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良心的裁判役拒否(連載第7回)

2011-10-01 | 〆良心的裁判役拒否

理論編:裁判員制度の仕掛けを見抜く

第4章 「平成司法改革」の舞台裏

(1)「平成司法改革」の狙い
 第1章でも初めに少し言及したように、裁判員制度は1999年に始動した大規模な司法改革―これを「平成司法改革」と呼びます―の一環として制定されたものですが、この「平成司法改革」の中で、裁判員制度は実は付け足し的な意味しか持っておらず、この「改革」の最大主眼は圧倒的に弁護士数の大増員に置かれていたのでした。
 弁護士大増員策と裁判員制度という一見して関係なさそうなものがどこで結びつくのか━。この謎を解く前に弁護士大増員の持つ意味を把握する必要があります。
 日本では明治維新後、近代国家創りを急ぐに際して、圧倒的に行政権主導の国家を目指したため、多数の行政官僚を擁する一方、弁護士や裁判官をはじめとする法曹の数は低く抑え、「小さな司法」を維持してきました。このような方向性は敗戦をはさんで戦後も続いたため、法曹共通の資格試験である司法試験は年間合格者がわずか数百人程度という超難関となり、まるで前近代中国の官吏登用試験「科挙」のような様相を呈していたのです。
 こうした状況が一変したのは、1990年代です。この時期の日本はバブル経済の崩壊を契機とする長期不況に突入しており、その打開策として規制緩和・民営化を柱とするいわゆる新自由主義の経済戦略が財界の要請をも背景に打ち出されてきました。
 この戦略は、従来とは逆に、行政権を縮小して「小さな政府」を目指す一方で、民間資本主導の経済社会を構築するために、それまであまり活用されていなかった司法を経済社会の調整役として活用しようという方向に踏み出していったのです。
 このことは、「平成司法改革」の基本法として2001年11月に制定された司法制度改革推進法第1条に「この法律は、国の規制の撤廃又は緩和の一層の進展その他の内外の社会経済情勢の変化に伴い、司法の果たすべき役割がより重要になることにかんがみ」云々と明記されていることからもはっきりしています。
 こうした新自由主義的司法改革戦略の中心は、民間資本と密着して協働する弁護士の増員策にありました。そのために、司法試験の合格者増を通じた弁護士大増員―言わば法曹資格の規制緩和―とそれを担保するための新たな法曹養成制度である「法科大学院」の創設が打ち出されたのです。
 しかし、弁護士業界、特にその代表団体である日本弁護士連合会(日弁連)は従来、弁護士大増員には強く反対していました。このことはしばしば弁護士の既得権益護持の態度として非難されがちですが、必ずしもそうとは言い切れない事情があります。
 日本では先述したように、およそ1世紀にわたり弁護士数を抑制する政策が採られてきた結果として、「弁護士要らず」の社会が形成されてきたのです。
 弁護士が少ない分、司法書士、行政書士、社会保険労務士、弁理士、税理士など特定分野に限定して一定の法的事務を処理する法律専門資格が林立しているのはその現われです。こうした特定分野の法律専門家たちは、諸外国ならば弁護士が処理するような仕事を請け負っています。また、企業・団体の法務部門も弁護士を雇う代わりに、内部養成した法務スタッフを配置して法務を担当させることが一般です。
 結果、弁護士に残された職域はほぼ訴訟代理人業務が中心となりますが、それですら民事訴訟では弁護士を訴訟代理人に立てる必要はなく、本人訴訟が広く許されている次第ですから、日本社会では現在でもなお「弁護士要らず」なのです。
 こういう状況で、単純に弁護士数だけを急増させれば、「資格あって仕事なし」のペーパー弁護士が大量に生じ、また少ない仕事の奪い合いによる収入減をもたらします。結果は、弁護士の質的劣化と悪徳化で、そのツケは弁護士を利用する私ども市民に回ってくるわけです。
 従って、日本で弁護士を大幅増員するためには、少なくとも(ア)多岐に分かれた法律専門資格を弁護士に統合すること(イ)民事訴訟に弁護士強制制度を導入することという二つの前提条件を満たす必要があるのです。
 ところが、(ア)は多数の所管官庁及び関係業界との調整・協議が必要になること、(イ)はセットで弁護士費用等を公費で援助する法律扶助制度の大幅拡充が必須で、財務省・与党の同意が欠かせないことといった困難な事情があり、現状では実現のめどが立たないことから、「平成司法改革」ではこれら前提条件の整備を回避したまま、弁護士大増員だけを実行するという乱暴な策に出たのでした。
 そういう無理を押し通すためには、日弁連を説得し倒す何らかの取引材料が必要になります。それが「司法参加」だったのです。なぜ「司法参加」が取引材料になるかと言えば、弁護士の間ではかねてより司法制度の民主的改革の切り札として陪審制の導入を望む声が根強く、日弁連もそうした提言をしたことがあるからでした。
 その点に最初に目を付けたのが、当時の与党・自民党です。同党は第1章でも紹介した1998年の司法改革に関する報告の中に、検討課題として「陪審・参審」を滑り込ませたのです。
 こうした日弁連にとっては宿願でもある司法参加の導入をちらつかせつつ、一方では弁護士増員に消極的な日弁連を「既得権益にしがみつく守旧勢力」として世論に印象づければ、日弁連を大きく揺さぶることができるわけです。
 ただ、はしがきでも述べたとおり、陪・参審制と裁判員制度は似て非なるものですから、自民党の誘い水的な提言が直接に裁判員制度に結びついたわけではありません。関係者も妥協の産物であることを認めている裁判員制度なるものが姿を現すまでには、法曹界に舞台を移しての一種の裏取引があったのです。


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