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良心的裁判役拒否(連載第3回)

2011-09-03 | 〆良心的裁判役拒否

理論編:裁判員制度の仕掛けを見抜く

第2章 強制と排除

(1)出頭義務と免除特権
 裁判役の強制的性格を象徴するキーワードが「出頭」という言葉。しかも、こうした「出頭」が何重にも罰則付きで強制されるのです。刑事訴訟法では身柄を拘束されていない限り、被疑者ですら出頭は任意なのに・・・です。
 そうした出頭強制の集大成と言うべき条文が裁判員法112条です。以下、少し長いですが、一部省略のうえそのまま掲げてみます(下線筆者)。

第百十二条  次の各号のいずれかに当たる場合には、裁判所は、決定で、十万円以下の過料に処する。
一  呼出しを受けた裁判員候補者が、第二十九条第一項(第三十八条第二項(第四十六条第二項において準用する場合を含む。)、第四十七条第二項及び第九十二条第二項において準用する場合を含む。)の規定に違反して、正当な理由がなく出頭しないとき。
二  呼出しを受けた選任予定裁判員が、第九十七条第五項の規定により読み替えて適用する第二十九条第一項の規定に違反して、正当な理由がなく出頭しないとき。
三  略
四  裁判員又は補充裁判員が、第五十二条の規定に違反して、正当な理由がなく、公判期日又は公判準備において裁判所がする証人その他の者の尋問若しくは検証の日時及び場所に出頭しないとき。
五  裁判員が、第六十三条第一項(第七十八条第五項において準用する場合を含む。)の規定に違反して、正当な理由がなく、公判期日に出頭しないとき。

 どうでしょうか。これだけ「出頭」を振りかざされると、相当寛大な人でも腹が立ちませんか。
 しかし、裁判員法はこうした裁判役の強制性を少しでも覆い隠そうとするためか、裁判員に日当(最大で1日1万円)を支払い、裁判員をあたかも臨時職公務員のように仕立てたうえ、裁判役を「職務」と表現し、裁判役に就かされることを「就職」と表現しますが、そういうお体裁は「出頭」というキーワードと鋭く矛盾します。
 裁判役は「苦役」であればこそ、法律は特定の職業カテゴリーに属する人々には免除特権を与えて裁判役から保護しているのです。この免除特権は「就職禁止」と「辞退」というやはり問題含みの名称を与えられた二つの制度内制度の中に潜り込ませる形で定められているため、気づきにくくなっています。
 このうち「就職禁止」(裁判員法15条)とは、一定の職業カテゴリーに該当する者をおよそ裁判役に就かせないという形で一般的に免除する制度です。この中には、裁判官・検察官・弁護士といった法曹のように、元来「法律の素人」を召集するという裁判員制度の趣旨からして免除というより一般的に除外されることに合理性が認められるカテゴリーも含まれています。
 しかし、総じて国会議員や国の高給(級)公務員、自衛官といった国家公務員に対して「就職禁止」という名目の下に免除特権が与えられていることは見逃せません。
 もう一つの「辞退」については次項で改めて見ますが、本来は法令の定める一定の条件または事情が認められる場合に申し立てに基づいて個別的に裁判役を免除する制度です。
 その中に「その従事する事業における重要な用務であって自らがこれを処理しなければ当該事業に著しい損害が生じるおそれがあるものがあること」という理由で辞退が許される場合があります(裁判員法16条8号ハ)。
 この文言から想像がつくように、こうした不可代替的な用務(所用)を持つ人たちと言えば、企業・団体の長や首脳級幹部職、開業医のような自営業者、さらにスポーツ選手や芸術家・芸能人といった人たちですから、こういった人たちはこの規定の下にほぼ自動的に辞退という形の免除が認められるでしょう。
 以上を要するに、裁判員制度は国の高給公務員や企業経営者、医師、スポーツ・芸能関係者など、一般に社会的地位が高いとみなされる職業カテゴリーに属する人たちには、「仕事」を優先してもらうという名分のもとに裁判役からの免除特権を付与しようとしているわけです。
 本来の軍事的兵役もタテマエ上は国民全般に平等に決せられる国防上の義務とされていながら、実際は支配層に属する人たちに制度上ないし(海外留学のような形を取った)事実上の免除特権が与えられていることとまことに相似的な関係にあることがわかります。

(2)「辞退」の仕掛け
 「辞退」の制度については、前節で先取り的に言及しておきましたが、この「辞退」という用語にも疑問を感じられないでしょうか。
 「辞退」というと、何か好意で与えられるものを遠慮するというニュアンスですが、裁判役は強制的義務ですから、それを「辞退」するという言い方は、裁判役に就かされることを「就職」と表現するのと同様の欺瞞です。
 「辞退」とは、先ほど述べたように、個別的な免除にほかならないのですから、先の免除特権とは異なり、例外的な場合にしか認められない「恩典」に近いものです。
 それでも「辞退」はここでの主題である良心的拒否との関わりでは使い道のある制度ですので、詳しくは実践編で検討することとし、ここでは大まかにその仕掛けを見ておきます。
 まず、「辞退」には大別して(A)無理由辞退と(B)理由付き辞退の二種があります。(A)は一定の条件(地位)が認められる限り、理由を付さずに辞退が認められるもので、そこに含まれるのは、70歳以上の高齢者、学生・生徒、地方議会議員(会期中に限る)、裁判員や検察審査員を経験して間がない者です。こういった条件の人たちに無理由辞退を認めるのは当然とも言えます(学徒動員をしないのは見上げたものかもしれません)。
 問題を含むのは(B)の理由付き辞退のほうです。これは法律所定の理由があることを申立者側が証明し、それを裁判所が認めたときにはじめて免除が許されるものです、所定の理由は大きく(a)健康・体調(b)介護・養育・付き添い等の必要(c)重要な用務(所用)(d)不便・不利益の四種に分けられます。
 そのうち前節で見た隠された免除特権の性質を持つ(c)を除くと、所定の理由の存在を証明するには自己や家族の病歴や健康状態、家族を含めた生活状況、経済状況、さらには自己の思想・信条といった内面的な事柄に至るまで開示する必要が生じてしまうこと、すなわちプライバシー情報が裁判所に取得されてしまうことが最大の問題です。
 もちろん、そうした不利益を甘受してでも裁判役を免除されたいという方もおられるでしょうが、プライバシーの意識が高まった時代に裁判員法が裁判員選任手続の過程で取得される多種多様な個人情報の保護について詳細な規定を置いていないのは驚くべきことです。
 こうした人権軽視の姿勢も、裁判役がまさしく苦役にほかならないことを如実に物語るものと言えるでしょう。


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