goo blog サービス終了のお知らせ 

ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

歪みゆく刑事司法(特別稿)

2023-07-01 | 〆良心的裁判役拒否

 裁判員制度施行15年目となる今年6月、法学者の小田中聰樹[おだなかとしき]氏が逝去した。法学と言えば、法哲学のような哲学にまたがる特殊領域は別として、多くは既成法令の解釈論に没入するタイプの思考であり、その点で聖典解釈に没入する神学に近く、筆者には馴染めない。
 しかし、小田中氏の法学はそうしたよくある法学とは異なり、主として刑事法分野に関して、日本の刑事司法制度を歴史的=現在的に分析しつつ、その本質を原理的かつ批判的に究明しようとする稀有の法学実践であった。
 そうした中で、小田中氏は戦前から継続している日本的刑事司法の特徴を「糾問主義的検察官司法」と総括した。「糾問主義的検察官司法」とは、被疑者・被告人の防御権を抑圧しつつ、刑事訴訟を原告として追行する検察官が刑事司法を支配するような司法のあり方―平たく言えば「吊し上げ」司法―である。
 戦前は典型的にそうであったが、戦後の占領下での司法改革をもってしても「糾問主義的検察官司法」は本質的に転換されることなく継承され、現在に至っているというのが小田中氏の見立てであった。
 たしかに、いまだに被疑者取り調べへの弁護人の同席は保障されず、一方的に密室で採られた自白に基づき、かつ検察側手持ち証拠の事前全面開示制度もなく、法廷立証は終始検察ペースで進み、一審有罪率99%という現況は、まさしく「糾問主義的検察官司法」である。
 ついでに言えば、日本の政府機構上、法務省の主要ポストはすべて検察官が出向する形で充てられるため法務省と検察庁は一体的であり、かつ日本の立法実務の特徴として法案の大半を占める内閣提出法案は実質上各官庁が作成していることから、刑事法を含めた法務関連の立法は事実上検察官が掌握している点で、「糾問主義的検察官立法」も構造化されている。つまり、法務領域では官僚である検察官が行政・立法・司法の三権すべてを牛耳っているのである。
 加えて、2000年以降になると、検察官のみが起訴権を持つ刑事訴訟では当事者ではないはずの被害者(遺族を含む)が一定の重罪事件で被害者参加人として公判期日への出席、証人尋問、被告人質問、論告などを行うことができる被害者参加制度が創設され、被害者が訴訟当事者化されるという歴史的な刑事立法の転換がなされ、被告人は検察官と被害者の双方と対決しなければならない構図が作り出された。
 さらに、一定の重罪については公訴時効が廃止されたこととも合わせ、重罪事件の被害者の報復感情を直接に刑事司法に反映させ、有罪厳罰判決を確実に担保するという必罰主義的な傾向性が飛躍的に増した。これを名づければ、「応報主義的被害者司法」ということになるだろうか。
 また、これと連動する形で、報復感情を片面的に根拠とした少年法や自動車事故関連(過失事故、危険運転)における厳罰化の法改正も着々と進められ、立法面でも「応報主義的被害者立法」がモードとなっている。
 そして、この動きは現実に一部被害者遺族やそれを支援する法律家による世論形成、それに答える政治家の連携により進められる「厳罰ポピュリズム」と呼ぶべき潮流を作り出しており、これに従前からの「糾問主義的検察官立法」が相乗りする形で、官民連携の厳罰化立法メカニズムが形成されていると言ってよい。
 2004年に制定され、5年もの周知期間を置いて2009年から施行された裁判員制度とはこうした「糾問主義的検察官司法/立法」と「応報主義的被害者司法/立法」の交点に位置するような時期に、またそのような様式で設計された新制度であった。
 そうであるからこそ、この制度は先の被害者参加制度の適用範囲とも重なる一部重罪事件限定で実施される仕組みであり、そもそも法定刑からして重い重罪事件において、「検察官+被害者」のダブル訴訟参加を経て、一般市民が参加する審理で可能な限りの厳罰量刑を迅速に実現しようという厳罰化装置なのである。
 日本の明治以来の官僚支配に由来する歴史的な岩盤である「糾問主義的検察官司法」自体、本来の衡平公正であるべき刑事司法制度の歪みであるが、それに「厳罰ポピュリズム」に由来する「応報主義的被害者司法」が加味されて、日本刑事司法はますます歪みを増している。もはや「刑事司法制度」というより「刑事報復制度」と呼ぶべき段階かもしれない。
 以上は小田中理論に私見を混ぜ込んだ分析になるが、小田中氏自身も晩年の著作『裁判員制度を批判する』(花伝社・2008年)で裁判員制度を批判的に分析し、その廃止を主張している。この著作は当連載を物するに当たっても大いに参考になった書であり、改めて感謝を申し上げたい。


コメント    この記事についてブログを書く
« 近代科学の政治経済史(連載... | トップ | 近代科学の政治経済史(連載... »