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良心的裁判役拒否(連載第15回)

2011-12-17 | 〆良心的裁判役拒否

実践編:裁判役を拒否する方法を探る

第8章 合法的に拒否する方法

(1)良心的拒否の「拒否」
 裁判員制度の法案概要が政府の司法制度改革推進本部の検討会(前出)から示された際、当時の与党・自由民主党からも異論が起き、同党が政府に対し、思想信条を理由とする辞退を認めるよう求める事態となりました。
 これを受けて、所管官庁の法務省は法律でなく内閣の政令で思想信条を理由とする辞退を規定することを検討したとされますが、結局見送られ、後で見るような漠然とした「重大な不利益」を理由とする辞退の規定を置くことでお茶を濁しました。
 見送りの理由として「辞退を認めるかどうかの線引きが難しい」などと弁解されていましたが、むしろ政府当局は初めから良心的拒否を認めるつもりがなかったものと見るのが合理的でしょう。良心的拒否が「拒否」されたのです。
 ここには、戦後憲法の最大成果である思想・良心の自由に対する統治権力の無理解がさらけ出されているように見えます。
 ただ、当時の与党・自民党はせっかく正当な問題提起をしておきながら、なぜ最後までそれを貫かなかったのでしょうか。やや勘ぐってみると、当時いわゆる有事法制の整備が同時並行的に鋭意進められていたことと無関係ではないかもしれません。
 有事法制は兵役制度とは違いますが、有事―有り体に言えば「戦時」―には一般国民にも自衛隊の活動に協力する義務を負わせる制度です。やはり小泉政権下で成立した有事法制上、一般国民に課せられる協力義務は任意性が担保された罰則なしの「努力義務」の形をとることで、辛うじて憲法違反性を免れていますが、良心的拒否はここでも規定されていませんから、任意の「努力義務」といっても、実際上はなかなか「協力」を拒否し切れないように仕組まれているのです。
 そういう企てと平行的に進められていた裁判員制度において、正面から良心的拒否条項が設けられると、そのことは反射的に有事法制のほうにも響いてきて、そちらでも良心的拒否条項を設けるよう求める声が強まってくることは確実です。そうした事態を避けたかった与党・自民党は裁判員制度上の良心的拒否の問題でも強く押していかなかったのではないか━。
 これは証明されていないことですが、先の「努力義務」を規定した有事法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)は裁判員法のおよそ1ヶ月後に成立しており、如上のような推測も成り立つほど微妙な時期であったのです。
 それにしても、裁判員法と有事法が同時成立した2004年当時は、戦前宗教弾圧を受けた経験を持つ宗派団体を支持基盤とする公明党が連立政権に加わり、また同じく戦前は徹底した思想弾圧対象であった日本共産党も野党として現在より多くの議席を保持していたのに、良心的拒否の問題が国会内でも強力に提起されなかったのは不可解でした。それらの与野党もこぞって「日本型司法参加」のPRに呪縛されていたのでしょうか。
 ともあれ、裁判員法には明示的な良心的拒否条項は置かれなかったのですから、正面から合法的な形で良心的拒否を実践することはできないわけです。

(2)「精神上の重大な不利益」による辞退
 政府当局が良心的拒否条項の創設を見送るのと引き換えに設けたのは、「裁判員の職務を行い、又は裁判員候補者として・・・・裁判員等選任手続の期日に出頭することにより、自己又は第三者に身体上、精神上又は経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当の理由がある」場合に裁判員任務(選任手続への出頭を含む)を辞退できるとする政令条項でした。
 国会で討議・制定する法律でなく、内閣が国会の関与なしにいつでも改廃できる政令で定めるという非民主性もさりながら、一般国民が文言を一読しても具体的にどんな場合が想定されているのか予測できないという点からも、人を食った非民主的な規定だと言えます。
 とはいえ、正面から良心的拒否条項が設けられなかった裁判員法上、さしあたって良心的拒否の仮託的根拠となりそうな規定は上記政令条項しかないのも事実ですから、何とかこれを使うことを検討してみましょう。その場合、注目されるのは「 精神上の重大な不利益」という部分です。
 それにしても漠然としていて戸惑いますが、「人を裁くなかれ」という信条を持つ人が裁判員の職務を行うことや裁判員候補者として選任手続に「出頭」させられることは精神的に苦痛であり、「精神上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当の理由がある」と認めてもらいたいものです。
 ただ、「不利益」という語は利益に関わる言葉であり、単に苦痛であるというだけでは内面的な葛藤にすぎず、利害に関わらないので「不利益」とは言えないのではないかという解釈も成り立ちます。加えて、そこに「重大な」とか「相当な(理由)」といった限定句もかぶさるのですから、厳格に解釈すると、例えば自分が所属する団体等がメンバーに裁判員に就くことを禁じており、それに違反すれば除名ないし破門のような不利益処分を科せられるおそれがあるというぐらいでなければ重大性と相当性の要件を満たさないのではないかとも言えそうです。
 この点、実施初年度(平成21年)の最高裁のデータによると、上記政令条項による辞退が認められたのは473人で、全辞退者の約7パーセントにすぎないことがこうした厳格解釈の可能性を示していますが、翌年(平成22年)のデータでは、一挙に1552人、割合にして27パーセントに急増しており、やや緩やかな運用に変わったことが窺えます。
 とにかく意図的に文言をあいまいにして裁判所の裁量を大きく取ろうとしている規定ですから、初めに述べたように、予測可能性に欠けるということがこの規定の問題性です。
 その結果、この規定に基づいて辞退を申し立てると、裁判所は該当性を判断するために申立者の思想や信仰の内容を相当踏み込んで問いただす必要があります。要するに、裁判官の質問攻めにあうということ。
 それに対して申立者が回答を拒んだり、思わず嘘をついてしまったりすると、最大で50万円または30万円という重い過料の制裁を科せられることになります(詳しくは裁判員法110条・111条参照)。 
 このようにして裁判員法は良心的拒否を正面から認めないばかりか、良心的拒否者の内心事情を重い制裁の下に探索しようとすらするわけです。

注 最高裁データは、精神上の不利益か経済上の不利益かの内訳を示さないので、良心的拒否型の辞退が認められた者の実数や割合は不明である。なお、令和4年度データによれば、上記条項による辞退が認められたのは889人である。


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