今回は、この史跡最大の見所(だと思う)、「大手虎口」です。
「虎口(こぐち)」とは、城の出入口、または城内部にある各曲輪の出入口のことだそうです。
上の写真がその入り口です。ここには礎石が確認されており、大手門があったと考えられています。
例によって、各史跡の位置関係は、こちらとこちらの写真を参照下さい。
大手虎口の全体像を掴み易くする為、説明看板を貼っておきます。
水が集まり易い地形なので、このように巧みな排水構造が施されていたようです。
大手虎口を入って更に進みます。この通路は、右に緩やかに曲がりながら途中が狭くなっています。左右には石垣が積まれており、その上が曲輪になっています。
上の写真左側の曲輪に上がってみました。ここが「虎口北脇曲輪」です。
向かい側の曲輪に人が写っていますが、この方はアマチュア歴史家でしょうか?暑い中、スケッチや説明看板を書き写していました。私のようにデジカメに頼らないところに年季を感じます。遠くからいらっしゃったのでしょうか?
向かい側の曲輪が「虎口南脇曲輪」です。南脇曲輪には、このように復元建物が建てられています。
「虎口南脇曲輪」の石垣にある排水構造(だと思う)です。2つ上の人が写っている写真にも写っています。
通路(上から三番目の写真)に戻ります。その通路の突き当たりに大きな石垣があります。突き当たって右側を見た写真が、この写真です。
写真の正面の突き当たりを左に曲がると、更に虎口があります。ここにも門があったと考えられています。
こちらは上の写真の反対側。通路を突き当たって左側を見た写真です。
こちらも、正面の突き当たりを右に曲がると、更に虎口があります。ここにも門があったと考えられています。
このような突き当たり構造や、右に緩やかに曲がりながら途中が狭くなっている通路は、城の中枢部分に簡単には入り込めないようにする為の構造と考えられています。
上の写真の左下には、当時の石垣跡が露出展示されています。
ここの石垣(上の写真通路左下の石垣)は何回か崩れたらしく、5回改修された痕跡が見付かったとの事です。
この写真の手前の石の列が第3、4期のもの、その奥が第5期のものとのこと。
この写真は、通路突き当たりから「虎口南脇曲輪」を眺めた写真。
復元された井戸と建物が見えます。
これが井戸の中。
発掘時、井戸の石垣と、底の木枠が見付かったようです。
これが復元建物。手前の小さい小屋はカマドがある部屋です。
この場所からは、石敷きされた建物の基礎とカマドが発見されました。基礎が石敷きされているのは、湿気を防ぐためだったと考えられます。建物脇にはカマドが見つかり、建物から火気を遠ざけていたと考えられています。
このことから、建物は火薬などを備蓄した「武器庫」を兼ねた「兵の詰め所」だったと考えられているようです。
これが、復元されたカマドです。
私は特に歴史に興味がある方ではありませんが、この場所にはかなり想像力をかきたてられました。
ひとけも無いので(観光施設ではないですからね。観光資源にはなると思うンだけど。)、不思議な空間です。