落城ではなく、1590年に豊臣秀吉の家臣らに城を接収されたが、管理されないまま廃城になったという解説もあります。

[7/9追記・修正] 攻防戦による「落城」ではなく、接収による「廃城」とのことです。[追記・末]

[7/9追記・修正] この史跡の価値について
 従来、「関東地方では戦国時代の城にこの様な石垣や石敷きはない」という定説であったようですが、この史跡の発掘により、この定説を覆す史跡となったようです。
 また、当時としては非常に大規模な山城であったようです。[追記・末]

[7/9追記・修正] この史跡の復元について
 戦国時代の史跡というと、苔むした遺構がチョロっと地面に露出しているというイメージで、ここで紹介したような復元された史跡を見ると興ざめする人も居るかもしれません。
 しかし、この復元は整備備によって、遺跡が壊れることのないよう、十分な手立てを講じた上で、施設の設置や復元整備等が実施され、綿密な調査に基づいた推定復元を行い、具体的な形として示すという方法を採っているようです。ちなみに、近年、史跡を理解するためには、「復元」(原寸大模型)が有効と考えられる様になってきているようです。また、この史跡の復元は、この復元方法の先駆けとなる事業のようです。
 私自身は、このような復元方法、税金の使い方には肯定的な考えです。歴史的な知識がないと、想像力だけで遺構の全体像を掴むのは難しいですし、これだけの史跡を崩れるに任せるにしとくのは、忍びないですからね。[追記・末]

[7/9追記・修正] 本史跡の場所と、
               参考にさせて頂いたHPについて
 「ローカルトレールは、Web上で公開しない。」という私のスタンスから、誠に勝手ながら本史跡の名称、場所などについては、本ブログでは明記しておりません。
 また、同様の理由により、参考にさせて頂いたHPも紹介しておりません。参考にさせて頂きながら紹介しないとは、何とも心苦しい限りです。
 そこで、「本史跡自体について知りたい。」というコメントを頂ければ、そのHPを紹介させて頂きたいと思います。(地元の方々には、写真を見ればバレバレなんですけどね。)[追記・末]

 と言う訳で、この城は一般的にイメージされる天守閣があるお城ではなく、戦国時代の戦闘向きの城、むしろ砦といったイメージのようです。(天守閣があったかどうか?それが判明しているのか?は、私には調べきれませんでした。)

[7/9追記・修正] 何らかの本城にふさわしい建物はあったのでしょうけど、江戸時代の城のような天守閣はなかったというのが、現在の見方のようです。[追記・末]
 
 なんか、このブログに似合わずアカデミックでしょ。

 廃城から400年以上経っているので、素人目には本来なら城跡と分からない状態だったのでしょうが、ここ十年ほどの発掘調査で、その構造の一部が判明し、その調査に基づき各構造物が綺麗に再現されています。
 何時行っても、ゴミ一つなく、掃除している人も見た事がないので、ここを訪れる方々のモラルの高さに感服します。(駐車場がある西城跡は、昼間は外回りのサラリーマンの休憩所、夜はアンチャン達の溜まり場になっているので、汚いです。)

「本城大手口」
Yamajiro_02s 傍らの説明看板には、本城大手口とありますが、走り易いシングルトラックにみえますね。この先がどうなってるかは見ていないので、今度行ってみよう。
 
[7/9追記・修正]  ここが大手口だったかどうか、はっきりしません。少なくとも私が参考にさせて頂いたHPには、ここに関する記述はありませんでした。[追記・末] 
 
「堀切」
Yamajiro_03s 防御施設の堀切です。尾根を鉛直方向に掘ってあります。
 これは下から眺めたところ。説明は次の項で。
 
「馬場下通路」
Yamajiro_15s
 これは本丸に通じる通路の説明看板の図です。いかにも山城らしい構造で面白いです。

Yamajiro_13s_1 この写真は、城側(防御側)の木橋の手前から馬場下通路を見た写真です。
 
 
Yamajiro_08s_1 この写真は、上の図の一番左がから城方向を眺めた写真です。
 つまり、攻撃側が馬場下通路までたどり着いた時、はじめて目にする光景です。攻撃側は奥に見える石垣(この上に構築物があったかどうかはわかりませんが)からの鉄砲や弓矢の集中攻撃を受けながら、手前の細い通路を前進することになります。
 石垣までたどり着いても、通路の右側は崖になっているので、石垣を盾にすることは難しいでしょう。できたとしても、左側も含めて数名が隠れられる程度でしょうか?

Yamajiro_09s_1 上の写真の石垣を抜けると、この光景が目に入ります。
 奥には1mほど高く設置してある木橋が見えます。更にその奥には、また石垣があります。
 今は右側に木がうっそうと繁っていますが、当時は視界(射界)を確保する為に切り払われていた事でしょう。私が防御側であればそうします。
 攻撃側は、ここでも集中砲火を受けながら前進を強いられることになります。

Yamajiro_06 写真と私のつたない文章では、位置関係が分かり難いでしょうから、説明看板のパース図を貼っときます。これなら写真との関係がわかるでしょ。(かな?)

Yamajiro_01s これは木橋手前から、立ち姿勢で城方向を撮った写真です。しゃがんで撮った訳ではありません。木橋は手前の地面より1m程高く設置してあるのです。
 もし木橋に登る階段や斜面が無かったとすると、攻撃側はここに登る時に隙を作ってしまう訳です。最も木橋の影に隠れることも出来るわけですが。

 Yamajiro_11s
 今度は防御側から見た写真です。
 木橋左側の石垣の上から、通路入り口方面を見た写真です。左側の木が無ければ射界が開けてます。
 木橋右側の階段は、集中砲火に耐えかねた攻撃側を、前記した堀切に降ろす階段です。なぜ逃げ道を作っておいたのでしょう?守る側としては、長い間攻撃されるより、逃げてもらった方が有り難いのかな?

[7/9追記・修正] この階段は、堀切を通って下の通路に繋がり、西城と実城域との連絡通路の本筋として利用したものと考えられてるようです。[追記・末]

Yamajiro_05s これは木橋谷側の石垣の上から堀切を見た写真です。上記の「堀切」の写真と丁度逆方向から眺めた写真になります。
 堀切に落ちた攻撃側は、ふりだしに戻ることになります。

Yamajiro_12s これは木橋を渡った石垣の裏にある建物跡。どんな建物が建っていたか分かりません。

 この日はここまで。暗くならないうちにトレールを下ることにします。
 どうです?なかなか面白い所でしょ。