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良心的裁判役拒否(連載第11回)

2011-11-26 | 〆良心的裁判役拒否

実践編:裁判役を拒否する方法を探る

第6章 拒否から廃止へ

(1)不正の制度
 本連載は裁判員制度に関する最高裁判所の初の憲法判断が出るまで休止しておりましたが、今月16日の大法廷判決で全員一致の合憲判断が出されたことを受けて、再開致します。今般の合憲判決によって、裁判員制度については一応司法府のお墨付きが出たことになるため、当面制度は存続していくことが確実となったからです。
 そこで、本章からは「実践編」として、いよいよ連載の主題である良心的拒否の問題に入っていきますが、その前に前章までに見てきた裁判員制度の問題点をここで改めて整理しておきたいと思います。なお、最高裁で合憲判断が出たということは、「裁判員制度は少なくとも憲法には反しない」という意味しか持たず、制度にいかなる問題点も存在しないというわけではありません。
 この制度を「拒否」するというからには、憲法問題に限らず、制度がどんな問題性を持つのかを明確にしておかなければ、早くも合憲判断が出されたこととあいまって、「日本型司法参加」云々のPRに動揺し、結局は拒否し切れなくなってしまう恐れがあるからです。
 その際、裁判員制度が抱える数々の問題点は単なる「不当」の域を超えて、「不正」の域にまで達しているということを明確に意識する必要があります。
 ここに「不当」とは、単に政策的な妥当性の欠如を意味していますが、「不正」とは法的・道義的な正当性の欠如を意味しています。「不当」にとどまらず、「不正」だからこそ、自己の良心に従い「不正」に手を貸すことを拒む「良心的拒否」の扉が開かれるわけです。
 では、裁判員制度の「不正」な問題点とは?(以下、主語抜きの箇条書きにしますが、各文の主語は言うまでもなく裁判員制度です)。

(a)憲法上の根拠なくして、裁判役という新たな「国民の義務」を賦課する。
(b)一般国民を罰則付きで、精神的・肉体的にも、場合により経済的にも負担の重い重罪事件の裁判に動員する。
(c)各人の良心に反して、他者の権利・自由を剥奪する処罰任務を強制する。
(d)特に、僅差で反対意見の裁判員にも死刑判決に関与させて、他者に死を命ずる任務を強制する。
(e)裁判員の権限及び身分保障の弱さから、裁判官主導の裁判が実行され、一般国民が冤罪や違法捜査を見逃した不正な判決に加担させられる恐れがある。
(f)裁判員選任手続の過程におけるプライバシー保護の配慮が欠如しており、各人の思想・信条に関わる情報の取得も可能で、その結果によっては思想・信条による差別も発生し得る。
(g)補充裁判員を含む裁判員経験者は、懲役刑の制裁で担保された広範な守秘義務を終生にわたって課せられ、国家への忠誠を強いられるとともに、その者と接触を図り共犯に問われる恐れのある表現者の言論出版の自由も侵害される。
(h)裁判員の負担軽減を口実に、対象事件の被告人の争う権利を厳しく制約し、なおかつ裁判員裁判を回避する権利を認めないなど、いわゆる適正手続保障(デュー・プロセス)を著しく軽視している。

 なお、以上に掲げた問題点のうち、青で示した(a)(b)(f)(g)は裁判役を課せられる者自身に降りかかってくる「不正」であるのに対し、赤で示した(c)(d)(e)(h)は裁判役が向けられる他者、すなわち被告人に及んでいく「不正」です。良心的拒否を根拠づけるうえで特に核心を成す「不正」はこの他者に及んでいくほうの「不正」であるということも、ここで頭に入れておいてください(これについては、改めて後述します)。

(2)運動論の再検討
 裁判員制度は(1)で整理したような不正の制度にほかならないのですから、公然廃止を求めていくことをためらう必要はありません。しかし、すでに成立し動き出してしまった制度をどのようにして止められるかという壁が立ちふさがります。
 実際のところ、こんな制度はそもそも法案段階で廃案とすべきであったのですが、理論編でも指摘したような法曹界での裏取引の結果ひねり出された特異な政治的制度ですから、その制度設計過程は不透明でした。そのうえ、国会はカヤの外ですから、ろくに審議もしないまま、2004年の4月から5月にかけてあっという間に衆参両院で可決・成立してしまったのでした。当時は小泉内閣の安定期で、「改革」と銘打たれたものは何でもトップダウン式手法で押し通せてしまえたことも、こうした拙速に影響したのでしょう。
 いずれにせよ、そもそも法案を廃案に追い込むという形の運動を展開するいとまがなく、出来てしまってから反対に動く受身の運動とならざるを得ない状況でした。
 もっとも、裁判員法は5年間の周知期間を置いていたため、実際の施行は2009年にずれ込んだのでしたが、周知期間とは試験期間ではなく、PR期間ですから、実際、政府は「タウンミーティング」と称する官製市民集会で、参加者にいわゆる「やらせ」の賛成意見を述べさせるなどの不正な手法を含め、なりふり構わぬ世論工作を展開したのです。
 支配層は既成事実を作られると大衆は弱いという性質をよく知っているのです。そして、「知識人」は既成事実に抵抗すると地位・名声に響くため大衆以上に既成事実に弱いということもよく知られていますから、支配層は裁判員制度について専門的に語ることのできる法学者・法律家を中心に、「知識人」の多くを制度肯定・賛美の列に加えることに成功しています。既成事実にお墨付きを与える最高裁判決も出たことは、こうした傾向をいっそう強めるでしょう。
 はて、こんな状況で私たちはどうやって裁判役という不正に立ち向かっていけるのでしょうか。その突破口となり得るのが、本連載の主題である「良心的拒否」です。制度廃止へ向けた運動も、憲法及び国際条約に根拠を持つこの「良心的拒否」という観点から、改めて検討し直す必要がありそうです。その意味で、「拒否から廃止へ」なのです。


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