公益財団法人 通信文化協会 北海道地方本部

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シニア会員の西野さんが取材を受ける

2019年11月15日 16時49分27秒 | その他
8.15朗読・収録プロジェクトが西野忠士さんを取材
シベリヤ抑留体験を交えて当時の心境を語る




 戦争証言集「私の八月十五日~昭和二十年の絵手紙」を復刊した今人舎(東京都国立市)では、戦争体験者自身の声で戦争を語り継ぐための「8・15朗読・収録プロジェクト」を立ち上げ、活動を展開しています。11月15日には実行委員会メンバーが来札、通信文化協会北海道地方本部でシベリヤ抑留体験を語り継ぐ札幌市の西野忠士さん(94)を取材、当時の心境などを収録しました。

 2004年に復刊した「私の八月十五日」は、その後シリーズとして続刊を出し続け、今年7月までに文や絵の寄稿者が197人にのぼり、書籍も7巻を数えています。書籍の刊行と並行して寄稿者自らに文章を朗読してもらう朗読・収録も行っており、漫画家や作家、一般人が寄せた敗戦の記憶は胸を打つものがあり、亡くなった俳優の高倉健さんの声も残されています。今回札幌を訪れたのは高倉さんの養女で株式会社高倉プロダクション代表取締役の小田貴月さんで、約1時間半にわたって西野さんを取材、録音しました。

 千歳市の泉郷郵便局員だった西野さんは、昭和20年4月に招集とともに航空通信兵として満州の戦地に送られ、8月に終戦すると11月からシベリヤでの抑留生活が始まったと言います。極寒の地で耐え難い苦難を乗り越えて23年5月に帰還、泉郷郵便局に復職して61年に札幌市の美園郵便局長で退職しました。在職中からシベリヤ抑留体験と平和の大切さを伝える語り部活動を続け、今年10月には内閣府のエイジレズ・ライフ章を受けました。

 小田さんのインタビューに出征時から半年余りの軍隊生活、その後の抑留生活を確かな記憶力で振り返った西野さんは「終戦と聞かされた時は命が助かったという思いはなく、戦わずして終わった虚しさ、虚脱感しかなかった」と語りました。用意した収録用の文をしっかりとした口調で読み上げ、小田さんの激励に西野さんは背筋を伸ばして「かつての戦友は少なくなったが、これからも語り部として伝えて生きたい」と答えていました。




取材を受ける西野さん

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